例えば個人の価値観の中に「悪い度合い」みたいな物があったとしてさ。
0から100ぐらいの数値で示されるの。
ニュースとかを見る度、「ああ、この事件のこの加害者は、悪い度合い80だな」とか思っちゃう感じの。
で。ある事件の加害者少年の裁判での発言がテレビで報道されてて、まあ、見てる人は「悪い度合い」80ぐらいかなと思うわけだけど。
でもネットで調べてみるとそれがマスコミの偏向報道で、少年が言ったのは実際には「悪い度合い」50ぐらいのことだった。
みたいな事例があるとするじゃない。
でもその地点で、体感「悪い度合い」は、20ぐらいまで減ってると思うんだよね。
こういう罪も偏向報道は産んでいると思う
ほんと、「面倒くさい」としか言いようがないよな。
もういいよ。更生至上主義社会でいいよ。
いやあの……。それは重々分かってるから、だから、何とかしたいな、って話なんだけど……。
一般的にはたいしたことないとは思う。グロは、ダメだし。
ただ初めはフェラしてる漫画の一コマを見ただけで「嫌何これ!気持ち悪い!」とか言ってるくらいだったもんで
そんな私基準だから
このエントリ、もし男女逆だったら、たいしてトラバはついてなかったか、釣りっぽい同意レスがついて終わりだったろう。
男が感情的、非論理的、等、男を批判するようなエントリだと、エントリを書いた増田自身が悪いのではないか等、書いた増田に対し反発するようなレスがやたらにつく。少なくとも同意レスはつかない。
この現象自体が既に――、……いや、まあ、なんでもないw
過激って、どのくらい?
感情的にならずきちんと対話が出来る人がいいのだが、
これがなんとも、予想以上に少ない。
理系の人は、案外感情的になる人が多い(自分自身は感情的になっているとは露ほども思っていないようだが…)。対話も出来ない。ただ自分の主張を繰り返し押し付けるばかりで、相手の話を聞こうとはしない。
文系の人は、その時その時で話している、といった感じで、主張が一貫していない。中身がなく、ほとんどノリで話している。ノリで話しているため話が浅く、そのため少しでも突っ込まれると答えられず不機嫌になる。
無論、単なる経験から出した一般論に過ぎないが。大抵理系の人文系の人はこんな感じだった。落ち着いて対話、ただそれだけのことが出来る人が、案外少ない。どうやら彼女を作るのはまだ先の事になりそうだ。
初めのころはよかった。ぶっちゃけちょっとエロい程度の画像でいけた
ただそれが当然になってくると、今度はもう少し過激なのを求めるようになり、
それが繰り返され、より過激なジャンルを求め、私は進み続け、様々なジャンルを経て、
……今やかなり過激な物でもちっともその気にならなくなってしまった。
困った。オナニーしたいと思ってからオカズを探したりするのだが、
最早ちょっとやそっとのものではちっともその気に至らない。
別に男じゃないから、しなくても大丈夫っちゃ大丈夫だけど、
「その気にはなってないけどなんとなくオナりたい」という時、なんとなく不完全燃焼……
ああ……どうってことないエロ画像で興奮できてた日々に戻りたい……
なんか一周回ってただの絵画、ただの動画にしか見えなくなってきた……
美術館にいるときと同じテンションでエロ画像を見てしまっている。
あぁ……
何で日本では、いくつかの罪状が重なった際に、その中で一番罪状の重いものだけの罪を問う
という形をとっているんでしょうか?米国が全ていいとは思わないけど、合計懲役300年みたいな
判決が出てるのとか見ると、「あぁ、悪いことしやがったな」って思いますが、懲役25年では
25年したら出てくるの?みたいな・・・何かめんどくなってきた
私は人当たりが強いとは自分では思ってませんし、そこまで見当違いな突っ込みもしていないと自分では思いますが、まあ、そんな事をここで言った所で何ともしようがありませんからねぇ。私の言うことを信じていただくしかありません。実際の対話を見て、あなたがどう思うかは分かりません。あなたの言うとおり、私が至らないのかもしれません。ただ、私はそうは思わなかった、というだけです。
ちょっと関係ないけど、身内が殺されたら、加害者殺しに行きたくなるのは当然だぜ!みたいな人が多いから、私的救済の禁止が必要なんだねって思った。
殺したいのは分かるが自重しようぜ って言う。
あと罪刑法定主義も素敵です。
適切な手続きを経ずに「国民感情」任せで放っておくときっと大概の犯罪に対して、強力な罰則が科せられるようになってしまうのだろうから。
いましたよ。二人。
恋人がいたかどうかは知りませんが、その二人とはそもそも私自身恋人になりたいと思わなかったので(別に、対話がまともに出来る相手とみたら片っ端から交際を申し込んでいるわけではないので)彼らとはそのままです。
聞き上手になれ、自分の意見を言うな、という事ではないですよ。別に。
自分がその場にいたらどうするか、苦悩するとかいろいろあったんだろう。例の弁護士しかり、殴った警官しかり。けど、そんな苦悩や突発的な怒りとは程遠いところにいる人々は、そんなものをすっとばしてして行動する。単独では否定し難い正論をぶちあげたり。そして社会参加している自分に興奮を覚え、周囲と意見が一致していることに高揚感を味わう。集まってスポーツを観戦するのと同じ。そのくせ正しい事実をと叫んでいる。いやおまえ正しい事実なんて求めてないだろうってw
まあなんというか、正論過ぎるものはつまらない。ごもっともごもっと、けどね、、、という違和感。ついでにそんなにあつくなって疲れませんかって。
10代までならいいけど、40,50にもなってやっている人を見かけると、6時代には帰宅できる、うつむき加減で髪のうすくなったリーマンを思い浮かべる。
成熟っていっても一つの「正しい成熟の形」があるわけでもあるまい。
そんなに言うほどオタクじゃない一般人もそういう意味ではきちんと成熟している訳じゃなかったりしていたり、そういうのって画一的に考えられるように見えて、個人個人で驚くほど異なっていると思う。きちんとした歪んでない「成熟の形」があるというのがそもそも幻想で、というか、成熟というのが幻想に近くて、皆色んなコンプやらなにやら抱えながらどうにか社会と折り合いつけて、自分と折り合いつけて、そういったところのバランスが人によってバラバラなだけなんじゃないかなあ。いいにくいけど。
それが一般市民の正直なとこですよね。
そんな事は思ってはダメなんだろうとは小さい頃から薄々は分かっているけれども
納得なんかしちゃいない
もっともらしい論でいくら言われようが
うんざりするだけ
http://anond.hatelabo.jp/20070922220015
トップに立つやつは、もっと自分を客観視している。
俺みたいにな。
ワロタ。しかし痛々しいさが読後に残る。まじめなことを書いて最後に落とすという方向は間違っていないので、もう少しオチの研究をするといいよ。
「深夜の電車の中でピストル型ライターを使って遊んでいたガキを酔った警官が注意。警官逮捕」⇒警官が絶賛され、激励多数⇒実は注意する必要はなかった。酔っ払いの一方的暴力
光市事件。弁護士や被告が何か言うたびに袋叩き⇒一部(?)は誤解に基づくもの
こういった話はメディア・リテラシーの欠如、マスコミによる煽動の結果として語られる。みんなもっと読めと。が、後を絶たない。というか、間違っていたからといって反省する人は少ないように感じる。
「どんなことがあっても暴力はよくない」
はいはいそうですね。でも、もううんざり。
はいはいそうですね。でも、もううんざり。
馬鹿な行いや、人殺しをしてもすぐに殺されない福祉国家を支えてやっているのは、日々をまっとうに生きている国民なのだ。そのまっとうに生きている国民ばかりがバカを見る。付け上がったガキどもに不愉快な思いをさせられる。犯罪者に人生をめちゃめちゃにされる。もういい。うんざりだ。
「全部さっさと殺してしまえ」という声を「メディア・リテラシーが低いんですね」と棒読みで片付けるのはさぞかし気分がいいだろう。しかし、そんなあれこれを読むたびに、何ともいえないもやもやが、少しずつ澱のようにたまっていく。