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はてなキーワード: 走馬灯とは

2013-04-12

取れたはずと思ったところに執着が湧く

数か月前、とあるターミナル駅の近くのカフェ独身友達と、女子会と称してお茶を飲んでいた時のこと。

前の歩道を、天使のように可愛い小っちゃい女の子が、とても綺麗なお母さんの手を引きながら歩いていた。ふと、その子の表情が、パッと輝いて、「おとうさん!」と言いながら前のほうに駆けて行って、そこにいたお父さんがその子を抱っこして高い高いしていた。

もう37歳になる自分には、ひょっとしたら得られないであうそんな微笑ましい風景を見て、心なごみながらもまた少しの羨望を抱いたのは一瞬。その刹那の後、私の心は真っ黒になった。

高い高いしていたお父さんは、私の元上司だった。

社内きってのエリートトラブルさえなければ役員になるのはほぼ確実とまで言われている切れ者。私が彼の部下だった5年ほど前、独身だった彼に誘われて、何度か2人だけで飲みに行ったものだ。

「社内では後の問題があるから恋愛とかしない」が口癖だったくせに、2人だけだと甘えん坊で、私のことを綺麗とかしっかり者とかいつも褒めてくれていた。でも結局何もないまま、私はまだ独身

彼が結婚すると聞いた時は軽くショックで、もう少し私の方から強く行っていれば付き合ったりできたのかなとか、でもやっぱり遊ばれちゃってたかなとか、奥さんはどんな人かなとか、くよくよと思い悩んだこともあった。でもそんなことは記憶の底に沈めてこれまで忘れていたのに。

ああ、自分にはこんな幸せが巡りくるだろうかと思ったその幸せ感と軽い羨望が、満面の笑みを浮かべながら女の子を高い高いする彼を見たとたん、胸を衝くどす黒い嫉妬に変化して、走馬灯のように彼との時間が蘇った。

たぶん彼には何の咎もないし、まして彼の奥さんや娘さんには何のかかわりもない、単なる私の一人芝居。なのに、あの時の私の黒い感情は、私の人格を支配した。

あの家族があんなに幸せなのは許さない。

一緒にいた友達が「顔が怖いよ」と言ってくれたのに、私は破滅的な道を選んでしまった。

彼をあの綺麗な奥さんから、一瞬でもいいから奪ってやる。あの満面の笑みを、一瞬でもいいから私だけに向けさせてやる。

そう覚悟を決めてからは、あっけないほど簡単だった。絶対に秘密ですからね、とお願いしたら、控えめに喜びながら、彼は、私を、抱いてくれた。奥さんとは子供が生まれてからもう2年も関係がないそうだ。私からの誘いは、渡りに船だったらしい。彼のセックスはとても丁寧で、まじめな人柄をそのまま反映しているかのようだ。この素晴らしい男が、私の中で、私だけの中で、こんなに喜んであられもない姿をさらけ出し、優れた遺伝子を私に注いでくれていると思うと、私は誰にも言えない高ぶりを感じる。もちろんピルは飲んでいるけれども。何より、綺麗な奥さんよりも、可愛い子供よりも、私と過ごす時間が欲しいと彼が思ってくれるのは、だれにも言えないけれど、やはり優越感だ。

わかっている。これは単なる勘違いで、彼にとっては、口が堅くて、都合がいい時に抱けるだけの、ただの性欲処理なのだ。でも、彼に抱かれているその時間にだけは、この優れた男は、私だけのものなのだ

私の心の中に、あの時感じたのとは違う種類の、黒い感情が、彼に抱かれるたび、溜まってしまっている。私は、彼を破滅させるボタンを握っている。この関係を誰かに口にするだけでいいのだ。そしてこのボタンを押したら、彼は、奥さんにも会社にも愛想を尽かされて、私だけのものになるかもしれない、と。

でもたぶん私にはそれはできない。それができないからこそ、彼は私を抱き続けるのだ。

どこかに私を娶ってくれる男、いないかなぁ。

2013-03-23

数か月前、とあるターミナル駅の近くのカフェ独身友達と、女子会と称してお茶を飲んでいた時のこと。


前の歩道を、天使のように可愛い小っちゃい女の子が、とても綺麗なお母さんの手を引きながら歩いていた。

ふと、その子の表情が、パッと輝いて、「おとうさん!」と言いながら前のほうに駆けて行って、

そこにいたお父さんがその子を抱っこして高い高いしていた。


もう37歳になる自分には、ひょっとしたら得られないであうそんな微笑ましい風景を見て、

心なごみながらもまた少しの羨望を抱いたのは一瞬。その刹那の後、私の心は真っ黒になった。


高い高いしていたお父さんは、私の元上司だった。

社内きってのエリートトラブルさえなければ役員になるのはほぼ確実とまで言われている切れ者。

私が彼の部下だった5年ほど前、独身だった彼に誘われて、何度か2人だけで飲みに行ったものだ。

「社内では後の問題があるから恋愛とかしない」が口癖だったくせに、2人だけだと甘えん坊で、

私のことを綺麗とかしっかり者とかいつも褒めてくれていた。でも結局何もないまま、私はまだ独身


彼が結婚すると聞いた時は軽くショックで、もう少し私の方から強く行っていれば付き合ったり

できたのかなとか、でもやっぱり遊ばれちゃってたかなとか、奥さんはどんな人かなとか、

くよくよと思い悩んだこともあった。でもそんなことは記憶の底に沈めてこれまで忘れていたのに。


ああ、自分にはこんな幸せが巡りくるだろうかと思ったその幸せ感と軽い羨望が、満面の笑みを浮かべ

ながら女の子を高い高いする彼を見たとたん、胸を衝くどす黒い嫉妬に変化して、走馬灯のように

彼との時間が蘇った。


たぶん彼には何の咎もないし、まして彼の奥さんや娘さんには何のかかわりもない、単なる私の一人芝居。

なのに、あの時の私の黒い感情は、私の人格を支配した。


あの家族があんなに幸せなのは許さない。


一緒にいた友達が「顔が怖いよ」と言ってくれたのに、私は破滅的な道を選んでしまった。


彼をあの綺麗な奥さんから、一瞬でもいいから奪ってやる。あの満面の笑みを、一瞬でもいいから私だけに

向けさせてやる。


そう覚悟を決めてからは、あっけないほど簡単だった。絶対に秘密ですからね、とお願いしたら、控えめに

喜びながら、彼は、私を、抱いてくれた。奥さんとは子供が生まれてからもう2年も関係がないそうだ。

からの誘いは、渡りに船だったらしい。彼のセックスはとても丁寧で、まじめな人柄をそのまま反映

しているかのようだ。この素晴らしい男が、私の中で、私だけの中で、こんなに喜んであられもない姿を

さらけ出し、優れた遺伝子を私に放ってくれていると思うと、私は誰にも言えない高ぶりを感じる。

もちろんピルは飲んでいるけれども。何より、綺麗な奥さんよりも、可愛い子供よりも、私と過ごす時間

欲しいと彼が思ってくれるのは、だれにも言えないけれど、やはり優越感だ。


わかっている。これは単なる勘違いで、彼にとっては、口が堅くて、都合がいい時に抱けるだけの、

ただの性欲処理なのだ。でも、彼に抱かれているその時間にだけは、この優れた男は、私だけのものなのだ


私の心の中に、あの時感じたのとは違う種類の、黒い感情が、彼に抱かれるたび、溜まってしまっている。

私は、彼を破滅させるボタンを握っている。この関係を誰かに口にするだけでいいのだ。そしてこのボタン

押したら、彼は、奥さんにも会社にも愛想を尽かされて、私だけのものになるかもしれない、と。


でもたぶん私にはそれはできない。それができないからこそ、彼は私を抱き続けるのだ。

どこかに私を娶ってくれる男、いないかなぁ。

2013-03-18

遂にXPが逝った。

ニコニコ動画ランキングで上位にあった、メッシのゴールシーンを見ようと再生ボタンを押したら、コメントが一斉に右に詰まり、暫くしてブルーバック画面に切り替わった。所有するデスクトップは、僕の人生と同様に低スペでavastが何かしていたり、重いニコニコ動画を見てたりすると、たまに唐突ブルーバック画面になる。別にたいして驚きもせずに電源長押で消して再び押すとXPの画面になって何やら「CHKDSK is verifying file data (stage 1 of 3) 」とOSファイルを確認しだした。これがまた、よく止まるので、再び電源落として付けてを繰り返し、やっとのことで起動してくれた。まあ良かったと思い、chromeを立ち上げると再び「バン!」っと音がするかのごとく冷酷な「A problem has been detected~ 」のブルーバックスクリーンになった。今までここまでぶっ壊れることはなかった。

「こ・・ここまでひどい事態になることはなかった…」と、

PCと共有した過去の思い出が走馬灯のように出るのかと思ったがたいして何も出て来なかった。もっと真剣によくよく考えるともう8年もXP並びにPCは頑張ってくれていた。筐体表面もPC内部も暖房みたいに熱くなるし正直もう春だし寒さ対策としても十分よくやってくれた。いままで本当によく働いてくれたと思う。しか来年4月XPサポート終了なので、丁度いい機会だし、ここはこれまでの活躍感謝しつつも新しくそれなりのものを仕入れようと決意し街にくりだした。まず本屋に入りPC関連の雑誌をざっと眺めると4割ぐらいは、2000円もする雑誌で残りも1000円ぐらいする高めの雑誌が置いてあった。高齢者向けに高くしてあるのか知らないが、2000円の雑誌に囲まれると1000円もする雑誌が何故か安く感じられた。休憩がてらに喫茶店で読むのも悪くないと思い、すぐにゴミになる1000円もする無駄雑誌を買ってしまった。さっそく近くの初めて入る喫茶店で妙に甘ったるいアイスコーヒーと店内のたばこ臭さにイラッとしながら購入したての大して見るところもない無断に高い雑誌を取り出し熟読すると、SSDとかでも自作で3万ぐらいで十分組めると書いてあった。なので3万で購入することを目標にいざ電気屋へ行き交渉してみることにしたのだった。電気屋の中には中古PC屋のテナントが入っていたので、足るを知る僕としては軽やかな足取りで割りと狭い中古PCテナント内部をぐるりと一周し暫く眺めた後に、定員さんを捕まえて前述したブルーバックスクリーンになった経緯などを踏まえて談話をする。すると店員さん曰く、目標としていたSSD寿命が3年から4年とのことで5年は持つといわれているHDDよりは使用期間が短いと言われた。そして常に僕の視界に入って気になっていたのが、この中古PC屋の中で一番安い富士通PCだった。Core2Dueにwindows7が装備してあるメモリ1GBの代物で、色々と質問をくりだし結果、筐体が小さくてかわいいのし一番安いので購入することにした。定員さんにお願いして、メモリ1GBを追加で載せてもらって、さらに1TBの外付けも買った。今は外付け1TBが7000円で買えることに驚愕した。もろもろ合わせても全部で2万後半で済んだ。とても安くかったので前からしかったLogicoolのイリュミネーションキーボードとかもついでに買って帰ってきた。接続するとさくさく動いてメッシがゴールをする動画を見ても大丈夫だし、なんなら調子に乗って動画を4つぐらい開いてもクラッシュしない仕様だっだ。ゴミからゴミに変えたと思う人もいるかもしれないがゲームなどしないので、僕にはこれで十分過ぎるスペックだった。とても満足する買い物ができたと思う。

ちなみに今回買い換えていない、一切故障しない19型の液晶モニタは、今年8年目を迎えている。

2012-11-22

彼女理論でさとすのは難しいのかも。

自首してきました! - さかもと未明の和みカフェ

http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/159a617cd144cb588543fe9e9311c862

医者でもないのに診断をするのはどうかと思うけれど、

彼女が俺の身近な人だったら俺はどう判断するかという話で。

この記事とその前後の記事を見て思ったんだけど、

双極性障害の俺から見て同病の可能性が強いんじゃないかなあ、と。

もちろん、実際にそうであるかはわからないけど。

そう考えると彼女のとっている行動に説明が付きやすいんだよね。

なので、ここから下は彼女双極性障害だったらというフィクションの話。

多くの人が自明だと思っている正義

それに苦しめられて受け入れらない辛さ。

どちらが正しいなんて言い切れないもやもやした思い。

躁状態正義感ほど結びつくと厄介なものはないです。

赤ん坊の泣き声がトリガーになっちゃって爆発した時に、

そういう自分が抱えている問題意識にばーーーーって紐付いちゃう

導火線に火をつけたような速さで頭が回転するわけ。

自分の行動でこの世の中の矛盾に一石を投じなきゃって考える。

子供の泣き声は苦しいという立場を主張するけれど、

公平性を保とうという考え方が芽生えてくるから批判しつつ発言の責任を全面的に受けようとする。

世の中のルールって簡単に割り切れないけど、そんなことはおかまいなし。

あらゆるルールを超越した正解を見つけようとチョロQのように壁に反射しながら暴走する。

暴走している急カーブばかりの長い道筋は走ってきた当人には手にとるように理解できるんだけど、

からながめている普通の人はついていけない。

こんな状態で自分の主張が受け入れられるはずがない。

正常時にはそんなことを思っていました。

しかし、残念なことに今は「躁・状・態」なんです。

自分躁状態だと疑うことができません。

わかったとしても、頭の回転や観念ほとしりを止められません。

で、もし彼女が本当に躁状態だったらどうするのか?

彼女を説き伏せようなんて思っても無理です。

言っていることがおかしくても頭の働きが抜群に良くなっているので

逆に緻密な論理展開でやり込められる。

正義なんてどうでもいいから、なだめすかして騙して

彼女世間の刺激から離して治療を受けさせながらやりすごす。

そのうち躁状態からドスンとうつ状態に落ちる。

躁状態で高くジャンプするほど落ち込みもひどい。

これだけの騒ぎを起こしているから、そのダメージは相当なもの

布団で頭を抱えながら、自分のしたことを後悔し責め続ける。

物心ついてからの仕出かしが走馬灯のように頭を駆け巡り、

から晩まで涙を流しながら自分存在意義を否定する日々が続く。

まり彼女自分のしたことに対して勝手に罰を与えるんです。

相当ひどい罪を犯したならともかくも

発言に対する怒りに駆られて何かをする必要は全くない。

いつかはわからないけど確実にダメージは訪れるんだから

この事件で怒りを覚えて彼女に憎しみを持っている人は

火を取り囲んで「もっとふかーく、もっとながーく」と祈りを捧げながら

その様子をニヤニヤしながら眺めていればいいんですよ。

せめてそう思ってなんとか胸をなでおろしましょう。

そう、双極性障害ならね!

2012-09-14

新歓慕情。

中高と男子校の一貫校を卒業した僕は、取りも直さず童貞であった。

漫画は好きだが、二次元にどっぷりハマるというわけでもなく、熱烈に好きなアイドルがいるわけでもない。なんとなく陸上をやって、モンハンにハマって、受験勉強に追われていたら気づいたら大学生になっていた。悪友が手に入れた、女子高の文化祭プラチナチケットを握りしめ、行ってみたりもしたがナンパなんてできるわけもなく「清い」高校生活はあっという間に過ぎ去った。


4月入学式新歓コンパというイベントに巻き込まれた。入学式で隣の席になった同級生関ジャニの横内クンにちょっと似てる)とキャンパスを歩いていると、次から次へと歓迎会のビラが渡された。「ねぇ、君たちフットサルとかやってみない?」「とりあえず、飲み会だけでも来てみてよ!」と、僕らにビラを渡すのは決まって美人女子の先輩たちだった。僕はビビった。これが大学なのかと。今まで、話す女性母親、祖母、いとこの結婚してるお姉ちゃん。まあそれぐらいしかいなかったのに、なんだここは。と。そして、僕はこの世の春を感じていた。


さっそく、横内くんを誘い新歓コンパなるイベントに参加した。フットサルサークルなのに、なぜかやたらと女の子が多かった。意味がわからない。マネージャーなんて多くても3人くらいいれば事足りるだろうに、なぜこの飲み会の半数が女子なのだろうか。そんな疑問をかかえながら、新歓コンパの宴は始まった。


目の前では、浅黒く焼けたゴリラっぽい先輩(FUJIWARAフジモンにチョット似てる)が、次々といろんな1年生の女の子に楽しそうに話しかけていた。まったく女子と話したこと無い僕は、とりあえず座って砂肝の唐揚げを黙々とつついていた。時計の針は2時間が過ぎようとしていた。横内くんは1時間もしないうちにバイトがあるからと切り上げて行ってしまっていた。1人のときよりも、騒がしい輪の中のほうが、どうやら孤独は浮き彫りになるらしい。

やばい。劇的につまらない。そう思い始めたとき、酔っ払っているっぽい3年生の女の先輩(ちょっと芹那に似てる)が声をかけてきた。「君たち、なんでうちのサークルきたの??サッカーすきなの?」「うちのサークル可愛い子多いでしょ。絶対入った方がいいと思うよ!」「若いんだから、肉食べなダメたほうが良いよ。男子は肉食べないとね!」などなど、僕はまくし立てられた。そのたびに、はあ、とか、はいといった気のない返事しかできなかったが、芹那さんは僕の隣からなぜか動こうとせず、ずっとしゃべりまくっていた。

2件目に移動する話が出たころ、メンバーは1/3くらいに減っていた。帰るチャンスを芹那さんに完全に奪われた僕は、そのまま引っぱりこまれていた。2件目はひどかった。最初からイッキコールが始まった。急性アル中で問題がおこり、完全に無くなったもんだと思っていたが全然そんなことはなかった。飲みなれないお酒は、僕を酷く酔わせた。僕が飲みきれずむせ返ると、残った酒を芹那さんはかわりにイッキしていたようだったが、すぐに僕の記憶フェードアウトしていった。

目をさますと、そこは見たことのないボロボロの部屋だった。横にはゴリラ…もとい、フジモン先輩が転がっていた。全身に走る筋肉痛と飲み過ぎのムカムカした感じをこらえつつ起き上がるとフジモン先輩も起きだした。「おー、おはよう純ちゃん。昨日はやばかったなー。記憶全然ないんじゃないの?」と言うと、僕の消失した記憶を刻々と語りはじめた。酷くよっぱらった僕は、今まで一度も彼女が居ないこと、童貞であることを高らかに宣言してたという。そして、自分のことは「純血の戦士DT」と読んでくれと口走ったらしい。そして、最後は動けなくなった僕を芹那さんが、ずっと介抱してくれてたと教えられた。


あーーーーあーーーあーーー死にたい死にたい死にたい


僕は入学2週目にして、早くも鬱になりそうだった。とりあえず、芹那さんにまず謝ろうと昨日教えてもらったLINEメッセージを送ろうと思った。が。。。なんて書いたら良いか解らない。1時間書いては消してを繰り返し、最後に書けたのは「昨日は、すごい迷惑かけてしまってスミマセン!でも、本当に楽しかったです。」の一文だけだった。すぐに、芹那さんから返事がきた。「全然!こっちこそ、ほんとうに楽しかったよ。来週の木曜日の練習で会おうね!」というメッセージグッジョブをしているスタンプが送られてきた。


そらく、その瞬間だった。僕は芹那さんに恋に落ちた。そして、サークルに入ろうと決意した(邪な目的で)。


1週間後、練習に行ってみると打って変わって、女子が少なかった。でも芹那さんはそこに居た。白とピンクジャージがめちゃくちゃ似合っていて、可愛かった。僕は思わず見とれそうになったが、恥ずかしかったので気づかないふりをしていると「あ、純ちゃんきてくれたんだねー」と声をかけられた。どうやら、このサークルでの僕のあだ名純ちゃんで決まったようだった。

そして、あっという間に3ヶ月が経った。バーベキューしたり、他の大学試合したり、いろいろなイベント走馬灯のように一瞬で流れていった。芹那さんとは、毎日LINEメッセージするようになり、会話も普通にできるようになった。何回か、僕の家に遊びに来て飯(主に肉料理ばかり)を作ってくれたりもした。僕は嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらなかったが、告白して気まずくなることが怖く、特に付き合うみたいなことにはならなかった。


ええ。チキン野郎ですよ。でも、童貞にこんな夢のような時間訪れると思わないじゃないですか


8月も終わりの頃、夏休み実家に帰っていた芹那さんはお土産物を届けるといって、うちに遊びに来た。その日はなぜかゆるい関西弁だった。不思議に思った僕は、なんで関西弁なんですか?と聞くと「あ、神戸弁になっとうね。うちな親しくなると神戸弁ちゃうんよ」と答えて、にっこり笑った。


はい。無理!無理!無理!無理!

こんなん言われて、告白しない男なんて1人も居ないよ。

僕は、その日芹那さんに告白することを決意した。

帰り道、芹那さんを駅まで送る途中、東京では珍しく明るくて大きな満月が出ていた。僕は駅に着く直前の駐車場芹那さんを呼び止めた。一呼吸置き、喉から心臓が飛びでるんじゃないかと思うほど鼓動は高鳴り、頭は何をしゃべっていいか真っ白になっていた。でも、勇気をふりしぼり「芹那さん。初めて会った時から、ずっと好きでした。僕と付き合って下さい」と伝えた。

沈黙

「ごめん。うち、純ちゃんとは付き合えんのよ。」

と言われた。え???え???え???僕はパニックになった。なに?親しくなると神戸弁になるって言ったのあれなに?今日料理作ってくれたのとかなに??え?え???僕の理解の範疇を大きく超えた。動揺している僕に芹那さんは続けた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。純ちゃんのこと好きだったんよ。でも、神戸戻った時に昔好きだった人から付きあおう言われて。今は、その人が大事なの。実はうちな、去年からフジモンとつきおうとうよ。でも、フジモンめちゃ女の子好きで、浮気ばっかしてて二人になるといつも喧嘩ばっかりしとったん。」

全然サークルきてる時に普通にしてたから、全く気づかなかった!!

俺は馬鹿!?!?馬鹿なのか!?

「だからな、うちも遊んでやる!思って、純ちゃんち来たりしとったんよ。純ちゃんは、ほんと素直でいい子やなーっておもってて、フジモンと別れて純ちゃんとつきあっても良いかなあって思っとうたんだけど・・・

「ほんと、ゴメンナサイ。純ちゃん絶対うちより良い人彼女にできると思うから。本当にゴメンナサイ」

芹那さんが、そう言い終わるか、その前かに僕は居てもたっても居られず、「ん、わ、かり、まし、た」とようやく声をひねりだすと、きた道を泣きながら走って家に帰った。

ばーかばーかばーか。惚れた自分も、フジモンも、芹那さんも、芹那さんの新しい彼氏も、みんな死ね死ね死ね!!!

そんなんから、2週間経ちました。

僕の貞操はまだ守られております

2011-12-15

夜一通のメールが来た。

ちょうどその時洗濯物をしていたので、後で見ようと放置していた。

段落ついてから、この間飲んだ子からメールかも!

なんてちょっぴりドキドキしながらメールを見た。

差出人:母

タイトル:(文字化け入院

本文:左側が痺れてろれつがまわらなくて、軽い脳梗塞です心臓ペースメーカーを入れているので、MRIは使用できないので詳しい所まで検査が出来ないようです。〇〇病院の8階8H6に入院してます。あんたが来てくれたら元気になるかも(笑)

は?

一瞬意味がわからなかった。

ペースメーカー

脳梗塞

初めてその単語を聞いたかのように全く意味が分からなかった。

倒れたの?

いつ?

なんで?

ペースメーカーって即効いれるものなの?

心筋梗塞??

疑問で頭がいっぱいになった。

親父からは何の連絡も無い。

からの一通の携帯メールで病状を知るなんてあり得るか?

いくら仲良くない親子だったとしても。

メールの受信時間は21時30分。

現在22時。

時間前のメールだった。

洗濯してないですぐに見ればよかったと思った。

こういう時に限って間の悪いメールが来る。

よし、面会に行こう、すぐに。

そう思って病院の面会の時間を調べてみると、面会時間は20時迄。

今はもう23時。

今日はどうやら無理だ。

胸がざわつく。

軽く動揺してる?

でもそれほど慌てていない自分を少し冷たいと思った。

とにかく早く寝て明日病院へ行こう。

明日の朝行くよ。

と、メールして寝ることにした。

布団に入ってからもしばらく色々な思いが走馬灯の様に思い出されて眠れなかった。

まぶたのうらに母の麻痺して歪んだ顔がちらついた。

他に怪我はしてないかな?

親父はとても一人じゃやっていけないんじゃないか

また手伝わなきゃならないのかな?

早く結婚しておけばよかった。

こんな時に家族がいたらきっと心強かっただろう。


朝になった。

時刻はすでに8時を回っていた。

寒さで布団から出られないが、起きなきゃ。

でも、眠気に負ける。

ごめん、おかん、親不孝な俺を許して。

まどろみの中で問答を繰り返す。

10分後、二度目の目覚まし時計ベルが鳴ってやっと起きた。

仕事の支度を済ませる。

いつもは慌ただしい朝だけど、今日はずっと落ち着いていた。

旅行かばんが半分開けっ放しのままで廊下に置いてあった。

明日から旅行準備中だったのだ。

母の様態次第では旅行キャンセルだな。

車に乗り込みエンジンをかけ、一路病院へ向かった。

道中様々なことを考えた。

思えば、ここのところ立て続けに悪いことばかり起こってる。

不況会社をクビになり、実家の布団屋を継いだ。

その2ヵ月後祖母が突然倒れ他界

それから4ヵ月後、妹が離婚して子供3人と実家に戻ってきた。

継いでからちょうど1年後、自分は親父と喧嘩して家を飛び出し、今は運送業で働いている。

母の負担は一気に倍増したはずだ、辛労が祟ったのかもしれない。

俺も加害者だな。

すまない。

母方の親戚には結婚の事、仕事の事で色々言われていたので、また言われるかと思うと気分が重くなった。

病院までは家から15分ぐらい。

そこそこ大きな総合病院だった。

祖母が他界した病院とは違う病院だ。

S病院で祖母は他界した。

そのS病院では祖母の姉も亡くなっていた。

医者も足りず、ほとんど助からない…S病院のいい噂は聞かなかった。

きっと母はそこだけは避けたのだろうと思った。

病院駐車場へ止め、エンジンを切ってドアノブに手をかけた時だった。

昨日よりもずっと強く、悲しみが胸を貫き、涙がこみ上げてきた。

ここに来てようやく実感が湧いてきたらしい。

胸が苦しくなって嗚咽が出た。

しっかりしなきゃ。

母の前ではせめて笑おう。

足取りを確実に、メールに書いてあった8階8H6を目指し院内を奥へ進む。

途中エレベーターに乗り換える。

8階について、一際大きくなる不安と悲しみ。

ここに、変わり果てたおかんの姿が…。

そう思うと足取りがずっと重くなった。

エレベーターを出ると左手ナースステーション

ナースたちが朝のミーティングをしていた。

特に面会についての記述はなかったので、そのまま通りすぎた。

そこから先はE8F8G8H8と4方向に分かれていた。

どこにもH6なんて無い、間違えたのだろうか。

ちょうどそばにいた掃除のおばさんに尋ねてみると、H6は6階だと返答が返ってきた。

メールに書いてあったのは8階。

階は間違ってないだろう…もしかしたら8HとH8を間違えたのかも。

きっと意識朦朧としてるんだろう。

そう思ったら涙が出た。

H8廊下沿いには奥までずらっと両側に病室が並んでいた。

ナース掃除の人が忙しそうに働いている間を抜けて、部屋の上の番号を確認して一歩一歩進んでいく。

誰も自分に興味を示さない。


1…2…


途中目に入る病室の中は、

お歳をめしたご老人ばかりが目についた。


3…4…


近づいてきた。

心臓の鼓動がはっきりと響いてきた。


5…


次だ。


6。


ここだ。

部屋の入口に貼られた名札を確認する。

6人べやで上から順に名札を見ていく。

増田裕子を探した。

果たしてそこにあったのは


増田


公造


…それは爺さんの名前だった。

2011-09-27

増田さんの中には、精神病院に強制的に入院させられた人なんていないよね?

いるわけないよね。

友人が、でもいないか

知り合いが、はどうかな? 居てもそんなに親しくない知り合い程度ならそんな話しないから、知らないよね


強制と言っても、合法というわけじゃなく、措置入院医療保護入院じゃなく、手続き上は同意入院

自分はそこから逃げましたけど、毎日職員がどなりまくり、周りは本当に薬のんでる人ばかりで、ものすごいストレスで、胃か膵臓かよくわからないけど、背中の左下がかなり強く痛み、それ以来ずっと体調悪いです。 精神的にもそりゃものすごいトラウマです。しばらく数年は、働いたりして日常はこなしているものの、ずーーーーーっと、職員の怒鳴りや色々な事が浮かんできたり、という状態が続いてたし

逃げてすぐから2~3年くらいまでは、その病院の事だけじゃなくて、人間の死ぬ前に記憶走馬灯のように蘇るという状態みたいに、色々な事が浮かんだりしてました。責めてる感じでばかりではありませんが、過去記憶が責めるように浮かんだりという事もありました。そこに入れられる前はそんな事はありませんでした。自分だけ逃げてしまったという中に居る人への罪悪感のようなものもすごくありました。

その頃は、逃げてからずっとそうでしたが、対人恐怖、や不安感はずっとありました。怖さを感じながらもずっとそのまま、したいことよりもするべきこと(でしたっけ?森田療法でもいうやつ)をやってきました。

例えば、何が怖いか書き出して、そうならないようにするとか、

どういう事かと言うと、明日をも知れぬ運命、みたいなところはずっとあったので、これからどうするか、みたいなのを、書いて、今のこの状況はどこがどう不都合で、それを回避する方法は、こういうのとこういうのがあって、それをやるにはこういうメリットとこういう問題点があって、みたいな感じ

例えば、寮がある派遣(正確には業務請負)で働いてたとして、その土地寒いから体の調子が悪いとか、困った上役がいるとか、ではそこからどうやって転職するか、色々条件を書いてシュミレーションしてみたり

普通 みたいな事を考えなくなってて、(普通というのは、感覚的に人が普通感覚として捉えてあまり考えない部分とか、周りを見て合わせてる部分とか。うまく言い表せてないけど、フツウ何々だよね~みたいな)

ずーーっと何かが浮かんでくるという状況でも、割合平気だったのは、一度に2つの事ができないわけじゃないのと同じで、例えば歩きながらものを考えるとか、浮かんでくててもそれはそれとして、別の領域を使って作業するみたいな。

どうして、こうなるのかは、おそらく情報を求めて脳が検索してるのが、止まらいからじゃないかなと思った。何か新しい情報とか、気を逸らすような情報を入れれば良いのでは無いかと思って、そうしてた事もあった。

割合平気と書いたけど平気でもなくて、歩いてて止まってしまう(比喩じゃなくて)ような時もあった

普通記憶走馬灯のように、というのと、病院でのショックな事が浮かんでくるのとではまた違うのではないかと思った。強烈なショックを受けるとは、ちゃんと調べたわけではないしあくまで仮説だけど、脳内ホルモンが大量に放出されている状態なんじゃないかと思った。(脳内ホルモン脳内麻薬脳内物質?正確にはわからない、良い感情だけじゃないか脳内麻薬物質というのともちょっと違うかもと思ったので。 それとも強烈な体験と言うのはそれを癒すために脳内麻薬物質放出されてるのかもしれない。結局一緒かな。  でも、脳内麻薬擬似物質はいえ、体に害は無くても、やっぱり何かが壊れてしまったり調子が狂ったりという事はあるのではないかと思う。)

うまくいえないんだけど、普通に落ち着いてものが選べるような状況で、閉鎖的な状態に置かれているとかでなければ、人は感じたくないものを感じないし、心は開きたいものに開くだろうから無意識に閉じたり開いたり、ちょうど服を脱ぎ着するようにやってるんじゃないかと思う。 ショックを受けた時というのは、それができなくなって、心が開きっぱなしになってしまって、それで付け困れたりするのではないかと思ったりもする。






相談でこういうのもあるし

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1274109.html 友人が両親に精神病院入院させられました。長年両親に虐待を受ける側だったのですが、警察相談したところ、けしからんという理由だそうです。その病院は、周りから評判が悪いし、薬の過剰摂取強制と暴力で知れ渡っています

2011-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20110428095231

おれのことかと思って鳥肌たったわ。

でもおれはろくでもないしょぼくれた寂しい人生を歩んでるから安心してくれ。

それにおれは結局両方失った。

全てが終わったときに一人だったわ。

いや、失ったというのは都合のいい言い方だったわ。

自ら捨てたんだ。

そのくせ今でもその事を悔いて、おセンチになったりしてる。

捨てた女が忘れられないでいる。

どちらももう新しい人生を歩んでいるのに。

人間のクズだ。おれは。

最初からクズだったわ。

今ではいっしょに映画をみて笑ってくれるヒトもいない。

会社と家をいったりきたりするだけ。

冷めたコンビニ弁当を流しこんで、眠るだけ。

風呂を洗ってくれるヒトもいない。

脱ぎ散らかした服をたたんでくれるヒトもいない。

布団に潜り込めば、幸せだと思い込んでいた時期が走馬灯のように巡って眠れない。

携帯電話何度も手にとってはため息を吐いて諦める。

そういう人生を歩んでるから元増田は安心して眠るといいよ。

2011-03-25

不謹慎震災の話。災い転じて福となしちゃった場合ケーススタディ

私の心の中にはいつも1人の救世主が住んでいます。

最初救世主小学校1年の時に好きだった初恋の相手。

直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました

時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした

ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、

私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました

そう、夢の中で。

あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?

とっくに忘れていたつもりだったのに。

しかも付き合っている彼氏もいる。

その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては

心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます

もしかして恋愛感情が残っている?

20歳にさしかかろうというまだ若かったその時期には、

そんな風に考えてみたりもしました

学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました

その後私は

いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、

いろんな人に失恋し、玉砕して自暴自棄になって暴れたりとか

その時その時を全力で

楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました

そしてある日、

初恋の相手は夢にでてこなくなりました

その代わり、今後は別の人が現れるようになりました

その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。

たまたま呼ばれたオフ会で呼ばれて出会った相手です

その日は普通に会話をし、

なんか一発殴られたような気もしました

気にせず帰ってきました

その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、

PCに疎かった私にいろんなことを教えてくれました

この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、

とりたてて恋愛感情などというものを感じていたわけではな

ただただ、会話するのが楽しくて

毎日のようにとりとめのない話をしていたと記憶しています。

それどころかいつも怒られてばかりで

というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのです

3回に1度は平謝りに謝まってばかりだったと記憶しています。

その人が突然夢の中にでてくるようになったことは

本人には口が裂けても言えません。

言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。

また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして

私だけの秘密にしておくことにしました

ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ

と、自分自分を責めてあげたいことをやらかししまったのです

酔った勢いで、決定的とも言えるべき非常識な暴挙にでてしま

完全無欠に怒らせてしまいました

平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず

ただただ自分のバカさ加減に愛想をつかすしかなかったのです

なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって

目頭が熱くなるようなうしいことをジャンジャンやらかしていくのです

から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて

冷え性の私に、とても良い血行状態を与えてくれるのです

定期的に夢の中にはでてきてくれますが、

実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました

そしてあの、忌まわしい311東日本大震災が起きたのです

揺れがきたとき、私は忘れ物をとりに自宅に戻っていました

このままちょっと一休一休みと、

パソコンで少し作業をした後、

ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです

ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、

体感震度と心の震度ボルテージは最高潮に達し、

「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」

という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました

棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります

ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので

あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく

新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたかです

揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました

目の前の家の瓦屋根の瓦が全て落ちてしまっています。

そして子どもの泣き声が。

2つ先の部屋に住んでいる子でした

ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。

小学生女の子ワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。

とりあえず避難だ!

幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました

一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました

避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました

倒壊すると思い込んでいた建物も無事のようです

「私まだ、生かされてる」

再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました

私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました

「そういえばあの人、大丈夫だったかな?」

真っ先にあの人のことが浮かんできました

今更連絡なんてできないしなー

ていうか私のことなんでもう記憶から抹消されてんだろうなー

なんて思いながら、幸い停電することもなかったので

電源がついたままのパソコンの前に座りました

ここで奇跡が起きたのです

つなぎっぱなしだったメッセンジャーから着信メッセージ

なんと、あの人からのメッセージ地震直後に入っていたのです

「だいじょうぶだったか?」

たった一言

たったその一言だけなのに

これほど心にズシンと響いた言葉はありませんでした

この付近では震度6強記録したそうですが、それ以上です

不謹慎ながら「揺れといてよかった」と思ってしまいました

まだオンラインっぽかったので、

「だいじょうぶだよ」とメッセージを送信してみました

なんと返事が返ってきました

2.3年ぶりの会話です

お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ

最後

「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」

と送信しました

「絶対やだ」

と帰ってきました

うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です

夢の中でいつも助けてもらっていること、

すごくごめんなさいってずっと思っていたこと

言いたいことはたくさんあったけど、

あえて言う必要はありません。

あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。

けど、その一言にどんなに救われた思いがしたか、

全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、

逆に負担をかけてしまうことになります

というか

ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに

またほどけてしまいそうで本当はすごく怖かったのです

でもだけど

心って結構通じるんじゃね?

って思えたことは事実だし、

「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。

何気ない一言が、実は誰かを救っているかもしれない。

知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。

人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。

私の心の中の救世主は、そんなことはまったく我関せずに

今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。

この気持ちってどう表現したらいいのだろう?

恋愛のそれとはまた別かもしれないし

やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。

心が勝手偶像崇拝しているみたいな感じ?

ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、

かに言わずにはいられなくなってしまいました

今回の大震災で心を病み

生きる目的とか、生きる意味とか

あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。

人と人は繋がっていて

自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。

それ自体が人が人として生きていく存在意義なのである

ということを。

で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?

これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので

それだけは墓場まで持っていく所存でございます。

2009-11-25

幾ら不景気でも...。

酒だけは止められそうに無い。

タバコは止めるつもりだ。(と言いつつ実にコレ難しいのであるが・笑)

増税の気配も有るが、職場で吸えなくなる環境が整えられつつあるのが最たる理由だ。

仕事中はあまり吸わない方なのだが...。(朝起きて3本。昼休みに3本。帰って...。1日約1箱のペース・汗)

安上がりな酒はウォッカジンマイヤーズ・ダーク等を好きなジュースで割る事だが、

上手く酒に合うジュースは何かこう...。走馬灯のように消えてしまう運命なのか(笑)

この度サントリーからピンク色のジンジャーエールが出たが、果たして...。

                       〜T/H

2008-10-01

ネットが何故かつながらなくて

色々試したけどダメ。お手上げ。

で、ネットで今やることって、別に何もないんよ。寧ろやりすぎだから、しばらくやらないほうがいいくらいなんよ。どうせろくなことやってないし。なのに、なんか心細いのね。意図的にやめてるときとは違う。あれは「やろうと思えばやれる」っていう安心感があったんだろうと思う。それが今はない。普通に出来ない。それがなんか妙に不安で。何度も再起動する。しかしだめ。「なんでだよ……」と一種の軽い絶望感。

つながらない、となると、なんか走馬灯のようにネットのいいところが浮かんできた。

あぁ、はてなのやつら、元気でやってっかな。

今日はてブでは、色んな話題でヤーヤーやってるのかな。くわわりたいな。

あぁ、今日もほら、あんな失言をやっていたよ。はてなではどう反応しているのかな。皆どういうコメントをつけているかな。あのお気に入りにいれたはてダは、何か新エントリを書いたかな。

ああ、今テレビでやってたあれ、調べたいな。googleがあれば、すぐ調べられるのにな。何だろうな。気になるな。

あぁ、増田今日体験したこと書きたいな。何かコメントつくかな。ブクマつくかな。

あのサイトどうしてるかな。2chのあのスレに、そういえばレスかきっぱなしたままだ。

皆、どうしているのかな……

で、なぜか今、突然復活した。

一瞬狂喜乱舞。はてなのみんな!やあボクだよ!待ってたかい!ごめんね!実はつながらなくて!とか思いながら色々見て、お気に入りとか見て、……で、一瞬でやることがなくなった。

ていうかもともと別にやることなんてなかったのだから当たり前だ。

なんとなくそのままPCの前で陣取る自分。

でもやることない。なんとなくはてブをみたりする。

増田エントリかいちゃれ!

2chのあのスレいってみっか。

……

そんなかんじで過ごして。

……こんな時間だよ。

ネットをつかえなかった昨日はそれは規則正しい生活をしたよ。日付が変わる前に寝て、朝早く起きて、ちょっと凝った朝ごはんなぞ作ってみたりして、帰ってからもやることないからそういえば買ったけどよんでなかったっていう本読んだりして。

健康的。超健康的。ストレスも、「ネットつながんねぇ、なんで!?」っていうもの以外はなかった。ムダにはてな2chで新しい刺激的な話題にわざわざつっかかって、プンスカしたりギギギ…ってなったりしないから。精神健康上とてもよかった。でもどこか不安で心細くもあった。それはネットが繋がったら確かに解消された、しかし同時に背負い込む必要性のないイライラまで背負ってしまった。

ちょっとまて。理性的に考えると、どう考えても調べ物等必要な時以外これはネットすべきじゃない、自分は。

なのにこんなん……なってる……自分は……

何?ネット中毒一歩手前?

あばばばば

なんか怖い。

ネットやってないと世界と繋がってない感に襲われるんだよね。何だろう。そんなはずないのに。外出てるんだから、毎日。

一人ぼっち」感が凄い。友達いないからか?

でもネットいくと同じような一人ぼっちと敵対しあって消耗しあって終わってるだけで全然面白くないんだけど

なんか不毛

リアルが上手くいってないってことか?要は??

これで何度目だろう、「ネットやめる!」って言ったのは。

あーーーーーーーホントやめたい。ネット

2008-03-26

石転ぶ夜

もし深夜の散歩の途中で足もとがよく見えずにドンッて感じの石にズテッと転んだとしよう。というか転ぶ。

すると頭の中がぐるぐる周りだすんだ。見覚えのあるぐるぐる。このぐるぐるは小学生のころに見たぐるぐるだよ。

ゲーム版ウルトラマンを起動させたときのぐるぐるなんだよ。

つまりはテレビOPの、赤とか黄色とかが交じり合ってできるウルトラマンの文字。あのぐるぐる。

でも、私の頭のぐるぐるは「ウルトラマン」の文字を作らない。私のぐるぐるが作り出す文字は「お前死亡」。でーん!

そして0コンマ何秒の世界で今までの人生を旅する。今まで出あった色んな人の顔が現れては消えるよ。

お母さん、お父さん、名前覚えてない、名前覚えてない、名前覚えてない、怖い顔のお父さん、新しいお父さん。

そして、最後の最後。走馬灯クライマックス。0コンマ何秒前の転ぶ瞬間がまた繰り返されそうになったその時! 

私を地獄の底に突き落とし、前途ある若者未来を理不尽にも奪い、すべてを亡き者にする死神、つまり石がこう語りかける。

「泣いて泣いて鼻水すすって泣いて。それほどの悔いが残っているんなら、譲歩してやらんでもない」

ジョーホって何ぞや。こうして私は死にました。

2008-03-13

人は死ぬ直前「初恋の人」がよぎるか

絶命する瞬間じぶんはどのようなことを思いどのようなことを感じているかというのを考える。

以前車に引かれかけたとき少し肝が冷えたのは覚えているのだが、何を思ったかは覚えていない。

部屋で転び倒れかけた場所にとがった物体があったときなども肝が冷えはしたが何を思ったかは覚えていない。

何も考えていなかったかもしれない。もしくはその寸前のみ無心でいたのかもしれない。

走馬灯という現象はフィクションの中や伝聞情報において見かけるが体験した覚えはとんとない。

これまでの人生を振り返ることなどこれまでの危機的状況においては対峙したことなどない。

大切なものを思い起こして死ぬんじゃないかと思いはするが自己の体験においてはまさしく無心なのだ。

もし死ぬ瞬間頭の中は空っぽであったなら死は恐れることでのみ恐怖の存在なのではないか。

死ぬことについての格言やらの受け売りだけど、死ぬこと想像することによってのみ恐怖足りうるのだろう。

だけどちょっと待てよ。死ぬ瞬間何も考えないのは寂しくないか?

大切なものすらどこか彼方にすっ飛んで無心で死ぬなんてもったいないだろ。

そう考えて僕は思った。

「せめて好きだった子くらい思い出しておきたいよなあ」

いま隕石が降り注いだなら僕は思い出に浸りつつ逝けるだろう。

死ぬ寸前僕はその考えを巡らし結論にたどり着いたとき足元が。ふわっと。意識がとんだ。

あとのフェスティバルだ。ルー大柴がまぶたの裏で微笑んでいた。

2007-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20070916052645

しあわせ話・・・そうですね。

結婚してから食事の支度をするんですけどいつも”いただきます”とか”おごちそうさま”をいうことがなくて

最初は、まぁいいっか っていう気持ちでいたのが だんだん時間の経過とともに積もり積もって感謝がないじゃないか!って苛立つようになってしまって

食事のときは食べ物や作ってくれた人に感謝して食べるように

親・学校でそう躾けられて育ってきました。育ってきた環境が違うとはいえ 人として身につけておくべきこと。

「食事を作ったからといって恩着せがましくいうつもりはないんだけど、気持ちはなくていいから”いただきます”とか”おごちそうさま”っていうようにしようよ」と持ちかけてみたのです。

「そんなさぁ、毎回毎回言うのしんどいよ!会社できつい目にあってるんだからさぁ。その辺お前理解しろよ!」主人は逆切れでした。

怒りが収まらず延々と話すので打ち切ろうと「もういいよ、いいよ」と。

どこがしあわせ話か?って言われそうですが続きがあって・・・

二人で遠出した帰りのことです。

主人「いつもありがとな。」

私「なんで急にそんなこというの?」

主人「なんとなく。いつもいわないけどとても感謝しているよ。お前を嫁にしてよかった。」

今までのことが走馬灯のように頭を巡り思い出されて、ポロポロ涙が溢れて落ちてきました。

最近 おいしかったよ ご馳走さんと言ってくれるようになってきました。

そういう部分があるから、人としてこれから成長していってくれるかもしれないと別れずに傍にいれるのかもしれません。

2007-04-06

ヨーグルッペ

映画秒速5センチメートル」を見てきた。

感想云々はなしにして、映画の中でヨーグルッペが出てきて吹きかけてしまった。

ヨーグルッペは中学の頃、購買に売っていたパックの乳飲料

中学にあがって、給食から弁当になり購買ではパンが売っていた。

パンの名前が今思えばすごい適当だったのを覚えている。

スイスアメリカンやら何故か国名がついているパンが多くあった。

ヨーグルッペは僕らの中では飲んでないと死刑ぐらい、飲まれていた。

ヨーグルッペが、映画に出てきた瞬間、中学の思い出が走馬灯のように甦った。

懐かしいやら、思い出したくないやら、中身の濃かった三年間

せっかくの映画が、ヨーグルッペが出てくるときだけ、別の世界に迷い込んでしまった。

2007-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20070405005704

>「死ぬ間際に見た走馬灯だった」という話のオチ方

普通にあるよ

新オチ「走馬灯

http://anond.hatelabo.jp/20070404215143

これ見て思ったが、「死ぬ間際に見た走馬灯だった」という話のオチ方って夢オチなみに適用可能じゃないか。

楽しい話だったら、楽しい思い出が想起されたから

不条理な話だったら、もう脳みそがおかしくなってたから

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