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はてなキーワード: 80年代とは

2021-03-06

anond:20210306175652

ああ言えばこう言うやっちゃなあ。

少なくとも「子供向けゲームファンタジー」という点で

ダイ大が画期的やったと強弁するには

ワタル存在無視できんやろ。

ワタルの前にはビックリマンもあるしな。

騎士ガンダム1989年か。

エスパークスなんてのもあったな。

要するにドラクエロト三部作を中心とした

80年代ファンタジーブームに乗っかって

子供向けファンタジー模索はいろいろされとって

ダイ大はそのうちの有力な一作品やっただけで

画期的で新鮮」というのは的を外しとるっちゅうことやろ。

自分な好きなもんが流行った理由を考えるとき

「ここが新しい」「ここが他と違う」と思いがちなんは悪い癖やで。

anond:20210306141840

アジアにおいて80年代のjpopは今のkpopみたいだったと聞いたことある

ほんとなのかは未だにわからんが

anond:20210306092833

間違ってる、というよりは解釈の違いでしょうな。

バスタードは剣と魔法世界だし、これはこれですごい漫画だったけど、コテコテ劇画調の作品で、80年代的なジャンプのバトル漫画カラーが強く、人気も局所的にカルト的なファンがいるにとどまっている。要素の取捨選択が強めで、ドラクエっぽいRPG的な世界観が作り込まれていたとは言い難い。

ダイの大冒険は、もうちょっとドラクエ寄り、ドラゴンボール寄りの、親しみやす和風ファンタジーのフォーマット提示したのが大きかった。ドラゴンボール系譜に連なる漫画は当時まだ多くなかったので。

バトルものとしてさほど成熟していなかった読切版が、ものすごい読者支持を得た、というのが説明上のポイントファンタジー、というより、ゲーム的な世界漫画で読むという事に読者が飢えていたんだろうと思う。

その後のヒットについては、90年代的なジャンプのバトル漫画の流れに乗れたから、という理解特に異論はない。

少年誌和風ファンタジー漫画がやりにくい、というのは、ジャンプのバトル漫画的なヒットの方法論と合わせにくい、という事なんだろう。ダイの大冒険が、そこを割り切って、中盤以降ジャンプのバトル漫画に舵を切ったのがバトル漫画としての大きな成功要因であることには異論はない。

この時代は、ドラクエ的な世界観を漫画アニメ物語フォーマットに落とし込むための試行錯誤が行われていた時代である事には、異議はないと思う。そして、ダイの大冒険の、特にフォーマットの完成度の高さが、その後の和風ファンタジー作品に強く影響を与えた、と見ている、というだけ。

ドラクエ色を強めたアンチテーゼであるロトの紋章が登場したけど、作りとしてはかなりダイの大冒険に影響を受けている。パーティ構成もかなり似ているし。ダイの大冒険は後発作品基準値となっている、影響力の大きい作品、とみるとしっくり来る。だから、未だに語り継がれているんじゃないのかな。

anond:20210304185757

「え?」と思うかもしれないけど、ダイの大冒険は、新連載当時は、実は画期的レベルで新しかったんだよ。ダイの大冒険最初読切から始まったんだけど、物凄い人気で連載にこぎつけた。それだけ新鮮な漫画だったんだよ。

ダイの大冒険の連載開始は89年。この当時のジャンプ漫画が何だったかは、「89年 ジャンプ 目次」あたりで画像検索するとわかる。ドラゴンボール魁!!男塾聖闘士星矢ろくでなしBLUESジョジョ(第2部〜第3部)の時代だ。ドラゴンボールを除いてヒーローもの劇画で、主人公は割と老け顔。そして、ファンタジー世界作品ドラゴンボールぐらい。当時はまだゲームっぽい雰囲気作品って全然なかった。

そこに、それまで珍しかったドラクエ的和製ファンタジーを題材にした冒険漫画が、王道であるジャンプに出てきたから、「それまでに無い漫画が来た!」と、当時の子供たちは夢中になったのよ。

80年代後半はゲームブックとかライトノベルという形で、和製ファンタジー世界観を物語化する流れが出てきていたんだけど、まだまだ傍流だった。これをメインストリームに持ってくる原動力になった作品の一つが、ダイの大冒険だった。アニメにもなったし。

90年代に入ると、和製ファンタジー作品が、ライトノベル漫画アニメといった、あらゆるメディアに登場するようになり、その新鮮味が急速に薄れてきた。沢山の作品が出るということは、つまりジャンルが洗練されるということ。ダイの大冒険はこのジャンル元祖的なポジションであるが故に、洗練される前の80年代的な表現がそこかしこに見られるのはやむを得ない。

その意味で、「当時を映し出す古典」として楽しむのが、正しい見方なんだろうね。

2021-03-05

[]ヤエー

バイク乗りがすれ違うときピースサインを交わす風習のこと。

日本では80年代バイクブーム時に広まった。

2002年2chバイク板で、

ピースサインが廃れつつあることを悲しみ、

ピースサインの普及を訴えるスレが立てられた。

このスレは「ピースしようぜ!」という名前現在まで続いているのだが、

そのなかで2003年に「Yeah」を「Yaeh」と書き間違えた人が現れ、

以降、このピースサインを「Yaeh」「ヤエー」と言うようになった。

2021-03-04

anond:20210304144817

twitterどころか現実にたくさんいるよ

80年代で頭が止まったまんまの人

2021-02-27

いつからツッコミ(しか出来ない)馬鹿」が「おもしろい」と等号で結

ばれるようになったのだろうか。

たぶん80年代後半以降のSPA!や宝島などの「ルサンチマンサブカル雑誌からだろう。

2021-02-26

anond:20210226152350

問題になるわけないじゃなく

問題にしなかっただけ

80年代だろうと警察に届け出れば問題になる

2021-02-23

anond:20210223122527

ええと、そのグラフを見ると80年代を通じて女子でも30%代を保っているように読めるが、、、

さらに、これは進学率であって、受験者はこれ以上のハズ。

anond:20210223023954

月だよ月。年率だと2倍。こんな高インフレでも何年も持続可能だった。

https://himaginary.hatenablog.com/entry/20100404/the_road_to_hyperinflation

>高インフレが恒常化していた1970〜80年代アルゼンチンでも、ハイパーインフレ最後最後に起きた事象であったことが分かる。しかも、その時期はフォークランド紛争民政移管など、政治社会的にも激動と混乱の時代であった。日本ハイパーインフレに関する論議では、ガスの充満した部屋で火をつけたら爆発する、とか、冷蔵庫を傾けたらある段階を超えると一気に倒れる、といった比喩蔓延しているが、こうした研究に照らしてみると、そうした比喩は余りにも粗雑でちょっと議論に堪えられないもののように思われる。

2021-02-21

2021年現在世界中を探してもパンティネタなんてジャンル存在してるのはこの場所だけでは?

その他では80年代に一瞬だけ存在したようなジャンルですよね。

超希少絶滅危惧種が栄えているガラパゴス島のような不思議感覚

2021-02-19

anond:20210219113037

バブル前夜の豊田商事事件投資ジャーナル事件といった先物取引詐欺被害者に、救済を騙って金巻き上げた輩のことだね。80年代の闇だね。

2021-02-17

anond:20210217155156

unicorn画像検索したら分かるけど、たてがみ体色ががカラフルだったりパステルカラーになってるユニコーンていうのは結構からあるイメージ

本当の源流はわからないが、おそらくアメリカのMy Litlle Ponyというアニメが元。

そのアニメ80年代から今も続いているので、そういったカラーファッションに取り入れたのだろう。

2021-02-16

「うっせぇわ」って80年代でいうところのMORAL(BOØWY)か?

人の不幸は大好きサ

anond:20210216203918

おいおい

20年前にコギャルやってた女が大人になってエリートになってフェミニズム推進したり日本死ねとかやってるだけだぞ

80年代まれの女は強者

2021-02-15

anond:20210215094136

20世紀思想しか学んでないおっさんおばさん人権屋は、その辺のことに全く鈍感だし、知ることもしていない。

文系界隈でそういうの意識されたしたの、21世紀はいろうかというタイミングからな。

 

それまでの文系思想では、理性が完全に優位で、生物本能の影響は限りなくゼロ見積もられていた。

教育次第でどんな人間にもなれるという無言の前提があったし、それを疑うもの差別的批判すらされた。

 

そこいくと、フェミニズムってやっぱ80年代思想なんだよね。

2021-02-11

anond:20210211040858

なんでそういうデマを広げるんですか?

リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初LPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授就任したのが1973年です。

そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールフラウト・トラヴェルソ部門ダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。

同じ時に東京リコーダーカルテットリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。

有田正広さんは、その後70年代からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。

また、オトテール・アンサンブル活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD

中世音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催ダンスリールネサンス合奏団の結成も70年代1972年?)でした。

その後、主な団体だけでも、東京バッハモーツァルトオーケストラ活動開始が80年代バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代ヴォーカルアンサンブル カペラ活動開始も90年代です。

2010年代どころか2000年以前から結構盛んだったし海外での評価も高かったですよ。

2021-02-09

インド農民デモとグレタさんとシク教徒のカリスタン運動

もう2ヶ月以上続くインド農民デモ。今までは最低価格保証がされていたが新法では価格保証が明記されず自由化生活が苦しくなるとして政府に抗議。地方から首都に出向いて道路占拠したりしている。

インド農産物取引自由化などを促す「農業新法」が成立したことに対し、約13億人の人口の半数以上を占めるといわれる農民の抗議が広がっている。

 

インド農民、全土でスト 農産物取引自由化に猛反発:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASNDB34JZND8UHBI01Z.html

 

スウェーデン環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんも農民支持をTwitterで表明。

ところがデモに関して農民支援レクチャーを受けたと見られる資料誤爆ツイートして「グレタの背後に怪しいやつがいる」とインド与党支持者や反グレタの間で反発広がり一騒動インド警察も「背後」を調査したという。

その「背後」でデモ支援資料作成してたというのがカナダの親カリスタン運動団体だとか。

'Preliminary enquiry has revealed that the toolkit in question appears to have been created by a pro-Khalistani Organisation 'Poetic Justice Foundation',

Furious Indians burn posters of the eco-campaigner after she wades into farmer protests dispute | Daily Mail Online

https://www.dailymail.co.uk/news/article-9224033/Greta-Thunberg-sparks-police-probe-India-tweet-sharing-toolkit-support-farmer-protests.html

 

カリスタン運動とはシク教徒によるインドから分離独立運動のこと。シク教とは信者数が世界で5番目に多い宗教で、歴史的経緯からインドパンジャブ州に多く住む。

それでカリスタン運動農民デモはどう結びつくのか。

パンジャブ州は 1947年の印パ分離独立の際に,パキスタンから難民であった多くのシク住民が移り住んだ。インド政府は同州をパキスタンとの戦略上の観点から農業州として固定化する方針を打出し,工業投資は控えてきた。 1960年代から米や麦の生産は向上したもののこの政府一方的方針に対してシク教徒の不満は次第に増大し,富裕なジャート系シク教徒の反政府運動へと発展,80年代には暴力行為が横行した。一方,このころ一部の海外移住シク教徒の間でもカリスタン運動が提起され,これがパンジャブ州での動きに相乗作用した。

 

シク分離主義運動とは - コトバンク

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%82%AF%E5%88%86%E9%9B%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-169690

 

シク教徒=パンジャブ州=農業州=農民デモ、という結びつき

今回のデモパンジャブ州の農民首都ニューデリートラクターで抗議に訪れている。

インド政府ヒンドゥー教与党支持者は単なる農民デモとしてだけでなくカリスタン運動にも警戒しグレタさんに対しても「テロリスト支援だ」と批判している。

1月26日に警察との衝突で農民側に死者が出た。デモ参加者に少数派シーク教徒が含まれいたこから政府やヒンズー至上主義与党インド人民党(BJP)は、デモシーク教徒の分離独立運動に結び付いていると主張し、世論批判をかわそうとした。

 

農民デモ、各国著名人支持 インド政府弾圧強化で:時事ドットコム

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020700249&g=int

2021-02-03

フェス

毎年、夏にもフェスに出たり、フェスに出れたりしている。

小康時代ランドセルを背負ってコンサートで歌っていた場所は、喜劇劇場ケープタウンのすぐ裏。古い町並みの中を走る国道沿いの大通りで、5時間に1本のペースでフェスを開催する。町中から中へ国道160号線に向かってその小ささなく大きな通り沿いの町のわけを、40分くらい歩く。市内から県道に乗るので、道路沿いも歩く道幅も23くらいある。

さて、初めはいかにHIPHOPバンド。とは言え、重厚感はない。当時、二十代だった私は、若いながらも、威圧感のない、個性のあるバンドが好きだった。して、そんなバンドが、50代になり、また今年、60代になった。

実は思うに、21歳くらいの時からロックフェスに足を運んでいる。

今や、「美」をテーマにしたフェスという基本の中の言葉を飾ってのフェスであるそもそもフェスに行く時には、「美」というテーマを取るバンドがここだったのだが、ノスタルジックで美しいフェスというゲーム存在する限り、何を1曲として伝えるのか、異端として映るフェスはない。

そんなときには、先月、60代を迎えたばかりの界隈の若手バンドと、30回目のさかえとで見比べてみる。ロック好きの目から見ると、他のフェスと比べて、ロックの熱は薄いように思う。

もちろん、他にはロックフェスにも、パンクパンクロックヘヴィロックパンク色の濃いフェスがある。では、60代のロックフェスには、どんな意味合いがあるのだろうか。間違いなくそれが分かる。もしも、70から80年代前半、80年代アイドル80年代クラシックを、ロック解説してみたい。HIPHOPは一時代を通して、1980年から80年代にかけて爆発的に拡大した。その変遷は、令和の時代になってからも変わらない。毎年、夏、そして9月のどこかに出かけた時に、その熱はまだまだ冷めないのが目に見えた。

だが、今年、ノスタルジックになって、なおかつ、熱気に溢れんばかりの方が、画的にも、参加しているバンドも、ロックフェス育ちのオヤジたちは、新社会人になって、そして、新天地ロックフェスを楽しんでいる。今年が半世紀もの時を経て、フェスでお会い出来るというのだ。

最新作の数々、みじんも予想していなかった60年代ロックフェスが、60代の初夏になり、令和2年、令和2年になる。さらに、30年、60年という節目を記念するイベントも多数開催予定で、その一つになると言っても過言ではないと思う。ロック民族楽器演奏で、ぶっつけ本番で、ロックフェスを楽しむのが海辺のまちなのだ

なお、今年のフェスでは、ビーチにバーベキューバーベキュー外遊びをする以外にも、パーティーフェスというユニークな形で開催が予定されている。(本稿は今年のフェスで話したいと思う)さて、今年のフェスに、一本だけでも、何本かある。まだ1本も見たことが無い方々は、ぜひ、観てきて欲しいと思う。とはいえ、40周年、60周年、このタイミングに合わせ、バンドバンド同士の交流は、今の倍以上になりそうな気がする。まだ出たばかりなので、今年のフェスにも足を運ぶ予定があるのは、それからなのだ

バンドはいつも、誰もが自由解釈や曲、サウンドを奏で、そして、唄い、演奏しながら、声を張るという音楽世界を行っている。それは、30周年を迎えたバンドにとっては、非常に大きなことだ。音楽性も、そして、時代によって雰囲気もどんどん変わってきている。いま、時代と共に周りの環境も大きく変わってきているが、それでも、時代に取り残されている音楽というのが、ロックフェスの特徴なのだ。60年以上も前からロックフェス世界にいて、私たち世代の憧れのバンド。どこかで見たような、ラテンっぽい、レトロな、EDM風なサウンド。独特のサウンド。そんなロック自慢の音楽が、20年、30年も、世界に多くのオーディエンスを誘って、地球の裏側で、フェスを行うことになる。

そして、令和2年も、今年で60周年。20年を超えるのに、すでにロックフェスで、しかも、60年を超える必要がある。70、80年のミックスアップ、98年のドック、96年の超結婚。そして、その超絶必勝の方程式

今後も、ロックフェス成功は続くことだろう。ロック好きな大人が存分にロックを楽しんではいけまい。

2021-02-02

2世代ほど前の曲ばかり聞いていた親の気持ちがわかってきた

安全地帯を聞く母、小田和正を聞く父。

世にはZARDやら宇多田やら、90年代から00年代にかけて生まれた新しくて良い曲が溢れているのに、

なんでこんな古臭い曲ばかり聞くんだろうとずっと思っていた。

新しい音楽を聞かない親を、古臭い人間アップデートできない人間だと思っていた。

20年後まさか自分がそうなるとも思わずに。

 

世は2021年20年代の今、自分が聞いているのは2世代3世代も前の曲ばかりだ。

リアルタイムで聞いていた00年代の曲はもとより、(ストレイテナーとかエルレとか、当時の中高生が好きだったやつだ)

まだ音楽に大きな興味を持っていなくても「聞き覚えがある」という90年代の曲、(ビーイング全盛だな)

それどころか生まれてすらいない80年代の曲まで聞くようになってしまった。(BOOWYはいい)

だが、10年代以降の曲はほとんど聞かない、というか知らない。

 

「昔は名曲ばかり!それにひきかえ今の音楽はー!ふじこふじこ!」

などというつもりは毛頭ない。良い曲もあるはずだ。

ただ、自分が追いつけないだけ。

絶えず変化を続ける音楽シーンと、どんどんと広がるジェネレーションギャップ

それらの時代の波に、自分感性の変化(というか老化)が噛み合わない。

歳を取ると頑固になるというが、なんかちょっとわかる気がする。

歌声や歌い方が気に食わない、歌詞が刺さらない、名前が好みじゃないetc.

なにかと理由をつけて、聞かないようにしている。

自分の知っている範囲のものは心地いいんだ。

新しいものに手を出すのは、エネルギーがいる。

こうして古臭い頑固親父になっていくんだろうか。気をつけなければいけない。

2021-02-01

anond:20210131195014

80年代以降の技術立国日本しか知らない世代には、日本もたった20年で技術力二流から頂点に移動したって実感がわかなかったんだろうねえ。

当時、少し前まで仰ぎ見ていたアメリカ技術力の凋落にも驚いたもんだけれど。

上の世代は逆に中国人民服自転車の群れのイメージが強すぎて、年寄りはすでに大昔に日本経済力で追い抜かれてることをまだ理解できていなかったりするし

成功体験にとらわれて想像力を失った平成日本の象徴として、ずっと歴史コラムあたりで笑われるネタになりそうだね

2021-01-28

映画秘宝のおもいで

映画秘宝はもう終わりだろう。

廃刊というのは今はほぼないとかいうきゅうかいまめちしきはともかくとして、あの気持ち悪いことした編集長切って別の人を編集長にして存続するような余裕のある体制じゃなかったぽいじゃん。

まさか会社ごと消滅してた方がマシだったなんていう展開は予想外だったけどよのなかそういうものかもしれない。

映画秘宝って当初は70年代とか80年代にあった誰も見てないような映画おもしろおかしく紹介するみたいなのがコアにあった雑誌で、オトコの映画雑誌みたいなホモソーシャル的要素は確かに強くあったのはあったのだけど、どちらかというと一人で映画館にいって映画見るような人向けの映画を紹介みたいな路線だった気がする。

ファミリー向け、カップル向けの映画ばっかりじゃなくてこんな映画もあるんだぜ、みたいなのはインターネットがそこまで普及してない時代にはありがたいところではあった。だけど、なんだかんだでそんなにヘンテコ映画ネタが続くわけもなく「これ前も見たよ」とか「言われるほど変な映画でもねえな」みたいなのが多くなってきて雑誌買わなくなっていった。買わなくなった理由はそれだけじゃなくて広告が増えるのは良いんだけどBOXセットの宣伝で、シリーズ全作揃ってないのになんか褒めてたりしてアホかいなみたいに思ったのもあった。

やっぱ無理に月刊化したのがいけなかったんだろうなあ。季刊あたりでのんびりやっていけば今でも面白いまま続けられたのかも。

2021-01-27

anond:20210126121246

世代主観が思い切り入っているけど、個人的には90年代半ばを分水嶺として、そこで起きた変化が現在でも続いているように感じる。

90年代人間にとって尾崎は心底共感はできないし、もう古いんじゃないかと感じてはいたけど、一応何を言いたいのか、伝えたいのかは理解していた。学校の反抗文化は廃れつつはあったが、かっこいいという雰囲気もある程度は残っていた。

しか00年代になると、若い世代共感以前に「さっぱりわからない」になった。当たり前だが、上の世代が「布教」しようとすればするほど、若者は遠ざかった。俺も80年代世代の「布教」は正直うざく、自分の中でも尾崎豊は嘲笑対象になった。


最近尾崎豊を見直しているのは、歳をとって客観的に見れるようになったのと、自分の体を痛めつけて命を削るように歌っている姿が、理屈抜きにすげえなと思うようになったから。今でもたまに10代のファンがいるけど、歌詞メッセージではなく、その完全燃焼生き方パフォーマンスに新鮮さを感じているように思う。

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