はてなキーワード: 組合とは
あのメール回答しなきゃ
あれ今日どうなったのかな
組合のあれまだやってないな、まずいな。
あの件で問い合わせきてたらどうしよう
全然成長できてない
打ち合わせの進め方上手くできない
あ〜議事録書いてない
ずっと家にいたいでもたまには外に出ると気持ちいい
仕事したくない
この先 生きていくには今の仕事は辞めない方がいいかもしれない
でも痩せたい
明日なんで来なくていい。
もうあと5〜6時間したら起きるのかやだな
あと何回こんなこと考えるんだろう
明日が近づくといつもこんな感じになる。youtube見てるときは元気なのに。ゲームしてる時は元気なのに。
シャワーで頭流してるときとか、布団に入っているとき、色々考えてしまう。
でもいざ出社するとなぜか元気。周りの人も優しい。あんなに悩んでたことを忘れる。でも1人になると思い出して、明日が近づくと元気がなくなる。
地元アピタ。もう全く流行ってないアピタがあった。何故か立地が田んぼの真ん中で、隣にホムセンはあるものの、他に施設もない。
閑古鳥どころではなく過疎ってた。
テナントもどんどん逃げて「フリースペース」やら、不自然にベンチが置かれた謎の空間ができてた。
食品も微妙に高いし、土日に行っても人がいない。いても地元の老人というあまりうまみの無い客層。
それでもその地域にある唯一まともなスーパーであった。そのため、アピタが不採算店舗を撤収するという噂が流れると、町長と産業立地課長が雁首そろえてユニーの本部に出かけては、支援を約束するからどうか店を閉めないでくれ、と陳情にいっていたと言う話も噂で流れていた。なんか土地は一度町が借り上げて、いろいろと理屈をつけて格安で貸し付けているとかなんとか。なので地元では良く潰れないなーと話題になっていた。
それが変わったのが、去年の今頃である。
突然、その過疎アピタが「県内初のMEGAドンキホーテUNIに業態変更する」という話が降ってわいたのである!
今まで支援してきた町長以下町の職員はプチパニック。なにしろMEGAドンキどころか地元にはドンキホーテなるものは存在しない。いわば幻のような存在。
町の職員らはどんな風になるのか県外のMEGAドンキホーテUNIに視察に出かけるとか、なんかよくわからない行動を取った模様。
特に反対する理由は無いどころか、すごくいい話。よそでは業態変更で反対運動があるところもあるようなのだが、何しろ周りに家が無いような場所。
なんでこんな田舎の店舗がMEGAドンキへの業態変更の対象になるのかわからない始末で、ありがたいけど大丈夫ですかユニーさん、と言うノリであった。
アピタの食品売り場の責任者(副店長)、仮にMさんとしよう。Mさんは、人当たりのよいおいちゃんで、農産物直売コーナーを、一番お客さんが来る場所にどどーんと設置してくれるような、すごい人のよい方である。でもたぶんこんな不採算の店舗の責任者だとすると、あんまりこう、やり手では無いんだろうなー的な人である。
話を聞いたときに、俺はMさんに電話して聞いたところ、Mさんも詳しいことは聞いてないけど、半年ぐらい休業して店舗改装することになりそうだ、と聞いて、驚いたもんである。
そして、ついに改装が始まる。一部専門店はそのままだが、店舗内部は大規模な改修が行われた。
店舗内はお祭りでもやっているのかという大騒ぎで、人だらけ。ドンキホーテは品物を山に積むはずなのに売れすぎて無くなってドンキっぽく無い情況すら膿まれる。
待機列であふれるマクドナルド、フードコート、金が足りなくなり停止する農協のATM、今までこんなに人が入ったことがないので大混乱を引き起こす地元テナント服飾店にめがね屋。
呆然と立ち尽くすじいさんばあさんに、ドンキのペンギンの前で記念写真を撮り始めるおにいちゃん、地元のじじばばの足である軽トラ軽小型車の代わりに駐車場を埋め尽くファミリーカー。どう見ても地元の小学校よりも多い数の子ども達。
周辺の道どころか、そこに至る片側二車線の道に大渋滞が発生。しかし、どうやらドンキホーテ自身もそんなに客が来ると思っていなかったらしく、警備員の人数が足らなず周辺の道は大混乱。
そんな中で、俺が最も衝撃をうけたもの、それは…
実は、それを見たのは開店前である。産直組合に入っている俺は、できるだけたくさん出してくれというMさんからのメールに、たくさんの野菜を持って行ったのだ。
応援の見慣れない店員などもたくさんいて、すごい活気にみちていて、こりゃすごいことになった、と中を見ていたところ、そこにあったのである。
Mさんの、巨大なポップが。天井からぶら下がっていたのである。ドヤ顔でサムズアップし、「驚安番長M」とかかれた巨大ポップが。
衝撃だった。なんだこれは。
どうしてこんなことに。
思わずスマホで撮影してSNSに流したのは言う間でもない。彼のあだ名がその瞬間から番長になったが、俺は悪くないと思う。
現在、MEGAドンキユニーができてから半年がたった。売れるのは正直最初だけだと思ったが、週末になると駐車場がいっぱいになるほどお客が入るようになって、安定しているように見える。と言うか、むしろ駐車場が足りてない。
客層は明らかに違っている。前はじじばばばかりだったが、ファミリー層がすごい来ている。子ども連れがかなり多い。(なので、従来からいるテナントはちょっと浮いてる)
また、戦略も、地元愛を押し出すことでなじもうとしてる感じがある。例えば各コーナーには地元の名前をつけている。たとえば、増田町なら「あなたの待ちの電気屋さん、マス電コーナー」みたいなノリ。
それから、地域産品にやたらと目立つポップをつけている。地元で流通している名物の品物があるのだが、そこにでっかい「やっぱり地元がいちばん!」と言うポップをつけて目立つようにしている。
それから地元で好まれる食材がアピタ時代より増えている。アピタ時代はどうも画一的な品揃えの所に、一部地場産品という感じだったのだけれど、ドンキホーテになってから地元にカスタマイズしてくるとは正直思わなかった。
これらは、できるだけ早く地元になじもうという戦略だと思われる。
正直、潰れかけの店舗をここまでやるとは思わなかった。駅前型のドンキホーテのイメージがあったが、郊外型店舗でもきちんとノウハウをもってやっている感じがする。
愛さないなら愛してくれ・・・といわれて、何万人もの人が指示をするから 好きと嫌いは同じことなんだろ?
じゃぁ
愛さないなら愛してくれといっただろ?
だからおれは、僕が統合失調症かもしれない。僕は頭がオカシイのかも知れないと言い始める
嫌われないよ、あるいみレイプ犯は相手の人生から消えろ レイプ犯は嫌われろ 好きと嫌いは同じだから 好きじゃないなら嫌ってくれ
おれは相手の人生から消えてやれと思う 頭のおかしい人が思うだけ あなたが正常 大体の人はレイプをしても許してやれよという 実行犯に対して
許されるルートが有ると思っている どんな罪でも 必ず許される 人を殺しても 自分が死ねば 相手は奇跡の復活
そういうふうに信じている人もいる それはしょうがない。信仰の自由
何を信じてもいい
この事件の発生年代については、1890年10月9日に「赤毛組合」が解散したと明記されているが、シャーロキアンの間では、発生を1887年・1888年・1889年・1890年とする説がある[1]。「赤毛組合」は「ワトスン博士の日付の間違いの最も顕著な例」と評される作品でもある[3]。作中の記述によれば、ウィルスンが組合員の募集を知ったのは1890年4月27日付『ザ・モーニング・クロニクル(英語版)』紙の広告で、その広告を読んだワトスンはちょうど2ヶ月前だと発言している。ウィルスンは翌日から仕事を開始し、その8週間後に組合解散の張り紙を見たと書かれているのである。 まず、1890年4月27日は日曜日で、当時日曜日には新聞が発行されていないうえ、『ザ・モーニング・クロニクル』紙は既に廃刊となっていた[4]。解散は10月9日と書かれているので、2ヶ月前や8週間後では計算が合わない。また、この1890年10月9日は木曜日だが、ホームズは今日が土曜日で逃亡に2日の余裕ができるため、今夜犯行に及ぶはずだと推理しているのである。
正典60編の事件を発生年代順に並べた『詳注版 シャーロック・ホームズ全集』を発表したベアリング=グールドの説では、新聞広告は1887年8月27日土曜日付のもので、事件は「赤毛組合」が解散した1887年10月29日の土曜日から30日の日曜日までとしている。短編の冒頭に「去年の秋」(発表は『ストランド・マガジン』1891年8月号)とある点については、発表のかなり前に事件を原稿にまとめていたのだと解釈した[4]。 リチャード・ランセリン・グリーンはオックスフォード版全集の注釈で、4月27日の新聞広告について、ドイルの原稿では AG(8月)となっていたのを、AP(4月)と読み間違えて発表されてしまったのだろうとしたが、発生年については触れていない[5]。
日本語表記と英語表記、それぞれ逆さにしても違う言葉として一致するっていうことは実はかなりすごい。
PoolとLoop
なぜそういったことが起こるのかより、なぜそういったことが起こらないかを説明したほうが早い。
例えばてぶくろ。
日本語表記なら逆さにすれば「ろくぶて」だが、ローマ字表記だとOrukubetになってしまう。
これは、母音と子音含めて一文字な日本語に比べて、英語は母音と子音が異なる文字で構成されることが多いためだ。
音声逆再生なんかをしたことがある人はピンとくると思うけど、本来逆再生してもちゃんと聞こえるようにするためには母音と子音を分解して発音し直さないといけない。
例えばトマトならOtamotとなってしまい、この時点で英語と日本語を逆さ言葉にしてもほとんどが一致しないということがわかる。
ここでさらに面白いのは、PoolもLoopも、本来日本語では発音を表記ではない語尾のLとPに、ルとプが割り当てられているという点だ。
Poolは英語の発音を無理やり日本語で表記するなら「プウォア」に近いし、Loopも「ルゥポァ」に近い。
それ以外にも、Creamはクリームだし、Leakはリークと、日本語で発音できない表記にうの段が多く割り当てられていることがわかる。
しかしこの言葉は、手前が母音がウではないために、逆さにすると日本語と英語で発音が異なってしまう。
Maercはムーリクとは読めないし、Kaelもクーリとは読めない。
そのため、逆さ言葉にしても最後の一文字が日本語表記と一致するためには、最後の英文字の手前でウに近い発音をしている必要があるということになる。
ここでPoolとLoopにもどると、Oが2つ並んでいるためにウーに近い発音になる。
そのため、逆さになっても日本語の発音であるプールとループに一致することができている。
そう考えると、日本語表記と英語表記で、それぞれ逆さにしても一致するためには、ある程度条件が絞られてくることがわかる。
1.単語の終わりが日本語では発音できないためにうの段の言葉に置き換えられている。
3.単語の始まりの文字が、単語の終わりに来たときに日本語のうの段に置き換えられる文字の場合、その文字の母音がウである必要がある。
こんなところだろうか。
Goodのグッドのように語尾がオの段で置き換えられている単語もあるので、その場合は手前の母音がオに近い発音になる必要がある。
それをもとに色々と単語を探してみたが、現段階でこの組合せ以外の単語を見つけることができなかった。
もう一つの可能性として、子音を伴わない母音で終わる英単語であれば成立するかもしれないが、ざっと調べた限りでは見つけることはできなかった。
もしかしたら人名を除く一般名詞の組み合わせは本当にこれしかないかもしれない。
だとすると割と本当に面白い発見だと思うのだが、そこまで考えてくれているようなブコメがなく、ただ日本語という言葉の揚げ足取りに終始してしまっているのはとてももったいない話だと思った。
高校数学まで、「自然数」は正の整数を指すものとされているが、
大学に入ると、フォンノイマンによる自然数の構成法からの流れで、「自然数」は0を含む正の整数として扱われることが多い。
だから、論文で「自然数」という言葉を使うとき(そして、花文字の「N」を使うとき)は、
序文かどこかで、この論文ではどちらの定義で行くのか予め述べておかなくてはいけない。
これって面倒なことだと思う。本文を抜粋していきなり読むと、「自然数」の定義を間違えてけつまずく可能性がある。
そもそも、論理性が大事な数学という学問において、なんでこんな曖昧な単語が残っているのか不思議だ。
なので、境界となる数を含むかどうかで「0を超える」「0以上」と言い分けるように、「自然数」という言葉自体も2つの言葉に分けるべきだと思う。
しかし、「0を超える整数」は「正の数」と呼べばわかるのに対し、「0以上の整数」は「自然数」以外の、それこそ自然な呼び方が思い付かない。
最高次係数が1である多項式のことを「モニック多項式」と呼ぶのだが、
この「モニック」に対応する日本語訳をいまだに見たことがない。いまだに、外来語+漢字の組合せで呼ばれている。
ちなみに、「最高次係数が1である」場合を特別に扱うのはn次方程式からの流れ。
最高次係数で左辺・右辺を割ってしまえば、方程式では最高次係数が1の場合だけ考えれば十分であるため。
そんな中学生でも理解できる単純な概念なのに、しっくり来る日本語訳が無いのが不思議だ。
高知競馬が、この5開催日連続で、売上10億円超え。JRAとの交流競走 (黒船賞) でもない、勝てず、怪我して走れずで高知に "流れ着いた" 馬達のレースで。12年前のどん底期は、年間の売上が38億しかなかったのに。
どん底期は1着賞金9万で、5着に入っても5000円しかもらえなかったのが、今では同じ条件 (C3)で50万円、5着で5万円。ビッグレース、高知県知事賞の1着賞金は、どん底期の135万円から、今年度 (20年12月31日) は1200万円!
「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」の言葉通り、あえてどん底期にナイター設備に投資し、勝利を目指してレベルを高め合う、というスポーツの原則に反した勝てない馬たちを集めた「一発逆転ファイナルレース」を企画し、ゲートに電飾を設置して、現地よりもネットでの見えやすさを意識する。売上が上がれば賞金が上がり、賞金が上がればレベルの高い馬が入ってくる。以前はヨソで頭打ちになった馬が高知で5連勝、10連勝当たり前だったのに、今は、転入馬でもおいそれと勝てないようなレースレベルになった。
高知県競馬組合のある程度以上のポストの人たちは公務員なので、いざとなれば潰して元の組織に戻ればいいだけだったのに、挑戦して、立て直した。競馬で「稼いだ」金を自治体に配分して、地域に役立てられる公共事業になった。
みんながみんな、頑張れば報われるなんて思わないし、高知競馬の復活まで耐えられずに去っていった人馬もたくさんいるのだろうけども、それでも、1つの明るいモデルケースとして、広く知られればいいなぁと思う (この前のNHKの番組で、相当知られたと思うけど)。