はてなキーワード: 五月雨とは
女うなんだ…初めて知りました。確かに、「惚れた女性・目ぼしい女性」を落とす場所では、ないですもんね。
でも、メッセージのやり取りから、私が仕切る、というよりも、他力本願、おんぶにだっこ状態に続き、追加でリクエストが五月雨式で着ます。「色々なチョイス、ありがとうございます、返信が遅れてすみません」と前置きをした上で、「12時半ごろにしましょうか」「待ち合わせ場所、そこは嫌なので、店の前で待ち合わせで!」とか「12時半に予約を入れておいてくださいね」とか。私はもしかしたら、品定めというよりも、ナメられているのかな、と思う様に感じてしまいました。
その方は、ずっと研究分野は理系畑だそうでした。学歴が自慢で、その点を自己主張なさる方でした。仕事人間を自負していて、かつ、子どもは欲しい…といった方です。
初対面のアポが来た段階で「仕切る気はない文面だな」とは思いました。面倒くさがりなのかもしれませんが、どちらかというと「ちゃっかり」という印象です。使える者は使う、使えないと解ったら、ようやく自分で動く、といった形で。自分が気に入らないのみ、リクエストをだし、要望に対する指示を出す、といった形です。
来週お会いしますが、すでに精神的な負荷を感じています。会ってみないと解らないし、男性から見たとして、女性にも悪い人が居るから警戒しているのかもしれないのに。面倒くさがりというの男性というならば、そういった類の男性に対応できない余り者の私の方が「面倒くさがり・面倒くさい女」なのかもしれませんが(笑)
まとまらない返信になってしまい、すみません。でも、確かに「面倒くさがりな男性か否か」は今後において重要な点だと思うので、気を付けたいと思います。ご指摘、本当に有難う御座います。
【再掲】■アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、正味戦争の宣戦布告である
https://anond.hatelabo.jp/20170601214849
ここまでに集まってきた情報を集約し、どう対応するのが出版社にとって得策なのかを考えたい。前回同様、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。出版社が死に絶えた先に本の未来があると信じる人は、そう行動すればいい。私はそれに賛同しないし、その人たちのために論考を書く気もない。
5月から出版社に向けて五月雨式にアマゾンから「説明会」の案内が送られている。内容はここ数年繰り返されてきたのと同じ取次流通への悪口雑言と、「このままでは貴社の流通が危ない! さあe託契約を! 6月中なら特別条件で!」というものだ。
目新しい情報といえば、日販の在庫率が出版社の規模によって違う、つまり、「あなたたち中小は差別されていますよ」という煽りだ。しかし、先般日経新聞に出ていたアマゾン負担による集荷構想は、小規模出版社には適用されないという。なんのことはない。アマゾンだって差別をやっているのだ。説明会の案内が来ない出版社には特別条件も提示されないし、説明会に参加することも許されない。質問しても答えも来ない。
日販はここに至っても、対応についてなんら説明を始めていない(大手にはしているのかもしれないが)。この沈黙は組織としての老朽化を実感させる。なので筆者としては、ことさらに日販を擁護するつもりもない。ただ、説明会でのアマゾンの弁によれば、今春にヤマト運輸と期を一にして、日販も条件改定の交渉を切り出したとのことだ。アマゾンから執拗に「在庫の拡充」を求められ、その原資を求めたのだろう。本件において日販は、愚鈍ではあるが邪悪ではない。むしろ、これまで一般書店そっちのけで利益の低いアマゾンを優遇してきた不正な状況を改善しようとしたと言える。
業界紙『新文化』5月25日号記事「アマゾンジャパン、「日販バックオーダー発注」停止の真意/バイスプレジデント・村井良二氏、事業企画本部長・種茂正彦氏に聞く」でも、日販に在庫要望を繰り返したことは明言されている。
この記事で可笑しいのは、アマゾンが40万点やら200万点やらのアイテムについて「精度の高い需要予測を持っていて、その数量の在庫を持つよう日販に求めたが、応じてもらっていない」と不満を述べているところだ。この主張こそが、アマゾンが求めているものが読者の利益でも流通の速度や確実さでもないことを裏付けている。
それだけ確度の高い予想をもっているのであれば、現在の在庫を3~4倍増し、6~8週間の需要予測分を仕入れて在庫すればいい。調達日数は8-10日くらいなのだから、需要のスパイクもほとんどがそこで吸収でき、欠品率は80%以上向上するだろう。アマゾンは「ロングテール」を誇っているのだから、たとえ予測が大きく外れても、100週間くらいのうちにはあらかた消化できる。もちろん経費はかかる。しかし駅前やロードサイドの一等地に店舗を構える書店にくらべれば、はるかにコストもリスクも低い。しかし、その在庫経費を日販に求めようとする。お門違いとしか言いようがない。
だから、前回に言ったとおり、アマゾンが求めているのは経費の負担であり、流通の改善などではない。これは正味戦争なのだ。(前回のエントリで「正味戦争」という言葉を知らない業界人が多いことを思い知らされた。61年の雑誌戦争、69年のブック戦争を総称して正味戦争と呼ぶ。書店による一斉販売拒否などの実力行使を含む激しい闘争であったが、当事者間で情報が共有されオープンな話し合いがもたれただけ、今回の戦争より公正であった。)
さて、戦争の状況を概説したい。アマゾンが提示している中小出版社への「特別条件」は65%である。個別交渉で時限ながら68%を獲得した社もあり、前述のとおりオープンな条件ではない。アマゾンは各方面で為される「条件切り下げ」の指摘を気にかけているようで、「全アイテムの登録・週5日の出荷回答・2か所(+1か所になる場合あり)への納品」の3条件が遵守されるかぎり、この条件を「変えるつもりはない」と語っている。
しかし、条件が遵守されているかの判断権はアマゾンが握っているし、「変えるつもりはない」というトークを明文条項に盛り込んで契約できた社はない。なによりe託契約は「完全なる合意」を条項に謳っており、個別の覚書や担当者との口約束等は意味をなさないとされている。
これらの条件を「6月末日までですよ」と決断に期限をかけ、「もうこの条件は出ませんよ。いますぐ契約を!」とテレビショッピングのようにプレゼンしているのがアマゾンの説明会である。まともなBtoB商売のセンスではない。
これは商売の正味の話だ。だから、検討する人は正味の損得を計算するのが最初にやることだ。しかし、この件についてあちこちから相談を持ちかけられるが、自分で計算をしている人があまりに少ない。
週5回2~3か所に宅配便で出荷する経費は、送料・梱包手数料・資材費を計算するとかなり大きな割合を占める。60%掛に切り下げられたときに、実正味がいくらになるのか。それはアマゾンでのカゴ落ち失注を防ぐ(e託で防げるとも限らないが)ことで割にあうのか。宅配便の追加納品先が突然鳥栖に切り替えられても大丈夫か。冷静に計算してみることが必要だろう。
アマゾンでの失注は、100%が失われる売り上げではない。そのうち、切実な需要の分は、他の身銭を切って在庫をもっていたり、迅速な調達に努力していたりする書店にまわるのだ。アマゾンが在庫と調達に不熱心な書店である事実が広まれば、その率はますます高まるだろう。
当方ではエクセルの計算シートでそれらの要素を試算し、パラメータが変わるごとの得失がわかるようにした。より汎用性の高いものに改善でき次第、近日中に本項への追加として公開することにしたい。大して複雑な計算ではないが、自力での計算方法に自信がもてない方は、それまで決断を待ってはどうだろうか。
なお、匿名性の高いspreadsheetの公開方法を募集中である。
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最近ツイッターばかりやっていて、どうも140文字で言葉をまとめる…というより無理矢理詰め込むような表現に疑問を感じていた。
文章には情報を搭載する能力だけでなく、それ自身流れを作る力がある。
文章はただ情報を集めてまとめるだけでなく、文章の作る流れの力でそれを自然と読み手の脳内に流し込む機能が求められている。
140文字にまとめられた言葉にはそれがない。代わりにタイムラインという一種の強制力が、ただ時間の流れとしてツイートを五月雨式に送り込み、ユーザーの意識を同期的に支配することになる。
問題は2つある。
一つは、ただ時間軸に乗せられて流れる言葉にはロジックが内在しないということ。
文脈、前提条件などと言っても良い。
140文字で切り取られ、一秒単位の更新時間で機械的に並べられるライムラインだとか、RTによる拡散だとかでポップアップしていく情報には、大抵文脈が欠けている。どんなに短い言葉にも、本来書き手がそれを発するに至った個人的社会的意義、文脈というものが存在するはずなのに、切り貼りされたタイムラインの中で、140文字でそれを表現するのは事実上不可能だ。
この弱点を克服し、140文字でなにがしかの「感銘」を与えたように感じさせる、注目されるために、ある種の野心を持ったツイートには、つねに何か擬似的な文脈のようなものが付加される。
具体的に言えば、一種の「ベタ」でコーティングする。みんなが叩いているものを叩く。誰かへの批判。「俺たち」の賞賛。「敵」を認定し、「俺たち」の立場からそれをやっつけてやる。大抵はおおむねそんなものだ。しょせん擬似的な文脈なのだから。
タイムラインはより大きな文脈を忘れさせ、たかだか140文字ででっち上げられる程度の擬似的な文脈を、その陳腐さを省みさせることなく肥大させ続ける。タイムラインは流れるだけで永遠に蓄積しない。言葉を重ねれば重ねるほど、そこで人は深い認識を失い、空虚な幻惑のなかをさまよいつづけることになる。
二つ目は、一つ目の現象の裏返しとして、本来あったロジックも見えなくなりがちなところだ。
またある種の、野心より挟持を優先したツイートには、このようなでっち上げの文脈よりは多少複雑な、固有の文脈で送り出されるものがある。
ツイートをパラグラフか段落のように見立て、またそこまでではなくとも、マッシュアップされる前の自分自身のタイムラインだけで醸し出される文脈を大事にする。更新時間で並べ替えられたタイムラインで目立つことよりも、自分自身の文脈のなかでメリハリの利いた言葉遣いであることを意識する。
このようなツイートは、その真意を読み解くために、投稿者の背景や前後のツイート、RT、さらにはここ最近ちょくちょく取り上げている問題が何かを把握しないと、場合によってはほぼ反対の意味にすら解されてしまうことがある。そういうことを、恐れずに(もしくはあまり注意せずに)発信されている。
…とこれは少し主体的に書き過ぎたが、そこまで覚悟を決めてなくとも、あえて「ベタ」な文脈に固執しているタイプの並々ならぬ野心に燃えている場合を除けば普通はいくらかはこのような、個人の文脈にとらわれた「誤解の恐れのある」ツイートをしているものである。人間の自然な生理として。
タイムラインはこれら全てを切断し、タイムスタンプだけに依拠したツイートのリストへと単純化する。読む人はこの流れに支配され、ただタイムラインのなかの異物として特異な文脈を持ったツイートを認識する。
ある人は身勝手に単純化して「俺たち」の賞賛として受容し、ある人は身勝手に単純化して「俺たちの敵」の悪あがきとして攻撃する。個人的にはあるツイートがどのような文脈で生み出されたものであるのかを常に気にしているし、そうやって探るうちに見えてくるものを楽しみとも感じているのだが、そういう人はすくない。
そういう人のことを、わからないわけでもない。
結局のところ、繰り返すがこの問題はものごとの裏表であり、前者が後者を生み出しているところがある。
タイムラインで目立つということが一種の生存競争として成立してしまった状況下で、文脈を捨て去った(あるいは、単純な疑似文脈に頼り切った)ツイートが力を増すなかで、より普通の文脈を持った言葉が埋もれていく。同じ分別ラインで処理されていく。
紋切り型のツイートにならされた脳は、運動をしなくなった身体のように、柔軟性を失い、運動性能を落としていく。認識の単純化とともに、目に見える世界もまた色を失い、記号化されたデジタルな情報としてしか理解できなくなっていく。
事態の改善には、これを考慮して考えると、まず自らのなかにある文脈に意識的になることだ。
大きな文脈とは何かを忘れた状態で、大きな文脈を読み取ろうと努力だけしてもなかなかうまくはいかないものだ。
タイムラインの支配から抜け出す。画一的に切り取られた140文字の枠を忘れる。
140文字で書かれた言葉の軽さに気づく。140文字で書かれた言葉の、裏にあるものの重さに目を向ける。
だからといって長文を気負う必要もない。枠を気にせず書いた結果なら141文字でも良い。なんなら140文字以下でも良い。
字数調整から意識を解放し書きたいことを書きたいように書き、書き散らかった内容を字数で言い訳せずにうまく落とす。
多少無駄があっても良い。しょせんこれは日記である。自分が思っていることを、どれだけ複雑な文脈でものを考えているのかを、考えるべきなのかを、あらためて認識する。
そのきっかけになれば良い。
自分自身の複雑さに気づくことが出来れば、他者の複雑さを慮る準備もできるだろう。
部屋のなかは蒸す。
コンビニにでも行こう。
アラフォー独身オヤジともなると親や親の知り合いが「こんな人いるけど会ってみないか」と五月雨式に話を持ってくることも少なくないかと思う。
俺も俗世への未練を捨てきれず10人くらいと会ってはみたものの、雑談力の低い自分は1回会ったきり終了になるパターンばかりで、何ら実りある結果は得られなかった。
ウマが合わないとか自分が至らないとかいうことで断られるのはしょうがないのだけど、より辛いのはちゃんと断ってくれる人が非常に少ないことだった。
親でなくとも親の知り合いとか友人の親とか、そういった年長者の紹介で人と会っている場合、世話になった人に何かしらの結果報告をするのは自然なことだろう。
そうした状況でぱっとしない結果に終わると世話になった手前非常に辛いけど、女性の側が「こいつはダメだ」と思ったならすっぱりダメだと言ってくれれば紹介相手も納得してくれるし、こっちも引きずらずに前に進める。
でも女性の側から直接なり間接なりにNGと言ってきたケースは極めて少ないのだった。
婚活中の男という立場上、一通り話して別れたあとの印象が「これはいけるかも」であっても「これはダメかも」であっても自分からお断りできる立場にはないし、「よかったらまた会いませんか」と誘うしかないわけだよ。
(ほんとにNGな相手だったら別だけど、幸いそうした事例はなかった)
そこで煮え切らない(断りはしないけど次回があることを匂わせない)返事をされれば、もちろんこっちは雰囲気を察するけど、それでは親も納得しないしそんな状態では紹介先にも説明できない。まさか「やっぱりダメでしたか」とは聞けないし、その気がないと分かってる相手に誘いのメールを出す苦痛は筆舌につくしがたい。
紹介者の人に確認してもらう場合もあったけどそれはそれで体裁が悪いし、結局フェードアウトされてから紹介者の人に「だめでした」と俺から報告するという悶絶ものの事態もたびたび経験した。
メールの返事がなくてフェードアウトか、と思ったら2週間後に返事が来たあげくに「旅行に行ってました楽しかったですじゃあね」みたいなことを書かれてキレそうになったこともあり。
はっきり断って逆恨みされるのを警戒しているのかもしれないけど、それこそ婚活なんだしダメならダメでお互い恨みっこなしですよ。早くケリつけたほうが後腐れなく次に行けるんだし、婚活女子の皆様には「明示的な意思表示」について伏してご配慮をお願いしたい次第。
女性の側だって仲介を頼んでいるわけで、そっちに不義理をすることに抵抗はないのかと甚だ疑問に思うが、どうなんだろう。
今般40になってしまったし、毎回こういう形で置いてけぼりを食らうのは精神的に辛すぎるので俺はもう降りることにしたよ。今活動してる人はがんばってくれ。
二人を観察していると、色々な違いが見れて勉強になる。
いくつかまとめてみる。
期待動作はどのようなものか、現状の動作(バグ)はどんなものか、どんな条件でバグが生じるか、生じないかを整理する
他人からアサインされたタスクの場合、手早くこれらを質問して状況を確認する。
・デバッグが早い人は仮説を持っている。
全ての作業が仮説の検証作業。結果が出た時に次に何をすべきかも把握している。
「よくわからないけど一応2回試してみた」とか言う。
「それは今何を検証しようとしているの?」と聞くと答えられない。
「さっきは大丈夫だった」とか「さっきと一緒なのに動きが違う」とか言う。
強力なLinuxコマンドやエディタ/IDEのショートカットキー等の基本的な使い方が身に付いている。
・デバッグが早い人は一気にやろうとしない
デバッグが遅い人は一気に複数箇所を変え、差分や状況がわからなくなって途方にくれる。
・デバッグが早い人は熱くならない
デバッグが遅い人は作業に熱くなって細部にハマっていく。
デバッグが早い人はハマりそうになったら一息おいて状況を整理する。
観察してて大いに学んだ。