はてなキーワード: 現実とは
近くパレスチナ人口がイスラエル人口を上回る。イスラエルがパレスチナを国として認めず自国の一部という建前だと、選挙で乗っ取られてしまう。もう皆殺ししかない。
んなもん、人道上許されるはずがない。世界だって流石に見殺しになんかできない。のはずが、サウジとイスラエルの国交正常化で、見殺しルートも現実路線に。
やられるわけにいかんから、なんとか目立って国際社会に訴えないとと決起して音楽フェスを襲ってこれ。
イラン訪問中にピンポイント爆撃で暗殺できるのに、民間人ごと爆撃するし飢えさせる理由はそれ。
欧米はイスラエルの民族浄化作戦容認。金も票もくれるし。欧米の言い分は、パレスチナは欧米が出した妥協案を飲まなかったから国家承認されていない。自業自得。しかし、国家承認してないのは欧米と欧米の舎弟の日韓と豪州くらいだよ。
中身を見る前のサムネの時点でもううげっとなる。
結構な広い家で、3年間結婚生活を続けている夫婦で、こんなに体格差がつく事ってある?
家が非現実なまでに広くて綺麗なんだから、普通に夫婦ともに理想的な美男美女でいいじゃん
男はどんな容姿でもいいけれど女は細くて美人じゃなければならないってのを全力で表現していて本当に気持ち悪いCM。
インセルは世の全女性がジャニーズに夢中という世界観にしがみついるけど現実は違うよね
男から非合法含むポルノコンテンツや動画サイトを取り上げたら一丸となって怒り狂うけど、ジャニーズ性加害でジャニーズを糾弾・解体・CMや冠番組や歌番組出演枠を軒並み半分以下に減らされても全く混乱はなく、少数の陰謀論ジャニヲタ以外の女は左右フェミアンフェ問わずジャニーズ批判側だった
性加害騒動前からジャニーズのチャンネルを見てるのは50代女性のみという調査結果はあったけど、コンテンツとしては耐用年数過ぎてたんだよね
地上波に大量露出すると、女叩きが日常の割に女の生態や動向に無関心なインセル男性に「TVにいっぱい出てるからジャニタレは人気なんだ」と勘違いさせる効果だけはあるが
https://note.com/hokusyu/n/n86fc22c5b231
そもそも、元ポストの「やす子オリンピック」。素直に感動した人には申し訳ないが、個人的にはかなり歯が浮いてしまうポストだと思ってしまった。私はオリンピック本体も欺瞞的だと思っているので特殊かもしれないが、あのようなポストをみたとき「うわぁ」となってしまう人間もいるのだということは理解してほしい。
これ。やす子さんのポスト自体は特に面白いとも感動したとも思わないんだけど、この拒否感はまったく理解ができなくて驚いた。
そりゃオリンピックは私も欺瞞があるなと思うし、現実には競争が強いられることがあるなかでなかなか皆が「優勝」と言える気分にはならないかもしれない。
ただ、それでも皆が振るい落とされることなく肯定的な気持ちを持って生きたいよなあとぼんやりと感じて生きてる。それは知的障害があるかもしれないと医師から言われてる、成長に遅れのある子を抱えていて、いつも誰かの子と比べてばかりで疲れる私だからそう思うのかもしれない。
面白くなくても、歯が浮いていても全然いい。安全で柔らかい言葉が欲しいという気持ちが私にはある。いいじゃん、みんな優勝、みんな普通、みんな合格。みんなOKで。子どもを連れて診察室に行くとそう言いたくなることがほんとうにある。だからやす子さんのポストにはそうだよねー、と思っても元記事の著者の感想にはものすごく距離を感じてしまい、戸惑ってしまう。
私は、そういう感想を持つことを否定したいわけではなくて、そういう拒否感を抱く感性が全く無いので、この辺りできればもっと言語化してほしいなと思う。私が良かれと思ってかける柔らかい言葉が、本音の気持ちが出せなくなって人を窒息させてしまうこともあるかもしれないから。
クレジットカード会社………
やれフィクションと現実の区別つけろだの、憲法って知ってるかだの、メチャクチャ言われたんだけどさ。
最後に「信じて」って。
こっちが、オタクらがフィクションと現実の区別をつけれるって信じられない、みたいに言ったら、
「理性」を説かれた。
だけどあれから数年、鍵掛け運動が起こったり、公共空間のセンシティブ画像を注意したりする男性はついぞ現れなかった。
世間一般の人たちに性的なコンテンツで嫌な思いをさせないように、オタク男性たちが自治をするのを期待してたのに。
以前と何も変わらなかった。
もちろん性的消費も止むことはなく。
いま、海外クレカ会社が動いてくれて、性的消費コンテンツのあり方をアップデートしようとしてくれてる。
でもそれは、オタク男性たちが自発的に変わるチャンスを潰されたことを意味する。
私はもう少しだけ、待てたよ。
色んな意味でため息。
元増田の意見について、フィクションだからとかいうのはいいんだけどさ。
ブクマの中で当時は普通だったからって反応があるんだけど、それは指摘としてむしろおかしいよ。
再婚における子供の鬱屈なんて、むしろ昔の方がよくある話でさ。
ぐれた理由や家出した理由、早く家を出たかった理由は再婚でしたなんて、当時の現実においても、フィクションにおいてもよくある話だったよ。
あんなの現代から見た、あの当時の先進的な風を装った描写そのものだよ。
それがよくないって話じゃない。むしろいいよと思っているけど、あれがご都合的なのはドラマとしても今の価値観からしても、当然すぎるほどの指摘なんだよ。
最近思ってることがあるんだよね
ネットでしょうもないことしてる奴ほどリアルの生活は充実してるんじゃないか?ってさ
熱心にアンチコメントを送ったり、ゲームで荒らし行為をしたり、増田で訳のわからん絡みをしてくるやつも、現実では一転して恋人がいたり結婚してたり、円満な家庭を持っているのでは、と
そんなしょうもないことをするのであれば、せめて現実くらいは充実していてくれという願いだ。
良い歳こいて硬派な自分がカッコイイと思ってるキモい陰キャは何がそうさせるのか。
ネットでは「カマホモみたいに眉毛整えてスキンケアして香水付けてる男はキモい!男なら身体鍛えて筋肉付けろ!」
とか言うけど、こう言う奴ほど筋トレエアプの実際は中年太りで汚いオッサン。
筋トレして筋肉付いたら自分に自信も持てるからマッチョほど眉毛整えてスキンケアしたり香水付ける。
スト2のリュウとかベルセルクのガッツみたいな硬派でムキムキな渋いおっさんに憧れてるんだろうけど現実は中年太りの汚いおっさんだってのを認めろよ。
ワイもがっかり感強かった
宮城リョータ、肝心の山王戦での出番少ないのに宮城の過去の話がちょいちょい入るんだけど
回想から現実に戻ったタイミングで宮城全然関係ないから全然繋がらない
これが不自然
オープニングのThe Birthdayの曲だけがかっこよかった
親として嗜めるが
「粗にして野だが卑ではない」
この「卑」がいわゆる下品であろう
名家、世襲だらけの国会議員の前で彼は「粗」で「野」であろうからこのようなセリフになったのだろうと想像している
彼は明治19年に静岡の漁師の家に生まれ、一橋大学から三井物産、海外勤務
開戦に反対し引責辞職、いくつかの公職を経て戦後公職追放を受けながらも国鉄総裁となり現在のJRまでの発展の礎を築いた人物、天才。
「卑ではない」これ重要
宮中晩餐会に呼ばれプロトコールに従い所作つつがなく飯を食って帰れる人間は表面的には上品の極みであろう。まぁそれが出来る人間しか呼ばれないわけだが
対してヒール役プロレスラーからこぼれ出る「でも彼、裏では気さくで礼儀正しい常識人なんすよね」話。
そんな事はどうでもいい
人は品良く生きるべきか、下品に生きたほうが得か
「自分さえ良ければいい」
彼はこの行動指針を徹底している、
社会正義や品性など一円の得にもならないという合理的判断だろう。
多少の批判には最終兵器「自分金持ってるっス」を隠し持ってる安心感
正直羨ましい
「足るを知る」は負け犬の遠吠えであろうか
悩みながらも俺は品良く生きるコースを維持している
礼儀礼節常識を守り、努力を怠らず、他者を思いやり、自分と関わりを持つ人間の幸福を願う
でもさ、怪物下品男の水島廣雄は個人債務200億円踏み倒しても100歳の誕生日会は政財界からお祝い殺到、聖路加タワーで天寿を全うだからなぁ
これが単なる成功者バイアス、一般論から外れた統計ノイズであると信じたい
ある日、大地震が起きた。思えば、あの日の朝はいつもと違って強い風が吹いていた。気象庁のWebサイトで見た通りに天気は晴れ、しかし空はやけに不穏な雰囲気を漂わせていた。
朝からなんだか落ち着かない気分で、東急線に乗って職場のある渋谷に向かった。とりあえず混んでいる電車の中でイヤホンをしてSpotifyで音楽を聴いていたが、心のざわつきは収まらなかった。渋谷のスクランブル交差点を歩いていると、その時突然、全てが崩れ始めた。
大地がぐらぐらと揺れ、周囲のビルのガラスがパリンと割れる音が響いた。パルコも109も震えていた。すぐに近くのカフェで避難しようと思ったが、人々の混乱でまともに歩けなかった。目の前で桜丘町のビルが崩れ、周囲の景観が一瞬で変わり果てた。
パニックになった人々の叫び声や泣き声が耳をつんざく。LINEで家族や友人に連絡を取ろうとしたが、繋がらない。携帯電話のアンテナ表示が消えかけていて、これは現実なんだと改めて実感した。
地震が収まった後も、不安は消え去らなかった。ニュースサイトを更新する度に新しい被害報告が並ぶ。新宿、池袋、品川、ごく広い範囲で甚大な被害が報告されている。特に目黒区の青葉台や目黒川沿いの地域はひどい有様だった。自分の住む中野も、大丈夫だろうかと心配になる。
日が暮れた頃、ようやく電波が戻り、友人や家族とのやり取りができるようになったが、安堵の気持ちと同時に恐怖が蘇る。自分の働く会社も、被害甚大で営業停止との連絡が来た。無事だったことは幸いだが、今後の生活は一体どうなるのだろうか。
それから数日が経ったが、未だに余震が続いている。その度に心臓が凍る思いだ。行きつけのコンビニも棚が空っぽで、生活必需品が手に入らない。全ての日常が根底から覆された。
かつての当たり前の日常を取り戻せるのか、それとも全てが変わってしまうのか。未来が見えなくて、不安ばかりが募る。もう一度、穏やかな日々が戻ってくることを、心から願っている。けれども、この大地震が残した傷跡は、簡単には癒えそうもない。
主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう
妻の主張
①息子がチー牛かもしれん
②子育てのやり方を見直すべきでは?
主の主張
①(嫁に対して)チー牛とかいう差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。
②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?
って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、
その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別に意見のすり合わせをしていく必要があると思う
以下それぞれに対する俺の感想
まず主①の主張、これは賛同できる
チー牛とかいうかなり差別的なネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない
そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた
で、主妻それぞれの②の主張、まとめると
「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、
「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、
一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う
チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪の概念では、悪ではない。
が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。
そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。
そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。
主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉を即物的だと言って一笑に付してるけど、
人間は理屈や正しさよりもかなり感情や第一印象や先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、
「生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしまう
これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差したものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい
学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴と低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ
妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね
昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立な言葉に浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ
チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない
妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的な言葉だっていう認識が薄いんだろうね
だからもちろんチー牛という言葉を使うこと自体は咎めたほうがいい
ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい
じゃあどうすりゃええねん、と言われると、
そうだな、そうだな……
ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。
母親が過干渉で父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、
やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う
男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが
なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな
男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから、
男女平等、ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな
優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな
これらを持つこと自体を否定してるわけじゃなくて、もちろん大事なものなんだけど、無害性のアピールにしかならないから、
必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力、責任を引き受けたりする能力、リーダーシップやイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間的評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない
運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活を強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……
まとめると、
•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える
•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい
って意見かな。