はてなキーワード: 泥棒猫とは
・・・バギオ市内に入るが早いか、比島人の凄まじい怒りの罵声が待ち受けていた。
「ドロボー」
「ゲット、アウェイ」
ありとあらゆる罵声と投石の嵐を、出来る限り姿勢を低くしてくぐり抜け収容所へ向かった。
(中略)
途中、比島人は沿道の至る所で我々の通るのを待ち受け、家から飛び出して来て、バギオ市街にも増して激しく、
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
と声を揃えて大声で怒鳴る。
女子供までが、さも憎々しげに
と首を切られる真似をするかと思うと、侮蔑を表す彼等特有のしぐさで親指を立て、
「ゲット、アウェイ!(出て失せろ!)」
と繰り返し、大小の石がトラック目掛けて飛んできた。
(中略)
(貨車に乗り換え)途中停車する毎に比島人の憎悪のこもった眼差し、怒声、投石の嵐が続いた。
(中略)
後日収容所で聞いた話では、投石で頭を割られた兵隊、酷い者はピストルで撃たれて死人まで出た貨車もあったという。
しばらくして小さな町に入ると、鉄道の沿線には黒山のように住民が並んでいる。
列車が近付くと一斉に石を投げてきた。
(中略)
小石がパラパラと頭上に飛んでくる。
女達までが私達に向かって舌を出し、首を叩きながら喚いている。
ドロボウとか、パタイ(死ね)という言葉が、コーラスのように響いてくる。
(中略)
何のためか列車が野原の真ん中に停車したので、ホッとしてシートを取ると、住民達はここにもいっぱい居て相変わらず石を投げつける。
一人の老婆が近寄ってきて、
と言いながら、ビンロウの実を噛んで、真っ赤な口から血のような唾を吐き出し、憎しみを込めて叫ぶ。
肉親の誰かが殺されたのか、或いは家を焼かれたのか、家財でも奪われたのであろう。
「お前達はマニラで殺されるんだ!」
そう繰り返している。
私達もあのサンフェルナンド上陸以来、比島の住民達にしてきた事を考えると、その罪の大きさを思わずにはいられない。
途中、いくつかの集落を横切った。
彼等は、床の高い粗末な家の窓から顔を出し、黙ったまま、私達に軽蔑の目を向けていた。
彼等は、時々空に向けて小銃を放った。
それには度胆を抜かれた。
この罵声だけ覚えている。
(日本人射ち殺せ!)
こんな心だろう。
平和を取り戻した猥雑な街。
人が溢れている。
マニラの港に着くと、何百人ものフィリピン人男女が待ち受けていた。
ハングハング(首を締めろ)
石だけではない、ビンやコップを割った凶器も飛んできた。
最後の強烈な禊だ。
街を通過する時は、日本兵は頭を抱え、路上から飛んでくる石や、薪を投げつける老婆や子供から身を守らねばならなかった。
「バカヤロー!」
とか、「死ね!」とか叫んでいる。
ところが、Millare軍曹が立ち上がって、
「He is a good man! He is good!」
と怒鳴っている。
これには有り難かった。
(中略)
途中、フィリピン人が待ち構えていて、
「ドロボー!」
とか、「バカヤロー」
とか怒鳴っている。
どうしてこんなに怒鳴られるのか。
マヤントクでの住民との交歓の後だけに、狐につままれた思いであった。
バギオの街では・・・(中略)現地民が我々を見て、
と罵声を上げる。
(中略)
しばらくして貨車は動き出す。
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
と叫ぶ声が聞こえる。
所々に陸橋があったり丘の高いところがあると、この下を通る時が大変である。
現地人が橋の上や丘の上に石を持って待っている。口々に、
「ドロボー!」
「バカヤロー!」
「パタイ!」
と叫びながら石を投げつける。
(中略)仲間の中には石が当たって血を流してるものもある。
住民がパラパラと家から路上に駆け出して、手を振って何か大声で叫んでいる。
私達はテッキリ戦争が終わったので、喜んで我々を歓迎するために、家から飛び出したのだと思った。
我々は彼等の姿を見ると、ニコニコして手を振った。
ところがこれが大間違いで、彼等は形相恐ろしく、口々に、
と言っているのである。
なかには石を投げつけようとする人もいる。
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
「ヒトゴロシ!」
と罵声を浴びせられ、石を投げられた。
私達は頭を抱え荷台にしゃがみ込んだ。
石が頭に当たり血を流す人もいた。
現地の人を略奪し殺し、平和な国土を戦場にしてしまった私達日本人は、どんなにされても文句の言える立場になかった。
前方の沿道の両側にビッシリと住民が群がっている。
彼等はトラックが近付くと、老人から子供に至るまで、一斉に喚声を上げた。
拳大の石がいくつも飛んできた。
中には、手を首に持ってきて、水平に動かし、お前達は絞首刑だ、とジェスチャーで示す者もいる。
この調子では、フィリピン全土が、日本軍に対する恨みの炎で燃え上がっていよう。
無蓋列車はなおも南へ南へと進んだ。
そして、何度か、現地民の罵りと投石を受けた。
「バキャヤロ!」
「ドロボー!」
現地民が我々に叫ぶ侮辱の日本語は、とりもなおさす日本の占領時代に我々が彼等に使っていた言葉の仕返しであった。
「パタイ!」
「ヤマシタ、パタイ!」
「日本人を殺せ!」と投石する現地民の怒りを、我々は無蓋列車の中で、首をすくめて我慢した。
(石をもて追われる如く)敗残の身を、私は車中で目をつむっていた。
(証言者その2)・・・ところが思いもかけない次の言葉で、冷酷な現実の実態を思い知らされた。
ジェスチャーを交えて投げ飛ばす彼等の言葉は、相手を侮辱する時に使う日本語の、
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
なのであった。
しかも、罵倒するだけでは飽き足らず、彼等の中には青竹を振りかざして殴りかかってくるものもいたし、私を目掛けて、小石を投げるものもいた。
(中略)
それなのに、まるで泥棒猫でも打鄭するように、青竹の一部がささくれだって裂ける位の勢いで、殴りまくる人もいた。
筋肉の脱落した痩せた体を目掛けて、ビシリ!ビシリ!と打たれる度に、不思議に肉体的な痛みは感じなかったけれど、まるで心臓に五寸釘でも打たれるような激烈なショックを受けた。
そして、その時、身に滲み通るような敗戦の惨めさをつくづく感じたのであった。
人家のある所を車が通っていくと、我々は罵声を浴びせられ、小高い家の庭先で洗濯をしていたオカミサンは、矢庭にタライの中の石鹸水を浴びせかけたのであった。
(中略)
遠い金網の外側にはフィリピン人がたかって、拳を振り上げたり、唾を吐きかけたり、日本人へ憎しみを表しているようであった。
沿道のフィリピン人達は、私達の乗ったトラックを目掛けて、石を投げつけ、日本語で、
「バカヤロー!」とか、
「インバイ!」
この付近のフィリピン人の家を我が物顔で横取りして、作物を荒し廻った私達だから、どんなにされようとも仕様のない事だと思う。
(中略)
駅につけば付近の住民がギターを持って、貨車の周囲に集まってきて、何かタガログ語で歌い、罵り、嘲笑う。
バギオに近付くにしたがって、現地民達が増えてきた。
「ギロチンOK」
「ドロボー!」
と口々に喚きながら石を投げつけてくる。
手を頸に当てて引き斬るような手真似をしては、唾を吐きかけ、バナナの皮などを投げつける。
(中略)
事実、日本軍は彼等の財産である家々を強制的に使用し、床や壁を剥がして家捜しをしたり、燃料の代わりにして荒らした。
ときにはゲリラやスパイと見なして、善良な市民さえ射殺した(注、斬首だろうに)。
寒風のごとき日本兵と、太陽のごときアメリカ兵では比較にならない。
途中で、シビリアン達が口々に
「ドロボー!」
「バカヤロー!」
と盛んに私達のトラック目掛けて投石したが、フルスピードで走り抜けてくれた。
(中略)
(列車に乗り換えた後)停車駅では無蓋列車に座らされ投石を防ぐ。
相変わらず
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
の罵声と共に投石するシビリアン達。
情けない。
日本兵など、人間でもっとも下等な存在だからね(日本兵≠日本人)。
強姦ばっかしやがって!
パタイだよ!
フィリピン人達の怒りは、俺の怒りでもある。
強姦魔!
恥知らず!
ケンペースケベ!
ちんこ斬っちまえ!
ご無沙汰していた早朝増田です。
ほぼ一年前に書き込みしていた増田ですが、一時期、ここで言い寄られ続けるという待遇を受けました。
実に馬鹿ですね。何度も言い寄られるうちに絆されてその気になってしまい、会ってみたいと書いてしまった自分が情けないです。
しまいには嫁という人も現れて、勝手に言い寄られたのに勝手に泥棒猫扱い。さっぱり理解できませんでした。
事情をとにかく説明してもらいたかったのに、連絡先が分かってるのに連絡がこない。とにかく待ってほしいというから待ちましたが連絡無し。
とにかく直接のコンタクトが無く、増田でしか会話が成り立ちませんでした。
今にして思えば直接連絡が無いのは当たり前ですよね。複数人で人の事を落とせるかゲームしていたのですから。
いや、落とすのはできても、それ以降の責任が負えないから、直接の連絡ができる訳ではなかったのが真相だろうし、
それ以上に個人情報を聞き出して、何をしたかったのでしょうか?これまでの男の話を書けだの何だの言ってましたが、どういうつもりだったのでしょうか?
ネットでは偉そうな事を書いていても、もともとエロ創作ものを作る生業をしていた人間が、主犯格だったのだから気づくべきでした。
しかも、はてなにID登録した際に自己申告させられた生年月日が全て、増田に書き込まれる始末。
人が書き込むと一定の合図があるのも、運営でしか知り得ない情報の一つでしょう。
はてなの運営に関わる人間が介在していないと信じられるでしょうか。匿名ダイアリーのオーナーであるwanpark氏でも関わっていたのでしょうかね。
一時期、人が書き込むと年収祭りが始まったり、下方婚だのと書かれたりしましたが、
連絡が取れずに匿名書き込みでしか連絡の取れない相手と、どう下方婚しろというのでしょうか?
しかも、どうやら私が一方的に悪者なのか、知りもしない人から揶揄されている最中に、人の個人情報をばら撒き、直接連絡が取れない始末。
自分の苦痛を創作小説で表したら、第三者の批評でしか反応を示さない。いや、私も馬鹿ですわ。ほんと。だってゲームだったのですからね。
もう、ほんと公衆の面前で複数人からレイプされている感覚でした。
そういった事を冷静になって見直し、増田を一時期遠のきました。
そして、改めて今日SNSに書かれているメアドにメールし、あれは何だったのかと質問したたところ、
やはりメールでは連絡が無く、こういった書き込みがされた次第です。
まぁ、こういった書き込みもたまに出ていたのだから、罪悪感からなのか仲間の一人が書いていたのでしょう。
でも、許す許さないでいったら許される行為ではないですよ。色々な意味で。問い詰めても知らぬ顔したはてなの運営も。
今回、ここに書くに至った理由は、
・はてなに自己申告した個人情報は、きちんと管理保護されている訳でもなければ、一部の人間の間で共有化されている
・匿名と書いておきながら一部の人間で共有化されている時点で、匿名ではない
・はてなのログイン履歴も合わせれば、運営側の人間なら生活場所も特定できる
自分は基本的にイケメンを怖がるんですけど、でも一部に恐くないイケメンが居るんですよね。
松岡〇造 ... めっちゃくちゃ御曹司なんだけど謙虚で親近感があってすごい。あとおもしろい。
ゴ〇(歌い手) ... おもしろい。思い出はおっくせんまん を歌ってみたしてた人。
面白ければセーフみたいです。
なぜイケメンが怖いのかというと、なんだか、そびえ立つチンポで殴られ、非モテをdisられマウントされて精神的に殺されてしまうんじゃないか、みたいな恐怖を抱くのだと思います。非モテコンプレックスがすごい出てきてしまう。いや実際のところそういうマウント取るタイプのホモサピエンスのオスって居るじゃないですか、実際恐い。恋愛は競争ですからね、より良いオスが現れたらそちらに乗り換える選択を簡単にとってしまうということです。バチェロレッテ。
そういうのじゃなければセーフなんですが。
動物は、サバンナでメスを取り合ってオス同士がバトルするわけじゃないですか、その場面で勝ち目がなさそうな強いオスがいたら恐怖でアイエエエエ?!としめやかに失禁しますよね、そういう事だと思います。辛いけど否めない。
好みのメスを取られてしまうんじゃないかと恐くなる。プライドが折れてしまう。
「イケメン恐怖症」ってDSMで精神疾患になってないのでしょうか?動物のオスとして根源的な恐怖だと思うのですが・・・
NTRというジャンルって、その恐怖をジェットコースターやお化け屋敷みたいにエンジョイする遊び(性癖倒錯)なんですか?
今更だけど、米津玄師の感電、最初のあたりでゲーム音っぽいのが入ってるけど
あれってNAMCOのアーケードゲームMAPPYの音源?もしくはそれっぽいのイメージして入れたのかな?
警察のドラマMIU404用に書き下ろしというし、警察もののゲームでMAPPYっぽいの入れたのかな?
さすがに歌詞のハイウェイスターはスクウェアのゲームじゃなくディープパープルの曲のイメージだろうけど。
ただ曲中は犬と猫の鳴き声だけど、MAPPYはネズミの警官と泥棒猫なので関係ない?
あまりそういう制作話とか読まないしネットで探しても何も出てこないので、深読みしすぎなだけかもだけど
誰か知ってる人いるかな~と思って書いてみた。
奥さまには「泥棒猫」とか言われてそう。
25歳社会人3年目オタク女子。3年前に知り合った32歳の男性(今年30歳になる彼女と5年間同棲)とかれこれ2年近くセフレ関係を続けているのだけど、いっこーにバレない。本当にバレない。バレなすぎて拍子ヌケしてしまう。
彼との待ち合わせ時間に最寄り駅前に行ったら彼女が待ち伏せていて「この泥棒猫!」と塩酸でもぶちまけられる展開を毎度予想してちょっとドキドキしているのに、全然そんなことは起きない。彼は私の家にやってきては「水曜どうでしょう」を見ながら彼女とのセックスレスを嘆きつつ「増田さんのことは好きなんだけど長い付き合いの小町のことも放っておけないんだ……ごめんね」と私を抱きしめてくるけれど、彼女の「夕飯のネギ買ってきて」LINEに「わかったー。友達と映画見てるから少し遅くなるかも」と返信をし、きちんと夕飯までに家に帰る。私の家のお風呂場には彼が自宅でも使っているボディーソープ、シャンプー、コンディショナーが置いてあり、彼はそれらで汚れた身を清めてからさらにリビングでリセッシュしたうえで適度にタバコを吸ってヤニ臭さをプラスし、ネギを買って家に帰るのだ。
「結婚する気がないなら別れればいいのに」「これって実質付き合ってるのと変わらないよ」と私は何度も彼に言っているけれど、彼は申し訳なさそうな顔で私を抱きしめるだけだ。長年同棲してる彼女がいるのに、他の女のごはんを食べながら裸で「水曜どうでしょう」を見ている男と付き合えなくても、むしろ人生にはプラスなのだけど、私からサヨナラする切迫した理由が特になく、だらだらと関係を続けてしまっている。いや、こういうだらしない男とだらしない付き合い方をしていると、どんどん精神性がだらしなくなっていって、いつか後悔するんだろうとはわかっているけれど、自分から関係を切ることはできないのだ。だって、好きなんだもん。
ドラマみたいに包丁を持った彼女が自宅に乗り込んできたり、アニメみたいに彼の生首が送られてきたりしないと、この生活に終止符が打てない。それとも、においを消したつもりで私が本当にこっそり香水をふりかけたコートをまとっていることに気づかないボンクラな彼氏の浮気に2年も気づかないさらにボンクラな彼女の観察力に期待するよりは、いっそ彼がトイレに行っている間にでも彼のiPhoneを手にとって、彼女のLINEに「浮気相手です★」とメッセージを送ればいいのだろうか。そういうことをするのはなんとなくかったるい気がする。
(ちなみに彼が結婚していないのは間違いない事実だ。なぜなら、彼は職場の先輩で、職場でも、同棲している彼女との関係に悩んでいることを明かしているからだ)
は~~、そろそろ「水曜どうでしょう」以外が見たい。
【追記】
トラバ・ブクマいただいたみなさん、ありがとうございます。
明日は、父の命日だ。
この時期になると、決まって思い出すのはあの凍えるような日のことである。
その最後は家族に見守られて、幸せそうに見えるものだったろう。だが、私は父の臨終に際して泣き喚く連中に対してこう言った。
「うるさい」
それは、私自身の本心からの気持ちでもあったし、おこがましくもあの時ばかりは父の気持ちが乗り移っていたように感じる。
父は、恐らくは静かに逝きたかった筈である。たった一人きりで。大好きな音楽を聴きながら。大好きなものたちに囲まれながら。一人きりで何にも悩まされることなく、穏やかな気持ちで逝きたかった筈である。
決して大勢の者に無様な姿を見られながら、本心から自分を思っての為では無く、自分を失うことで自身が悲しいだけの人間たちの声を聴きながら、彼岸になどゆきなくなかった筈である。だから、私は泣かなかった。決して声を上げたりしなかった。
せめて、私だけは静かに父を見送りたかったのだ。それが、父に対して出来る最後の最善のことだった自負している。
私と父は、実の家族であるのにほとんど会話らしい会話をした記憶が無い。それは、父がワーカホリックで帰宅時間も遅く、多趣味で休日もほとんど家に居なかったからである。
もう一つの理由は、私たちが仲良くしていると母が機嫌を損ねるからである。今から思えば、一体何を危惧していたのだろう。父を早くに亡くした母は、年の離れた夫に父性を見出し求めていたのかもしれない。ならば、同じ女である私は父を自分から奪う泥棒猫のように見えたのだろう。ゆえに私たちは違うところで繋がる他なかった。私の嗜好するものは、父からの影響も少なくなかった。私たちは一緒に過ごした時間は少ないけれども、確かに繋がっていた筈である。今は、そう信じたい。
人というものは必ず死ぬものであると認識したのは、愚かしくも成人してからである。
焼いてしまった人が、こんなにも軽くなることを知ったのも、大人になってからである。
大柄ではなかったが身長の高かった父の骨は骨壺に入りきらず、斎場の人が潰して入れ込んだ。あの「ぐしゃり」としたなんとも形容しがたい音が、今も耳から離れず時々思い出したかのように耳鳴りがする。ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり。駄洒落ではないが、骨のことは舎利ともいう。ものが潰れるさまという意味らしいが、案外ここから来ているのかも知れないなと思った。
私は時々夢想する。自分の死に際を。自らの葬列を。人の居ない寂しい葬列を。青白い顔に施される薄化粧を。痩せ細った身体に着せられる死に装束を。棺に押し込められた色鮮やかな花々に埋め尽くされる自分を。私は、夢想する。自分の、死ぬ時を。
いつか自分が死に、焼かれた骨が潰される音も、父と同じ音でであると願いたい。
ぐしゃり。また、あの音が聞こえる。明日で、もう四度目だ。
私は小さくそう呟くと、煙草に火を付けた。あの凍える空に昇っていった父の残滓は、今どこに在るのだろう。私は、誰の為か分からない涙を少しだけ流した。