はてなキーワード: スラム街とは
その2。筆が続くうちに書いておくわ。
つくづく思ったのが、観光都市ってのは惨めなもんだっていう事。俺の住む金沢ってのは観光都市らしいが、こんな災害の時にまで、県外の人間、特に都会や海外の金持ち連中に、飯奢ったり媚売ったりしないと生きていけないっていうのが、心の底から惨めだった。
夜職の女がTwitterでクソ客の事を愚痴ってるが、正直言って、笑えねえなと思う。観光業やサービス業ってのも、体の代わりに飯なり快適さなり相手に自分より良い思いをさせて、それで稼いでるって意味じゃ、夜職と大して変わらねえな。
遊郭では路地裏にスラムができるが、観光都市も華やかなのは客が見にくる表通り、金沢なら兼六園・東茶屋街・近江町あたりだけで、それ以外はなーんにも活気なんてない。「◯◯商店街」なんて名乗ってるだけの、地元の人通りのない寂れたスラム街を、子供の頃は「普通の平均的な商店街」だと思ってたが、どうやらそれは違ったらしい。
都会の連中は、「観光都市」ってものに幻想を持ち過ぎてるんだよな。「北陸はご飯が美味しい、本当に素敵な場所!」とか言ってるけど、お前らは北陸の飯が好きなだけで、北陸が好きなわけじゃないじゃん。そんなに言うなら住む場所代わってやってもいいぞ?住めるんなら。
だいいち、わざわざ押し掛けて来なくても、北陸の食糧なんて東京行けばいくらでも流れてくるんだから、東京で食えばいいじゃん。「食べて応援!」なんていう呑気な有難いご支援のツイートを見て、つくづく風俗嬢ってこういう気持ちなんだろうと思ったよ。金づるだから表立ってケチは付けられないけど、内心どれだけムカついてるのかよく分かるわ。
そして東京の政治家はまた「北陸応援割」なんていうふざけた作戦をやるらしい。つまり「旅行とか考える余裕のある県外の金持ちを応援するので、地元民は頑張って搾取されてください笑」というわけですね。ふざけんなよ。何かハジけるポップなものでも事務所宛に送ってやろうか?
これに乗って「北陸行こう!」とか言ってる連中も、ナイナイ岡本の「コロナで貧しくなった女性を風俗で買い叩ける!笑」って発言と同じような精神性を感じるわ。罪悪感がない分余計に殺意が湧いてくる。
という具合で、とりあえずフラストレーションに任せて書いた。夜職云々の例えは「体の価値は比較できない!例えが良くない!」って叩かれるかもしれんけど、それは謝っとく。貧乏人の田舎者の僻みっぽいってのも承知してるが、とりあえず本音を書かせてもらった。あともう1つ書くかも。では。
「yngswそのたとえでいえば、スラム街の強盗が堂々とテレビに出ている現状でしょうまず問題なのは」まず問題なのはスラム街の強盗が堂々とテレビに出ていいるのかどうかだよ。証拠もなしにスラム街の強盗扱いしてるだけなんじゃないかと思い至らないところこそ問題
馬鹿じゃないの?観光地じゃないんだからそんなところ行くなってなるじゃん
馬鹿じゃないの?赤の他人が泊まってるホテルに行くなよってなるでしょ
頼むって
犯罪者に対して、犯罪やめてくれ犯罪するほうが悪いって言っても無意味だろ
犯罪者に対して被害者になり得る人がやらなきゃいけないのは、自衛なんだよ
それ以外被害を防ぎようがない
そんなに難しいことじゃないだろ
難しいことをしろって言ってるんじゃない
それだけの話なんだよ
【追記】
ブコメさぁ
本当呆れるわ
いいよ
お前らの娘にはVIPがいるとされるホテル行っても犯罪被害にはあわないから遊びに行っていいよと教えな
頭の悪い親を持つと大変だな
お前らの変わりに俺は何度でも大声で言うよ
湾岸ミッドナイトから人生を学べない悲惨な者たちを啓蒙してやる必要がある。
どうせ彼らも一度は湾岸ミッドナイトを読んでいるだろうけど、そこから人生について学べなかったのだろう。
そんな彼らにもう一度読めと言っても無駄だろう。
昔もそうだ。
だがここで私が昔通い詰めていた日記サイトの名前を10個上げても、そのどれもが分からないという人が大勢いるだろう。
何も変わってない。
それは裏に会社がいるとかなんかじゃない。
今だって「ずんだもんの動画」と言って頭に浮かべた動画の統計をとれば10人程度の投稿者の動画が全体の8割を占めるだろう。
だがずんだもんを使っている投稿者はその100倍も200倍もいて、その多くが誰からも「ずんだもんの動画」という言葉で真っ先に浮かばれることがないのだ。
これだって今でも変わらない。
ちゃんと新しいことをやれば注目される。
昔のネットではHPやブログを始めるだけで新しかったというだけだ。
HPを作るのにかかる労力が軽くなるに連れて、HPを作るだけじゃ注目されなくなった。
SNSを始めるのに勇気がいるうちは始めただけで注目されやすかったし、生成AIに早くに飛びついて続けている人は下手の横好きでも第一人者群に潜り込めてたりする。
レッドオーシャンになっていない領域に飛び込む勇気があれば、それだけで今だって注目される。
真っ赤になった海の上で昔と同じことを繰り返して注目されなくなったとボヤくのは、単に自分の分析力の不足に過ぎない。
warez全盛期だった頃と比べればずっとマシになっているとさえ思う。
本名で投稿してる癖に問題発言をしてリアルまで巻き込んで丸焦げになった人間。
匿名での悪ふざけから人生を壊してしまった人だって何人も居た。
老人会的には「小学校で小女子(こおなご)を焼きます」と2chに書き込んで警察を呼ばれたとい逸話なんか懐かしいのでは?
昔も今も、想像力が足りない人、リスクよりも目先の承認欲求を優先する人は炎上しているし、その過程で人を不用意に傷つけている。
リアル知人に言及して「Mさんがこんな馬鹿なことしててドン引きでしてよオホホホ」なんて全世界に知らしめようとする人間の割合に大差なんて無いと思う。
ウィルス入り広告を踏んでもアンチウイルスが反応してくれたり、そもそもポップアップはブロック出来るだけ今の方がマシだ。
悪質なブラクラ、危険なガセ情報、それらが飛び交っていながら自己責任が連呼された時代に比べれば、ネットに強い弁護士を探して訴えればいいという知見が広まった現代の方がまだ大人しいだろう。
エロ系の広告は昔から跋扈していたし、それを踏んで架空請求をされた人が大勢いてニュースで「払わないでください。カモリストに乗ります」と再三警告されていたはずだ。
ユーザーが悪質な広告になれるに連れてそれを掻い潜ろうとする新たな悪質広告は誕生しているが、そこにある民度の低さは今も昔も変わらない。
「そんな広告を平然と掲載するサイトが悪い」と人は言うが、昔のネットで悪質な広告が突然出てきた時、それが果たして全て怪しいサイトだけだったか?
まあそもそも昔のネットは怪しいサイトばかりだったと言えばそうなんだが。
昔のネットだって業者と金目当ての輩が作り出したものだっただろ。
古のインターネットを象徴する中心的スラム街たる2chだってひろゆきによって運営されていたもので、それは慈善事業なんかじゃなかったはずだ。
YahooやGoogleをハックするSEO対策はいつの時代も盛んで、ソースコードに無関係な単語を書き込んでアクセスを踏ませようとするサイトがいくつあったことか。
出版社が副業感覚で運営する情報サイトは無数に存在していたし、個人が大掛かりなサイトを運営するモチベにアフィリエイト収入の影響は決して小さくなかった。
そうじゃない単なる承認欲求や手慰みのために活動をする個人の数は現代にも大勢残っている。
何をどう比べた結果でこんな結論を出しているのか。
俺はこんなくだらん妄想にやり返すためだけにいちいち統計を出す気がないが、お前がそれでも言い返したいなら統計を出してくれと言いたくて堪らん。
インターネットは何も変わってない。
変わらずに楽しい。
変わらずにクソだ。
変わらずに金の話が飛び交っている。
変わらずに承認欲求で回っている。
そして、いつの時代も、オッサンが「最近の◯◯って分からねえんだよな」と言いたがるのも変わってない。
世は全てこともなしってことだな。
はてさて、神はどこにいましか。
いない┐ ┌───わからない
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│ インターネットで見た ,!
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(´・ω・`) おあとがよろしいようで
cく_>ycく__)
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\ ドッ!! / \ ワハハ! /
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ハーバードの研究で 84年にわたり2000人以上を追跡調査した結果 判明「幸福な人生の重大要素」は
親ガチャ成功したエリート学生(大統領になった被験者もいる)からスラム街出身まで追っても、その結論。
それ以上の調査をした自負があるならその持論に自信持ったらいい。
ちなみに病気、収入すら、人間関係以上の相関は認められなかったらしいよ。
両足が歩けなくなっても、孫や妻に愛されてて、毎日笑って一緒に御飯を食べて、お互いを気に掛け合う生活なら
脳機能の減退も遅くなるし
両足がある健康だけど意地悪な守銭奴で他人から愛されない人より幸せなんだよ。まあ想像すればわかる。
あと、自分は1人が好きだって自覚してる人間も結局孤独だと不幸(幸福度を感じない人生)だった。おかしいね、自分好みの生き方のはずなのに。
弱者男性も、友達が多ければあんな惨めな気持ちにならないで住むし
何千マン稼いでるけど俺は弱者男性~があとからあとからわくのは、結局孤独だから。増田で自慢するしかできない人生。
仲良くなってもたからない友達、ATMとしてみてこない女性が周りにおらず、気軽に飲みに誘うこともできない人生。
金持ってても周りに詐欺師しかよってこないやつって不幸そうだろ。夜の仕事から成り上ると自ずとそうなるから(職場が反社の運営だからね)ホストやキャバ嬢はなっかなか幸せになれない。
まず友達を増やせ。大事にしろ。家族は選べないけど友達は選べる。心から尊敬して、お互いを大事にしたいと思える人を見つけよう。その人が元気なだけで嬉しいと思える人間を人生に増やせ。
ケンタッキーフライドムービーという小ネタが延々続くコント映画。
世界一ソウルがこもってない黒人シンガーとかクロいじりが多い。
黒人スラム街で「ニガー!」と叫んで怒った黒人集団に追いかけられながら逃げるだけのもの。
こういうのいまはすっかり無くなった?なんでなくなったかわかる?
正解は、ウケないから。
広義では上記の通りかもしれない。人種差別の意識が浸透したからかもしれない。
でも、それは結果論。正解は、黒人差別のギャグでウケたことに、差別だ!と訴え反対を訴える人が現れてウケなくしたから。
あなたが今笑ってるおもしろを笑ってはダメですって怒られるとそれはウケないし笑えない。
あれはなぜそうなったかというと怒る人がいるから。みんな怒られまで笑いたくないから。
人間全て怒られるのが嫌。イーロンマスクも習近平もプーチンも増税カリスマレスメガネも怒られたくない。
怒りは笑いに勝つ。だから怒ることの優位性を知ってる人はそれで人をコントロールしようとする。
だから公正性を保つという名目で怒りを封殺する風潮になってきている。「○○ハラ」などが顕著。アンガーコントロールも。怒る人を減らそうとしてる。
などという陰謀論は関暁夫に任せておけばいい(言われてみれば元お笑いがオカルトや都市伝説的なことに傾倒していく例は多い)。
お気持ちになるが怒りで笑いが減る状況は困るし嫌だ。
笑いはウケないと意味が無い。ウケることこそ全て。実は笑いはかなりデリケート。
笑いのためになんでもする人は多い。
ただしそれはウケるためで怒られるためではない。
ウケるために手を変え品を変え怒る人を刺激しないように笑いを作る。怒られたら変えて笑うようにする。
なぜなら怒りを生み出すのは簡単だから。笑わせるより簡単。怒るのも簡単。
そしてついには「人を傷つけない笑い」という言葉まで生まれる。
本当にそんなものが可能なのか少し考えるとわかりそうなものだ。試しに作ってみろ。少しでもセンスがあるならそれはおもしろくないことに気づくから。
かように怒られなく笑わせるということが難しい。年々難しくなるとベテランや笑いに真摯な人ほど言っている。
もはや3年前ほどの漫才やラジオのネタでも笑えなくなっている。そこで爆笑が巻き起こってるのに。
それくらいデリケート。
精密に彫刻された飴細工が笑いで、それを無邪気な怒り、あるいは正義の怒りでもいい、そんなお気持ちでダメにされるのはとても悲しい。そう笑いをダメにされても怒りは湧かない。上記の飴細工を壊しながら、「それはダメなものだ」と怒られたら、精緻であるほど、手間暇かけたものであるほど、怒りより悲しくなる。自分の芸術作品を壊されたらすぐに怒るよりも悲しさがくるのではないか、
その問いかけにはNONO。
怒る人たちと同じで、ただ笑いたいのだ。
幸か不幸か、次々と笑いを殺す人と同じスピードで笑いを生み出す人がいる。そこは頼もしい限りではあるが、自分が笑う前に怒る人によって笑えなくなるのが悲しいのだ。
残念なことに怒る人が笑いを殺したら、途端にそれは笑えなくなる。前記の中国を笑いにした漫才は「けしからん」として取り上げられる。その記事により好奇心で見ると笑いは減る。「これで笑うな」という呪いがかかった状態で見るからだ。
先ほども言った通り人間全て怒られたくない。その「怒られ」という呪いがかかってるともう笑いの量は激減する。
インフラが死ぬのは生産拠点の没落で維持が不要になるからですよね
人がいなくなった土地はいなくなったでいいというわけではなく、だれかが管理をしないといけない
その維持管理コストが生産しないものを支える支出として停止している原子炉とか老人とかに加え増えてくるわけでこれは問題でしょう
治安についても一定年数住み続ければ与えられてしまうのなら、別の民族が勝手に占拠しつづけて所有権を持ってしまうことも管理がされていなければありえることでしょう
人口が増えると消費は増えるけどそれは経済効果が上がるだけで収入100万円で食費が30万円の生活が収入1000万円で食費が300万円になっては意味がない
流通貨幣量が10倍になるということは仕事の幅が10倍に増えるわけでいままで店頭販売だったものが店頭販売・ネット販売・転売・会員制・卸・共同購入・中古・その他、と10倍になることなんですね
どちらにせよ人口が増えてというベースがないと話にならないのですが、移民を促進すると問題があるのではというのは「イスラエルとパレスチナ①」とだけ言えばわかりますよね
移民の何が問題かというと国民として帰化しない、戸籍上とか情報の上ではしたとしても本国に送金とか同じ宗教・民族で経済循環をし始める
国の発行通貨で経済圏を築く以外に団体組織内で別の経済圏を築くことが問題になるのはかつて日本にあったやくざの問題と同じです
別個の治安、別個の法、別個の定義に別個の通貨で動く地域があったとすればスラム街とか九龍城と同じで、場所なのか組織体なのかの違いはあれど同じ事がおきます
宗教もそれをすると問題なのは解体申請が取りざたされている組織も同じです
それを回避して移民を考えるなら、本国に送金しない、組織化しない人員の取り込みです
この組織体から離れ英語が通じるのでどこでも働けるという人を枯渇していっている生産拠点に住んでもらって農業などの生産をしてもらうことを基礎に始めるのがいいかなと提案します
できることなら「日本人になる」という選択ということはどういう事かという事というか国に属するということはどういうことかわかっている人が増えてくれることが望ましいですが
日本人ですら日本に住んでる意味がわからずに国際化と言っている人もいる現状、もっとも低いラインに想定をあわせることが大事かとおもいます
もちろん村のしきたりで田舎ぐらし問題になるやつは「しきたりまもってるから現状のようになってる訳でそれを改革する」方向にしてもらうことは優先してもらいたい
人口の量が多すぎではあるという問題について一極集中で維持している現状から分散して適正の数まで平均的に調整するという計画もあわせてあるといいと思います
いかがでしょうか?