親として嗜めるが
「粗にして野だが卑ではない」
この「卑」がいわゆる下品であろう
名家、世襲だらけの国会議員の前で彼は「粗」で「野」であろうからこのようなセリフになったのだろうと想像している
彼は明治19年に静岡の漁師の家に生まれ、一橋大学から三井物産、海外勤務
開戦に反対し引責辞職、いくつかの公職を経て戦後公職追放を受けながらも国鉄総裁となり現在のJRまでの発展の礎を築いた人物、天才。
「卑ではない」これ重要
宮中晩餐会に呼ばれプロトコールに従い所作つつがなく飯を食って帰れる人間は表面的には上品の極みであろう。まぁそれが出来る人間しか呼ばれないわけだが
対してヒール役プロレスラーからこぼれ出る「でも彼、裏では気さくで礼儀正しい常識人なんすよね」話。
そんな事はどうでもいい
人は品良く生きるべきか、下品に生きたほうが得か
「自分さえ良ければいい」
彼はこの行動指針を徹底している、
社会正義や品性など一円の得にもならないという合理的判断だろう。
多少の批判には最終兵器「自分金持ってるっス」を隠し持ってる安心感
正直羨ましい
「足るを知る」は負け犬の遠吠えであろうか
悩みながらも俺は品良く生きるコースを維持している
礼儀礼節常識を守り、努力を怠らず、他者を思いやり、自分と関わりを持つ人間の幸福を願う
でもさ、怪物下品男の水島廣雄は個人債務200億円踏み倒しても100歳の誕生日会は政財界からお祝い殺到、聖路加タワーで天寿を全うだからなぁ
これが単なる成功者バイアス、一般論から外れた統計ノイズであると信じたい
はいはい公正世界信念公正世界信念