はてなキーワード: 貴族とは
メガネが我々低視力の視覚障害者を健常者にしているように、健常者に近づけさせるための道具は実に素晴らしい。
メガネがなければ、きっとなんの仕事にもつけてないし、そもそも今に至るまで生き延びているかどうかも謎だ。
メガネは素晴らしい。低視力でも健常者と同じにしてくれる。メガネありがとう。メガネ大好き。
だが、未だに盲目の人を見える人と同等にすることはできていない。
だから、街中はうるっさい信号機や見苦しい点字ブロック、ピンポーーーンとなる駅の案内板、点字図書館などの目が見えない人のための道具で溢れかえっている。
これらは目が見えない人のためだけに日本中に、世界中に存在する。
彼らは特権階級といってもいいだろう。点字ブロックは彼らのための道路であり、自転車や車を置いてはならない。
盲導犬は犬嫌いがいようが、犬の毛が入って欲しくないような飲食店だろうが、彼らの役に立っているがためにあらゆる場所での存在を許されている。
その優遇され具合は貴族のためにレッドカーペットを全国の道路に敷いているのとなんら変わりがない。
もう、彼らのために尽くすのはやめよう。
今すぐ全国の盲人のための設備を全廃して、そのためのお金を全て盲人が健常者と同様に見えるようになるような機械あるいはIPS細胞を使った人工眼球の開発に全投入しよう。
そうすればあの注意を引かせるためにある不快な音を聞く必要がなくなる。
何より、彼らが健常者と同等の生活を送ることができる。これに勝るものはないだろう。
映像も我々と同等に楽しめる。生活することで誰の手を煩わせることもない。
自転車だって路上においていい。杖をカチカチさせながら歩く必要もない。
盲人にとってのメガネを作ることが一番彼らのためになるのではないだろうか。
増田がなあ。
結婚できて子供できた上で保育園入れなくて文句言うようなお貴族様のエントリがなあ。流行語だってさあ。
平均的な増田ってえのは生まれてこの方一度も彼女できなくて氷河期世代で職もギリギリでそれなのに親世代やら親戚やらから昭和な感じの国民皆兵じゃなかった皆結婚の価値観をもってほっぺにぐいぐいされてたりすると思ってたのに。非にモテをかいたような非モテだと思っていたのに。
保育園にこまってるんですう、このままじゃアテクシのキャリアがーだって。
へえへえお貴族様の悩みは高尚でよろしいですなあ。
わたくしみたいなものにはね、保育園なんかいらないんですよ。世の中から全部消えても構わないんですよ。いますぐにね。
必要なのはね、今日も明日もずっとさきも、ずっとずっと続く毎日の殺意を今までどおりにぎゅっと押さえつけておける方法。昨日までやり過ごしてきたとおりにね。
いのちを育む方法なんていうようなそんなにきれいなもんじゃあない。いのちを砕かないために今この瞬間何ができるかが私共には必要なのでございますよお貴族様。
あたりまえの普通の幸せなロールモデルをクリアしていないことを責めるこの世間の空気、もうこれはもはや瘴気!
大学は出ろコミュ強であれ新卒フレッシュで生意気いわず休まず働いておきながら家事をし恋人を作り結婚をし子供を育て車も家も買って消費をたくさんして景気の底上げをし野球とゴルフと酒と風俗とテレビと今いない奴の悪口の話ができるようになれっていう空気。
もう太陽系いますぐ吹き飛べよ。日本死ねとかけち臭いこと言うなよ。銀河ごと砕けようよ。いますぐ。いますぐに。ほら早く。阿弥陀様ー!はやくきてくれー!
出席番号32番あたりって、
日付で当てさせる先生いたけど、
32日なんてないから、
ギリギリセーフ当てられないわ。
って安心させといて
フェイントかまして31日だけど今日は32でとかのパターンもあるから
逆に油断できないわ!
そう言えばさ、
出席番号も近くてずっと私の後ろに座ってた
ミハルちゃん元気かなーって、
席替えとかも懐かしいわね。
なんか急に青春なことを思い出しちゃった。
うふふ。
あのさ、
サンドウィッチ伯爵が
有名な話よね。
当時イギリスでは育ちにくくって、
うってつけだったのかもね。
一度サンドイッチ伯爵のやってるお店に行って本場を味わってみたいわね。
いいカップを使ってて、
カップをひっくり返してどこのか見ようと思ったら
はしたない!って女主人に怒られちゃった。
知りたいなら直に訊きなさいって。
話が長くなっちゃったわね。
と言うかリメイクも何も白湯アンド昆布だしホッツウォーターよ。
白湯だけじゃそっけないので、
味が付いてほんのりいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
こないだ知人と電話しててモヤモヤしたけど、本人に言って指摘してやる程優しくないので書捨て。
「金持ちな親と貧乏な親の下に生まれた子供達はスタートラインからして違う」「資本主義が悪い」
「このままだと貴族と平民の様な身分制度が出来上がってしまうので、その前に是正すべき」
というのが彼の主張な訳だけど、要はこれ自分の現状に対する言い訳なんだよね。
そいつのスペックは中卒で10年以上引きこもった経験もあるプロニート。一時期仕事頑張ってた時期もあったが、
ご立派な言葉並べてるけど、結局自分も金持ちの親のところに生まれてたらこんな風にはなってなかったって言いたいんだろ?
こちらの議論の主線が「マイノリティーが自分たちの社会的不利益を主張すること自体の是非」ということが理解できていれば(というかそこを理解しようとしてくれていれば)貴族vs市民であろうと富裕層男性vs女性であろうとストレートvsLGBTであろうと同じ視点で議論できるものと思いますけどね。
貴族制度を前提にしているような人とはマイノリティーの人権主張は取り合いませんというのは正面からの議論から逃げていると感じます。
そもそもこういう主張をするマジョリティー群がマイノリティーという存在を見ないふりをしてきたことがポリコネの始まりだという意識が必要なのだがそれがどうもわかっておられないようで。
多数決で世間的な正義が決まるという現状があったから、マイノリティーは自分たちの主張を通して少しでも社会正義~社会悪の境界線を自分たち側によせようと言論を戦わせてきたわけ。
ポリコネの概念そのものが存在しない時代では、「政治に参加できるのは貴族階級だけ。市民階級はバカだから参加してもしょうがない」というような前提だけで人権が切り分けをされてきてて
それを言論で「貴族も市民も同じ人間」というところまでもってきたわけでしょ。
誰かが言論として提起しなければ貴族に生まれた人間以外はバカで肉体労働くらいにしか使えないという認識が多数決として通用してきたわけであって。
マジョリティーがごく自然に信じている「正義」を、マイノリティーが感じる「正義」に説得できるかということがポリコネとしての役割だと思うがね。
初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。
広告業界のエラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすくしろよボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやすく説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。
なぜならばこの人達は世代的にも階層(広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴をカジュアルにツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然とツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすくしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます。
どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドでしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手に解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手の曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足を晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。
要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異を認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。
高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんのマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。
なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲームの手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものだからです」。デザインや文章といったアウトプットに対して、属人的価値を付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的な行為です。ちなみに、自分も広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為を自然にこなすので、自分が優越感を搾取し相手に不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります。
もちろん、これらの行為は批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。
また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界をダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます。
蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティをアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点は必要悪のようなものではとも思います。参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います。
ま、とはいえ蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマや優良誤認に加担した広告人からは資格を剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います。
僕個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。
しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネット系ライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的とはいえ職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。
ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミは臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンもしますけど。
個人事業主だけど、みんなどうやってるの?
仕事やりたくなくね?
その仕事をことごとく、〆切ちょいオーバーみたいな感じで納めてる。
最初の仕事は無茶苦茶緊張しながら、早め早めに取りかかって、何とか〆切1分前に納めたりして、
それが仕事を振っていただくにつれ、〆切30秒遅れ、1分遅れ、5分遅れ、30分遅れ、…
だんだん、遅れることが当たり前みたいになって、〆切前日ぐらいでは、これっぽっちもドキドキしなくなる。
でも、その時はその時だ、みたいな変な覚悟が出来ている。
そういう自分が嫌いすぎて、ぶっとばしてやりたい。
俺は病気か?
診断がついたら、クソみたいな自分を少しは許せそうな気もするけど。
誰か助けてくれ。
俺は俺が嫌だ。
散々話題になってる電通での東大卒女子社員の自殺についての話を聞くたびに若いころは名うてのバックラーだった人間として、バックレこそは労働者の命と名誉を守る誇り高い行為であるという確信を深めるに至った。彼女がバックレという選択肢を知っていれば、いや、彼女だけではなく普く労働者が理不尽な扱いに対する選択肢としてのバックレを知っていれば、世のブラック企業は淘汰されるハズだ。労働者を粗末に扱えば相応のしっぺ返しを受けるということを企業に対して知らしめなければならないのだ。お行儀よく円満退社するのではだめなのだ。残された社員が困る? 文句ならそんなことを誘発する会社に言ってくれ。バックレは癖になる? バックレは癖に流されてするものではなく、断固たる決断の所産だ。
そこで、俺は提案したいのだが、政府は一度目に限ってバックレに対して前職の給与と同じ程度の手当てを支給してはどうだろうか。これによって労働者の「会社を辞める」ということへの心理的抵抗感と罪悪感を軽減し、転職活動の時間がないほどに酷使されていても安心して逃げることができるという一石二鳥の効果が見込める。ブラック企業は淘汰され、企業は労働者の顔色を窺わざるを得なくなり、労働者の待遇は改善される。
かつての貴族たちは王や皇帝の理不尽に対してたびたび反乱を起こし、抵抗してきた。王や皇帝がこんな傲慢不羈な貴族たちの顔色を窺いつつ、ちょっとずつ集権化を成し遂げていったのが中世から近代にいたるまでの歴史だ。この傲慢なまでの誇り、自尊心、自信、自己肯定感、果断さ、勇気。現代の我々に欠けているこれらの貴族的美徳を取り戻させるのがささやかな反乱、すなわちバックレなのだ。