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2024-09-10

宗教3世の遍歴(追記有)

母方の家系が代々信仰の厚い家系だった。

その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。

寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。

そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠半年を迎えようとしていた頃に胎動消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。

二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産成功した、それが俺。

俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。

毎晩毎晩自分の肌を掻いて出血しては泣いていたそうだ。

当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家宗教を思い出した。

さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。

すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。

母の信仰心が確固たるものになった切っ掛けの話だ。

俺が物心付く頃には、周囲の人間子供大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。

誤解されがちなのだが、こういう集まり普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。

寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。

感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。

曰く、「死んだら死後の世界成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。

その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。

小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。

俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。

自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。

幼いながら、今すぐ消えたいと思った。

不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。

刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。

母親が帰って来た所にそれを見られ、正座させられた。

何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。

母親は、「人を殺したいなら私を殺してからやれ」と言った。

まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。

誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。

ここで違うと言えなかった事が、俺の人生分水嶺だった様に思う。

今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。

中学生になる頃には、父親パソコンネットを見るのが趣味になっていた。

当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。

そんな折に自分宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。

その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。

高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。

その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。

部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。

じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。

どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館ゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。

学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。

全てが面倒臭くなって、死のうと思った。

海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。

母親は、「自分で洗えよ」とだけ言った。

色んなものフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。

これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。

大学には行かずに、仕事を始めた。

家賃さえ入れれば、俺が居る事に文句は言ってこなかった。

20代も折り返しの今、家を離れて生活をし始めた。

途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。

最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。

けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。

言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境言い訳に見ない様にして来たのだと思う。

漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。

追記

まずは、こんな駄文を見てくれてありがとう

最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。

それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう

せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。

>家庭環境の割りにはまともそうに見える

から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。

今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう

宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...

父親宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。

加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」

>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)

これに関しては、もう時効から言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒール生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。

>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。

実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。

タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。

>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること

これは本当にそうだな、と感じた。

ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。

多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。

>・増田はそのことを自覚して、向き合う、と言っていて偉い。

ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日仕事から帰って来て、自分ボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。

それだけの事が、今はただ嬉しい。

>あー、またひとのせいにしてるー

宗教のせいにしてるだけなんだという自覚がないのが哀れ

これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。

幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。

これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから

自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けよすがとして宗教選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな

自分人生に関しては「お客様気分」を捨てて、自分で舵をとり、全責任を背負うしかない。

この世の不利益当人能力不足というもんね、ありがとう

でも、ふと我に返った時に、舵から手を放したいと思ってしまうんだよな どうしても

2024-09-05

anond:20240904235414

うちは四人兄弟末っ子経済的には厳しかったみたい。おかんが悩んでるところにおやじが「産んでくれ」って言ってくれたおかげでこの世にいる。

仏壇においてある鬼籍帳に知らない名前があって知ったんだけど、その後妹も出来たみたいだけど降ろしたそうだ。

40年たった今でも両親は5人目の子を降ろした日に線香焚いている。俺もその子の分まで生きているつもりで幸せにならなきゃと思って生きてきた。そして今幸せ

なんにせよ、お腹痛めて産んだ子を増田の両親は育ててくれたのは事実だが

感謝するかしないかは本人次第

2024-08-27

創価はクソって話

付き合ってる彼氏結婚しようと思ったら学会をやめて欲しい、って話から、色々調べて脱会ってなんでこんな難しいんだ??ってなってる。

今まだ学生から就職で引っ越す時に住所誤魔化して、脱会届も学生の頃の住所で出すかなぁとか考えてる(現住所割れたらまた付きまとわれることになりそうだし…)。でも次に引っ越してくる人に迷惑かな、とか。それならいっそ所属組織はなしで出すかな、とか。なんかいい案あったら教えてください。

正直脱会届だして親との縁が切れるならもう仕方ないかな、とか考えてる。だってその程度でキレてくる親とか、血縁とか育ちよりも宗教大事だってことだし普通に付き合いきれん。無理。

でもなんでこんなめんどくさいんだろうなぁ。親と縁切れるのはもう仕方ないとしても、親と縁を切るって字よりも重いよなぁって思う。あと妹がいるから、妹たちと縁が切れるのは悲しいかも。

正直親戚との関わりはあんまりないし、祖父母ボケておかしくなってるからだいぶ嫌いだし、で切れてもいいとは思うけど、なんかちょっとしかったり悲しかったりはあるんだよな。割り切れてないんだろうし、その程度なら辞める踏ん切りが着いてないんだろうな、とも書いてて思った。

あと彼氏本人から、こんなこと言うDV彼氏とは別れた方がいいと思うよ、って言う謎の自己申告受けた。自覚してるなら改善してくれよ、とは思うんだが、実際これはDVなのかな。学会嫌いなのも、ちゃん理由があっての嫌いだから仕方ないと思うし、わたしがやってるのはしょうがない、って認めてくれてるのはありがたいも思う、あとわたしが昔組織にずっぷりだったから、信用しきれないってのもわかる。だってわたしも別の新興宗教人間と対面したら身構えるし。でもなぁ、信用してくれないのは寂しいなぁ。わたし学会員じゃなかったら、もっと色々と甘えられたりしたのかなぁ、とか考えるとすごく憂鬱になる。とても悲しい。2年一緒にいるけど、信用を得るには足りないのか。当然か。家に入れてくれるだけありがたいと思うことにしている。

この関係健全じゃないのかなぁ、とかわたし蔑ろにされてないか?とか友人には色々言われて、別れた方が…とか言われるけど、お姫様扱いしてくれない男とは別れた方がいい、とかも言ってくるのはよく分からいから7割で聞いてる。最近は説得を諦めたらしいけど。すまんね、悪気はないんよ、頑固なだけで。でも相談しといてアドバイス聞かないのはクソの所業だと自分でも思うから、今度はお金払って占い師に聞くとかしようかなって。

彼氏と付き合い出してから創価ってヤバいのでは?ってはっきり気がついて、色々距離を置くようになった。ていうか今年の春、あまりにもキショ案件にぶつかってしまたか信仰を保つのが無理になった。元々やべーんじゃないか、って大学入ってから思ってたけど。人の不幸と生命危機信仰のチャンスと捉えるの意味からなさすぎて無理。脳みそ腐ってんのかな。振ったらちゃぷちゃぷ言いそう。

やっぱ学会にずっぷりの人類に囲まれ生活してると、ヤバさに気が付けないんだろうなぁ。妹は知った上で距離置いてたかわたしが鈍感で愚かなのかもしれない。ていうかその比重が大きそう。もう1人の方はわたしが説得して阻止したけど。これが何か人生の役に立てばいいなぁと勝手に思う。

とりあえず、親が引越しに関わってきそうな卒業時の引越しまでは仏壇は保持。そのあとは本尊脱会届と一緒に本部に送り付けて、地元組織からの追求も上手に交したい。世帯分離してるし、統監も親じゃなかったはずだから多分親には行かない。バレたらまぁその時はそのときで、って感じかなぁ。親とはあんまり縁切りたくない(金銭支援とか物理的な支援とかそういうの考えるとどうしても親の力はデカイ。まぁ学会に金とか時間とか吸われてるから大して期待はしてないけど。)けど、将来子供が生まれた時のことを考えたら、最低でも学会にかかわらない宣言はした方がいいよな。上手くいくように頑張るしかない。

乱文すぎるけど日記からヨシ。

2024-08-26

anond:20240826145533

仏壇がなくなったら位牌はどうするんだ?

つい20、30年前くらいまでは仏間があって仏壇置いてある家がそこら中にあったの、今の感覚で考えるとかなり宗教色強いな

まだ高齢者の家にはあるんだろうけど、第一ベビーブーマーが後20年くらいで消滅し始めた頃には仏間や仏壇は無くなる気がする

2024-08-22

母の日だね

お母さんへの贈り物選ぶの楽しい

もういないけど。

私の母は転んでそのまま死んでしまった。

今は御仏壇お供えする品を考えてる。

生前、母が好きだったものを。

2024-08-13

お盆に置き提灯を組み立てる

妻の実家ではお盆になると、仏壇の前に置き提灯を組み立てて灯を灯し、先祖を迎える。

これを組み立てるのが、ここ近年の自分仕事だ。

この置き提灯、すごくよくできている。組み立てに工具は不要で、木製のパーツをはめ込んで、電球コードを通して、紙製の提灯を吊るす。順番やパーツの向きにさえ気を付ければ、自分でも、子どもでも簡単フィニッシュまで持っていける。

自分実家にはこの慣習や提灯がなかったのもあって、毎年これを組み立てるたびに「ああ、職人仕事だな」と感嘆している。見た目から岐阜提灯のようで、割と高価なものなのかもしれない。

お盆に置き提灯を組み立てるのが好きだ。誰か共感してくれるだろうか……とセミが鳴いているお昼に思ったのだった。

2024-08-08

anond:20240808065444

墓参りには「年に数回ぐらいちゃんと墓の掃除しろ」と「故人のことを思い出せ」という意味が込められているのだ。

墓より仏壇の方がいいのでは?という意見もあるが、それだと場所取るしメンテナンスがほぼ毎日になって面倒なのだ

2024-08-05

お願い誰か読んで慰めて、祖母が辛い。

1年ぶりに夫と子供たちと実家に泊まりにきたんだ。

そんでお土産をお仏壇お供えしたの。

それだけなのに。

祖母「あらわざわざお土産買ってきてくれたの増田は気が利くね。

拝んでくれておじいちゃんもお父さんも喜んでるね。

でもあんだのお母さんは一度も拝んだことがないんだよ。一度もだよ。

なんで罰当たりなバカなんだろね。

あんだもお母さんがすることいいことだと思って育ってきたからみっともないところがある、お母さんはお父さんのことを雅昭雅昭呼び捨てにして怒鳴ってなっても良くしねがったからこんなことになってしまった(父親20年前自死している)、あんだもそういうところがあるから気をつけねばいけねよ」

この時21時だった。

移動に12時間かかって途中途中で寝たのと興奮しているのとで子どもたちが起きていた。

あんだの住んでる地域の子どもだちはいっつもこんなに遅く寝るんだが?先生やってる〇〇ちゃんの息子さんだば20時にはもう寝るってよ。

子どもの頭の良さは母親次第だがらあんだががんばねといげないよ。」

母と子どもたちの為に毎年帰るようにしているけれど辛い。

からこう。もう祖母は93だよ?!

辛すぎる。

2024-08-03

結婚出来ない理由は何が1番大きかったのか

五十歳おっさん子供も欲しかったし結婚したくても出来なかった、ここから先の未来女性出会いがあるとも思えないし、マッチングアプリも弱スペック自分を選ぶとも思えない。

仕事インフラ系でクソ疲れるし給与もクソ安い。

生きているだけで精一杯の自分が、女にモテるとは思えない。

結婚や女にモテるやつは、それでも自分磨きとか気前よく金出せて、尚且つ心配りとか出来る人々なんだろう。

正直別次元の生き物と思える。

どうここまで差がついてしまったのか分からん

まれ環境暴力を振るう父親かいるが、一つの要因ではあるが、それだけじゃ無いとも思う。

まれ環境、育った田舎、いろんな理由がありつつもその壁を乗り越えれなかった自分

最後自分が悪いという事だが、正直理不尽差を感じる。

もう少しゆるい難易度で挑戦したかった。

それでも死んだ母親だけは必死にやってくれていたのはありがたかったし、そんな母親孫の顔を見せてあげたかったなと思っている。

今は上手く人生歩めなくてすまないなと思いながら仏壇に手を合わせている。

かーちゃん、ごめんよ。

2024-07-24

anond:20240724004940

特殊な例だよね

仏壇で数万から数十万、墓で200万程度が普通

anond:20240724004019

仏壇ひとつで数百万

土地込みのデカいだけの石で数千万

これは怪しい宗教では?

2024-07-22

せめて仏教は今世紀中に潰さね?

お布施とかもバカバカしいし高い石に数百万円金払うのもバカバカしいし数十万円数百万円の仏壇を買うのも非科学的かつムダの極みでバカバカしい

何の価値もないこんなもの信仰心とか付け込んでカネを払わせる仏教は「悪魔」であり

壺であろうと新興宗教だろうと旧来から仏教だろうとすべて滅ぼすべきである

浮いたカネでまともに経済を回しましょう

2024-07-16

「神」が存在するとしても

宇宙を創り出した存在を「神」として、その「神」が何らかの意思を持っているとしても、宇宙全体から見たら素粒子レベル地球人類に何かの興味や関心を持つとは思えないし、仮に「神」が人類に興味や関心を持っているとしても、自分の近所にある神社・寺・教会モスクに参って祈ることが「神」に自分の思いや願いを伝えることになるとは思えない。

死後の世界があるともないとも言えないし、多分ないんだと思う。あるとしても「念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できる」とか心の底から信じることはできない。信じてないんだけど、もし仮に天国地獄があるなら自分の大切な人は天国に行ってて欲しいな、くらいの気持ちで墓や仏壇に手を合わせる。

こういう心持ちだと、宗教があってもちっとも死の恐怖も和らげられないし、何の救いにもならない。心の底から神や仏を信じられる方が幸せなんだろう。

2024-07-05

実家仏壇の線香炊く時になぜか「清涼院流水」ってワードが浮かぶ

毎回、なんでこのタイミング清涼院流水がチラつくの? って思いながら炊いてる

マジでどういう繋がりなんだよ……わけわからん

2024-07-03

俺も創価学会三世

うちも創価学会三世

祖母比較的熱心な信者だが私財をなげうって家族がどうこうみたいなことは全くない。何なら商売をしている家計なのでそこそこ裕福だったと自認している。

両親になるとたぶん全くもって信仰はないだろう。物心ついたときに家には小さな仏壇があったがリフォームの折にそれもなくなった。多分処分したんじゃないかと思う。

当然その両親の子供の自分信仰なんてあるわけもなく正月お盆の勤行会?に連れられて退屈な時間を過ごした印象だけが強く残っている。当然自分にも信仰など皆無だ。

だが今のところ積極的脱会?することは考えていない。面倒だからだ。

学会関係の知り合いは全くいないが、我が家の墓は創価学会管理する集団墓地にあるので移動やらなんやらの手続きを考えると多分それなりの労力や金がかかるだろうことは想像に難くない。

ここまでにも書いたようにいい思い出もないのだが同様に悪い思い出もないのだ。

宗教絡みで家が大変になった思い出があるのなら熱意を燃やして脱会のために動けたのかもしれないが幸いなことに私の家族(少なくとも私個人は)創価学会を通して不利益を被ったことがない。

こうなるともう苦労してまでわざわざ脱会する気は起きない。このまま名ばかりの創価三世として生きたとして不都合もない。

と、思っていたんだけどなあ。もしも元増田と同じように恋人に打ち明ける日が来た時にひと悶着起きるのだろうか。まだ見ぬ未来を考えてちょっとめんどくせえなという気分になった。

anond:20240702210851

そんじゃあお前は一生神社や寺にお参りするな、初詣除夜の鐘など、仏教神道行事には一切参加するなと言われて従えんの?

親の墓も仏壇も位牌も過去帳も捨てろよ

2024-07-02

創価三世だけど仏壇は無いし集会にも行かないし、宗教人間関係というのも最早ない

が、染み付いた習慣として神社教会には抵抗があるんだよな

創価学会員を見ると侮蔑してしま

創価学会を信じている人を見ると内心侮蔑してしまう。 信じる事によって彼等は心が救われているのだと理解しても、蔑む気持ちが心の中に常に存在している。

 何故仏などという居ないものを崇め信じるのか。昔に『いた』と言われている、記録されているだけの何かを信じる事は、わたしには難しい。その神様か仏様が、定期的に15年に1度などのペースで現れて、何か大層な有難い言葉を紡ぎ、人間では有り得ぬ力で大勢を救う様子が見られ、記録されているのであれば信じるが、残念ながらそんな事は起こらない。

 神様や仏というものは、神話聖書等のコンテンツとして読む分には充分面白いゼウス唯一神宇宙や天候を司り、万能であるとか、ハデスは冥府の神であるとか、キリストが磔にされて3日後に復活したとか、様々な逸話物語キャラクターとして魅力的だ。才にあふれた個性豊かな神や人々が織り成す神話は、展開がぶっ飛んでいて読んでいて飽きるものでは無い。信仰心が皆無のわたしでも、素晴らしい、偉大だねと褒め称えることは出来る。鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎が活躍する見て「煉獄さん素晴らし過ぎる…!」と言うくらいのテンションくらいで。

 そんなわたしが何故、ここまで創価学会を毛嫌いするのかと言うと、まあシンプルわたしの願いを叶えてくれなかったからだ。

 わたし小学生の頃、母は創価学会の熱心な信徒で、毎朝題目を唱えていた。わたし題目のよくわからない言葉気持ち悪くて堪らなくて、唱える事を毎日嫌だ嫌だと抵抗していた。何故仏壇に向かってよくわからん言葉を唱えねばならんのだ。気持ち悪い、嫌だ。と嫌悪気持ちが非常に強かったのをよく覚えている。しか平穏に過ごすことを目的とした姉と弟や母にちゃんとやれと叱られ、ぐずぐず泣きながら、母の膝上で題目を唱えるフリをしていた。

 娘が毎日抵抗してるのにも関わらず、懲りずに毎日題目を唱えているので、ふとある日、「これをしたら願いが叶うのか」と聞くと「そうだよ」と母は返した。願いが叶うのならば、と単純でひねくれた小学生わたしは期待を込めて、創価学会とやらを小さく信じることにした。どうしても抵抗感があったので題目を唱える事こそしなかったが、毎日母の膝の上で「パパとママが仲良くなりますように。喧嘩がなくなりますように」と願った。そしてその願いは、当たり前だが叶わなかった。

 両親の喧嘩が絶えなかったのは、母がのめり込むこの創価学会に原因があった。創価学会に限らず、宗教というものは金がかかる。創価学会はそれが顕著で、聖教新聞や、創価学会教祖が書いた人間革命とか無駄に分厚い本の購入やらで色々金が入用なのは有名な話だ。実際、ここ数年なんかのニュースで、婆さんが聖教新聞大量購入などで貧困に陥り、栄養失調かなんかで亡くなっているなんていう話もある。ここまで来たらもうわかる話で、喧嘩の原因は主に創価学会に掛かる無駄金だった。

 父の信仰心の有無は詳しく聞いてないのでわからないが、たぶんわたしと同じように、父の信仰心ゼロに近いものだと思う。実際、願いが叶うという保証なんてどこにも無い、不確実な何かに掛ける金ほと勿体ないものは無い。こんなものに金をかけるくらいだったら、まだリターンが存在するパチンコ競馬といった賭博の方がマシだろう。しかも育ち盛りの子供3人を養わねばならぬのに、妻が宗教などにうつつを抜かしているなどとなれば尚更だ。

金が入り用なのにこんな事に使うなと、父は母に怒り、そこから喧嘩に発展していく様子を何度も何度も何度も見た。父の怒り方は神経質でうるさく、不快ものだったが、今思えばそれが正常だったのだと思う。わたしが同じ立場だったら、やり方こそ違うかもしれないが同じように苦言を催しているだろう。

 というわけで、わたしのささややかで純粋な願いは叶わなかった。

 正直、これが創価学会だろうと他の宗教だろうと、おそらくわたしは同じような過程を経るのだろうとは思うが、どちらにせよ、少なくとも創価学会に関しては信じても救われないというのがわたしの持論になった。

 ちなみに最終的に、この願いが叶ったかと言われればNoだ。

 何年かして母はフェードアウトするように創価学会を辞めたが、喧嘩は15年以上経過した今でも定期的に頻発している。今は何も信仰などはしていないが、15年以上の時を重ねても、幼い少女の『両親が仲良くなりますように』というささやかな願いさえも叶える事ができない、それどころか少女がそんな願い事をする原因になり得るあたり、創価学会には力が無い事を証明されたとわたしは思う。

2024-06-24

お供え

仏壇明治まれ祖父コーヒー党、喫煙者だったのでコーヒーと線香みたくタバコをぶっさして、戦中生まれの父はマック大好きだったんでハンバーガーコーラ供えてたけどこれって普通

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