はてなキーワード: ヲタとは
方向性はだいぶ違うが、あんたの問題は俺に似てる気がする。
いつまでも若いつもりで20台前半の生活をそのまま送り続けていて、中身が変わらないまま身体だけどんどん年食ってるって奴。
時間外って概念の薄いバカ社長に捕まったせいで休日もろくに休めず、すぐ中断できるタイプのゲームで暇つぶしするしかないって生活をしていたら
三十路半ばにして小ピザで年収三百万台、自分では何も決められないヘタレのゲーヲタという救いようのない奴になってた。
正直言ってもう結婚は諦めてる。いつまでも独り身で居るのはとても寂しいが、足掻こうにも何をどうしていいのかがさっぱり分からない。
接点を増やせと言われても、どうやれば接点が増えるのかまずそこから分からない。
本来それを学ぶべき年齢の時に、俺は何もできないで居たから。
嵐の追っかけが楽しいのは判るし辞めたくないのも判るが、その一方で片付けるもんは早いうちに片付けておかないと、三十路に入ってからの活動はとてもハードルが高い。
俺みたいな救いようのない奴になるぞ。と脅しておく。
根本的に今まで彼女というものが出来たことがない(異性に好意を抱いたことはある)三十路の独身ゲーヲタの発言なので話半分で聞いて欲しい。あとわりと品のない話でもあるので注意されたし。
野郎の性欲ってのは基礎特性として「時間とともに蓄積し、どんどん『出せ』という衝動が強くなる」というものがある。上限はあるけれど、その上限がどの辺なのかは当人ですら分からない。
(で、「『出す』と衝動が嘘のように収まる」。これが所謂賢者モードって奴)
女性なら、「ある一定以上に達するか薬を飲むまでおさまること無くどんどん強くなる生理痛」と表現すればわかりやすい、かも知れない。
この特性のせいか、野郎は基本的に「出す」ためのスイッチを入れる行為を、自分の感情とは無関係に実行できる便利な身体構造になっている。
実際に相手と行為に及ばなくとも、本能のスイッチさえ入ればいい。もちろん相手と行為に及べれば精神的にも満足できるので、それに越したことはないにしても。
このスイッチが入るようなものを指して「ぬける」「シコれる」「オカズにする」と表現しているに過ぎない。
だから男子諸君がアダルトコンテンツなんてものに「お世話になる」訳だ。
で、ここまでを基礎知識として。
「恋愛的な意味で好きな人」と「単純に性的興味を抱く人」は、イコールの場合もあるが、そうでない場合も多い。
これは上に書いたとおり、野郎は感情と性欲を別個管理するのが当たり前だし、そうしないと持たない体だから。
前者に対して…まあ最終的には性的興味を抱くことも多いのだけれど、基本的に性的興味があるから好き、なのではないし、
後者に対して…まあ人間的にも共感することもあるかも知れないけれど、基本的に好きだから性的興味がある、ではない。
傾向としては、一般的な恋愛の進行として、前者が後者にもなることは少なからずある。
ただ、どういう存在かにも拠るけれど、後者が前者にもなることはあまり多くない。グラドルだのAV女優だの二次元絵だのという「基本的に交流がない相手」ならほぼ100%ないと言い切れる。
「すごく好きだけど性的な妄想はしたくない対象」が居るかどうかは人によるけれど、わりと居ることが多い。この傾向は歳が若くスレてないほど強い。
ここまで言えば感じ取れるかも知れないが、「好きな女優や芸能人やアイドルと実用的なグラビアアイドル」も、聞こえの悪い言い方をすれば「使い分けている」訳だ。上と同じ理屈。
長くなったが、男側から説明するとだいたいこういう感じになる。
お友だちに誘われて、前日まで行く予定にしていなかったのに急遽行くことになった。
こちらオリコンチャートにのるような音楽には全く詳しくない宝塚オタク。音楽番組は紅白を家族が観ていたら観る程度。Perfumeはもちろん知っている。好きな曲もある。だから、物は試しにと行ってみた。
ちなみにコンサートなるものに行くのは高校生の時親に連れられて以来という、まぁ、なんていうか、私の人生から縁遠いものだ。
「どんな服でいったらいい?」「動きやすい服でいいよ」
そうか、コンサートとは動くのか。普段は宝塚しかみない私はその時点で新鮮だった。私たちはお芝居の間中背もたれから背を浮かすことすら禁止されている。後ろの人もちゃんと楽しく観劇するための当然のマナーである。
何を持っていけばよく分からないからとりあえず、普段宝塚を観劇するために持っている倍率10倍のオペラグラスを持っていく。
京セラドームでたった倍率10倍がどこまでの効果を発揮するとか、私は知らない。そもそも京セラドームの広さを私は知らない。
貰ったチケットには@塁と書かれていてそれに驚く。塁!そうだ!!ここは野球場だったのだ!!!という新鮮な驚き。
上手下手ではないらしい。一つ賢くなった。
そして席に着く。なんとか手持ちの10倍オペラが有効に使えそうな距離だった。近い。と思った。ちなみに宝塚なら劇場からはみ出てる程度の距離感ではある。それでも、なんだか近かった。
コンサートの前にチョコラBBのCMが画面に流れそれに手拍子で応える観客。私はこんなに熱いCM鑑賞を初めて見た。私も手拍子しておく。
コンサートの内容についてはどこまで話していいか全くわからないし、曲名も知らないままのものが多かったので割愛。
3人しかいないのにお衣装チェンジとかどうするんだろう、宝塚みたいに着替えている間に違う人が場を埋めてくれるとかできないよな、とか真剣に悩んでいたけど、すごくうまいことなってた。凄い!!っていうかなんでも宝塚基準で考えるのやめよう自分。それ、狭い世界の話だから。
良く知らないけれど、それでもその場の空気に適当に乗ることにためらいがない私はずっと手拍子したり手を振ったりキャーって言ってみたりして、凄く楽しかった。同じアホなら踊らにゃ損損。
楽しかった!!かしゆかもあーちゃんものっちもみんな可愛かった!!本当にお人形さんが動いている。
この会場の大きさに対しあーちゃんもかしゆかものっちもとにかく小さいなと思った。別に本人が無力とかそういうことじゃない。本当なら一人5メートルくらい必要だと思う。それでも足りないかもしれない。
3人だけの力じゃなくて、映像や音響の力もあっただろうけど、たった3人でこのおっきな会場を埋めて、満たしていたPerfumeは本当に凄い。
大きなスクリーンでは踊る3人の表情が観れる。それでも、表情も確認できない、オペラをつかってなおバービー人形のようにしか見えない3人を観ている時間が長かった。必死に踊っている3人はとても近くて、遠かった。
凄いなって思った。
そして、何よりこの3人はとてもファンのことを思ってくれてるなと凄く感じた。
宝塚の舞台でもジェンヌさんはよく「ファンが大事」と言ってくれる。でも、ファンとして信じきれない時がある。
だけど、3人のコンサートは、私が本当のファンではないちょっと離れた距離から観てたからかもしれないけれど「こんな大きなドームをたった3人で埋めてしまえるほど凄い子たちにとっても、ファン一人一人は大事な存在なんだな」と本当に随所から伝わってきた。
もうちょっと、自分の大好きな宝塚のジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉を「はいはい、社交辞令ですね」とか思わずに受け止めようってちょっと反省した。
ライブ、凄く楽しかったのです。言いたいことはいっぱいあって、連れて行ってくれた友人にもありがとうって凄く言いたいし、他にも書きたいことはたくさんあるけれどどこまで書いていいのか分からないからこんな適当な感想になってしまった。でも、面白かったことを誰かに伝えたいからここに書いておきます。
こんなにも反響があると思っていなくて少し驚いています。読んでくださってありがとう。そしてPerfume愛されてるなぁ!!!
一応言い訳なんだけど、ジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉が本心でないとは思ってないよ。みなさん、心底言ってくれていることは本当は知っていて。
ただ、中にいすぎて外からその姿がどう見えてるかわからなくて、(すでにのめりこんでいるというのに)のめりこむのも怖くて「はいはい、社交辞令ですね」と受け流してしまうのだと思う。もちろん、Perfumeの3人とタカラジェンヌではファンとの距離とか思いの返し方は全く違うので比べるだけ無駄なのかもしれないけど。
タカラジェンヌだっていろんな人がいて、いろんな返し方をしてくれているし。
でも、そういう物事をベタに受け止められなくなっている自分に気付かされたライブでもあったのです。もうちょっと、ベタに受け取った方がいいなという反省。
宝塚も独特だけどとても面白い世界なので興味を持ったらお近くのヅカヲタまで声をかけてみて下さい。すごい勢いで宝塚の世界に案内してくれると思います(笑)
・テレビでインタビューされる引きこもりもチビばかり(母子家庭で、工業高校卒業後職歴なく引きこもってたロンブー敦の同級生の小説家もチビ)
・クランプ(笑)の大川陵辱同人を出して女同業者に嫌がらせする中国嫁日記の作者もチビデブハゲ
・ニコ生で非処女叩きしてたのも身長160の奇形(自称イケメンモデル)
・東南アジアでロリレイプして少女を泣かせて記念写真を撮ってたのも、12歳レベルの骨格の奇形チビの二十代(普通東南アジアに買春に行く日本人は爺さんかおっさんなのに、チビだと若くてもモテないから二十代でも東南アジアでロリ買春)
結局、モテないから性根が歪んでしまい、女に憎悪を燃やして嫌がらせしたり、猟奇系レイプ犯罪や、女の中でもさらに弱くて小さいロリレイプ犯罪に走ったりと、世間に恥を晒してるのはチビ男ばかり。
ネットのチビの主張と違い、なんで現実で女に相手にされなくて狂った行動起こして逮捕されたりするのはチビばっかりで、デカブサやデカハゲがいないの?
世間一般様から「読書家」とひとくりりにされ、一束十円のブックオフ価格で流通している今日このごろの読書ファッションクソ野郎どもであるけれど、その内実はピンキリで、とりあえずジャンルや内容や分量に関わらず月に三冊以上読んでいれば全国平均的に照らして「かなり読んでいる」ほうの部類に入る。
数を誇りがちなのは男だ。
数をこなしたからといって偉いわけではないと口ではうそぶきつつ、「いやあ、今年は千冊も読めなかったよ」だとか「一日頑張れば十冊は行けるね」だとか「○○の必読本リストは○冊しか読めてないな」だとかなんでもかんでも数字に還元する。
別に速読はクソだとか熟読こそ至高だとかいう議論をしたいわけじゃない。ヴォルター・ベンヤミンは生涯で1700冊しか本を読まず、一方でレヴィ=ストロースは一冊書くために7000冊を読み、イケダハヤトは年速500冊を読破し、ボルヘスは「1000冊も読める人間など存在しない」と主張した。この四人の言う「読む」はおそらくそれぞれ意味が大いに異なる。だが今はそんなことは関係ない。「本を読む、とはどういうことか」じゃない。傾向の話だ。重要なのはベンヤミンもレヴィ=ストロースもイケダハヤトもボルヘスも松岡正剛も佐藤優もそのへんのラノベ評論家もブログやってるビジネスマンもみな男だという事実だ。
男は自分についてであれ他人についてであれ、読書について言及するときに数の話をしたがる傾向にある。
数が多い方が偉くて強い。そういう世界は微笑ましい。人によっては浅薄で醜いと断じるかもしれない。けれど、浅い分理解しやすくはある。
そこに現れているのは一種体育会系的な価値観だ。どんなメガネモヤシとて鬱屈したヲタとて、オスである以上は筋肉量に憧れるのだ。私の読書冊数は十三万です。
強い。わかりやすい。
読書メーターが珍重される理由もそこに関係している。RPGみたいに、読書家のステータスを可視化してくれるのだ。今までの読書冊数がHPなら、月あたりの読書冊数がすばやさ、コメントがパワー。
既読冊数も数なら、読んだ本の内容も数だ。実のところ「読んだ本の数より、どれだけ内容を理解しているかのほうが重要だろ」と、男が言うときに使う「理解」という単語はそのまま「記憶」に置き換えうる。つまり、本の筋や要点をどれだけ他人の前でそのまま垂れ流せるか、どれだけ脳にストックしてある別の本と(それぞれの文脈を無視した上で)リンクさせられるかが男の言うところの「理解」となる。ぷよぷよとかミスタードリラーとか、そのへんの連鎖パズルゲームをやってるのとあまりかわらない。
ひるがえって、女は数の話をしない。そもそも数えない。目の前を流れてゆく本にただ好きか嫌いかのスタンプを流れ作業で押していく。
小説についての話をすると、まず自分がある登場人物をいか好きか/嫌いかを述べだす。本気で。ぼんくら男子同士が「ビッチ」だと「処女」だのとぼんくら慣れ合いのための属性を貼り付けて表面的に消費するのとわけが違う。彼女らは本気でキャラを憎み、愛している。
そして、いきなり自分語りを始める。マミさんによく似たバイト先の先輩の話を始める。そんな先輩がいらっしゃるならぜひ紹介していただきたい、というこちらの懇願を無視して、いかにその先輩とそりがあわないか、先輩がクズかをとうとうと語り、最終的にバイト先がかつてマルクスの予言し憂慮した末期資本主義的状況下にあり私はとてもつらいんです大変なんです疎外されてるんですだからマミさんは最低な女だと思います、という実に革命前夜なティロ・フィナーレに行き着く。
よくわからない。よくわからないと言えないまま、また別の本と別の現実の話題にうつる。
マミさんが嫌いな女子とは別の知り合いで、村上春樹を嫌いな女子がいる。その子は村上春樹がそりゃあもう大っ嫌いだ。春樹に関係するものすべてを憎悪していて、村上春樹本人も嫌いなら、ファンも勿論大嫌いで、村上春樹フェアをやってる書店も嫌いで、『色彩を持たない多崎つくる』が大ヒットしている現代日本社会も嫌っている。読まず嫌いというわけでなく少なくとも数冊は読んでいるはずのその子が本質的に村上の何が嫌いかはよくわからなくて、理由を訊いても「キザっぽくて嫌だ」とか「セックスだけじゃん」とか、いまいち要領をえない。だって、おまえ、バタイユとかサドとかロブ=グリエとか喜々として読んでるじゃん。
男子にも村上春樹とそのファンとその社会を嫌うやつはそれなりにいて、でもそういうやつらはなぜか「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だけは好きだね」などと妙に言い訳地味た予防線を忘れない。続いて、聞いてもないのに春樹論について語りだす。「俺は基本的に春樹嫌いだけど、文学性や価値は理解できるし、いいところがあれば認める度量もあるよ」と言いたいわけだ。春樹以外の気に食わない作家陣に対しても似たような態度しかとれない。嫌うのに社会的にコレクトな理屈を探そうとする。それを見つけたあとでも、けなしはしても全面的な攻撃はしかけない。そんな度胸はないんだよ。俺もお前も。
女は退かない、媚びない、顧みない。嫌った相手には容赦しない。同時に自分の正当性や正義も疑わない。よって言い訳をしない。理屈を探さない。よその基準など関係ない。私の人生が伊坂はクソだと告げている。
虚構と現実の境界線をきちんと引き、作品世界をきっちり読み込み把握したうえで、手前の価値観の物差しのみを武器に全身全霊をもって襲い掛かってくる。彼女たちは数を数えない。だから、物差しで切り捨てた数もおぼえていない。
あなたがもし男であるならば、女と本についてトークするのはオススメしない。なぜなら、あなたは弱い。あなたはその本について、内容を記憶しているだけで実は何も独自の見解を有していない。その場でとっさにひねりだした解釈に、あなたは確信を持てない。それでは耐えられない。あなたは読書を通じてコミュニケートする、ということがどんなに恐ろしいことか、リアルにオリジナルな見解を持っている人間の狂気がどんなに鋭利か、わかっていない。年間三千百冊を読了できたとしても、それらの内容を一字一句違わず暗誦できたとしても、絶対に辿りつけない彼岸がこの世界には存在するのだ。そこでは数や引用など意味を持たない。愛情と感情がすべてだ。あなたは死ぬ。死にたくないなら他人と金輪際本の話をするな。外に出ろ。ゲーセンにいけ。三鷹駅裏のゲーセンではまだ『ぷよぷよ通』が現役で稼働している。あなたの居場所はまだそこに残されている。生きて欲しい。生き延びてほしい。
古いヲタの場合それは非常に顕著で他のあらゆるジャンルで疎まれ嫌われたから
唯一自分を否定しなかった(付け加えると人が少ない故に石を投げる人が居なかった)
狭義のサブカル
(旧時代に)隠れキリシタンのように隠さなければいけなかった趣味と違って
ロキノン系、マイナー映画系、現代アート系の趣味の人は、自分で選んでそれを選んだんだろう
「本当はお前らそのジャンルが好きなんじゃなくて、そういうのを好きという他とは違う特別な自分が好き」
なんだろうという侮蔑と
「何故俺ばかり石を投げられるのか、同じマイナージャンルなのに顔か、キモさか?」
「そのオシャレな帽子をとって一皮むけばお前もセックスのことしか考えてないクソムシ何だろオラァッ」
とか
なんで現実で女に相手にされなくて狂った行動起こして逮捕されたりするのはチビばっかりで、デカブサやデカハゲがいないの?
なんでハロプロの現場写真も、女性客と身長差のないチビ小太りおやじやチビハゲヲタばかりなの?モテないデカブサはどこ?
・テレビでインタビューされる引きこもりもチビばかり(母子家庭で、工業高校卒業後職歴なく引きこもってたロンブー敦の同級生の小説家もチビ)
・クランプ(笑)の大川陵辱同人を出して女同業者に嫌がらせする中国嫁日記の作者もチビデブハゲ
・ニコ生で非処女叩きしてたのも身長160の奇形(自称イケメンモデル)
・東南アジアでロリレイプして少女を泣かせて記念写真を撮ってたのも、12歳レベルの骨格の奇形チビの二十代
(普通東南アジアに買春に行く日本人は爺さんかおっさんなのに、チビだと若くてもモテないから二十代でも東南アジアでロリ買春)
弟「あんちゃん、何言ってんだよ」
弟「俺の好きなアスカは式波じゃなくて惣流。TV版と旧劇しか認めない」
『風立ちぬ』で堀越二郎の中の人を務めた中年男を口汚く罵り始める弟。
新劇は気に食わないようだ。
ユダヤ・キリスト教のネタ元を延々と説明された。弟にとってエヴァはバイブルなのだろう。
弟「設定がイデオンとクリソツなんだよ。特撮から借用したシーンも多々あってさぁ……」
1995年生まれ(早生まれ)の弟は、自分が生まれる前に製作された膨大なヲタアーカイブを一つひとつ観たという。
意外だったのは、ストーリーの矛盾点を指摘しても弟が怒らなかったことだ。
弟曰く、『ストーリーなんて犬に食わせておけばいい』らしい。
『風呂敷の畳み方は3つ。ちゃんと畳む。放置。引きちぎる』というヒゲもじゃ庵野の言葉を引き合いに出し、映像作品としてパンチが効いているのがエヴァの良いところだと弟は力説する。
そんな弟は、まどマギを『よくできた作品』と評していた。『ちゃんと伏線回収して、綺麗にまとまっているけど、幾分お行儀が良すぎて物足りない』と、謎の上メセで宣う。