最初に言い出したのは…という話ではなくて
「男にとって都合の良すぎる女キャラ」とか「女にとって都合の良すぎる男像」みたいな批判はまあよく見る。
しかしこれら「現実の女(男)はこんなこと言わない」「現実の女(男)はこうじゃない」などと言った考えは、
よくよく考えてみると逆説的に「男とは○○である」「女とは××である」
要するに、「都合の良い女」とか「都合の良い男」みたいな批判は、
性役割の固定を前提とした、ある種旧来的価値観に寄り添っているのである。
当人はジェンダーロールを批判してるつもりなのかもしれないが、
いやまあ別に、そういう批判は絶対悪だし発言するなとか極端なことを言うわけではないんです。
言いたかったら好きに言えば良いです。
ただ、自分のことを男女平等主義者だとかジェンダーフリーとか自己認識しておいて、
ジェンダーロールへの批判がジェンダーロールの肯定になるという論立てが意味不明
この話と関係あるかはわからないけど、ジェンダーロールを批判する側というのが、単に押しつけるロールが別なだけじゃないかというのは思うことがある
現実の××はこうだからフィクションの××は(作り手の願望が入っていて)おかしい、という批判がそもそも的外れではある。 願望があるから作ってるんだろと