はてなキーワード: 儚いとは
最近、女子中学生・女子高生の美容垢を覗くことにハマっている。知らない人向けに説明すると、「美容垢」とは、コスメやダイエットに関する情報を主に発信するツイッターアカウントの総称で、化粧品のレビューやメイクテクニックを中心につぶやく「コスメ垢」や、整形したい・した人の「整形垢」、ダイエットの経過を報告する「ダイエット垢」などがその内訳として存在する。
その中でも、アラサーOLの私がハマっているのはJC・JKの女の子たちがつぶやいているアカウントである。たいていK-POPアイドルか、乃木坂の女の子たちが憧れで、プチプラコスメで校則にひっかからないギリギリのメイク方法(特に涙袋の錬成に命かけてる)や、シースルー前髪の作り方などを画像にまとめている。彼女たちにキーワードは「透明感」「消えてなくなりそうなほど儚い」など、とにかくなんか白飛びした画像みたくなりたいらしい。強めの囲み目メイクが最高にイケてた女子高生時代を生きていた当方としては時代の変化を感じざるを得ない。
で、正直こちとら化粧し続けて10年以上のキャリアがあり、課金で顔面を強化し続けてきた身としては、そのメイクテクは特に参考になるものはない。むしろ、医学的根拠のないダイエット方法をRTしたり、アイプチやりすぎの目元を晒したりしているのを見ると「おいおいやめとけって」みたいな老婆心がムクムクと湧いてしまう。
なのにどうして目が離せないのかというと、そこにはもう私には手に入らない「尊さ」が存在するのである。
ギトギトの性欲と食欲に支配されている(偏見オブ偏見ですすいません)二次性徴期の男の子が果たして気づいてくれるのかはわからないけど。
こんな目的で閲覧されているなんて彼女たちも気持ち悪いと思うので、フォローもせず、こっそり覗いている。年増のBBAマウンティングと思われてもしかたない。でも、明日の会議の資料だとか、来月のカードの支払いとか、子供を生んでも働けんのかなとか、働いても働いても埋まらない男女のもろもろの差とか、そんなことはまだ考えなくていい女の子たちの顔は、彼女たちの夢とか憧れとか嫉妬とか劣等感とかがぎゅうぎゅうに詰まった小宇宙なんだと思う。その小さな小さな努力はどこまでも輝いていて、本当に尊い。願わくば彼女たちが少しでも自分の顔を好きになれますように。そのまつげのくるんとしたカールが、いつもより調子の良いアイプチが、あなたの大好きな人に気づいてもらえますように。
5年間ずっと応援してきた萩谷くんが、とうとう事務所を退所した説が濃厚になってきた。バイトをしているなんて話も聞いた。SMAP木村拓哉になりたくって、小さい頃から事務所に入って一生懸命やってきた人。小さい頃はやけに前髪が長くて、HIP HOP JUMPというグループで踊ってた。その頃わたしは別のグループが好きだったけど、SMAPの特番で緊張しながら質問したりとか、1 for youで蛍光色のブカブカの衣装来て踊ったりとか、よく覚えてるよ。
わたしが1回離れたけれど、大学2年生の時に久しぶりに見たら、すごい大人になっていてびっくりした。秋の少クラで安井と一緒にTake overを歌ってるあの数分で好きになった。あんなことは初めてで、これからの人生でも滅多にないと思う。それからずっとファン。ここ数年のわたしの青春。
最初は安井にくっついてるオマケみたいな感じだったかもしれない。安井は前からファンも多かったし、アピールも上手だった。萩谷くんはあまり前に前に出る方では無いし、綺麗な顔をしているけれどファンはあまり多くなかった気がする。萩谷くんにはなかなかソロパートも与えられなかったし、クリエの公演でも萩谷くんはソロ無しの時もあった。
萩谷くんも大学生になって、二十歳を越えて、だんだんMCMを持つようになったり、髪の毛をパーマ掛けたり金髪にしてみたりした。地味な高校生が段々とお金を使うことを覚えて、それが少し寂しかったりもしたけれど、萩谷くんの中身は変わらないままだった。相変わらず自分の興味あることには徹底的に投資して頑張る人。だからずっと変わらず応援した。髪の毛については変える度に割と周りから不評で不憫だった。でもそれが可愛かったよ。わたしも金髪にしてみたらってお手紙に書いたことあったから、別にそれを参考にして金髪にした訳じゃないと思うけれど、何だか申し訳なくなった。手紙なんて読んでいないかもしれないからどうでもいいけれど。
入り待ち出待ちもした。周りと比べてやっぱりファンは少なかった。それは萩谷くんがファンにあまり媚びないから、応援してても楽しくない人が多かったのかもしれない。でもそれで良かった。わたしはアイドルとの接触が本当に苦手だから、サラ〜っと流されるくらいでちょうどいい。萩谷くんのファンは他のタレントと比べるとガツガツしてなくって、「萩谷くんが幸せそうな姿を見られればOK」っていう人が多かった。争いもあまりないし、みんな1人だった。
萩谷くんの後輩タレントの中には、ファンサービスが過剰なタレントもいて、そういうタレントのファンはどんどんヒートアップしていく。ファンの数は簡単に増えるけれど、ファンサービスが貰えないと簡単に下のタレントに降りていく。萩谷くんはそういうことはしなかった。自分を安売りしなかった。そういうところも好きだった。来る者拒まず去るもの追わずの萩谷くん、それでもいつかの雑誌の「みんなの声援が僕の力になります。ずっとそばで応援してください」その言葉で、萩谷くんがファンを大切にしてくれていることは分かったし、SMAPみたいになりたいっていう小さい頃からのブレない夢を知っていたから、ずっと付いていけると思った。
お手紙には毎回同じイラストを描いた。あれで覚えてもらえたとは思わないけれど、見たことあるなぐらいに思ってくれたら嬉しいな。出待ちの時に仕切ってくれていたお姉様方は今どうしているんだろう。ネット上で叩かれたりもしていたけれど、ボランティアであんなに仕切ってくれてお世話になった。少なくともわたしは嫌なことをされたことは無かったし、いい人だった。一緒に帝劇から帰った友人たちは、わたしがあまり群れないタイプだから全く連絡を取らなくなってしまったけれど、もう他のタレントに降りてしまっただろうか。
その頃Love-tuneというグループが出来て、大きく変わった。久しぶりのグループ結成でみんな力が入ってたと思う。安井にとっては初めてできた居場所。追加メンバー加入があった時は、想定外で少し落ち込んだけれど、それでも今はこの7人で良かったと思うよ。萩谷くんにもソロパートが与えられるようになって、すごく変わったと思った。わたしが好きになってから数年経って、masterpieceで萩谷くんと安井が背中合わせに歌うシーンは胸に来るものがあった。2人はプライベートでも仲がいい訳でもないし、交友関係も全く違う、年の差もある。でも仕事上お互いを信頼していて、そんな2人が目標に向かって頑張ってきて歌うmasterpiece。俺の行く先はずっと君がいるなんて。
わたしは社会人になって、年一度のクリエに行ければいいと思ってかなり落ち着いて応援するようになった。グループも出来たし、あとはみんなでひたすら上を目指して頑張るだけだ。わたしもわたしの生活を頑張って、たまに萩谷くんに会いに行こうと思った。
アイドルは儚い。いつの間にか干されて、あっという間に露出がなくなった。行こうと思っていたクリエ公演もなかった。雑誌にも載らなくなった。そうやって消えていくタレントを何人も見てきたけれど、まさか自分の応援している萩谷くんがそんなことになるなんて思わなかった。わたしは萩谷くんに会ったのは昨年の夏が最後だ。何でもっと会いに行かなかったんだろう。年1回会えればいいやじゃないよ。会える時に会いに行かなきゃ駄目だった。干された理由は色々噂があるけれど、事実なら彼ららしいなと思う。1つの場所に居なきゃいけない訳じゃない、横並びの与えられた仕事をただこなす人生なんてつまらない。この事務所で10年以上頑張ってきたのはすごいことだけれど、他にも道はあるから幸せになれる道を選んで欲しい。できれば表舞台で輝き続けて欲しいし、事務所の楽曲を歌えなくなるのは残念だけれど、萩谷くんの人生だからやりたいことをやって欲しい。
どうなるかは分からないけれど、もし表舞台に復活したら今度は二度と後悔しないように応援しようと思った。こんなエモい気持ちにさせてくるアイドル他にあるんだろうか。ほとんどジャニーズからは離れてたのにこんな簡単に復活させてくる。アイドルには物語性があればあるほどファンが入れ込んでしまうけれど、こんな物語ぶっ込んでくるなんてずるい。昔やってたHeavenly Psychoを見てそう思う。「いつも夢に選ばれないまま」頑張ってきた7人。それでも、これからどんな形になろうと、みんな応援するよ。This is love songの終わりの「みんなと同じ未来を見れますように!」っていう萩谷くんの手書きコメント。わたしもそう願ってるよ。すぐに復活は出来ないかもしれないけれど、ずっと待っているので、また元気な姿を見せてね。
むしろ「市場で女性のインパクトが増しているからこそ」女性による強気の発言が目立つようになってるんじゃないかと。
かつて女性は可処分所得もないし社会的な発言力もない、取るに足らないもの、とされていた時代は
女性にも「自分たちはそう扱われても仕方がないもの」と言う自覚があったから、世が男性中心に動いていても文句を言わなかったが
女性の力がどんどん増しているからこそ、文句を言うように(言えるように)なったんじゃないかと思っている。
元記事でも描いたように、それはまさにそうだったと思うよ。具体的には大正モダンの時代から男女雇用機会均等法の時代を経てずっと「市場における女性のインパクト」は増大してきたし、それを背景に実際の発言力も、そして女性の脳内における発言の許可状況も拡大されてきた。もちろん指摘の通り社会はそれを無視できなくなり、女性向けのあらゆる商売が花開き、はいからさんが通るは過去になった。
でも、ここ5年位でそれって頭打ちになってない? ってのが元記事でいいたかった消費に関する部分なのよ。すごくぶっちゃけたことを言ってしまえば、今現在、バブル期のような財産献上を男性から受けるような、プレゼントの最低ラインはティファニーでホテルはオークラかプリンスで、みたいな意味での「女性による消費の主導化」はもうおこなわれてないでしょ? すくなくとも、「女性の消費力がどんどん右肩上がりで上がっていく」バラ色の未来予想図はもうない。非婚化すすんでいるんだから家庭に入れば消費大臣になれるってのも、どんどん儚い夢になっていってる。
現状は少なくとも事実として「女性の方が男性よりも給与が少ない」わけで、その事実のもとに「女性が男性よりも消費のキャストボードを握る」ためには、理論的な帰結として「女性は自らが稼いだお金ではなく、男性の財産の処分先(消費するアイテム)の決定権を男性から委任される(もしくは強奪する)必要がある」のよ。そして、それは最近の傾向を見ると、どんどん難しくなっていくようにみえる。
もちろん、正しい、そして長期的に解決可能な回答は「女性の給与を男性と等しくする」だけど、少なくとも現在時点ではそうなってないって話でもある。
初めて我が家にやって来た時、私はまだ小学生だった。箱の中からこちらをじっと見詰める姿も、家に着いて心配そうにワンと吠える姿も、未だに鮮やかに記憶に残っている。自分で言うのも何だけれども、彼女は私の事が大好きで、幼い頃も老いてからも常に傍にいてくれた。病気がちで苦労の多い犬生ではあったが、私に頭を撫でられている時はいつも幸せそうに見えた。
出会った日から15年以上が経ち、いよいよ死が近づいた晩のこと、病気でぐったりと横になっているのを見て何か悟ったのか、私はその日一睡もできなかった。夜更けに様子を見に行ったところ、痙攣を起こしているのに心付く。それから翌朝旅立つまではずっと一緒だった。体に優しく手を置くなり痙攣が止み、また暫くして歯をカチカチと鳴らしたが、最期の数分間は、健康な時と全然変わらない心地良さそうな寝息を立てる。私もそれにつられてとろとろしていると、ある時呼吸のリズムが変わった気がして、名前を呼んだら、ふーっと息を吐き、もう最後だった。生涯においてこれ程愛情を注いだ対象は他に無い。闘病は短くなかったから、予め覚悟を決めていたけれども、自然に湧き出る感情を我慢せず、あとに後悔を残さないためにも私は思い切り咽び泣いた。これでスッキリした。以後は殆ど悲しみを感じなかった。
いなくなってからちょうど一年の命日。一年前の朝は雨だったが、その日は快晴だった。不思議なことに、私は布団の中で涙を堪えられなくなった。もう別れはとうに過ぎ、泣くだけ泣いて気持を切り替えたつもりでいたのに、どうしてだろう、悲しくて仕方が無い。驚くとともに少し嬉しくもなる。なぜなら、私の心の中ではまだ彼女が生きていることを、自分で確かめることができたからだ。青い空に向かって手を合わせ、彼女と心が通じ合った気がした。
私の好きな人というのは、まさにその日、私が休みの職場に新しく入ってきた。死んだ犬に思いを馳せつつも、そろそろ始業の時間だな、どんな人なのかな、と期待と不安を交えながら考える。実際に対面したのは翌々日、親友の誕生日だったからこれもよく覚えている。美人、目が綺麗、笑顔が素敵、というのが第一印象だった。よろしくお願いします、と頭を下げたところ、私のことを既に聞いていたらしく、「この人…」と呟いて、懐かしいような安心したような笑みを浮かべたのが印象に残る。でもちょっと自分とはかけ離れた存在に思えて、すぐには恋愛感情が湧かなかった。
それから数ヶ月、彼女とすっかり仲良くなった私は、以前から考えていた所に従い、今の職場を退職し、離れた地で生活を始めることに決めた。勿論寂しい。もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。でも、「最後だから」と初めてのデートに誘い、一緒に食事をした別れ際、後ろを振り返ると、満面の笑みで見送ってくれている。それを見た私はなんとなく、この人と一緒に生きて行くことになるのかな、と思ったのである。
しかし現実は儚い。退職の時に渡した連絡先には、待てど暮らせど連絡は来なかった。
最後に会ってからの数日間がどれほど辛かったかを表すのは難しい。会えるうちにもっと積極的になるべきだったとか、たとえ一生会えないとしても幸せになってほしいとか、考え続けては涙を流す始末で、退職時に頂いたプレゼントも、敢えて目につかないところに仕舞うようにした。諦めようとしても諦めきれず、また会えると信じようとしても苦しくなる。こんな有様では新しい環境でやっていけないのではないかと不安でならなくなった。
犬の墓参りに行ったのは、ちょうどその頃のことだ。引越しの挨拶とともに、好きな人との素晴らしい思い出を与えてくれたことへの、感謝を伝える意味もあってやって来た。思い返せば、私たちはよく散歩に出掛けて、夜空の星の下、「ずっと一緒だよ」と約束したものだった。いや、約束したなどと言っては彼女が迷惑に思うだろう。彼女は早く帰ってドッグフードを食べることしか頭になかったに違いない。しかし私は真剣に祈った。それはこの日お墓の前でも同じだった。
さて、出発の日、まさか自分が彼女に会いに行くという、突飛な行動を起こす決意を固めることになるとは、前日には想像ができただろうか? 我ながら不思議でならない。私の記憶が正しければ、彼女は今日は早めに退勤するはずで、いつも通りなら駅の近くの道を通る。そういえば先日短い旅行に行った時の土産がまだ僅かに残っていた。それを渡すのを口実にしよう。慎重な自分からは想像もつかない無理矢理な計画を吟味する暇もなく、私はすぐに土産を袋に詰め、出発の準備を整える。いても立ってもいられず、早すぎるものの家を出た。着いた先で適当に時間を潰す間も胸の鼓動は鳴り続ける。
ようやく時間になろうかというところで腹が減り、駅近くのコンビニで菓子パンを購入しようとする。レジのお姉さんに手渡す。支払いは電子マネーで。と、ふと後ろを振り返ったら、コンビニの外を歩く見慣れた姿があった。「すみません、これ戻しといてください」。走る。お姉さんは呆気に取られたようだった(申し訳なかった)。ともかくも、会えた。会えた、会えた。俺は彼女に会えたのだ。
2度目のデートは、ほんとうに夢の中にでもいるみたいだった。覚めるのではないかと真剣に疑って皮膚を抓ったりした。彼女もとても楽しそうなのが喜ばしい。途中、今までの人生で一番輝いていたのはいつか、という話題になって、私は適当に小学生の頃と答えたけれど、本当を言えば、今この瞬間に決まっている。世の中にこの様な幸福がある事を生れて初めて知った。
別れ際、彼女は前と同じく素敵な笑顔で、私の姿が見えなくなるまで大きく手を振ってくれていた。「送る」と言ってくれたのに、今のところ連絡はやっぱり来ない。彼女が私のことをどういう風に思っているかは分らないし、離れてしまった今ではこの先新たな展開があるかどうかも見通せない。もしこれきり会えないとしても行動した分悔いは少なくて済むだろう。ただ私はどうしても、彼女のことを大切にしたい、幸せにしたい、という気持を捨て去ることができずにいる。それは天国にいるあの子に対する祈りと通じているようにも思う。
また涙が出てきたからそろそろ止めにしよう。
それが儚いってやつさ。
欲張るな。それ以上は諦めろ。
お前は十分過ぎるほど幸せだ。仕事があって、妻がいて、子供がいる。これ以上何を望む。
持ってないものを数えるな。
もういい年こいたおっさんだ。何を頑張ったところでビッグなボーナスステージなんて来やしないんだ。
お前は経営者じゃない。
転職先?なんとかなるさ。
数をこなせばどっか見つかる。
今の会社が全てじゃない。
生きていく道は一つじゃない。
ダラダラしろ。
残業して、帰宅してからまたPCを開いたり勉強したり、お前は交感神経が興奮しっぱなしだ。
くっだらないTV番組でも見て笑いながら屁でもこいてろ。
もっと副交感神経を働かせろ。
寝ろ。
健康第一。