はてなキーワード: のんのとは
ジャニーズ喜多川氏に関しては叩かれればいいと思っている。被害者がいるし、やっていたことはひどい。
でも、事務所を今、そこまで叩くべきか、と言うとどうだろうね。組織的に積極的に加担していたわけでもないみたいだし、今、そういうことをしているわけでもないし。彼らも生活していかなくてはならないし。
タレントに辞めろ、と言うとのは自由だけど、その後のことなんて何も考えていないような発言は正直、無責任だなって思うし、事務所関係のトラブルは時にタレント生命への危険性をはらんでいることは増田が好きなのんの話などを見ても明らか。
はじめはジャニーズ喜多川氏の話だったはずがいつの間にか今の事務所の話になっているのを見ると、ネガティブニュースは統一教会よろしくやはり無視一択だなって思う。
どうも怪作みたいな触れ込みで拡散されてしまっているんだけど、まあ確かに。確かにそういう部分はあるので否定しないが、決してトンデモ映画ってわけじゃない。物凄くしっかりとした芯のある映画に仕上がっている。多分この作品は10年後も語られるだろうと感じた。
という感じで、これにピンとくる人は見たほうがいい。
ただ沖田監督のギャグ度高め作品であるので物凄くふざけているのが見どころ。
わりと劇場で笑い声が響くレベルで笑える。笑えないやつはなにかに感情移入しすぎているのでお気の毒。(コロナ渦で笑うなってか!?止めようと思っても出てくるのが笑いだ!映画館ではマスクしようね)
一番やばいのがハイローパロディなんだが、さかなクンは勉強ができなかったもんだから進学校に行けず、多数のヤンキーがいる学校に行き(世代もあるだろう)がっつり抗争に巻き込まれるシーンがある。今話題の岡山天音に磯村勇斗が本気の殴り合いをハイ&ローカメラワークで撮影する。そしてさかなクンは柳楽優弥とタイマンを張る。しっかり尺をとる。ヤンキー映画だ。
とんでもなく本気でふざけてる。これで主人公はハコフグ帽子をかぶるんだからもう意味がわからない。現実が一番不思議。
同時に所謂「ギフテッド」の話でもあるのだが、笑いで逃げずに家族周辺をしっかり描写してたのも興味深い。
ただ、「さかなクン本人がでてくる、しかも不審者役」というのは大きな仕掛けで、語るとネタバレになるが、ざっくり言えば「さかなクンではない、さかなクンのような人」を全体的に描いているのだと鑑賞者に分からせる効果があった。
大筋は似ているが、作品自体が多大に脚色されているので(例えばテレビチャンピオンには参加していない世界線だ)マルチバースオブさかなクンと言ったところかもしれない。
何かボタンを一つかけ間違ったなら、きっといまの現実のさかなクンは居ないのだろう。人生とはそんなものだ。
なお「これはフィクションだろうな」と思ったところが事実だったりするので、原作を確認する他、今度の副音声上映に期待したいところだ(宣伝になった)
もう一つ、のんの演技だが「純粋に骨格が似ている」部分と「魂が似ている」部分があって、もちろん演技で仕草や抑揚も似せているので、キャスティングとして大成功だったと思います。ギョギョギョを言って自然な人は世界に何人も居ないよ。
ですが良いオーストラリアもあるはずです。
そこで雁屋哲に良いオーストラリアを伝えるべく、各界の著名人にお越しいただきました。
スタジオぬえかは知らんが、富野小説版に出てない設定は全部ここが作ってる気がする。
設定を作るもの同士、どっちが上手く作れているかの戦いになるが、鼻血を出すのはSF考証として明らかに劣っているため雁屋哲側が劣勢。
石井マークの必殺技Gは自慰のGで孤独な独身生活もイチコロだ。
このあの子を思い出す榎本温子と、虐められたことを思い出す雁屋哲は背反する関係にある。
西の空に明けの明星が輝く頃ひとつの光が宇宙へ飛んでゆく。それが遠い夜空に光る小さな星なので、庵野秀明さんも大満足です。
宮村優子オフィシャルブログ「Skidamarink a dink a dink ~オーストラリアで子育て~」だから。
「こちとらには一万二千回の庵野への気持ち悪いと、あかほりさとるへの感謝があるんだからっ」です。(ラムネの新作小説連載開始だよ)
みやむー大好き改め坂本真綾大好きおよび鈴村健一憎しみ監督は、好きの気持ちと憎しみの気持ちを両立してエヴァを完結させたので、美味しんぼを放置している人間とは格が違う。
X星人に操られてシドニーを襲撃する怪獣。必殺技はハイジャンプキック[14][17]。
劇中前半でシドニー・タワーを破壊し、街を壊滅させる[14]。ンゴね。
チェックのスカート似合ってる。
雁屋哲にロマンとマロンは大違いだと諭すミニモニが面白いと思いました。
アキバや池袋がシャッター街になってバタバタ潰れてんのんのが象徴的だわな
歌舞伎町とか六本木は法律ガン無視でも大してそう取り締まられはしないからなんやかんやで生き残ってる
法律でがんじがらめにした上に利益は上げろなんて物理的にできるわけねーだろ
国がクソほど税金を株価に投入してる企業くらいしか絶対に成立不可能なわけで
そもそもGDPマイナス成長の日本で未知の手付かずの療育なんかあるわけがない
結果、秘密工作員みたいな働き方プラス諜報機関のフロント企業経営みたいな感じでしか空手で起業を軌道に乗せることができない
飲酒や風俗なんかのソフト産業しかない、こんなもん何も生み出さない筆頭だわ
現実は利権団体に振り回されて意味不明な矛盾だらけの法律作りまくる始末
端的に言えば終わってるわこの国、そりゃ金持ちになって上流の仲間入りした瞬間に海外志向で逃げようとするやつ多発するに決まってんだろと
漢字では「搗ち割り」と書く。
「餅をつく」の「搗く」、「かてて加えて」の「搗て」や、「かち合う」の「搗ち」と同じである。
臼と杵でつく、上から叩く、物と物がぶつかる、といった意味がある。
つまり「かち割り氷」とは「(細かく)叩き割った氷」ということであろう。
意味としては「(決まりの悪い場面で)周囲を気にせず出てくる」「何も知らないで出てくる」といったものである。
単なる擬態語という話もあるのだが、なんの擬態なのかよく分からない。
「ぬけぬけ(抜け抜け)」や「のけのけ(退け退け)」あたりの転訛かと思ったがそういう話も見当たらない。
「のこのこ」を強調した形として「のこのこさいさい」というのがあるのだが、
これは
1. もともとあった「のこのこ」という言葉に「お茶の子さいさい」と同じく民謡「のんのこさいさい」を掛けたもの
なのか、
なのか。
この「のんのこさいさい」というのは、
ということである。
文化年間(1804~1818)に江戸で流行したはやり唄「のんのこさいさい」が、四つ竹を用いる遊芸人によって伝えられたものと考えられる。
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%AE%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%93%E7%AF%80
江島子秋著、「長崎県の民謡巡り」によれば(中略)『のんのこ』は長崎弁で美しいの意味を『のんのか』というそうで、そこから出たのではないかとのことである。
長崎弁の「のんのか=美しい」から来ているのではないか、と「推測」したものが「事実」として地元で定着したのだろうか。
あるいは、諫早から流行って江戸まで達したという説明もあり、どちらが正しいか判じがたい。
諫早発としても「のこのこ」と「のんのこ=かわいい」ではかなり印象が異なるので、
先に挙げた2よりは1のほうに分があるように思われる。
「のこのこさいさい」の語源を「夜来い夜来い」としているらしい。
のこのこさいさい 夜来い夜来い
「よるこいよるこい」→「よこよこ」→「のこのこ」ということだろうか。
夜這いにくるような男は「のこのこ」やってきた感はありそうな気がする。
https://www.facebook.com/tetsunari.iida/posts/10214860353881637
震災のときのエダのんは立派だったよ。#枝野寝ろ のツイートはいまでも語り草です。
決して失政なんかじゃありません。
民衆の中に一人立ち、下からの政治と理念を訴える枝野さんに対して、自分たちの理念を語らず、口を開けば他党の悪口をいう山口さん、あなたは恥ずかしくないのですか?
立憲民主党がやっていることは、本来は公明党がやることじゃないのですか?
いったい何をやっているのですか?あなたたちは。
山口さん、あなたは立憲主義について、どれだけ真剣に考えていますか?
安倍さんに、これだけ権力の乱用をやらせておいて、罪の意識はないのですか?
一人立ち上がった枝野さんの姿を見て、何も感じるものはないのですか?
逆に悪口をいうのは、天に唾しているとは思わないのですか? あなた、信心しています?
池田先生も、公明党を作られたときは、今の枝野さんたちのように、民衆の中で堂々と理念を語る政治家を輩出することを目指したんだと思いますよ。
今の公明党は何をやっているんですか?
あなたは恥ずかしくないかもしれませんが、私は学会員として恥ずかしいです。
私は30年間、公明党以外には入れたことはありませんが、今回は立憲民主党に入れようと思います。
それは、立憲民主党の方が学会の人間主義、平和主義に近いと思うからです。
公明党であったとしても民衆を裏切る時が来るかもしれない、それは例外ではない。
今の公明党に投票することは信心ではありません。福運を積む行為ではありません。
公明党も賛成するでしょう。
戦前、戦争に反対して牧口先生が獄死され、戸田先生が何のために立ち上がられたのか。
そのことを全く忘れている公明党に、言論の自由を蔑ろにする秘密保護法や共謀罪に積極的に賛成する今の公明党に、何を期待してもまったく無駄です。
いま、北朝鮮の緊張もあって、戦前の状況に似てきたといわれています。
戦前は国民全体が戦争に賛成しました。今も同じような雰囲気になってきました。
私は、国民の99%が戦争賛成といっても、反対を貫くのが公明党だと信じてきました。
集団的自衛権を許す安保法制に意味不明な解釈を追加して賛成する公明党は平和の党ではありません。
次は9条改憲するでしょう。
いまの公明党は「改憲は国民の議論が熟していない」といいますが、だったら「熟したら」改憲するつもりでしょうか。
そうじゃないでしょう。
どうして自分たちは平和を追求する党ですと堂々と国民に訴えないのですか?
湯〜園地に行ってきた。
新聞テレビネットニュース、多くのメディアが取り上げ、初日には指原莉乃も来園。
収支の部分はわからないが、動画が再生されたら実現→再生されたので本当にやります→地元のさびれた遊園地を活用して実現しました、というストーリーはもちろん、露出・評判ともに素晴らしく、大成功といっていいと思う。
実際、行ってみてとても楽しかった。
アトラクションは古い遊園地のそのままだけど、ちょっとの工夫で「湯〜園地」ナイズドされていたし、
1000人規模のボランティアスタッフはおじさんもおばさんもいて、めちゃくちゃに親切だった。接客に慣れていない人も多かったけれど、とにかく楽しんでもらおうという気概であふれていた。
薬剤師会の腕章をつけた人たちが経口補水液を沢山配っていて、熱中症予防につとめているのが伺えるし、
そもそもの別府のコンテンツ力、コンテンツを活かす発想力、発想をかたちにする実現力、すべてが備わった地域活性の手本となる好例だったと思う。
別府市長の自治体を動かす力は知らないけれど、彼自身のキャラクターも素敵だった。
でも、湯〜園地が成功した理由はやはり、クラウドファンディングで支援した人、事前に公式サイトで購入した人だけが入園できる仕組みだったからではないだろうか。
これから書くことは私の偏見だし、決して自分のSNSでは書けないようなことだが、はっきりと感じたことなので残しておきたい。
先ほど私が書いた「成功した理由」とは、報道やソーシャルでポジティブな反応がほとんどで、来場者の満足度が高い理由を指す。つまり開催中にうまくいった要因である。
こういったイベントは、大々的に開催が報道されることで、興味を持ち始める層がいる。
イベントを開催するまでのストーリーや努力を知っている事前購入者とは情報格差がある。思い入れや支援の想いが違う。
端的に言えば、前者は往々にして民度が低いんだろうと私は考えた。
湯〜園地の中はゴミなんて全く落ちていなかったし、ボランティアスタッフにいちゃもんを付ける客や、トラブルを起こすような客、列をきちんと守れない客がどこにもいなかった。
頭の悪そうな人はおらず、理解のある人ばかりだったと思う。
スタッフのオペレーションが悪いだの、待ち時間が長すぎるだの、衛生面が気になるだの、MAPがわかりにくいだの、別府駅-ラクテンチ間の誘導がよくないだの、悪いことを言おうと思えばいくらでも言える。
でも事前購入者は、どれだけ別府市民ががんばって、工夫を凝らしてくれたものだかはよくわかる。
ちょっと至らなくても、かなりの手づくりでも、ただただ実現したことに驚くし、嬉しいし、なんだって目をつぶれるのだ。
当日券を求めるような層は、他の遊園地と同じようなスムーズな対応、洗練されたおもてなしを求めるのではないだろうか。
クラウドファンディングを触ったこともないようなリテラシーの低い層は、正直なところ民度も低いのではないか。