はてなキーワード: 青天の霹靂とは
http://anond.hatelabo.jp/20130901220935
のポストを見て書く気になった。
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うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。
貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、
県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。
みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見本市。
同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。
通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、
親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。
酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、
不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。
授業なんて半分以上成立してなかった。
僕はそんな場所に馴染めず孤立し、図書館で本ばかり読んでいた。
ネットもなかったし。
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歳の離れた従兄を東京の大学にやって、有名な電機メーカーに内定した。
みんな名の通った大学に進学していった。
僕は好きだった文学を楽しむためとある国立大の文学部に入った。
親も満足気だった。
親たちはみんな低収入だったけど、おかげで国公立なら学費免除も寮住まい余裕だった。
物価は高いけど、実家から野菜の仕送り+バイトで人並みの生活は送れてた。
だいたい都市のバイト代は高くて、頑張ったら親父の月収を抜きそうだった。
バイトとサークルの掛け持ちをしながらだったけど、そんな苦労をしたと思ったことはない。
幼稚舎から有名私立に通ってて月何十万も仕送りされてるのに「親から自立した」と豪語するボンボン、
親が教師で勉強一筋で鍛えられたという秀才君、17歳で酒を飲んだと悪ぶってる自称不良。
地元にいた「本物の不良」みたいな人も一人いた。
どいつもこいつもが馬鹿に見えた。
漢字を知らない、ことわざを知らない、日本の観光名所を知らない、ヨーロッパの国の位置を知らない。
なんで昭和初期の文豪の一人も読まずにこいつらは大学に来てるんだ。
なんだ、高い金払って塾でお勉強してきた連中ってのはこの程度なのか。
僕の中でどんどん歪んだ自尊心が形成されていった。
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ちょうどその頃、日本経済はリーマンショックの後遺症を抱えていた。
そして言われた。「君が学んできた文学とやらは我が社で何の役に立ちますか」
青天の霹靂だった。
成績も優秀だったし、表彰もされた。
「君が受けてるところは総合職じゃなくて、工場のラインじゃないか?」
それすら受からなかった。
工学部なら大学院まで行くのが「普通」なんだけど、もう勉強するのは嫌らしい。
秀才君は大学院からアメリカに留学した。数百万円の留学費は親がポンと出したらしい。
自称不良は大学院に進学した。後から聞いた話ではこれまた有名なメーカーの研究部門に入ったそうだ。
本物の不良は保険の営業に決まった。体当たり営業出来るタフさが受けたらしい。
「秀」の字が並ぶ成績表を見ながら僕は頭を抱えた。
年が明け、僕は卒論を提出するか悩んでいた。
新卒でないと就活は厳しい。しかし留年すると学費免除は厳しい。
卒論は我ながら酷い出来だった。もっと資料を読んでいれば、もっと深く有意義な考察が出来たはずだった。
しかし就活に忙殺され、一時は精神科にも通っていた僕に、そんな時間も体力もなかった。
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大都市にある、名前だけはどこかで聞いたことのあるような企業の事務所だ。
そこで見たのはよく見知った光景だった。
管理といえば聞こえは良いが、要するにサポート、補助、下働きだ。
大卒も高卒も関係なく採用されているポジションで、実際同期の過半数は高卒。
職場で交わされるのは、地元の祭で親父たちが交わしていた、パチンコと競馬と風俗の話。
僕は一度壁を超えて、そしてここに帰ってきた。
僕は壁のこちら側で生まれ、あちら側に行き、そして帰ってきたんだ。
いったいあの四年間は何だったのだろう。
夢だったのか、幻だったのか。
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地元の連中の中には地元で教師になり、警察官になった人間だっていた。
彼らは僕より学歴が低いけど、僕よりよっぽど良い地位と収入を得ている。
着の身着のまま上京して劇団に入って、苦労しながら生活してる奴のちらしももらった。
もう僕には彼らも壁の向こうの住人のように見える。
僕は、僕の親たちは、壁が学歴の間にあると思っていた。
大都市には夢があると思っていた。
夢はあった。でも掴み方を知らなかった。
人口知能学会誌の表紙が女性差別的であるとして炎上した件について考えた。
結論1.学会誌の表紙が差別的印象を与えかねないという指摘は妥当だが、批判者たちのことばは過激にすぎる。
結論2.その結果、こうした性差別的問題に関わること自体が非常に厄介なものになっている。
俺自身は、当該学会誌の表紙を見ても女性差別的だとは感じなかった。例えば表紙の女性が露出度の高い服を着ていたり、首輪をつけていたりといった明確な性的/奴隷的モチーフがあれば別だが、表紙の女性が虐待されたり奴隷的待遇を受けていると感じさせる描写は特になかったように思う。
そもそも掃除ロボットが人にそっくりな姿形をしている必要があるのか、という疑問はないではないが、人工知能というイメージをわかりやすく表現するためにあのような形になったのだろう。
いずれにしても、俺は、ことさらあの表紙がひどいとは思わなかった。
他方、あの表紙を非難している人の意見には、頷けるところもある。
例えば、女性が奴隷的に家事労働を担わされてきた/担わされているという事実があり、家事労働は女性がするものである、という性別と役割を結びつけるような差別的意識が多かれ少なかれあるという現状を踏まえたときに、ことさらそうした差別的意識を助長するような表紙を掲載することは倫理的に妥当ではない、という主張は、一定の妥当性を持つ。学会側にそうした意図がなかったにせよ、差別的メッセージを読み取って傷つく人がいるかも知れず、そうした人に配慮すべき、という主張は、おそらく"倫理的に"正しい。
とはいえ、そうした倫理的な配慮の欠如は、果たしてそこまで非難されるべきものなのか。特に、学会やイラストレーターに対して「差別主義者」だの「性奴隷を作りたがってる」だのと言うのは言いすぎだ。せいぜい、「配慮が欠けている」くらいではないだろうか。これは炎上案件の多くに言えることだが、犯した失敗に対して制裁が強すぎやしないか。
また、学会誌の表紙に女性のイラストを載せること自体が男性的な欲望の発露で気持ち悪いという意見も聞くが、これについては、今回の表紙で言えば、女性の服装も容姿も姿態も特に萌えや性的イメージを押し出したものではないので、的外れな意見だ。初音ミクが表紙になった学会誌は比較的好意的に話題になったことを踏まえても、今回の表紙がことさら逸脱したということはないだろう。
今回の騒動を見て感じたのは、性差別に関する感覚の絶望的な断絶だった。
何を差別的だと感じるか、どこまで差別的だと感じるかというのは、明確に線引するのが難しく、曖昧な部分というのは多くある。例えば、今回の表紙だって、コミックスや小説の表紙であればここまでの反発を受けることはなかっただろう。そこには、「学会誌の表紙」はコミックスや小説の表紙に比べてより公的であり、それゆえより繊細な倫理的配慮が求められる、という前提がある。少なくとも、批判者はそういう前提があると考えている。
しかし、実際にはあの学会誌はかなり限られた人向けに向けて作られている(人工知能学会誌を購読するためには、人工知能学会に入会する必要がある)。そのため、あの表紙案にそれほど公的な配慮が求められるとは考えていなかったのだろう。表紙を描いたのは女性らしいが、役員構成は22名中21名が男性で、性差別に対する配慮という点では、内部のチェック機能が働きにくかった可能性もある。
つまり、学会側にしてみれば「不用意に歩いていたら地雷を踏み抜いた」といったところで、このような炎上はおそらく青天の霹靂だったろう。性差別に比較的敏感な人達にとってあれだけ問題となった表紙であっても、性差別に鈍感/寛容な人達にとってはその何が問題なのかよくわからない、という状況なのではないだろうか。
ヘイトスピーチや直接的暴力があったならともかく、今回の炎上はむしろ差別意識に対する認識の違いに起因しているように思う。例えば、今回の炎上を受けて、人工知能学会は以下のようにコメントしている。
「ネット上で広く議論をしていただくのは有り難いと思っています。学会としては、女性を差別したり蔑視する意図はありません。ただ、そういう意見もあるときちんと受け止めて、今後の表紙デザインを考える上で参考にしていきたいと思っています」
このコメントは、「私たちに女性差別の意図はないが、差別であるという意見は受け止める」という趣旨であり、やはり認識のズレの問題だとされている。であれば、そのギャップを埋めるための理性的な話し合いの余地はあるし、そうしたコミュニケーションこそが重要だと思う。
トゥギャッターまとめなんかを見ていると、互いの主張が噛み合わないまま、悪罵と中傷を投げ合っているような印象を受けた。それでは、まとまる話もまとまらないと思う。悪罵や中傷や揶揄をしても説得可能性は著しく低いわけで、むしろそうした振る舞いはコミュニケーションのチャンネルを狭める結果にならないだろうか。
差別の問題というのは、なにが差別でなにがそうでないのかという線引きが難しい部分がある。
具体的なヘイトスピーチや暴力であればわかりやすいが、例えばセクハラであれば、肩をたたいたり、容姿や服装についてコメントしたりするとセクハラになる場合がある。黒人の唇を厚く描いたら抗議を受けた漫画もあった。
そういう、「差別」の境界線が見えにくい部分は数多くあるが、特に言及に注意が必要なのはマイノリティについてだ。マジョリティにとって、マイノリティに対する配慮を感覚的に行うことは難しい。例えばセクシャルマイノリティのの中には、履歴書などの性別欄に男と女という選択肢しかないことに悩む人がいる。あるいは、性別欄がある事自体に悩む人がいる。そうした悩みは、マジョリティにはなかなか共感しにくい。
多くの人は、差別などしたくない。したがって、自分の言動が誰かを傷つけないように配慮している。しかし、繰り返すが、どういう振る舞いが差別になるのか、ということがわかりにくいことが多々ある。差別的な意図など全くないのに、それが差別だと受け取られることは起こりうる。
そうして、うっかり誰かの地雷を踏んだときに一瞬で炎上する可能性があるというのは相当にリスキーだ。不用意なひとことによって差別主義者のレッテルを貼られたり、職場などで不利な立場に追い込まれるとしたら、それは地雷原を歩くようなものだ。差別的意図がなくても、一定の確率で地雷を踏む。
それゆえ、比較的賢い連中は、マイノリティに言及すること自体を避ける。言及すれば、一定の確率で誰かの地雷を踏み炎上するおそれがあるから、一切言及しないという対策を取るわけだ。こうして、マジョリティとマイノリティの断絶が拡大する。 マジョリティ側の人間にしてみれば、おそらく断絶は合理的だ。マイノリティに関わる必然性は基本的にないし、必然性があった時だけ、最小限の関わりを持てば良い。しかし、現に何らかの差別に苦しんでいるマイノリティがいるとしたら、こうした対応をされることはおそらく不利だ。マジョリティと断絶すれば、差別をなくすための運動は社会的な賛同を得られず、力を持たない。差別が現にあるならば、その差別はあり続ける。
したがって、マイノリティがマジョリティ側の不用意な発言に悪罵や嘲笑を向けるのは自滅的行動だ。そうして発言者を炎上させれば、マイノリティは怖い存在になり、いわば「弱者という強者」だと誤解される。そうなれば先に論じた断絶は進むし、あるいは在特会のような気持ち悪い連中がでてくるかもしれない。いずれにせよ、マイノリティの地位は決して向上しない。
これは、マジョリティの不用意な発言を批判するなと言っているのではない。批判の方法を考えるべきだと言っている。少なくとも、SNSで悪罵とともに晒しあげるのは妥当な批判方法ではないだろう。
以上の話は、主にセクシャルマイノリティを念頭に置いて書いた。しかし、これは他のマイノリティや左翼一般にも当てはまる。特定秘密保護法にせよ都条例にせよ反原発にせよ、人権を振りかざした絶叫デモを行ったところで、それは彼らの孤立を深める結果にしかならない。
前回の「ペプチのこと。」に思いのほかのご好評をいただき、作者としても大変嬉しいです。ありがとう。
ただ残念なことに、あの記事を「ペプチドリーム(以下「ペプチ」)擁護」と受取る向きが予想外に多かった。
おそらく、
こういう前提知識を持った上で、ペプチの開示をぜひ読み返してほしい。と書いたのが、「ぱっと見た感じほどの大きなニュースじゃないんだよ。説明が下手なだけ。大丈夫だ問題ない」と単純に言っているように受け取られたんだと思う。
おそらく、受け取る印象が多少なりとも(ひょっとしたら大きく)変わるはず。
既存: アライアンス事業 【これまでのステージ】と明記されている。
新規: 自社創薬研究開発の推進 【これからのステージ】
ペプチの仕事を思いっきりカンタンに大雑把に言うと、この(1)(2)をめでたく生き延びたら、いよいよその化合物は(相手方がそう意思決定してくれれば)リード化合物として臨床試験に向かうことになり、ペプチには(3)の「創薬開発権利金」以降の売上計上がはじまる。
(1)契約先から指定されたターゲット蛋白などに結合する特殊ペプチドやライブラリを作って納入する、
(2)納入した特殊ペプチドを契約先と一緒に検討する(契約先がラボで試験とか動物実験とか)、
(3)契約先がその特殊ペプチドを薬として本格的に開発する(そして運が良ければ薬として承認される)、
の3段階。
※誤解のおそれのある表現があったため(3)を一部書き換えました。
(1)(2)(3)をパッケージにした契約を最初に締結してる。という点だったはずだ。
一
聖天子 風電の御稜威いただき 艨艟 日日に衛る 万里将士 夜夜に因む 海と空。
海原遠く 年を経て 憩もしらぬ 防人よ。
哮る嵐も 犯すなき 醜の御楯の 防人よ。
皇御民の 末ながく 語りつぎ 言ひつぎ行かむ 数限りなき 益良夫の たかき勲ぞ。
二
畏きや 詔かがふり 出でまして 年は移れり 春二つ。
東に西に北南 はた大空に 海底に 善謀勇戦 征けば 必ず勝ち 攻むれば 必ず破る。
たたへむ たたへむ その勲功や 蓋し 神なり たたへむ たたへむ。
三
計らざるに 凶報はいたりぬ 過ぐる 四月の激戦に わが名将は いさましく
人はみな 眼血走り 息をば 呑みつ 心はおもく とざされぬ。
人はみな こぶし固めて 歯をかみならし 胸はおもひに 張りさけぬ。
四
さはさりながら われ等みな 心に問はむ この凶事は 何をか語る 皇国の興廃 ここにかかる。
君が御霊 白き鳥 青きみ空に 天翔り 護り給え われ等みな 撃ちてし止まむ
必ずも 撃ちてし止まむ。
参照サイトは主に以下の2つ。
ドル・自国通貨のスワップが300億ドル新たに締結され以前からのものとあわせて400億ドルになる、円ウォンスワップが30億ドル相当から300億ドル相当に拡大されるとある。日本で余ってるドルを400億ドル準備する、これはまだいい。だが、今すぐにでも国内興伸のために使える円が、ウォンとのスワップのために300億ドル相当分準備されることになる。円での融通額とドルでの融通額の比率は、今までは3:13だったのにこれからは3:4になる。これは金額の規模としても意味合いとしても納得がいかない。塩漬けドルの半額近い『生きている円』も投入されるのだ。300億ドルは現レートで約2.3兆円になる。塩漬けドルの添え物としてはあまりに豪華すぎないか?
対韓貿易は黒字だから日本企業を救う意味があるという意見があるが、この700億ドルがちゃんと帰って来る可能性についてどれだけ比較検討がされたのか?また、現行の話だとチャイナリスクならぬコリアリスクをきちんとコントロール出来なかった企業だけを救済するということになることをどう考えているのか。
第3者機関であるIMFを通せば通貨スワップがいつどの額で行われたのかがはっきりとし、取引が円滑に進むはず。自動車事故でのお互いの弁償がドライバー間での口約束ではなく保険会社の仲介で行われるのと同じ。IMFを通さないことによる日本へのメリットは全くないとしか思えない。
以前から議論されていたが周知が徹底されていなかっただけなのか?野田首相の外交カードの中身を誰も知らなかったということなのか?どちらにせよ、少なくとも私にとっては青天の霹靂。もっと国民の方を向いてくれ。
ふと、彼について想うことを書き認めたくなってこうしてキーを叩いている。
春にリリースされた「CHRONICLE」はとても良いアルバムで、年末になっても日常的にアルバムの曲を聴いていて、次のアルバムでの変化をわたしは楽しみにしていた。
そんな矢先の出来事だった。
家でひとり泣いた。
私は志村正彦と面識などもちろんない。
フジファブリックの音楽は彼らがメジャーデビューしたころから聴いているけど、ライヴには一度も行ったことがない。
そんな私ではあるが、志村の死に泣いた。
フジファブは初期に春夏秋冬をテーマにした曲をリリースしている。
あんなもんを残されたらそれぞれの季節がくる度に嫌でも思い出す。
桜が咲けば「桜の季節を」、灼熱に揺らめく街角では「陽炎」を、金木犀の香りを鼻にすれば「赤黄色の金木犀」を、澄んだ冬の夜空には「銀河」を。
早いもんで日本中を揺るがした旧石器捏造問題から10年がたちます。
なんと今度は新石器捏造疑惑が持ち上がっているのです!しかも朝日新聞VS読売新聞という面白い対決になっています。
「歴史界のスクープ合戦」として、なぜか「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」の公認会計士の山田真哉先生がこの事件の概要を説明していて知りました。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/201009060000/
おおまかな流れは上のブログにあるとおりですが、なんだか面白そうなので、ネットに載っていない記事をさがしに図書館で新聞めくってきたところ、以下のようなタイムラインでした。
と、慈覚大師円仁(えんにん)が中国で残した石板をはけーーんと歴史的スクープ!?
http://www.asahi.com/culture/update/0709/TKY201007090344.html
7月10日には朝日新聞の文化面で、どうやって石板が見つかったかを渡辺延志記者が詳しく説明しているんですが、捏造疑惑が出た今よんでみると、この時点でかなり怪しいです。「上、上、中国人のお坊さんがタライを頭に落とそうとしている!」「後ろ!後ろ!円仁のふりしたお坊さんの幽霊が!」ってドリフを見ているような気分になりますよ。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007100161.html
例えばですね、
法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれている「円仁」についての説明を求めた。驚いた林住職が、酒寄雅志国学院大栃木短大教授に相談し、研究が始まった。
おいおい。「円仁WHO?ゴゾンジデスカ?」って、とりあえず日本に来る前にググれかす!あっ、グーグルは中国から撤退したんだっけ。
「あの~、もしかしてオタクのお寺さんに円仁さんいませんか?」とかいきなり門を叩いたのだろうか。円仁さんは天台宗のお坊さんでしたので、普通は比叡山延暦寺に行きそうなものですが、専門の僧侶の多い比叡山を避けて、なぜか生誕の地の栃木にわざわざいくという怪しさ。
もうひとつ例えば
巡礼行記に、法王寺に立ち寄ったとの記載はないが、鄭州を出た日に「仏教は東へと伝わる」と記していた。石板の冒頭の一節とよく似た認識だ。
これも今だから、ではありますが。「そりゃ、ぱくったから、よく似ていて当たり前だろ」と突っ込みたくなりますね。
一番興味深いのは、
書道史の見地からは「唐代の楷書(かいしょ)として疑問はない」(書家の飯島太千雄氏)、文体には「日本人が書いた漢文特有の雰囲気がある」(気賀沢保規明治大教授)などの評価を得た。 <<
と、専門家が御墨付きのコメントを寄せているのですが、最初にでてる「疑問はない」としていた飯島さんというのが、なんと今回の捏造疑惑を暴いてしまったのです!朝日新聞にしてみれば青天の霹靂といったところでしょうか。
ちなみに9月6日の読売新聞紙上によりますと、飯島さんは最初から疑いを持っていたそうで、「2枚目があろうとなかろうととても本物とは認められない」としていますし、「発掘以外で見つかったものはかなりの確率で偽物と疑うのは常識」とおっしゃっていますから、むしろ、飯島さんが最初の記事で自分の話が「疑問はない」となって青天の霹靂だったのかもしれませんが
ともかく、
朝日新聞のスクープをうけて、7月10日には読売新聞が夕刊で、7月18日に持ち込まれたお寺さんの地元の下野新聞がニュースにしています。
こうして歴史の新たな1ページが書き込まれた、と思いきや、忘れたころに衝撃的なスクープがでました。
「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物
とやったのです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100827-OYT1T00018.htm
(リンク切れです)
中国の法王寺が「この世に一つしかない」といっている石板の拓本(墨をつけて写した紙)が2種類も見つかったのです。見つけたのはさきにでてきた飯島さんでした。
続いて、9月3日には、「ゴミの中に第二の石板、円仁の石板さらに疑問も」という第二弾の記事が出ました。後日掲載された写真では段ボールのゴミの下に埋もれていたのか、隠されていたかのようでした。しかも、痛いことに、まわりの模様がちょうど1センチ間隔で、現代のメートル法が使われていたのです。冒頭の山田先生のブログでも、メートル法のところが強調されていて噴きました。
下野新聞は同じ日に「本物?偽者?広がる論争 文言同じ2種類存在 中国で確認「円仁の石板」と、「危ないな、でも地元だし、信じてあげたいなあ」という感じでフォローしています。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100903/376063
そして、面白いのは、同じ日の朝日新聞にもひっそりと、「2枚目の石板見つかる」と書いていたのです。しかし、偽物説には触れず、これだけを読む限りでは「円仁さんは1枚目を作ってみたけど、ちょっと構図が気に入らないからもう1枚作ったみたい。むしろ本物度が高まるんじゃない?」というトーンでした。ネットには載ってませんでした。
メートル法がなければ、「へえ、そういうこともありなのかな」と感じて、とりわけおかしいと思わなかったかもしれません。
このまま、逃げ切れるかと思ったら、9月6日には読売新聞がだめ押しの詳細な記事を文化面にアップしてしまいました。この記事であげられたいくつもの問題点をクリアして、本物の円仁の石板とするには、偶然に偶然を重ねるようなアクロバティックな理論を展開しないとならないでしょう。なにより最大にして、一番目に乗り越えないといけないハードルはやっぱりメートル法の存在ですよね。
果たして朝日新聞は反論できるのか、それともほっかむりするのか。そして、毎日新聞は、いつ、どちら側に参戦するのか。ところで私が家でとっている日経新聞に出ることはあるのか。楽しみですね~。
つまり、言いたいことは、中国にはこれからも日本人はガンガンだまされるよ、ってことではなく、捏造問題も10年がたち、旧石器から新石器(石板ですが・・・)に進化した、ということです。
さいなら~
麻垣康三の最後の一人が総裁になったという結末である。このタイプの名前が挙げられた人がそろって総裁になることは滅多にないのだが、それだけ、人材が不足しているという事であろう。
自民党再生を唱えているが、どのように再生するつもりなのかによって、自民党が再び与党に返り咲けるか、このまま議席を失って泡沫になっていくかという末路が見えてくる。
多選規制を導入し、政権運営に貢献のあった官僚を新人議員として選挙区を与えて取り込むことで人材の確保と行政へのコントロールを手に入れる体制を整えるか、地盤の私物化を継続し、官僚は天下り先に行くしかなく、政治と行政が税金を無駄遣いし続けるという、これまでの体制を続けるかという選択である。
谷垣氏はお金が足りないなら増税すれば良いという考えの財政再建派であることから、どちらかというと、後者の選択をする可能性が高い。
そうなったらそうなったで、予想通りということで、自民党の泡沫政党化、地方政党化が進むだけであろうし、そうならなかったら、青天の霹靂とでも言って驚くしかない。
二大政党制は、選択肢が二つだけしかないという欠点の多い制度であり、どちらかというと、その選択肢は善と悪というわかり易い選択ではなく、最悪と論外といった、どちらを選んでも良い結果に繋がらない選択肢だけが出てくる事になりやすい。
この制度をまともに運用するには、党員の意見を吸い上げる党員集会によってマニフェストを作るという運用上の配慮だけではたりない。党員の知性や理性のレベルによっては、エゴイズムにあふれたどうしようもないマニフェストが出来上がってしまうという欠点が表面化しやすいのである。
民主制は、有権者の能力以上の代表者を得られないという特性がある事から、有権者の能力を高める手段が必要になる。能力は、それを問われる場所が存在する事によってのみ鍛えられることから、民主制の学校である株式会社において、株式会社の有権者である株主に定期的に選択を問い、鍛える事で、国民全体を鍛えるという手法が取られるのが望ましい。経営方針や設備投資方針、仕入れや在庫の量の決定といった細かな選択を株主に問うのは、いろいろと問題があるが、企業名.com以下に、娯楽情報サイトや政治家のサイトのミラーを宣伝目的で置くとし、どのサイトを置くかを問うのであれば、電子投票の練習にもなり、また、事業所や出張所が置かれている選挙区ごとに現職と元職や新人を並べて、どの候補のwebをミラーするかを問う事で支持率調査そのものとなり、有権者の直接の意見という錦の御旗を間接的にかざす事が可能となる。これは、議員にとっては、献金やパー券といった資金面での圧力以上に、高い圧力となる。
株主は、企業にとっての有権者であるだけでなく、政治家・政党に対してもおおむね有権者なのである。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html
[2009.9.29]
http://anond.hatelabo.jp/20090930202715
というのが今の感想。
単純明快な回答&
女にカウントして頂き誠にありがとうございます!
ちなみに元増田の容姿はクラスに一人は居るパッとしないモサです。
すみません、書き方が悪かった。
元増田としては恋愛とかは大人の話で全く関係ない、という感覚でした。
未だに高校生とかでも「うわぁおねえさんだ」といった感じです。
兄も姉妹も本当の兄弟みたいなものだったんです。一緒にドブ攫いしてたり。
こうなっちゃ仕方ない。気まずくなるのは覚悟の上、
「これからも兄として」等バカな事は言うつもりはありません。
振り方ってどういった形があるものですか…?
ここまでほぼケンカもなく、僕自身としては仲良く彼女と付き合っていたつもりだったのだが、
先日ふとした話から、そんな考えは僕の浅はかな独りよがりだったのことが分かった。
話の経緯は省くが、要は彼女曰く、「他人行儀な気がする」「なんで遠慮するの?」「この恋愛は腰掛け?」「私のことホントに好きなの?」といったことを日々感じ、不安になっているとのこと。そんなことを涙混じりの声で訴えてきた。
まさに青天の霹靂。しばし絶句した。
というのも僕自身としては、この11ヶ月間、出来る限り彼女に対し優しく、大切に接していたつもりだったからだ。
だがそんなものは、結局自分が満足していただけだったんだということを突きつけられた。
「他人行儀」。。。確かに言葉尻がそうなっているところは多いと思うけど、それは自分の仕事関係上の癖なんだという思いもありつつ、彼女とはいえ、一定の個人として尊重しているつもりでそうしていたつもりだったんだけど、彼女はそう思ってはくれなかったみたい。
「遠慮」。。。遠慮していたつもりはないんだけど、やっぱりどこか「他人行儀」になる瞬間が、そう思わせてしまったのか。
一つ一つそう言われる度に、自分なりの考え方、思いも説明した。だが説明すればするほど、彼女との溝に気付き、自分の浅はかさを思い知る。
結局そんなことは、相手に伝わらないと意味がないのだ。
確かに当初は恋愛感情を持てるかどうか不安だった自分がいたが、気が付けば、この人と付き合えて良かったと思うようになった。
態度でそれを見せているつもりだったが、彼女はそう思ってくれなかった。節々見える他人行儀なその態度に、結局ただ付き合っているだけで、好きではないんだろうな、と思っていたらしい。そう言い出すのが怖かったとも言われた。
そう、やっぱり女の子、こと恋愛に関してはちゃんと言葉に出してあげないといけなかったのだ。
「好き」「楽しい」「嫌い」「つまらない」。言葉にして表現しないとダメなんだと。
頭では分かっているつもりだったのだが、そんなことも結局できていなかったのか、と。
その後色々話し合って、とても良い形で収まったのだけれど、やはり自分には課題が残った。
三流恋愛マンガや、映画などでも散々言われていることだったけど、やはり恋愛に関しては「言葉」は大切らしい。
ちゃんと自分が彼女のことを大切に思うなら、態度も含め「言葉」にしていかなきゃな、と。
とても恥ずかしいけど、それは本当に大切なんだと思った。
以下引用
「まぁ、これからおまえが誰と付き合うにしてもやなぁ、女には言うてやらんといけんぞ。言葉にしてちゃんと言うてやらんと、女はわからんのやから。好いとるにしても、つまらんにしても。お父さんもずっと思いよったけど、おまえもそうやろう。1+1が2なんちゅうことをなんでわざわざ口にせんといかんのか、わかりきっとるやろうと思いよった。そやけど、女はわからんのや。ちゃんと口で2になっとるぞっちゅうことを言うてやらんといけんのやな。お父さんは、お母さんにも最後までそれができんかった……取り返しがつかんことたい。やけど、まだおまえは若いんやから、これからは言うてやれよ……」
引用以上
なんかまとまりのない日記。。。
自分変えていかなきゃな。
前回(anond:20080915231816)はなんか知り合いのシスターに諭されたとかで、一応謝ってきて(ちなみに行為や主張についてではなく、波風立たせたことは悪かった、的な感じ)一応は落ち着いたかに見えたのだが、やはりまったく反省してなかったらしい。
昨年暮れからなぜか朝夕の食事を作って持ってきて「お金はいらない」「気にしなくてよい」と言いながら、強引に置いていった。
こっちも波風は立てたくないのと、しつこく「お金はいらない」「気にしなくてよい」と言うので、とりあえずもらってた。
そうしたらこちらにはニコニコしながら、実家に「食事を作ってるのに食事代を入れてくれない」とクレームをつけてきたらしい。
主張がおかしいのを不審に思った親から急遽電話がかかってきてあらましを知った。まさに青天の霹靂。
これは完全に押し売りだろう!?
親からの電話の翌日も、大家は何事もなかったように食事を持ってきた。
そこで「もう食事はいらんから作らないでくれ」とはっきり言ったら、「正月にこっち(裏庭の方を指す)から入ってきて、玄関(裏庭からは大家宅内を通らないと行けない)で、大きな声で『俺は女にもてないから食事を作ってくれ』と言った、とか言い始めた。(いや、それ、論理展開おかしいし)
ちょっと待て、年末から年始にかけて泊まり込みで働いてた(職場で雪に閉じ込められて動けなかったとも言う)し、年始からあのキモい大家を見たくなかったこともあり、正月には会ってないんだが?
それでも「はっきり覚えてる」と言い張り、またもや水掛け論。挙句に「私はボケたといわれたことはない」「認知症と言われたことはない」「玄関に盗聴器でもつけないとだめだな」(それ犯罪・・・)「金を請求したからだめなんだな」とか一人合点をしている。
どうやら夢で見たことと現実の区別がついてない,と解釈するのがもっとも適切な気がしてきた。
前回、統合失調症との指摘があったけど、まさにその通りだったわけだ。
安くて広い、まぁまぁ良い物件だったけど、大家がこんな問題児では、いつ何をされるか分かったもんじゃない。
友人にも、早く出て他へ移った方が良い、と言われた。
いやま、その通り。
問題はお財布様が反対していることだ。。。
難しい。
恋人の時は泊まりっていったら非日常でルンルンしてたもんだけど家族となった今じゃ…ねぇってかんじ。
ちょっといらっとするときだってあるけどまぁ後でいえばいいか(いない時にやらかした跡を見つけることがあるので)とか思ってほったらかしてることがいくつもいくつも積み重なってきてもうほんとどうでもいいことで切れる。口に出して言えばいいとか思うじゃん?一つずつちゃんと冷静にいえばいいじゃんとか思うじゃん?思ってたわけよ。でも積もりつもてくると使った後のコップを流しに持ってってないってだけで切れる。てかさっき切れた。
夫からすりゃ青天の霹靂ですよ。自分だってそうですよ。なんか知んないけどどかーんって。自分から。なんだこりゃーみたいな。でもきれちゃった。夫正座。あの人困るとすぐ正座する。自分切れてるけど自分の中では「あれれれー?」とかいってる声がするわけですよ。なんかあの蝶ネクタイのメガネ坊主みたいな声でさ、「あれれー?このおねーさん話し合って冷静にすりあわせするとかいってたよねー?あれれー?」みたいなね。余計いらだつっつーねん!自分に!みたいな!もうがっくり。2分くらいでギブアップしてあーもー!とかいいながら手を握ってやった。ガッチリ握手。夫、は?みたいな顔してるけどちゃんと握手。手をつなぐの大事だぜ!ちょう大事だぜ!ちょっとおちついたからごめんこ!すまんこ!っていったら渋い顔でやめなさいって言われたけど気にしないぜ!
あんま一人になる時間がなくても気にならないタイプなんだけど、でも他人と暮らすのは難しいね。どうすりゃいいのかなぁ。とりあえず手をつないだら落ち着いた。手をつなぐって普段あんましないんだけど(というか最近つないでなかった気もする)結婚前から手をつなげば落ち着くんだったって思いだした。抱き合ったりセックスしたりしなくても手をつないでるだけで満足できてた頃があったんだよなーってことをしみじみと思い出したり。とりあえず夫提案は「イラっとモヤっとメモ」をトイレに貼っとけばいいんじゃね?とか言うことだったんだけどそれっていいんだろうか。まぁやってみるか。やり方考えるのは自分なんだよなーあの野郎。手の中に指ねじ込んでやる!いってくる!
どちらにせよ、それって当の夫氏にしかわからないことだから
話し合ってお互いの認識をすり合わせるのは必要なんじゃないのかなって思う。
たぶん夫氏からしたら今の状態でも青天の霹靂だよ。
泣きわめいたりするけれど、何が原因かはっきりわかっていない(いや、わかっていてやってたらオシマイだ)。
話し合う事によって、夫氏の態度を変えてしまうかもしれないけれど
それはそれ、そういうすり合わせをするのが夫婦だと思うよ。
自分だけでなく、お互いに納得した距離で歩み寄れるようにならなきゃ成り立たないよ。
元増田の場合「嫉妬」っていう大げさな事になっているけど
例えば、夫がお風呂にあんまり入らなくて臭いのが嫌、とかいうのってよくあるよね。
夫としてはこれは許容範囲なんだけど、妻としてはそれはアウト、みたいな。
だからといって夫は妻のことを全く考えずにお風呂に入らない訳ではないし、
妻も夫の存在そのものが嫌って訳じゃない。嫌だけど気を使って言えなくてフラストレーションが溜まる訳で。
きっと「お互い」の認識のズレだからひとりで抱え込まないのがいいと思うし
うわあっ。割引券が使えない増田だが、なんかややこしい話が伸びてんなあと思って眺めてたら、自分が起点になっててびっくりしたよ。
そんなん言える度胸があったら、その度胸で割引券を出して使ってみたいです。匿名で姿の見えないネットとはいえ、そのように強気な人物と混同して頂き、恐縮です。有難う。
言い返せません。
以前(といってももう数年前の話だけど)短期の語学留学みたいなので一緒になった人たちから、未だに時折メールがくるんだが、それが鬱陶しすぎる。
かかわってた期間はせいぜい2,3週間、それもずっと一緒だったわけではなくて、授業つーかクラスの後や休日に一緒に喋ったり出かけたりした程度。
たまたま到着日が同じだったからという理由だけでグルーピングされて。まぁ海外だし、心細いし群れたくなるのはわかる。実際他の国からきてた人たちも群れてたことが多かったし。
ただ、面白いことに2週間ほどすると自然とそういう群れの壁が消えていくのな。で、おいらもその輪から離れて他の国の人と話したりしてたんだが、そのグループの他の人たちはグループ意識が取れきれなかったらしく、なぜか違う日に到着してた日本人に対してはあまり同族意識はなかったみたい。
んで。おいらとしてはたかが数週間程度で友達感覚っていうのは生理的にすごく嫌で(たぶん非コミュだとかいろいろ言われれそうだけど、事実だから仕方ないしどうしようもない)、申し訳ないと思いつつも時間的な制約とかもあって連絡は適当にあしらってきてたので、もう連絡をくれることはないだろうと思ってたら、先日メールがきて。「壷買いませんか?」とか「宗教がー」とかな怪しげなネタじゃなくて内容はいたって普通で。まさに青天の霹靂というか。メール見た瞬間「なぜ?」と。
前に連れ(かれこれ10年以上のつきあい)とそういう友達感覚がどうのこうのという話になったときに、やつは数週間だけ知り合った人とでも普通に友達感覚としてつきあえると言い、最後に「自分って結構壁作るよね。やっぱりそこが大きいんじゃ?」と言われて。まぁ事実だし意識してるから特に反論というか「まぁそうかも」程度に流したんだけど(でもやっぱり比較的身近で見られてる人に言われると重みがあるというか)、普通の人の感覚だとたった2,3週間の付き合いだけで数年経ってもメールしたりするものなの?教えて増田。