はてなキーワード: 暴力とは
一発ぶん殴っとけば互いにここまで尾を引かなかったのにね
エッグは恨みを募らせ爆発中、藤井はキャンセルリスクを抱えることになったわけだが
非暴力主義は結局恨みを蓄積によって増大する社会を作ってるのでは?と考えさせられる
あれはダメはわかるので権力には今回は反対しないことにしたよ。
女の裸は男の裸より人の判断能力を狂わせるのは想像に難くない。
本人がどういう候補者なのかも調べずに投票する人がただでさえ多いのに、あんなふざけたことで神聖な選挙や民主主義を汚すなと思う。
まあもうすでに金のあるバカのおもちゃになってるとこあるけど。
そうやって民主主義の顔してふざけたことする奴らが最終的に国会議事堂を襲撃したりするようになるんだと思う。
表現の自由を守りたいならむしろこういうことはすべきじゃない。
もっと不自由にしないとこういうふざけた輩がでるんだなっていう考えに世間が傾くから規制もかえって厳しくなる。
合法と違法の間の曖昧な部分を、そこまで深い思想も考察もないくせに面白半分に弄れば安全側、つまり規制するほうに力が働くのは物理法則みたいなもんでしょ。
あれも表現の不自由とかいう割に別の思想に偏りすぎてて言いたいことが伝わらんだろ所詮左翼のお遊びかって思うけど、それでかえって表現の自由が毀損されるようなことはなかった。
日本っていう箱でそれなりに金も持ってぬくぬく暮らしてる奴が「クレバーな俺が規制の穴を突いてやったぜ」っていう虚栄心のために、その自分たちを守ってくれてるはずの社会システムのセキュリティホールを広げようとするような頭の悪い行動をして得意顔でいるの、少しは恥じてくれと思う。
前者は男性の性欲を抑制することで社会から性的なハラスメントを撲滅するべきであるという文脈で使われる。
後者は少子高齢化に対する対策として女性の性欲を向上させることで計画外の妊娠を促すという意味合いで使われる。
男性の性欲を抑制する効果がある薬はどうやら存在するようである。
だから、後者に関しては完全にSF・ファンタジーの世界、仮定の話になる。
もちろん、前者も完全に仮定の話になるのだが。
どちらの場合でも、その性欲をコントロールする機関なるものの存在が必要になるのでは?
全国民の性欲をコントロールするべく、コロナワクチン摂取イベントのようなものを定期的に実施するべきであるという主張とも言える。
後者の場合は、少子高齢化対策として機能して人口が増加するようであれば国力の上昇につながるならば経済的にもとは取れるかもしれない。
そのような話の前に、そもそも国家が国民に対して、公衆衛生的な目的と乖離した目的で定期的に薬剤を投与するようなことが許されるのか?という話をしなければいけない。
おおよそ、そのようなことが許されるわけはないのは言うまでもない。
だから、性欲をコントロールする主体が国家を想定しているのであれば、かなり頭の悪い人の言動ということになる。
あるいは、なんらかの自主規制として社会がそのような暗黙の了解を形成するべきという理論なのだろうか?
個人が自主的に性欲を抑制したり、上昇させたりすることを期待しているのであろうか?
例えば、喫煙という行為は社会的プレッシャーにより大幅に抑制されている。
そのようなものを社会的合意を形成するべきであるという主張なのだろうか?
前者の場合、セクハラやあるいは性的な暴力を抑制する目的のための手段として主張されている。
もしも男性がその性欲を抑えることをした場合に与える社会的な変革のうちの瑣末事でしかない。
まず子どもの出生が減るのは間違いない。
これにより国力は現在より更に低下する。
そして上記にも書いたように国家が何らかの形でそれに関与するならば、そのような国家は意図的に国民をコントロールする術を手に入れることになる。
そのような権力を行使する国家とは極めて自由のない国家となりえる。
おそらくは合意の取れたパートナーがいる場合に限り、性欲の開放は許可されることになるのであろう。
そのようなパートナーがいない場合には、その性欲は有害であると判断されてその性欲は否定される。
このことは性産業、さらには性風俗産業にたいしても壊滅的なダメージを与える。
これは結果論としてだ。
男性に性欲がなくなれば、女性に対して性的な魅力を感じなくなることになる。
このことは女性に対して有利に働くケースもあるが、不利に働くケースもある。
一方で性的な魅力を失った場合にも、女性が社会的な地位を現在同様に維持できるのかは予測がつかない。
おそらくは女性にとっては不利に働く。
ものすごくハンサムな男性が何らかの事故などによって顔面に激しい損傷を受けた場合にも今までと同様に生きていけるか?という問題を想像すればわかりやすいかも知れない。
女性は性的な魅力を失うことで、そのゲタはなくなることになる。
そのときにより厳しい局面を迎えるのは、能力のある女性ではなく、能力の低い女性である。
結婚や風俗産業が経済的にその女性を救うことが難しい社会が形成される。
そのための社会福祉が必要なるが、そのような予算が捻出できなければ、国家はその女性たちを男性にあてがうことになる。
全体として国家が男性の性欲を抑制した場合、あまりハッピーな方向へと向かわないはずだ。
おそらくは、その国は滅びる。
そもそもがすべてファンタジーの世界の話であり、真面目に考えるような話でもない。
また
裏返しであり
前者を主張する人間は
そのことを自覚せずに前者を主張するような人は馬鹿とはいわないが少し考えが浅いと判断できる。
このキャラクターはこの声しかありえない、なんて言われていたキャラの声優が変わることを何度か体験したが、なんだかんだで半年も経たずに慣れちゃうんだよな。
違和感を覚え続ける人もいるのだろうが、そういった声もどんどん少なくなって、やがてフェードアウトしていく。
今回もそうなるのかもね。
https://togetter.com/li/2386568
筑波大の先生の言い方が乱暴だという問題はあるけど、「そろそろ薬で男性の性欲をコントロールすべきでは」というのは割と同意するな。
性暴力が理性ではなく「衝動」というなら、それはもはや治療の対象でしょ。松本人志もそうだったわけだけど、過剰な性欲を持て余している男性はたくさんいると思うよ。
自分自身も、酔っ払って電車に乗ったらJKに痴漢とかしてしまわないか、という心配や恐怖がある。飲んだら必ずタクシーで帰るという人もいるが、自分は金がないのでできない。
そもそも、長らく宗教の道徳がそういう性欲をコントロールしてきたわけだけど、今はそうした道徳は弱くなったんだから、かわりに薬に頼ると言うのもアリなんじゃないか。
そこら辺で知ったんだけど、バッキーの社長がそろそろ出所するんだって?いや、もうしたのか?
まあいいや
詳細
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
懲役18年だったのか
バッキーなあ
グロい、汚い、エロくない、可愛くない、過激なことやったらウケると思ってる、演技っぽい
みたいな、所詮フェイクみたいなイメージだったから捕まってびっくりした
誰が好きなんこんなの?と思ってたけど、案外居そう、AVっていうかグロ動画だよね
Youtubeやブログなどで「極悪AV監督が」みたいな感じで紹介されてるのはすげー違和感あって気持ち悪い
一応あくまで何でもありの犯罪集団っていうより、過激AVの奴らがやり過ぎたっていう認識なんだけど
なんか、極悪人であってほしいみたいなのを感じるよね(いや極悪人だけどね?AV頑張った結果はみ出したみたいな感じ)
「バッキーの悪評が広まって出演者居なくなって素人を攫ってきた」ってのがあったらしいけど、そのせいで出演者全員そういうのだと思ってる人いそう
女優に内容を過小評価して伝えてたってのはまあ、今の法改正で厳しくなってよかったよね
捕まった主原因はぶっちゃけ事故っぽいしなあ(微罪は大量にやらかしてるんだけど)
てか当時ここまでいかないけど過激風なやつって結構あったよね?と思うんだけどあまり思い出せない
全然SMじゃないじゃん、ただのリョナ、暴力、嫌がらせの類で一方的、SMじゃなくてSのみ
出所したらまたやるのかね?
59歳くらい?
_____
https://bunshun.jp/articles/-/63565
まあ本人が反省してるかどうかは置いといて
やっぱ事故か事件か、事件だとしてどれだけ重いかのあたりって曖昧というか、微妙な感じなんだな
結局「警察が他の女優たちを説得してレイプ事件に持っていった」わけで
いや、捕まえて大正解だと思うけどね
東京都知事選が混迷を極めている。
保守のアイドル「小池百合子」と左派のアイドル「蓮舫」の戦いだ。
共産党の闇の力を手にした蓮舫が、絶対王者「小池百合子」に挑む。
民主主義の手によって。
これが今の日本だと、そう思う。
失われた20年が30年になり、40年に迫ろうとしている。
氷河期に陥り、その長い不況の中で自民党や、それに追従する資本家は、
日本を立て直した人々は、もういない。
あの頃は違ったのだろう。
日本には未来があった、ゼロから、マイナスから、立ち上がる未来があった。
確かに自由恋愛や、男女平等も無く、労働者の権利は今以上に弱かった。
黒部ダムの建築の如く、多くの人が見えない所で亡くなった現実も、あるだろう。
それでも、あの頃を生きた人には、
あの頃を生きた人は羨ましく、輝いていたように思う。
何も学ばない、愚息であったのか。
生き残った意味は、なんだったのか。
腐敗と堕落、慢心と楽観の中、
ただ漫然と過ごしたのならば、しらずのうちに選択肢が搾られるのは、
個人がそうであるように企業もまた、自治体も、国も、同様であろう。
もうすでに、この国に選択肢は残されていないのだと、そう思う。
今一度、立ち上がり40年に迫る遅れを取り戻す胆力も、不遇逆境の中、あらゆる汚名と損害を被ってでも尚、手にしたい未来も、
既に無い。
資本家に無いのも、政治家や、その周辺に佇む非民主主義的に滞在する者共も、同じであらう。
都民かあるいは市民の、名も無き人々に残された最後の選択肢なのかもしれない。
今、これを読む人々が、どれほど真に政策による社会変革を信じているだろうか。
それよりも望むのは腐敗した政治家と、その家族の破滅ではないか。
彼の上級国民の如く、衆愚の視線が求めるのは、傲慢と堕落に満ちた醜態を晒し、正義の名の下に捌かれる光景ではないか。
小池都政を私は評価できない身の上だから、彼女の功績の是非については語らない。
蓮舫が勝ち、そうして自民党政権が再び「お灸をすえられる」のだ。
しかし今、国民はあの時ほど、旧民主党系政党や左派連合に夢や希望を抱いている訳ではないだろう。
あの時ほど、夢と現に惚けるほど、愚かではない。
再び混迷の時代に突入して尚も、保守政党の破滅を望んでいるのである。
自民無き後、残された者たちに、国政を担う力は無い。
辛うじて生き残っていた多くの企業が、力を削がれるだろう。
残された世代も、力は無い。
あの戦後のように連帯し、明日へ向かって共生する事など不可能だろう。
辛うじて生き残った企業もまた、人を雇う力が無い。
頼みの綱であった外国人労働者も、
「人を育てる」ノウハウは失われ、同時に次の世代に何かを残す力も残されていない。
もし、それが決定的となる出来事があるとすれば、
2030年~2040年の震災か、2040年~2050年の戦争だと思う。
いずれにしても遅かれ早かれ、この二つは確実に起こる。
期待は出来ない。
そもそも自ら生き残り、私腹を肥やす事をしてきた世代の、その二世・三世だ。
日本というものに発展が見込めないのであれば、それを捨てない理由はない。
辛うじて維持されていた理性の部分が、瓦解する。
その事が否応なしに叩きつけられる。
いずれにしても、
だが、その時の日本に、
馬鹿だったなと、笑いたい。
安村のはいてないように見える写真が選挙ポスターとして何枚も貼られてたら注意くらいは行くかも?
まあギリギリを攻めてたから面白かったんだよな。何よりちゃんとはいてるし。
アキラ100%もあるし、女芸人で近いことをやってるのはいるでしょ。
テレビは消せば見なくて済むんだよ。選挙ポスターはずっとそこにあるだろ。その道を普段から使ってる者からしたら強制的に見せられてることになるんだよ。他の道使え?なんで普段の行動を制限されなくちゃいけないんだ?そりゃもう暴力では?
20枚もあるんだから、穏便そうな写真から過激な写真までグラデーション付けて貼って境界がどこかで警察をバグらせた方が面白かった。今回は全部同じポスターでとのことだったから、1箇所で差を付けるのはできなかったけど、複数箇所で10段階くらい過激さが違うのを掲示するとよかった。