はてなキーワード: 情状酌量とは
男が情状酌量のつくケースの犯罪したことないよな。男の犯罪ってほとんどがカッとなって殺した、とかそういうのばっかりじゃん。そりゃ女性のほうが背景を見てもらえやすいのは当たり前じゃないですかね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/62718
これ酷いな
saori-yamamura 不倫の事実で好感度が下がったが、記者への態度と対応が誠実で逃げも隠れもしない感じで好感度上がったʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
kenjou 美人局なら要求されるのはお金であって刑事罰じゃないからね。警察が受理したということは怪我をさせたのは事実なのだろう。
downtheline201 美人局に出会したか、これまで仲良くやってきたセフレに反旗を翻されたってとこなのかな。有名人なんだからどうしても発散したいならちゃんとプロ使っとけよ。素人はあかん。
kyrstinupgalumnicom 俺ら庶民にはわからないけど、お金持ちには変な女が群がってくるんだろうなぁ。かわいそう。お疲れ様です。
Erorious_BIG まだ保留。完全に事実であればバウアーのように解雇が妥当だが、言いがかりの可能性もある。美人局も騙されるのに落ち度はあるがまだ情状酌量の余地はある。
これと比較するとよくわかる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_18/n_10540/
山川穂高の件は昨年11月に勃発、すぐに女性側は被害届を提出しているが、事情聴取が始まったのは最近。
つまりWBCが終わるまでこの件が寝かせられていたことになる。
いつかの飯塚上級国民を思い出させる警察の忖度案件でもあるが、それを指摘するブコメも皆無。
上記の増田は「いじめられる側にも原因があるが責任はない」って意見らしいが俺の意見は逆だ。
「いじめられる側の当人の性格なり言動は当人が自分で責任を持つべきモノであるが、それがいじめの原因になってはならない」ということだと俺は思う。
「○○なんだからいじめられる」ってのを疑いもしないのが上記の増田の文面から伝わってくる。
性格が合わない人はもちろん居る。皆が仲良くなんてあり得ない。
けど、いじめが起こったのはいじめられた側が○○なのも原因の一つ、なんてのは容認されるべきではない。
そんなの、安倍ちゃんが殺されたのは安倍ちゃんが統一教会にどっぷり浸かってたからだ、ってのと変わらん。
個人的に安倍ちゃん大嫌いだし、いまだに統一教会にどっぷり浸かったままの自民党なんかクソだと思ってるけど、殺人犯に情状酌量の余地なんか1ミリも無いと思ってる。
いじめられた側の性格や言動に難があるならそれはいじめとは無関係に対応すべき事であって、いじめの原因の一つだ、なんてのはいじめた側の免責にしか繋がらない。
https://anond.hatelabo.jp/20230417120220
私は山上徹也に同情する。つまり情状酌量の余地があると思っている。
『テロリストの主張に沿った物言いをすることがテロ容認だ』や『目的の正しさは手段を正当化しない』というコメントを目にしたが、山上のやったことが正しいことだとは思っていない。
手段は誤っており、殺人で、有罪である。しかし情状酌量の余地がある。この2つは両立する。
「同情する」という感情は私だけのものではなく普遍的に存在する。しかし社会の大きな枠組みとして存在するわけではなく、個人の意思に委ねられるので、消すのは難しい。というか無理である。
例として、ある会社で社員の不注意により事故が起こった。今後事故を起こさないようにするにはどうすればよいかを考える。「もっと注意する」は効果が薄い。人間のミスは無くせないから。根本的原因を解決するか、事故が起こっても大事に至らない方法を考えるのが正しい。
これと同じように「犯人に同情する」という消せないものを消すことに力を注ぐのは何かずれてるなという気がする。そんなことでこの負の連鎖は解決しない。
次に、『テロの背景を知るとか原因に対策するとかという議論がナンセンス。テロの主張にスポットを当てること自体が、次のテロの原因になる。テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会なら、テロがなくなる訳ない。』という意見。
「テロ」とは「政治的目的を達成するために殺害など苛酷な手段で、敵対する当事者さらには無関係な一般市民などを攻撃し、そこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して譲歩や抑圧などを図るもの」とされている。
無差別殺人テロであれば私だって「情状酌量の余地なし」と思うけど、山上は「安倍元総理の隣の人に当たらないくらいの距離まで近づいた」と言っている。正直なところその他の殺人事件被害者1人との量刑差を見いだせない。
今回のテロであれば敵対対象が明確な分恐れもない。知らないうちに国に巣くってるカルトの方が怖い。
一部ではあるが『いかなるテロも容認できない』と主張する方々の中には一方で『いかなる差別(実際には区別)も絶対的な悪だと決めつけてしまうと、自分は悪ではないので差別しない→自分がしているのは差別(区別)では全くないという誤った認識に陥ってしまう。ある程度の"区別"は社会に必要だよ。』なんてブコメしている人もいる。都合がいい物差しじゃないか。そして根拠薄弱の自覚があるのか自らの主張を「民主主義に対する脅威」として権威付けする。
個人ではなく国として「テロ犯の要求は聞かない」という方針はありだとは思うけど、だからって自民党議員の半数近くが教会と接点を持つような脅威とカルトを放っておくのはなしでしょ。結果的にそれが山上の主張に沿う形になったとしても対応すべきだよ。
何より山上からすると旧統一教会のせいで家族が崩壊した中で、国に頼ろうにも政権与党が「政治的な正しさや国民の苦しみよりカルトとの癒着による議席の確保が大事」だとしてきたわけで「ではこちらも正しさなど知ったことではない。」と山上に言われたら返す言葉ないじゃん。
これって「テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会」だからではなく「テロでも起こさないと言い分を聞いてもらえない社会」だったからだよね。(岸田首相襲撃の木村容疑者に関しては何も分かっていないため今判断しても的外れになるので書かない。)
被害者に落ち度があれば加害してもいいってことなら、レ○プだってそんな服装してるからになるし、いじめられる側にも問題があるからいじめられるのは仕方ないが成立するわけで、
テロに理解を示す必要はないし、どんな理由があろうともテロ=悪で、社会の敵でそれ以上でもそれ以下でもない。
私怨を果たせた山上がどう思ってるのかは知らんけど、同じ二世でも彼の心情を理解できるやつとできないやつは明確に分かれるしな。
情状酌量の余地だのなんだのなんて、裁判所が判断すればいいわけで、一般人には関係ない。
どちらかといえば、ただの自民党の攻撃材料として利用している輩が多くてげんなりする。
山上にも統一教会の被害者にも興味はないけど、自民党を攻撃するネタが提供された!で喜々としてる(ように見える)やつらが一番クズで、
マジレスすると、結局なし崩しで家に上げてしまったという点においてお前が悪いんだぞ。ただし状況的に情状酌量の余地が大いにあるというだけ。
んで、それとは別に相手の親が(お前の話を正しいとする前提で)「いやそれはいくらなんでもねえだろ……」というレベルで、それはそれで悪い。
これでお焚き上げって文章なんだろうからこれ以上ジメジメと昔を振り返ったり自己分析しろとは言わないが、要するに
「従前従後の放置っぷり等も含め、相手の親の言動に反省と改善が見られない」
ことに正義感で憤りを覚えているんだろうが、相手の親が反省するかどうかはお前の決めることではないしどうにもできない。
相手の子供は親と関係ないので、もしお前の子供と相手の末子等を仲良くさせたくないなら、子供にどう言い含めるかだけ考えておけばよい。
もし子供同士が仲良くなるのは別に良いとのスタンスなら、相手の家庭事情をこちらに持ち込ませないようにどうブレーキかけるかを考えろ。
がんばれ。
地方に夫がいて私ももうすぐそちらに引っ越すんだけど、最近、入籍後に夫から言われた・された嫌な言動で自家中毒みたいになってる。
怒り悲しみ憎しみ倍増中!
会えないから尚更。
学歴馬鹿にされたり、私がそそっかしいことをすると舌打ちされたり。
前者は喧嘩中だし、後者は余裕がない時だったから情状酌量の余地はあると思ってる。
私だって敬意に欠けた態度をとってるだろうしね。
でももはやこのことを考えると好きだった時に尊敬してた感情やそばにいたい気持ちがふっとぶw
このまま別居していたいし、それでうまくいかないなら離婚してもいい。
付き合ってる時は喧嘩もしなかったのに。
友達だったらすこし距離をおいたりできるけど、それができないのがしんどい。
根に持つ性格なのがだめなんだろうね。
「女らしさ」の戦略と罠 -ゴフマンの分析視角から- 高橋 裕子
( 『立命館産業社会論集』 第35巻第2号 1999年9月)
https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/1999/35-2_takahasi.pdf
私は「外務省機密漏洩事件」(以下「機密漏洩事件」とする)として知られる事例を取り扱うが,この事件は当時外務省事務官であった蓮見喜久子が,親密な関係にあった毎日新聞記者の西山太吉に外務省の電信文のコピーを手渡し,両者が国家公務員法違反に問われた事件である。
分類図式に基づいた振る舞いは,行為者の能力に依拠するにもかかわらず,蓮見(事務官)は「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」と供述調書で語り,性的匂いを漂わせつつ自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らしたのである(注)。
上記の発言こそがまさに彼女が組み立てた戦略なのだが,ここで彼女は分類図式をことさら強調し,main trackとsubtrackとの混乱に乗じて,情状酌量を勝ち取ると同時に西山に攻撃を仕掛けようとしたのである。本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかったのである。少なくとも蓮見に性的関係をsubtrackに留める意志さえあれば,そうすることは十分に可能であった。ところが蓮見は性的関係を敢えて「告白」することで-それをmain trackとして採用することで-「西山加害者,蓮見被害者」とする設定に真実味を帯びさせていったのである。
後段には実際の法廷での証言などもあり、読み物としては面白い。その辺りは澤地久枝の著作からの引用が多いのだろう。しかし、ずいぶん蓮見事務官に辛く西山記者に甘い評価だなという印象も持った。
最高裁判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/114/051114_hanrei.pdf)では当初の出会いについて「かなり強引に肉体関係をもち」とあるが、その根拠となった供述が「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」のような『生物学的性』を持ち出したものであったから、蓮見事務官について「自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らした」と髙橋氏は断定するのであろう。
確かに捜査過程での供述や法廷での証言を具に見れば、蓮見事務官が情状酌量を求めて、あるいは自分を利用した西山記者への怨嗟から、自らの被害者性を強調した面はありそうだ。
しかし髙橋氏は「本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかった」とまで言うが、それは言い過ぎだろう。
性的関係は情報取得の目的で、西山記者から仕掛けられ成立したものだ。つまり記者にとってその性的関係は別の目的のための手段に過ぎないのに対し、事務官にとってはそれ自体が目的でしかない。
そのような性的関係こそが蓮見事務官の行動を束縛し、結果として機密文書の受け渡しという葛藤の生じるはずの行動について事務官を受動的な立場に置いたことは明白だ。
ふむふむ。5回読んでなんとなくわかってきた。
朴は朝鮮人の無政府主義団体である黒濤会を結成して中心となっていたが、大正天皇の写真を壁に張り、ナイフで刺したのを尾行の刑事に見られたことから、関東大震災後の1923年9月3日に金子とともに検挙され、上海から爆弾を入手し天皇暗殺を計画したとして1925年10月20日に起訴された。
1923年9月1日に起きた関東大震災の2日後、戒厳令下に朝鮮人が民衆によって私刑を受けた
震災後の混乱期に、朝鮮人無政府主義者・朴烈と愛人の文子が治安警察法に基づく「予防検束」の名目で検挙され、東京淀橋警察署に連行された。
当時の警察・司法当局は、かねてから朝鮮民族主義と反日運動を主催してきた
朴烈が「朝鮮人暴動」を画策し、爆弾テロを企図していたとして、
朝鮮人殺害に対する国際的非難を浴びた場合の弁明や私刑に参加した日本人が起訴に至った場合の情状酌量を与える大義名分とすることで事態を収拾する
ことを計画していた。
仁藤の言う「キモいおじさん」という場合の「おじさん」は、お金もあって社会的な地位も高い中高年男性のこと。無職貧困孤独男性まで入っていない。
あまり使わない方がいい言葉だとは思うけど、彼女はあえて過激な言動で炎上することを辞さない活動家だし、文脈を踏まえれば許容されるべきだと思う。
使わない方がいい言葉をあえて使ってるなら
その報いや差別性に対する非難や名声の低下も甘んじて受け入れては?
「あえて言ってる」と言えば差別性は無罪になるってどんなルール?
「キモいおじさん」がいいなら、「キモい〇〇人」はいいのかという使い古された論法が書かれているけど、いいわけがない。あくまで「おじさん」は社会的強者のアイコンだから「キモい」と言う言葉を乗っけてもいいんじゃないかというだけ。