はてなキーワード: ペンションとは
×ユニーク → ◯ユーモラス、ファニー
あとひとつは?
音が紛らわしいという意味では「スマート」、英語と全然違う使われ方という意味では「マンション」が良い線行ってるなと思いました。
アナログ、バーチャル、イメージなど中途半端に知られた技術用語みたいになっているものだとちょっとまたニュアンスが違う気がします。「インストール」の物理的用法を知らないのはカタカナ語とは違うし。
フェミニストは今は流石に。
サービスも大分間違っているけど、用法が多いので正しい使い方もそれなりに多いと難しい。
寄せられた意見の中でこの二つに加えるのが適切だなと思ったのは
でした。
形容詞で、気軽に使えそうでありながら、英語ではさっぱり意味が通じないという落とし穴感で選びました。
は、ネイティブにも通じないことはない気がするので選を逃れました。
は、使う機会は少なそうだけど日本人の要注意な単語としてリストアップしておきたいと思いました。
RO(ラグナロクオンライン)というネトゲを遊んでいた頃→本場韓国での最新版を現地で見てこよう
なろう系漫画で揚水水車が出てきた→本物の揚水水車を見に行ってこよう
進撃の巨人を読んでいた頃→モデルとなった街がドイツにあるらしいから見に行ってこよう
ジョジョ4部でトニオ・トラサルディーが出てきた頃&ジョジョ5部の頃→本場イタリアで旨いもの食べたり観光してこよう
かまいたちの夜が発売された頃→モデルとなったペンションへ泊まりに行こう
コーエーの三国志を遊んでいた頃→そうだ、中国へ万里の長城見に行こう
40代半ばだけど、未だにゲームやアニメ・漫画が好きで楽しんでる。
上記のようにゲームやアニメに関連した場所(いわゆる聖地と呼ばれる場所)へ実際に行ってみたくなるし、
宿泊地 ビジネスホテル1泊/ペンション1泊/リゾートホテル1泊
旅行支援割引開始当日にじゃらんで予約。那覇を中心にある1人向けの格安宿やドミトリーは全て支援対象外。
それなりのホテルに予約する事になった。当日の段階ではそこまで値段変動は無かったが、予約したホテルを2週間後に
再検索すると7割くらい値上げしていた。宿泊した時に底意地悪く聞いてみたくもあったが我慢。
那覇はそこまででも無いが恩納村や今帰仁村の辺りの値上げっぷりがエゲツない。倍くらい上がっていた。
値段は高いがどのホテルも快適に過ごせたのでいいけど。
沖縄県の旅行支援クーポンは1000円で1枚で、裏に署名欄があるので全部にサインがいる。
チェックアウトの翌日まで有効なので最悪空港で消費すればいいのでプレッシャーにはならない。
ただ使える店舗がベタな土産屋が殆どで少し高級感のある物とかには使いにくい。
1ヶ月前にレンタカーを探った時点でカナリ抑えられていた。本土と殆ど値段が変わらない。
後自分の使った会社だけかもだけどマツダ車が多い印象。カーナビが古いので西海岸道路や
名護東バイパスが存在しない。後ETCは搭載されてるのでカードがあれば問題ないけど
車が無いとコザくらいまでしか行けない。
888表示なのでリッターいくらか判断できない店舗が異様に多い。
後地域差が非常に大きく大宜味で給油すれば150円くらいだが那覇だと175円くらいになる。
レンタカーなので那覇で満タン給油しなければならない。面倒でも複数回給油推奨
土産屋とスーパーで買うので値段差が結構出る。酒とかジュース類は特に。
かねひでとかで買うとかなり抑えられた。モノレールの赤嶺駅のそばにある酒屋は安いのと
地域クーポンが使える上に土産類も安く売っている。国際通りで買うよか全然良い。
後なんかあったら追記する
大学2年か3年の春休み、高校時代の友達と集まって飲み会をしていた。
北海道の大学へ行ったAが帰省しており、「冬はスキー三昧でめちゃくちゃ楽しい」との近況報告。
「いいなースキーしたいなー」と盛り上がり、数日後、8人で長野へ2泊4日のスキー旅行へ行くことになった。
Aに教えてもらうのがとても楽しみだった。
JRの特急で行き1日目の夕方にペンションに着いて、丸2日滑って夜行の急行で帰るプラン。
スキー場はやっていたので、なんの疑問も持たずに道具をレンタル。
しぶしぶ承諾したが、「せっかく来たのに…」の気持ちが強かった。
半分お通夜状態でペンションに戻り、「どうすんのこれ…」ってなっていたところ、Aが「なにする?」とカバンからUNOやらトランプやら将棋やらウイスキーやら出してきた。
「他にやることないしやるか…」という気持ちではじめたが、まぁ当時の連中は何をしても盛り上がる。
いろんな話をしながら、結局夜までぶっ通しでやって、めちゃくちゃ面白かった。
翌日も吹雪。するとAが「松本まで行ってカラオケでもしない?」と驚きの提案。
しかし今でも仲間同士で盛り上がるのはこっちの旅行の話ばかり。
今振り返ると、Aは最初から悪天候に備えて別プランを用意していたんだと思う。
Aはみんなに一生の思い出を提供してくれた。
日光はせっかく遠足で1回は来て貰えてるのに、また来たいと思わせる体験を与えられてない。
東照宮と華厳の滝をルートに入れてしまうと、高原や湿地帯の魅力を伝えられないままタイムアップ。それに、神社仏閣が主力にも関わらず、外国人を増やそうとする意識が少ない。
那須はアクセスがいいせいで日帰り客をターゲットにした安直な施設、アウトレット、土産物屋、民家を改装したペンションばかり。
首都圏から行きやすい温泉付きの渓谷としては優秀なはずなのだが、スキー客を那須と日光と奪いあい、スキー人気の低迷と同時に廃墟群になりつつある。
鬼怒川、那珂川は立派な観光資源だが、現在のところ釣り人の集客しか考えてないのは視野狭窄だと思う。
首都圏から行ける観光やなは貴重だし、温泉もあるんだからプラスアルファがあればもっと集客出来るはず。
ツインリンクもてぎがあるのに、その周辺が観光が弱い。那須ハイランドパークとサファリパークが立地や敷地面積はなかなかなのに、バブル期以降投資してないのでしょぼい。立地にかまけてる感が強い。
食べ物は美味しい。
イチゴや餃子以外にもご当地グルメはあるが、全くアピールしていない。
まとめると、観光資源は悪くないが、日帰りでは伝えきれてない。
プロ野球かプロサッカーチームでもあれば、あるいはガルパンやあの花みたいなアニメコンテンツでもあれば、リピーターが続出、栃木県の魅力が伝わり、箱根や京都と肩を並べる観光地になれるだろう。
夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所に旅行に来ていて、ホテルのチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校の修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。
ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会場から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達と旅行になんて行くわけがない。
部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。
さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコールで思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。
翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識が覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。
思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。
とくだん焦ることもなく私は冷静に自分の荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。
ホテルの廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家の玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。
私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。
私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!
情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家のほとんど真裏に建っていた。
視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。
しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。
「一体どこにいたんだ?」
小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないかと不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルのロビーまで連れていってくれた。
ホテルのロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。
「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」
最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。
私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。
目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。
まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。
来月、転職が決まっている。新生活のスタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれてから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽの廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。
住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。
31になった。
区切りから1年たつがまだ20代の気分というか実感がわかない。
新卒の頃の責任感は今思えば気負いすぎと思うが今もあとから思えばそうなんだろうか。
実力に見合わずポジションややる仕事や指示することが多くなった。
完璧主義なところがあるので気持ちに踏ん切りがつかないとエンジンがかからない。
ここ数カ月そうだ。
なにが踏ん切りなのかはわからない。
結婚する気はない彼女との関係の罪悪感、実家の親の病気、今の仕事をやりきれるだろうかという不安、元彼女への未練、もっとチャレンジしてステップアップできたキャリアへの選択の未練、溜まっただけで労働意欲を失わせ続ける貯金。
手につかない、集中できない。
あんなに長かった通勤も短くなった、家も1k、虫が出るボロ家じゃなくなった、仕事の裁量も増えて、理不尽なことに合うことも少なくなった、毎日パスタばかり食うこともなくなって、ある程度好きな物も買える。
でも虚無感は一切減らないどころか、エネルギーがなくなった。
這い上がってやる、焦燥感がなくなった。
昔嫌いだった、わざと頭の悪いふりをして、さぼって楽をして後輩に仕事を押し付ける先輩に、なりつつある。
仕事はまだまだ成長する要素はある、奥は深い。
あの頃憧れていた、雲の向こうにいるように思っていた先輩と同じ役職、同じ仕事をしている。
あの頃と同じくらい魅力的な目標や成長すべき要素もある。
でも虚無感が酷い、手につかないのです。
あの頃の方が肉体的に疲れていたはずなのに、今のほうが労働時間は短いはずなのに、もう疲れた。
あれがあれば、これがあれば、でもがいて手に入れてきても結局今か。
料理も粗末だけどできるようになった、いつか食べさせたいと思って密かに練習して、継続していたから。
仕事がんばるのってかっこいいって、疑わずにエネルギーを向けられていた時が懐かしい。
もう、どうでもいい。
30代というかここ数カ月は陰鬱で、熱もない。
ひたすら森のペンションで鳥の声を聞きながら森林浴してあったかい飲み物を飲みたい。
どうでもいい 髪も伸びた ヒゲも伸びた
森にこもりたい