はてなキーワード: メソッドとは
近藤麻理恵は一冊目の本である「人生がときめく片づけの魔法」が2014年にアメリカで出版されたときから社会現象であり続けている。「日本の片付けと整理の術」を詳しく記したその本は、コンマリ・メソッドまたは「Kondoする」と呼ばれる、持ち物に触ってときめきを感じる(it sparks joy)かで判断する片付け法を誕生させた。しかし、やはり近藤の人気が急上昇したのはNetflixで「近藤麻理恵とお片付け」(邦題:KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~)が放送されてからだ。ところが、この人気の急上昇により本にまつわる予期せぬ騒動が発生した。著述家であり「We Need Diverse Books」(多様な人種の子供に向けて本を与える活動をする非営利団体)の創設者の一人でもあるエレン・オーを含むSNS上の大勢の人々によれば、近藤への反発には明確な人種差別と階級意識の要素が含まれているという。Bustle(訳注:原文の掲載サイト)はオーにコメントを求めた。
韓国系でありながら子供時代を日本で過ごし第一言語が日本語であるオーは次のように語る。「近藤麻理恵への反発が発生してからというもの、ずっと意図的に誤解している人々に嫌な思いをさせられています。最初は文化の違いのせいかと思いました。特に、翻訳によって生じる問題についての意識のなさです。アジアの言語は英語とはかなり違います。どうやってもうまく翻訳できない言葉もあります」。ところが、オーが「人々が意図的に近藤を誤解している」と確信するに至るまで長い時間はかからなかった。
すべての始まりはこうだ。Netflixの番組の第5話で、近藤は若いカップルが本を片付けるのを手伝う。番組の中で、そして著書の中で、近藤はコンマリ・メソッドで蔵書を片付けるやり方について広く語っている。Deseret Newsの記事に書かれた近藤が語ったことの要点はこうだ。読んでいない本や、いつかもう一度読むかもしれないという思いにとらわれている本がたくさんあるのなら、それは捨てるべきだ。また近藤は、もしほんの一部だけにときめきを感じるのであれば、一部のページだけをちぎって残すことも薦めている。
小説家のアナカナ・スコフィールドはすぐさま近藤の本を捨てるやり方にSNSで憤慨したうちの一人だ。スコフィールドは「近藤麻理恵だかコンマリだかの本に関する意見に耳を貸すな」とTwitterに書いた。他の利用者たちもすぐに続いた。そのうちの一人であるジェニファー・ライトは「この女はモンスターだ」と既に削除されたツイートで記した。このツイートは「理想的には蔵書は30冊未満にしましょう」という吹き出しが書き足された近藤の写真に対する返信として書かれたものだ。ワシントンポストに掲載された書評家のロン・チャールズの「近藤麻理恵よ、おまえのトキメキお片付けは私の本の山には無用だ」をはじめ意見記事もいくつか出た。
しかしこの「理想」の蔵書数は30冊というのは、いったい何なのだろうか?この数字は、近藤がコンマリ・メソッドで自分の家を片付けたときに使ったものだ。「人生がときめく片づけの魔法」で、近藤は自分の蔵書は30冊にするようにしていると書いている。しかし、近藤は誰もがこの30という数字を使うべきだと言っているわけではない。重要なのは、近藤は一度も本をすべて捨てるべきだなどと言ったわけではないということだ。Refinery29のインタビューでケイト・ムンロは近藤に、ガラクタの山や、本で破裂しそうな本棚にときめきを感じる人はどうすればいいのかを尋ねている。近藤は次のように答えた。
家がちらかった状態でもそれで本当に快適なら、それは良いことです。なにもおかしくありません。その上で、それぞれの物に決まった場所を割りあてたり、それぞれの物がどれくらいの量あって、必要な量はどれくらいなのかを把握したりすることをおすすめします。こういう意識を持つことは大事だと思います。
オーは、アナカナ・スコフィールドが近藤についてのツイートの後で書いたガーディアン誌の記事を、自分の意見に合わせるために近藤の言葉を意図的に誤解している例の一つとしてあげている。「ときめき(spark joy)という表現が過剰に強調されていて、その言葉で近藤が本当に伝えようとしていることが置き去りにされています」。「ときめき」は実際には喜び(joy)と同じ意味ではなく、鼓動や興奮や動悸を意味する。この基本的なことさえ理解すれば、本は喜びだけでなく挑戦や動揺を読者に与えるべきだというスコフィールドの主張が無意味だということがわかるだろう。「ときめき」という言葉が意味するのは、本が読者に挑戦や動揺を与えてそれが良い反応をもたらすのならとっておくべきだということなのだ。
オーはさらにライトが削除されたツイートで近藤を「モンスター」と呼んだことについて言及する。「意図的な誤解は、近藤の助言はそもそも片付けをしたいと思っている人に向けられたものだという事実から目をそらすことから始まっています。片付けをしたくないなら、助言に耳を貸さなければ良いだけです」
「近藤への反発は、近藤の流暢でない英語や、独特の言葉づかいをからかうことまであらゆることに及んでいます」とオーは語る。「ときめきという概念を笑いの種にするたくさんの画像を見て、私の両親が話す片言の英語を意図的に誤解しておちょくってきた人たちのことを思い出さずにはいられませんでした」
今回の本を片付けることについての議論には、ある種の特権も絡んでいるとオーは語る。
「階級意識、エリート意識、たくさんの収納がある大きい家に住めるという特権。私には近藤への反発が何を根拠にしているのかはわからないけど、反発している人たちが特権的な立場にいるということはわかります」とオーは言う。「たくさんの本を持っていなければ賢い人間だとは言えないというエリート意識と経済的な階級意識です。かつて貧しかったころ、私が持っていた本は10冊もありませんでした。だから図書館は私にとって安らぎの場所だったんです」
以上の点について声を上げているのはもちろんオーだけではない。Twitter利用者のジョナー・ヴェンは一連のツイートで、コンマリ・メソッドの本来の目的に対する一般的な無知についてこう書いている。「コンマリへの批判やネタ画像は、アジア、とりわけ日本の文化や影響への無知により、目立たないが本質的に人種差別的なものだ」
近藤への反発の人種差別的な側面についてSNS上で反応している人々は他にもいる。作家のカット・チョーはツイートで「有色人種をモンスターと呼ぶのはやめてください。既に社会の隅に追いやられている人たちを、人でなし扱いするような言葉を使わないで」と書いた。そして著述家のピューター・セレステは「アジア人の女性を不当な理由でからかうことに何の意味があるんだ?近藤麻理恵じゃなくてマーサ・スチュワートが相手だったとしてもこれ以上続けるのか?違うだろう」とツイートした。
確かに、本を捨てるという行為は一部の人々にとってかなり感情を動かされるものだし、本の一部をちぎると図書館や学校や非営利組織などに寄付して役立ててもらうこともできなくなる。しかし、とどのつまり近藤の助言に対する反発は、近藤とは関係がない。むしろそれは、一部の読書家が、自分の読書家としての自意識を維持するために必要だと考えている、本を所有するという行為を近藤が侮辱したという誤解に基づく怒りなのだ。
近藤を支持している読書家もたくさんいる。Twitter利用者のアレクサンドラ・ダンカンはツイートで「驚くかもしれないけど、図書館員として家の本棚をコンマリ・メソッドで整理することを100%支持します」と書いている。
もしかしたら年明けは、物理的な片付けについてだけでなく精神的な整理についても完璧な時期なのかもしれない。読者の皆さんも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚そのものと、本に書かれた内容とどちらにときめきを感じるのか、自分に問いかけてみてはいかがだろうか。
元増田です。雑な意見投げたら、集合知が集まってくるメソッドが働いていて、うんこ漏れそう。(我慢した)
一通りコメント見て思ったのは、みんな、この件では意外ともやもやしてるんだなってこと。
Felica決済は審査が通らないとか、導入コストが高いみたいな訳知りの意見は、最近の動向を全く追ってないかなと思う。
今は、QRコードとセットでSuica決済導入できるようになってたりするよ。なので、QRコード決済と比べて、Felicaが特に(文脈読めない人がいるので追記:店舗側の導入の)ハードルが高いというわけでもない。
QRコード決済の使い道として、屋台とかコミケみたいに、端末を置く場所が場所を確保するのが難しいとか、従来の決済方法だと手数料が高いから、「今は」手数料が掛からないQRコード決済するというのはまだわかる。
ちなみに、コミケでQRコード決済って書いてあるけど、列ができるサークルだとQRコード決済の遅さは致命的なので、中小サークル限定の話ね。
消費者側に、そういうニッチ分野にニーズがあるのはわかるけど、今出てきているQRコード決済って、すでにFelicaでもクレカでも買い物できる家電量販店とかコンビニとかから入っていて、事業者からすると小規模決済って、市場を独占するぐらいのシェアがないと旨味がないから、そこから狙うんだろうけど、そこだけみると技術的にも、消費者的にも単なる後退にしかなってない。
ただ、日本国内でのQRコード決済のニーズがあるニッチ分野だけだと、事業として成り立つと思えないんだよね。だから、これまで誰もが参入できても参入してこなかったわけで。
日本政府が端末代を出すとかSuica配るとかは暴論ではあるけど、キャッシュレス普及と称してポイント配ったり、某クールジャパン機構も変な日本館に投資したりするよりは、長期的に日本の技術の良さを世界に発信するためになるので、よっぽど有益な気がするんだけど、どうだろう。
を狙ってるそこのお前
どうせお前のスキルセットは「html,css,js,rails」だろ?
揃いも揃ってそんなんばっかり
HTTPメソッドもSQLも理解せずにそれっぽく動くN+1だらけのクソ作っただけだろ?
webプログラマ目指すくせに開発環境構築にDockerも使わず理解してないコマンドをコピペしてローカルに直でインストール
せっかく無料枠あるのにawsじゃなくてHerokuにプッシュするだけのデプロイ
ブランチ運用なんて考えずmasterブランチに直プッシュか?
会社に入れさえすれば先輩がつきっきりで教えてくれるとでも思ってんのか?
先輩を質問責めにする気か?
むりむりやめとけ
そんなんじゃせいぜい年収300
諦めた方が身のため
あばよ
どうしてもなりたいなら↑で挙げたものぐらいは最低限を理解しとけ
ここまで言って調べる気にならないなら本当に向いてないよ
グーグルのマインドフルネス研修が話題になって、宗教臭いイメージを払拭しつつあるが、根本は宗教から生まれたもんなので、本はきちんと選定しないとトンデモがたくさんある。
宗教に対する警戒心も正しいと思う。
けどマインドフルネスとかは全部仏教の瞑想から生まれたものだから。
よくわかるよ「マインドフルネス」とか「実践にフォーカスしたアプリ」とかに惹かれる気持ち。
クールに有用なメソッドだけを効率よく食い千切ってるつもりでしょ?
でもあれは重要なエッセンスをだだもらしに取りこぼしてるから。
勿体無いよ。
なんていうか、プログラムを扱うにも根底の思想とかの勉強は必要でしょ?
「これが効率的でクール」って言いながらカット&ペーストでその場しのぎしてるだけの人はいつまでもプログラムを理解できず扱えるようにならず勿体無いでしょ?
それに近い。
上で挙げた本にしても宗教の話なんかたっぷりやってるわけじゃないよ。
(本当に仏教の勉強しようとしたら分厚い本を何十冊も読まないといけないし、瞑想の為にそこまでするのはナンセンス)
でも瞑想がなんでそうなるのかのエッセンスが含まれてるし勉強の入り口にはなる。
マインドフルネスの本はそういう部分を全部取りこぼしてる。
取りこぼしてるだけならまだしも、変なニューエイジ的な自己解釈を付け足してまでいる。
実質このtargetがthisポインタ相当になって
this->OnPaintと呼ぶのと同じ効果を出してくれる
これがグローバル関数からクラスメソッドの基本的な呼び方になる
case WM_PAINT: { PAINTSTRUCT ps; HDC hdc = BeginPaint(hWnd, &ps); MyWindow *target = MyWindow::find(hWnd); target->OnPaint(); // TODO: HDC を使用する描画コードをここに追加してください... EndPaint(hWnd, &ps); }
// WindowsProject7.cpp: アプリケーションのエントリ ポイントを定義します。 // #include "stdafx.h" #include "WindowsProject7.h" #define MAX_LOADSTRING 100 // グローバル変数: HINSTANCE hInst; // 現在のインターフェイス WCHAR szTitle[MAX_LOADSTRING]; // タイトル バーのテキスト WCHAR szWindowClass[MAX_LOADSTRING]; // メイン ウィンドウ クラス名 // このコード モジュールに含まれる関数の宣言を転送します: //ATOM MyRegisterClass(HINSTANCE hInstance); BOOL InitInstance(HINSTANCE, int); LRESULT CALLBACK WndProc(HWND, UINT, WPARAM, LPARAM); INT_PTR CALLBACK About(HWND, UINT, WPARAM, LPARAM); #include <list> class MyWindow; std::list< MyWindow *> windows; class MyWindow { public: HWND hWnd; MyWindow() :hWnd(NULL) { windows.push_back(this); } virtual ~MyWindow() { std::list< MyWindow *>::iterator it; for (it = windows.begin(); it != windows.end(); it++) { if (*it == this) { windows.erase(it); break; } } } static MyWindow * find(HWND key) { std::list< MyWindow *>::iterator it; for (it = windows.begin(); it != windows.end(); it++) { MyWindow *target = *it; if (target->hWnd == key) { return target; } } return NULL; } // // 関数: MyRegisterClass() // // 目的: ウィンドウ クラスを登録します。 // ATOM MyRegisterClass(HINSTANCE hInstance) { WNDCLASSEXW wcex; wcex.cbSize = sizeof(WNDCLASSEX); wcex.style = CS_HREDRAW | CS_VREDRAW; wcex.lpfnWndProc = WndProc; wcex.cbClsExtra = 0; wcex.cbWndExtra = 0; wcex.hInstance = hInstance; wcex.hIcon = LoadIcon(hInstance, MAKEINTRESOURCE(IDI_WINDOWSPROJECT7)); wcex.hCursor = LoadCursor(nullptr, IDC_ARROW); wcex.hbrBackground = (HBRUSH)(COLOR_WINDOW + 1); wcex.lpszMenuName = MAKEINTRESOURCEW(IDC_WINDOWSPROJECT7); wcex.lpszClassName = szWindowClass; wcex.hIconSm = LoadIcon(wcex.hInstance, MAKEINTRESOURCE(IDI_SMALL)); return RegisterClassExW(&amp;wcex); } // // 関数: InitInstance(HINSTANCE, int) // // 目的: インスタンス ハンドルを保存して、メイン ウィンドウを作成します。 // // コメント: // // この関数で、グローバル変数でインスタンス ハンドルを保存し、 // メイン プログラム ウィンドウを作成および表示します。 // BOOL InitInstance() { hInst = hInstance; // グローバル変数にインスタンス処理を格納します。 ATOM c = MyRegisterClass(hInstance); hWnd = CreateWindowW(szWindowClass, szTitle, WS_OVERLAPPEDWINDOW, CW_USEDEFAULT, 0, CW_USEDEFAULT, 0, nullptr, nullptr, hInstance, nullptr); if (!hWnd) { return FALSE; } return TRUE; } BOOL ShowWindow() { BOOL ret; ret = ::ShowWindow(hWnd, SW_SHOW); ::UpdateWindow(hWnd); return ret; } HINSTANCE hInstance; MSG msg; BOOL Main() { HACCEL hAccelTable = LoadAccelerators(hInstance, MAKEINTRESOURCE(IDC_WINDOWSPROJECT7)); // メイン メッセージ ループ: while (GetMessage(&amp;msg, nullptr, 0, 0)) { if (!TranslateAccelerator(msg.hwnd, hAccelTable, &amp;msg)) { TranslateMessage(&amp;msg); DispatchMessage(&amp;msg); } } return TRUE; } BOOL OnPaint() { return TRUE; } }; int APIENTRY wWinMain(_In_ HINSTANCE hInstance, _In_opt_ HINSTANCE hPrevInstance, _In_ LPWSTR lpCmdLine, _In_ int nCmdShow) { UNREFERENCED_PARAMETER(hPrevInstance); UNREFERENCED_PARAMETER(lpCmdLine); // TODO: ここにコードを挿入してください。 // グローバル文字列を初期化しています。 LoadStringW(hInstance, IDS_APP_TITLE, szTitle, MAX_LOADSTRING); LoadStringW(hInstance, IDC_WINDOWSPROJECT7, szWindowClass, MAX_LOADSTRING); //MyRegisterClass(hInstance); MyWindow win; win.hInstance = hInstance; // アプリケーションの初期化を実行します: if (!win.InitInstance()) { return FALSE; } BOOL ret; win.ShowWindow(); ret = win.Main(); if (ret) { return 0; }else { return (int)win.msg.wParam; } } // // 関数: WndProc(HWND, UINT, WPARAM, LPARAM) // // 目的: メイン ウィンドウのメッセージを処理します。 // // WM_COMMAND - アプリケーション メニューの処理 // WM_PAINT - メイン ウィンドウの描画 // WM_DESTROY - 中止メッセージを表示して戻る // // LRESULT CALLBACK WndProc(HWND hWnd, UINT message, WPARAM wParam, LPARAM lParam) { switch (message) { case WM_COMMAND: { int wmId = LOWORD(wParam); // 選択されたメニューの解析: switch (wmId) { case IDM_ABOUT: DialogBox(hInst, MAKEINTRESOURCE(IDD_ABOUTBOX), hWnd, About); break; case IDM_EXIT: DestroyWindow(hWnd); break; default: return DefWindowProc(hWnd, message, wParam, lParam); } } break; case WM_PAINT: { PAINTSTRUCT ps; HDC hdc = BeginPaint(hWnd, &amp;ps); MyWindow *target = MyWindow::find(hWnd); target->OnPaint(); // TODO: HDC を使用する描画コードをここに追加してください... EndPaint(hWnd, &amp;ps); } break; case WM_DESTROY: PostQuitMessage(0); break; default: return DefWindowProc(hWnd, message, wParam, lParam); } return 0; } // バージョン情報ボックスのメッセージ ハンドラーです。 INT_PTR CALLBACK About(HWND hDlg, UINT message, WPARAM wParam, LPARAM lParam) { UNREFERENCED_PARAMETER(lParam); switch (message) { case WM_INITDIALOG: return (INT_PTR)TRUE; case WM_COMMAND: if (LOWORD(wParam) == IDOK || LOWORD(wParam) == IDCANCEL) { EndDialog(hDlg, LOWORD(wParam)); return (INT_PTR)TRUE; } break; } return (INT_PTR)FALSE; }
最初に言い出したのは…という話ではなくて
「男にとって都合の良すぎる女キャラ」とか「女にとって都合の良すぎる男像」みたいな批判はまあよく見る。
しかしこれら「現実の女(男)はこんなこと言わない」「現実の女(男)はこうじゃない」などと言った考えは、
よくよく考えてみると逆説的に「男とは○○である」「女とは××である」
要するに、「都合の良い女」とか「都合の良い男」みたいな批判は、
性役割の固定を前提とした、ある種旧来的価値観に寄り添っているのである。
当人はジェンダーロールを批判してるつもりなのかもしれないが、
いやまあ別に、そういう批判は絶対悪だし発言するなとか極端なことを言うわけではないんです。
言いたかったら好きに言えば良いです。
ただ、自分のことを男女平等主義者だとかジェンダーフリーとか自己認識しておいて、
出演者たちがAについて議論しているが、そろそろいい頃合いの時間。
たけし「Aもさ、要はBと一緒なんだよね」…①
視聴者(?)
たけし「BはC1がC2でしょ」…②
視聴者(うん、そうだな)
たけし「Aも同じでさ、C1がC2なんだよ」…③
視聴者(ああ、なるほど!)
この中で、事実は②だけでよい。しかも、なるべく簡単で誰でも理解できるものがよい。
視聴者(?)
たけし「納豆は混ぜるとうまくなるでしょ」…②
視聴者(うん、そうだな)
たけし「人間関係も同じでさ、混ぜるとうまくいくんだよ」…③
視聴者(ああ、なるほど!)
という具合に、なんとなく「人間関係も混ぜればうまくいく」ような気になってしまう。
もちろん、常にうまくいくはずがない。
A(題目)からC1・2(結論)を得るための B の選び方は、多くの芸人は経験があるであろう、大喜利の定番ネタ「なぞかけ」と同じ発想方法だ。