はてなキーワード: 賛否両論とは
声優の明坂聡美さん、一部フォロワーに苦言「一生懸命作った作品を見てない事を返信してくるのはどうかと」 : はちま起稿
http://blog.esuteru.com/archives/5621373.html
畑亜貴さん『アイドルマスター』用に書き下ろした楽曲タイトルをメーカーに勝手に変更され、Twitterで激怒|やらおん!
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6169.html
最近目に付いた2件。共通するのは「俺(達)の気持ちを考えろ」というクリエイターの怒り。
これらへの反応は賛否両論ある感じだが、興味のない人は反応しないので、反応してるのは大抵信者かアンチ。まともと思われる意見は殆ど見られない。それに加えて一般消費者ではクリエイターの気持ちや事情がわからないため、的を大きく外している言論が殆ど。
まあそのことはどうでもよく、俺が気になっているのは「クリエイターの怒り」について。これは「クリエイターの思い上がり」から来るものではないかと。
クリエイターという職業は「なるのに努力と才能が必要」「なれる人の数が少ない」「信者がつく」などの要素があるためか、「クリエイターは偉い、俺は偉い」と勘違いする人が後を絶たない、気がする。
明坂さんにしても畑さんにしても今回の根本にあるのは「俺らが苦労して作ったものに敬意を払え、気を遣え」という主張である。これは本人達にとってはもちろんその通りであろうが、それをさも当然のこととし公衆に発信してどうすんだよ。非常に大人気ない、頭が悪いと感じる。
お前らが苦労したから尊いのか?違うだろ、価値は受け手が決めるものであり、世間が判断するものだ。クリエイターの自己満なんかはどうでもよく、世の中に需要があるものを作れたかどうかで、仕事が判断されるのだ。
ライブに行かない、作品を見ないというのは人々にとってそれだけの価値がないからだ。注いだ心血は、少なくとも直接的には関係がない。
タイトルが変えられたのはクライアントが元のタイトルに満足しなかったからだ。相手の望みにかなう納品をすることができなかったのだ。
(ちなみに後者については著作者人格権の同一性保持権の存在によりバンナムがアウト、という中途半端な知識による見解がコメントなどで見られるが、通常買い取り契約では「著作者人格権は行使しない」の一文が添えられていることが多く、もしそうであれば改変は法的に問題ない。通達すべきであるというのはまた別の話)
そもそもクリエイターとは通常、娯楽に関する商品を作る人のことである。娯楽とは、それと同じものがなくても死ぬことはない。現代社会において第一次、第二次産業に従事する人の割合は少なく、殆どの人は「生きるのに不要なサービス」を作ったり売ることで生計を立てている。つまり自分の特技を生かして「好きなこと」をして食ってるクリエイターという職業は、世の中の豊かさを享受することで初めて成り立っている余計な職業なのである。偉くなんかない、むしろ世間に食わしてもらっている立場だ。最近話題になった、自炊に反対する漫画家集団なんかもそうだが、お前らが勝手に作ったものがお前らの望み通りに消費されないからと言って、世間に対して堂々と怒るのは可笑しく、恥ずかしいことだ。作った者としては当然の感情だが、開き直ってさらけ出すべきものとは思えない。
クリエイターは自分の狭い視点以外で、自分の仕事についてよく考えてみるべきだと思う。俺自身もクリエイターとしてそう思う。
文筆は本業ではないので、乱文失礼した。
一時期、PUNKにはまってたことがある。HR/HMを聴くことに疲れたときに、PUNKを聴くと元気が出た。毎月CD屋に行っては、視聴コーナーに陣取って、聞いたこともないバンドのCDを買っていた。
そんなときに買ったものの一つに、"Welcome To The Looserville / Son Of Dork"がある。日本発売は2006/02/22。ライナーノーツを見ると何か書いてあるんだけど、まあ詳しい経緯は置いておいて、このアルバムにも収録されている"Ticket Outta Loserville"(ほぼアルバムタイトルですね)は、en/Wikipediaにもある通りUKで初登場三位になったらしい。実際に聴くと、ポップで明るくて単純にいい曲なんだけどね。オマージュ云々はこの界隈の標準だし。しかし、このバンドは全く日本では流行らなかった。当時まだ、BURRNとか毎月読んでたころだと思うけど、特集記事を読んだ記憶もない。
そんなこともまあどうでもいい。所詮UK三位くらいじゃニュースバリューも小さいのかもね。でも、その"Ticket Outta Loserville"の歌詞は実は結構Nerdっぽかった。概ね、"17歳のときにフットボールチームに入れなくてチェス・クラブの会報を作っていたような人間だけど王様ゲームで周りに爆笑されながらデートに誘ったら上手くいって夢みたいで信じられないけどマジっぽいからもうSTAR TREKのコレクションはいらないからしまっちゃったんだけどマジになったらフラれちゃって夜になっても叫んで目を覚ます状態なのにスコッティは助言もしてくれないしまたSTAR TREKのコレクションを出してそろそろ諦めないとね"、という感じ。これは賛否両論いろんな意味で日本のサブカル界隈でも盛り上がるのでは、と思ったこともあったんだが、実際はそこでもまったく盛り上がらず。そのころは、"ハレ晴れユカイ"のオリコンランキング入りで忙しかったらしいね、その界隈は。
そのときにいわゆるオタクに対して思ったんだけど、「こいつら偉そうにいろんなこと言ってるけど、本当のところは自分の周りのチャンネル以外は全然見ていないし、かなりアンテナ低いんじゃねーの」って言われても仕方ないのでは。だって一応UK三位だぜ。それに比べて(文庫は名作と言えるかもしれないが)ハルヒのアニメの主題歌(EDか)ごときがなんだってのさ。
#なんだかんだでニコ動にはあるみたいだけど、あること自体が著作権侵害的にどうだかっていう感じだしそもそもアップロード自体が日本発売からも遅いし盛り上がってもいないしなんなんだって感じ。
CDをたくさん持っていた。iTunesに手持ちのCDを入れる作業の途中で嫌気がさして、そのままになっていたのを前の休みに完了させた。
その中にあった小沢健二のCD、気が向いてかけてみたらやっぱり好きで、今週ずっとオザケン聴いてる。地元の田舎で暮らしてて、東京に憧れまくっていた気持ちを思い出して泣きそうになってしまった(大学で東京に出て、就職して、何年かして実家に帰って来た今だから余計そうなのかも。東京では挫折をしたから)。
それとは別に、やっぱりオザケンいいなあと思う。賛否両論ある人だとは思うし、自分の評価は思春期の感傷を含んだものだからある意味アンフェアだとは思うけど、やっぱり心を揺さぶる。そうやって聴きながら、どんな年代であっても皆それぞれその年代のヒット曲とか覚えていて、好きな曲や思い出の曲があって、イントロが流れたら涙腺に来るような曲があるんだろうなと思った。今の子はどんな曲がそういう記憶になるんだろうな。
好きな音楽を聴くっていいな、歌詞を口ずさめるような歌があるっていいなと思ったから、感傷にまかせて書いてみた。はてなの人たちにもそれぞれそんな曲があるのかなと思うと、なんかみんなが友達みたいに思えるよ。
【生放送】【2日で】テイルズオブエクシリアPart10【60万Hitだと!?】 を開始しました。 http://nico.ms/lv63272018 #lv63272018
http://twitter.com/Gl_Nyan/status/112190298519650304
新作ゲームの配信について賛否両論がある(むしろ否定派のが多い)けど、生放送に至っては見たくなければ見るなっていう状況が成立するんだし、その放送を見ることによって購入意欲が増える可能性もあるわけじゃん。逆もしかりだけど、プラス効果の方が大きいと思うのよね
http://twitter.com/Gl_Nyan/status/112235035041595392
見たくない人は見なくてもいいシステムになってるんだし、文句言うならもとから開かなきゃいいだけでしょ。
http://twitter.com/Gl_Nyan/status/112235829388251136
世界にそのゲームを配信することで、何とか権がどーのって言う話があるのかねぇ。それでダメなら言うことはないけども
http://twitter.com/Gl_Nyan/status/112236547826401280
以下、まとめ箇条書き。
・否定派のほうが多い。配信者に対して文句を言う人もいる。
・生放送に至っては見たくなければ見るなっていう状況が成立する。文句言うなら開かなきゃいいだけ。
・その放送をみることで購入意欲が増える可能性もある。逆もしかり。しかし、プラス効果のほうが大きい。
以下、4コママンガみたいな平易な私見。
※「配信」とは、ゲームのプレイ動画をインターネットを介して、不特定多数の人間に公開することを指す。
※「新作」と「旧作」との比較は、同一のゲームソフトで行うとする。
つまり、同じゲームソフトを発売日当日に配信するのと、発売日の幾年か後に配信する場合の比較である。
1.ゲームは発売直前と直後、「新作」と呼ばれる時期に人々の興味と購買欲が大きく高まる。
2.発売日をピークに、そのゲームに注目する人が一時的に増え、そのゲームを取り扱う様々なもの、動画配信にも注目が集まる。
3.注目する人が増えると、意見を持って発信する人の数が増える。
『新作ゲームは、旧作ゲームに比べてたくさんの人が注目しているから、それに対する意見の送受機会が増える。だから賛否両論がある』
1.注目度が高いため、新作であるうちはそのゲームの中身を知りたがる人がそれなりの数いる。
2.配信を見ることによって、「興味はあるけど買うまでもないな」と思った人が、お金を払わずにゲームの中身を知ることができる。
3.注目している人が多いので、お金を払わないでゲームの中身を知りたいと思う人も多くいる。
『新作ゲームは、旧作ゲームに比べてたくさんの人が注目しているから、その中身を無料で知りたいと思う人がたくさんいる。だから賛成意見がある』
1.ゲームの一番の稼ぎどきである新作時期にゲームの中身を無料で配信されてしまっては困る人、嫌な気持ちになる人がいる、と思う人がいる。
2.ゲームの中身を売っている人は、誰かの勝手なゲーム配信によってゲームの購入者を減らされ、制作費や利益の回収ができなくなる。
3.ゲームをお金を払って買った人は、無料のゲーム配信から生まれる無料でゲームの中身を得られる人に不平等を感じて、嫌な気持ちになる。
4.ゲームが新作であるうちにこれらのことが起きると、注目している人が多いので、たくさん困る人がいたり、嫌な気持ちになる人がたくさんいる、と思う人がたくさんいる。
『新作ゲームは、旧作ゲームに比べてたくさんの人が注目しているから、それを使って人に迷惑をかけたり、不平等を見せ付けたりすることを嫌う人がたくさんいる。だから反対意見がある』
1.新作旧作に関らず、ゲームのプレイ動画配信について、民事、刑事での訴訟についての協議を公言しているゲーム会社がある。
2.「その行為は知的財産権の侵害だ」と指摘されれば、「これによってこういう利点がある」とは言い返せても、「知的財産権の侵害ではない」とは言い返せない。
3.権利者に無断で配信をしている以上、ゲームの配信行為は少なくとも「正しいこと」ではない。権利者にとって不利益、損害だと判断されれば、ニコニコ生放送の規約の禁止事項、知的財産権法の違反に該当する。
4.ゲームが新作である時期中は、これらの影響を最も受けやすいため、配信行為を「悪いこと」だと思う人、それを指摘する人が多い。
『そもそもゲームのプレイ動画配信自体が規約違反、違法行為となり得るもので、新作ゲームに関してはその影響や意見発信が顕著である。だから否定派のほうが多い』
1.生放送に限らずとも、動画配信は見たくなければ見ないという選択をとることができる。
2.けれど、[反対意見が起きる理由]、<否定派のほうが多い>のとおり、新作ゲームの配信をよしとしない人はその行為を見る見ないに関わらず、その行為自体が「悪いこと」だと思っている。
3.彼らは、動画を見たから「悪いこと」だと思うのではなくて、「悪いこと」だと思うから動画を通して、配信者に意見を言っているに過ぎない。
4.その行為が正当か不当かが問題なのであるから、「嫌なら見るな」は反論として的外れである。
『嫌なのは新作ゲームの配信行為自体であって、見せられることではないので「嫌なら見るな」は通用しない』
1.新作ゲームの配信をみたことにより、購買意欲が高まり、そのゲームを購入する人がでる可能性がある。
2.新作ゲームの配信をみたことにより、購買意欲がそがれ、そのゲームを購入しない人がでる可能性もある。
3.これを、権利者の損害と判断し、違法行為として民事或いは刑事訴訟を起こすか否かを決定するのは配信者ではなく権利者である。
4.配信者はこの行為に関して、マイナス効果に対する懸念はしても、プラス効果に対する主張をする資格はない。
『配信を通じてゲームの購入者を増やす可能性、減らす可能性があるが、その可能性、因果、結果を判断するのは配信者ではなく権利者であるから、配信者には主張の資格がない』
「ゲームの中身」とか、「ゲームの中身を知る」とか、曖昧なものがたくさんあるので一概にはっきりと「悪いこと」だとは言えないけれど、「悪いこと」である可能性がある以上、文句を言われるのは当然だし、規約違反でアカウントを剥奪されるのも当然だし、権利者から訴訟されることも当然。もしこのままこんな態度を続けるのであれば、いつまでたってもニコニコ動画・ニコニコ生放送のユーザーの印象は悪いままな気がするので、改めたほうがいいような気がする。
熱く分析して賞賛する人やいや違うという人が現れたら
そういうのが現れたことはない。
言われてみれば、テレビで「韓流ブームですよー!」という話はしょっちゅう出てくるのに、
個々のコンテンツについて「あの演技がいい」「あのストーリーがいい」という話はほとんど出ていない。
せいぜい「〇〇はイケメン」「〇〇は美人」とか、俳優個人の容姿くらいしか話題になってない。
K-POPも、個々のユニットの容姿(かわいい、スタイルいい)とかは話題に上がっても、音楽的な良し悪しは全然話題にならない。
ただ単に自分がテレビ見てないだけで、実際はそういう話もテレビで流れてるんだろうか。
それとも、韓流に限らずブームってこんなもんだっけ。
無断転載のご指摘があり、無断転載した事を素直に謝罪させていただきます。
誠に申し訳ありませんでした。無断転載部分は削除しております。
ことは、事実なのでこのブログ削除しない方向で残しておきます。
ブログは個人の好きな事を書く事ができるので
本人らしき方も好きな事を書いてるではないですか?
違うと思えば違うし、そうだと思えば正解であるでしょう。
このゲームに関して、はてなに課金する必要なしと書いてました。
IDをGoogleやFaceBook等で検索したらご丁寧にディーエヌエーと書いておりました。
現在、日記(怪盗ロワイヤルは課金する必要なし!)は削除されていますが、
記事があり見てみると画面に表示されず
有村の乞食行為に対する見方として、「生活が苦しいみたいだから援助してあげる」とう立場と、「同人活動等の活動資金がないからカンパしてあげる」という立場の二通りがあったのが新鮮でした。
僕は有村の日記やtwitterなどに書かれている「生活が苦しいアピール」(といっても、有村の無駄遣いの記述を見ると、じっさいのところその苦しさは大したことないんじゃないかと思ってますが)が印象に残っていたので、「寄付を賜りたい」は前者だと思ってたんですね。ところが、ブクマを見ると半分くらいの人は後者の「芸術活動に対するカンパ」という意味合いで受け取っていた。そこがまず、自分の思い込みだったかなと思います。
僕は根本的に、有村が「生活苦しい俺アピール」と「こんなに無駄遣いしている俺アピール」を並列してやってるのがそもそも理解出来ないし、そういう矛盾した行動をしている人間を信用(?)して「生活援助」する人たちは、有村の書いたものをちゃんと読んでいるのか疑問なんです。でも、生活実態がどうであろうと関係なく「芸術活動に対するカンパ」をしている、というつもりの人がいるんだったら、それに文句を言う気はないです。ただ、「苦しい生活への援助」のつもりの人がいるなら、有村の矛盾っぷりから目を背けちゃいかんだろ、とも思うのですね。
といっても、金に色はついていないので、寄付した金がラーメン代やジュース代に消えるか、同人誌の印刷費に投資されるかなんて区別できるもんじゃないんですけど。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20110807221825
こちらの人に指摘して頂きました。バカですみません。有村が矛盾した人間だというのはみんなわかっていることだったようです。だから、上記の「目を背けちゃいかん」というのは僕の勘違いで、その界隈の人はそれくらいの矛盾は気づいていたようです。状況が読めなくてすみませんでした。
この印象は観測範囲によってガラリと変わる。なんとなく友川かずきという古いフォーク歌手の動画のコメントをみてたらさ、70歳とかそこらへんの年齢のコメントがあるわけ。んで、その内容はあれから30年以上たってとか、各臓器に沁みるとか渋いコメント。しかも、そのコメント上でほかの人とやり取りしているんだよね。youtubeに70歳がコメントするって想像もしていなかったし、大抵はガキが上手いこといってるか、信者がなにかを唱えているか、賛否両論しているだけのコメントかと思い込んでいたから、かなり驚いた。
いつか、70歳のほとんどがyoutubeを利用する時代、下手したらニコニコ動画に髪の毛の代わりに草を生やす時代になると思うと、不思議な気持ちになる。なんかなんだかなんだろう。分かんないな。感性が衰えると思ったら大間違いだ。
http://alfalfalfa.com/archives/3527728.html
ヤンキー先生が教科書で例えば「毛沢東=マオツートン」と併記することについて
基本的に漢字というのは伝統的に現地読みで読むことになっていて、日本人は日本語読みをする。
「小泉って知ってる?」って聞いても中国人は誰も知らないが「シャオチュエン」と言えば分かるだろう。
「I'm from 大阪.」って言っても分からなくて、こいつ日本のこと何も知らないな、と思うかもしれないが「ダーバン」と言えば分かる。
「どうせ、カタカナで習ったって発音が通じないのだから教えたって無駄だ」と言う意見もあるだろう。
ならば、漢字を書けばいいのだ。それこそが漢字を用いる日本人の持つ武器だ。
しかしながら、実際のところこれが大きな問題となるのは
Mao Zedong,、Deng Xiaoping,、Wen jiabao,、Hu Jintao。
これらが誰を指しているのか分かるだろうか。会話で、あるいは海外のニュースで出てきたときに分かるだろうか。
分からないのは多分日本人だけで、「Who is Hu?」なんて聞いたら笑われる。
それぞれ、毛沢東、鄧小平、温家宝、胡錦濤の中国語読みであり、世界共通語だ。
それは地名でもそうで、北京=Beijingあたりは分かるだろうが、四川=Sichuanなど大抵の人には分からない。
他の国に比べて日本人は中国の都市名や人名を知っているのに、いざアルファベット表記になるとほとんど知らない。
中国をバックパックで旅行中、外国人と話しているときに、地名が出てこなくて馬鹿にされたのを思い出す。
つまり、「武漢、西安そっから四川に行くんだ」と言いたいのにWuhan、Xian、Sichuanがぱっと出てこないし、言われても分からないのだ。
俺は漢字が読めて書けるんだぜと言いたかったが、彼らにとってそんなのはどうでもいいことだ。
実際、鄧小平に関してこんな話もある。http://www.silverboy.com/silverboy/op200022.htm
このような中国人名、地名の中国語読み全部を義務教育で教えるべきだとは言わない。
ただ「毛沢東=マオツートン」と併記することで、中国では漢字の読み方が違うんだという重要な知識を教える一歩になると思う。
実際、かなりの人は「モウタクトウ」と言えば、「シセン」と言えば、通じると思っているのではないだろうか。
これは、中国が経済的にも文化的にも政治的にも存在感を増していくなかで
日本が共通の漢字を使っていることで生じている重要な問題のうちの一つだと思う。
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《追記》
id:menaが教えてくれた平凡社の中国語表記ガイドライン。つい最近だね。ありがとう。
学術的な根拠も含めて色々面白い。是非読んでね。文化的雪かき。http://www.heibonsha.co.jp/cn/
2007年に最高裁でピアノ伴奏拒否に対する戒告処分は正当性が認められたから
(最高裁でも賛否両論出たことは付しておく)多分最高裁で覆るだろう。
採用権の濫用がらみで30日に判決が出るらしいけど、これも敗訴濃厚とか。
後チラ裏。
はてサとしては最高裁が国に阿る判決を出すのはよくあること、とか言ってもいいのだけど
俺自身「行政処分の違法性は裁判所判断を待つ必要がある」というロジックで組み立てている以上、まあ限界だろう。
あくまでポジションを表明しておくと、
よく見る、「職務命令に従うのは社会人の常識」とか「国旗国家への敬意は当然」には親和的。
俺だってそうする。むしろ俺なんて祝日に国旗を掲揚してる、模範的日本国民とさえ言ってもいい。
だがそれで他人の内心まで踏み込むのは余りに狭量じゃないかとも思う。
「不起立を認めたら反国家思想を授業で教えるようになる」とかいうアホンダラもいるが、
(実際に教えてるどうしようもないアホンダラも存在するが、一枚岩で判断すべきでないのはウもサも同じだ)
自己の内心の表明・保護と他者への思想の押し付けは全く異なるもので、件の音楽教師については授業で君が代を教えてる。
とりあえず最高裁で負けた教師については、思想と仕事の線引きをしてるんじゃないの、と俺は思う。
原点に戻ると、府で処分や命令が出たら、裁判じゃ勝てないし従うほかないけど、と敗北宣言しつつも
嫌悪感を持っている娯楽がある。
でも、それはやりすぎだと思うので、出来るなら見えないところで細々とやって欲しい。
しかし、それでも賛否両論があり、規制が正しい事なのか悩んでいる。
同様にそれを嫌ってる人たちも多くいる。
中には激しく攻撃的な人も居いるが、その意見には疑問もある。
何か事件があって、犯人の趣味が関連している場合、因果関係を無視して規制すべきと言い出す人が出てくる。
印象としては原因の一端に思えるが、実際には、その娯楽が犯行を促したという証拠を出すのは難しいだろう。
一部は地下にもぐって、さらに悪化するかもしれない。
衝動を煽るような部分もあるが、衝動のはけ口になっている部分もあり、一概に良し悪しを判断するのは難しい。
せめて目に付かないところでとは思うが、そうなると衰退し、結果潰れてしまうかもしれない。
ファンも多いし、それで生計を立てている人もいる事を考えると、無くしてしまうのはやりすぎだと思える。
よしじゃぁ学生時代にユニクロの店員やってたオレがアドバイスしてやろう。
今年はマリンだ。
どうだ爽やかだろう。
他にも色々これがいいとかあげてもいいけど混乱するし、わかりにくくなるからできるだけ絞って離す。
色だけど、まず紺色と白の組み合わせが基本。
それに黒やカーキ、ベージュ、グレーなんかの定番カラーを組み合わせればいい。
それだけ。
じゃぁ上から順番に。
■Tシャツ
UTはやめとけ。
おまえらどうせワンピースだのナルトだののTシャツにしか触手が伸びねぇんだから。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067374
これの69 Navyか00 Whiteか03 Grayのどれかをチョイス。
丸首かVネックかは任せる。個人的にはVネック推し。首もと涼しげな方がいい。
ポロシャツもいいけど、まだちょっと時期的に早い。
上になんか羽織ってオシャレに見せるのは上級者テクニックが必要。
■アウター
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/426792-69
もしくは
スウェットフルジップパーカ
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067273
もしくは両方。
まぁどっちかでいいよ。
で、色なんだけど、ここが大切。
さっきTシャツで00 White or 03 Grayを選んだならここで69 Navy。
もしさっき69 Navyを選んだならここで03 Gray。
■シャツ
単体で成立させたいならこれ。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067250
これの63 or 65のNavy。
これは若干ちっさめくらいでもいい。とにかく絶対オーバーサイズにならないように注意。
コーディネート見本が裾インしてるからって、無理して真似しなくていいからな。
もちろん出来るならできたらオシャレには見えるだろうけど、それには絶妙のサイズ感と、ベルトとかの小物のバランスとか
もし言われた通り、ジャストかちょっとだけ小さ目のサイズ感に落ち着いたなら、
その時はホントは綿100%のウォッシャブルコットンVネックカーディガンじゃない方がいいけど。
■ボトムス
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/066970
これの34 BROWN一択。
これは定番のチノだから、オールシーズン、どんなコーディネートにも合うから一本は絶対持ってたほうがいい。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/066979
これの32 BEIGEでもいい。
こっちのほうが若干ゆったりしてるから、ピザなおまえらにはいいけど、下手すりゃおっさんのコーディネートに見え易いところは要注意。
身体が細い貧弱オタはこっち。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067237
これの32 BEIGE
おれは実はこれ持ってるけど、若干股上浅いから、脚ほそいけど腹出てるヤツとか注意な。
■靴
靴はあれだ。コンバースのオールスターローカットとかジャックパーセルとかアディダスのスタンスミスとかスーパースターだわ。
色は白か黒。
■ベルト
色は焦げ茶な。
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/417952-34
こんなんとか。
あと、金あるオタは+Jもいい。
あっちの方がよりサイズ感がオシャレ。
まぁつまり若干細長いってことだけど。
でも相当なピザじゃない限りザラとかに比べたら全然大丈夫だと思う。
色は上にあげた通り。
ユニクルックス。
ユニクロの服を取り入れた世界中のコーディネートがいっぱい見れる。
参考にしろ。
今回あげたのはマリンテイストっていう、ほんのトレンドの一部だから。
賛否両論いいも悪いもあるだろうよ。
ワークテイストもいいし、ナチュラルテイストもいいし、ファッションなんてそこがおもしろいんだけどな。
じゃぁな。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110315-OYT1T00273.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031508240017-n1.htm
首相を批判したかったんだろうけど、2号機で爆発が起こったから完全に裏目。状況が落ち着いたように見えたから
東電は正義、首相は悪として批判し始めたんだろうけど、2号機で爆発、4号機でも火災が起り状況が逼迫して、政府と東電との
連絡が重要になったから、首相がやったことが完全に正しくなっちゃった。テレビでも「あなたたちしかいないでしょう。撤退などあり得ない。
覚悟を決めてください。」という発言が肯定的に放送されてた。この件については爆発さえ起こらなければ賛否両論だっただろうけど、
爆発が起きて完全に風向きが決まったな。
読売と産経はとんだ赤っ恥をかいたな。危機感のなさを露呈させてしまった。
『首相「(事故現場から)撤退なら東電100%つぶれる」東電本社で檄』
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031510440020-n1.htm
キャラクターとCV(キャスト)が30人ぐらいと多数で、しかも豪華声優陣ばかりらしいので鳥肌でした。
ちなみに鈴村さんと櫻井さんは、零式のキャスト出演が決まっており
もう収録してるんのかな?お二人ともトップシークレットのことを知ってそうでした。
田畑さんはホントにすごかったですね。ぜひ次回作はPS3で作ってほしいです。
【アギド13改め零式映像】
http://www.youtube.com/watch?v=nC5P3Jxvtzg
13-2は
ストーリーと戦闘も改めてくると思うので
もしかしたら、こっちが本当の『FF13』なのかもしれません?!
もしくはFF13とFF13-2ぜんぶ含めて『完全版FF13』かも!
鳥山さんもFF13のときは賛否両論があったと発言しており、認識してるので
前作のような一本道ではなく、ほんとうにユーザーの期待に答えるような
出来に仕上げてくれるのではないのでしょうか?!
http://www.youtube.com/watch?v=ObiaNbDtF3Y
そしてヴェルサスは、超実写グラフィックムービーから始まり、なんと言えばいいのか・・・
とにかく、別次元に到達したような映像でした。youtubeのは映像が粗いので半減すると思いますが。
また、本格的な戦闘シーンが公開されました。
左下右下にはインターフェースがあり、右下の方はノクトや各キャラの顔や体が映っており
街中(コンビニ?などもあった)を移動したり、草原(ドラゴンの様な敵がいたり)を移動したり、その度に戦闘があり
戦闘の方法としては、剣、魔法で戦うのはもちろん
敵の?ロボや戦車のような機体を使いバトルしてる様子もありました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13344735
http://www.youtube.com/watch?v=1A0AU1eNSXk&feature=player_embedded
ああぁぁぁ、すごすぎるうううううううううううううううう
近親調以外の転調を遠隔調への転調と定義することで、調性圏内の和声は飽和した。広い意味での調性、あるいは無調、またそのようなものの連結は、厳密には定義されず、慣習として認知されるにはまだ歴史の積み重ねが足りない。
もともと、教会旋法があり、そこからの選別を経た結果として残ったIonian、Aeolianが一時は主導権を握り、和声的連結ももっぱらこの二つを考えたものだ。
ところが19世紀、ドビュッシーが教会旋法を再評価する。(厳密にはドビュッシーに限らず、かのリストや数々の音楽家から群発的様相をもって現れてきたものだが、代表はドビュッシーである、ということは異論はないはずだ。)そのドビュッシーの「帆」は、全体にわたってMTL1、すなわち全音音階が散りばめられ、幻想的な雰囲気を醸すことに成功している。後にも先にも全音音階が効果的に使われたのはこの曲のみといっても過言ではない。
この時期は、既存和声の崩壊が随所に現れる。トリスタン和音、神秘和音といった概念はこれまでの和声に衝撃を与えた。型破りな進行と、限定的、効果的なものが共存したそれは矛盾をはらむことなく組み込まれていくこととなる(もちろん、穏健的な層からの反発はあった。今でこそ評価の高いドビュッシーの作品すら「誤用」と声を挙げるものもいたのだ。)
SomethingNewを求めた先に、過去の歴史の再評価があったとはなんとも興味の惹くところだが、この時代の印象主義に限らず、あらゆる作曲家は新たな音楽観の萌芽を享受し、育んでいったのだ。
また、クラシック音楽界隈以外にもJAZZの誕生など、別方面からムーブメントが起こったのは見逃せない。巨大な市場が成立すれば、作曲家も無視するわけにはいかなかったのだ。JAZZ史を俯瞰するだけで何十万字という文章が書けるが、今回は省略しよう。とにかく、新たなアプローチが産声をあげ、互いに影響されたのだ。
そのなか、新規性が斬新さを持ち過ぎて受け入れがたい空気が醸成されたのもまたひとつの事実である。ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、初演当時そうそうたる作曲家――ドビュッシーやサン=サーンスなど――が席を同じくしたのだが、その結果は賛否両論がふさわしく、それ以前「ペトルーシュカ」まで彼を評価していたドビュッシーすら、この演奏以降をもってアンチポジションを取るようになるほどのものだったのだ(もっとも、ニジンスキーのあの振り付けを初めて見て冷静に評価しろというのもなかなか難しい注文だと思うが)
これを期にして、というわけではないが、今後の音楽シーンは「クラシックな」ところから乖離していく動きが目立つようになる。シェーンベルクがドデカフォニーを確立し、システム的な面が強調されるようになる。後のセリー技法に直結するこの動きは、今日穏健派からは黒歴史認定されている。
時系列的に和声の展開を捉えれば、それは不協和音程の和声的獲得である。現在パワーコードやモーダルクラスターなど、ごくごく当たり前に用いられるのも、こうしたプロセスを経たものである。
では、この先どうなるのだろか。
すでに一部急進派は、微分音を積極的に導入し、1オクターブを何十分割にもしてきた。穏健派も遅れながら、限定的な用法で微分音を導入しつつある。十二音を崩壊させてどこへ行こうというのだろう。
ネット上でもマスコミでも「facebookがすごい」という意見が圧倒的で、「facebookはいらない」「どこがすごいか分からない」という意見はあまり見当たらない。
新しいコンセプトのハードウェアやサービスはたいてい賛否両論が挙がるものだが、facebookに関しては“否”の意見があまりに少ない気がして、ちょっと気持ち悪いなぁと思っている。
私は「facebook、特に欲しくないし魅力もいまいち分からないなぁ」とずっと思ってきたのだが、周囲のfacebook人気に気圧され、そんな本音をなんとなく言えずに来た。
こんな気持ちでいるのは私だけだろうか。それとも同じ気持ちの人が、少しはいるのだろうか。「こいつはfacebookを分かっていない」とバッシングを受けるのかな、とちょっとびくびくながら今、この記事を書いている。