はてなキーワード: カーテンとは
macramé。何本かの細紐や糸などを手で結び、幾何学的な模様をつくる手芸の一種。アラビアのラクダの背につける麻袋の房結びから発達したとされ、アラビア語のミクラマ(組紐)あるいはムクラム(格子編)、トルコ語のマクラマ(タオル)に由来する。その技術はムーア人により中東からスペインへ、そして十字軍によりイタリアへと伝わり、寺院の装飾品や僧服の房飾などに用いられた。 伝わった時代を考えると、トルコ語説はちょっと怪しいかも。オスマン帝国の全盛期からはちょっとずれるし。
今でも、細い糸による場合は衣服の装飾ショールなどに、太い糸はテーブル掛けやカーテンなどの縁飾りとして用いられる。丈夫な糸を使えば用いてバッグ類も作れるし、ベルトにも用いられる。名称こそ異なるが、日本でも古くから馬の鞍敷や縄のれんなどにその手法が用いられていた。
https://anond.hatelabo.jp/20180513195125
これの元増田。
この時言ってた物件に住んでまる2年が経過、今は3年目。
住んでみたメリットデメリット、それからよくある1階やめとけって人の意見に対する感想を書きます。
新生活には遅いから参考にならないかもしれないけど、都内で女1人暮らしのアパート1階検討してる人に参考になれば幸い。
<基本データ>
・成人女1人暮らし
・都内
・わりと住宅街
・3階建てのうちの1階角部屋
・オートロックなし
<メリット>
重い荷物を運んだ時とか、クタクタになって帰ってきた時とか、階段登るのめんどくさーってなるけどスタスタ〜てすぐに部屋に入れるのはいいなあと思った。
・床下収納がある
これはうちの物件だけかもだけど、一階の部屋のみ床下収納があって、それはすごく重宝してる。
これ1階だからかわからないけど、夏場もわりと涼しい。床が冷えてるせいなのか、そこまで暑さを感じない。
<デメリット>
これ1階に限らないかもだけど、夏場に洗濯物干そうとベランダ出ると、生きてるか死んでるかわからないセミが落ちてるのは恐怖。毎回クイックルワイパー激伸ばしして、遠ざけてた。
・日当たりがいいわけじゃない
1階だから部屋に日の入る時間が限られてて、毎日お日様サンサンみたいな感じではない。それでも日中は電気つけなくて全然済むレベルだし、個人的には気にならないかな。
<よくある意見>
Q:虫がよく入ってくる
A:ほとんどない
ほとんどと言ったのは、わたしが汚部屋の民なので、コバエ繁殖のプロってところがあるんだけど、それ以外は虫入ってきたことない。ゴキブリに至ってはこの2年一切見かけてない。窓開けるときにしっかり開け閉めすれば入ってこないと思うよ。
Q:洗濯物盗られる
A:盗られない
2年間、晴れてる日はほとんど外干しかつ布団まで干すこともあるけど、洗濯物盗られたこと一回たりとてない。むしろ干してたものが風で外に落ちたのを誰かがうちのベランダの柵にかけてくれてた、優しい。
Q:湿気すごくてカビ生える
A:一切生えない
これも物件的な問題かもしれないけど、うちは一切生えたことない。定期的にチラッと確認してるけど、2年間一切ない。
Q:カーテン開けられない
A:ガンガン開けてる
なんなら今は網戸にしてる。洗濯物もそうだけど、特にうちのベランダに面した道路を通る人が見てくることってほとんどない。ガンガン開けてる。
Q:怪しい人の被害に遭う
A:一切遭ってない
元記事でめちゃくちゃ犯罪に関するコメント多かったんだけど、一切なかった。なんなら部屋の鍵かけ忘れたこともしばしばだったけど、何もなかった。もちろんこれまでが運が良かったという見方もできるから、きちんと自衛することは大事だけど、1階に住むことで必ず犯罪に遭うというわけではないかなと思う。
こんなところですかね。
めちゃくちゃ快適だし、なんら高層階と変わらないので1階で全然いいな〜と思う。安いし。
何かの参考になれば嬉しいです。
わたしが去年見たUFOはソニーが業務用に出してたやつで、宇宙人がウニみたいに中心に向かって無数に刺さってるタイプの飛行物体だった。宇宙人は体に銅を当てるとジュウジュウと反応して体が溶けていくので、いつも10円玉を押し当てて親に怒られていた。それが昨日の噴火騒ぎで電話も全部繋がらなくなったから、郵送での手続きになると町内放送で言っていた。町内放送で喋っていたのは1984年から1992年までビートたけしをやっていた人で、引退後は町内会長を二期務めている。一度だけ懸賞で当たった赤いボーリングのピンの形をした缶バッジを見せてもらった事がある。録画した未来少年コナンのVHSにもその時の映像が残ってる。
現金払いしかできない有人レジでは、私は紙幣より先に硬貨を出すようにしている。支払額を超える紙幣を先に出すと、せっかちな店員は即座におつりを渡してしまうからだ。そうなると硬貨を出す機会を逃してしまい、所有する硬貨は必要以上に多くなる羽目になる。
今日はセルフ式の食堂で昼食をとった。陳列されている料理から好きなものをトレーにとって、食事前に清算をする店だ。新型コロナ対策に掛けてあるビニールカーテン越しに料理を取ってレジへ向かうと「869円です」と告げられた。その時の支払いでもいつも通りに硬貨から順にトレーに出した。
これで869円の請求に対して1024円(きりのいい数字だ! 2の10乗だ!)を支払って、お釣りを受け取ることとなった。
「あのぅ…69円なんですけど」
そう言いながら私を見つめる店員の目つきは愚かな人間を憐れんでいるかのようだった。私は自らあみ出した硬貨所持数を最小化する支払いアルゴリズムを否定された気がして怒りが湧いてきた。しかし、その後の食事を快適に過ごすことを考え穏便に対処することにした。
私が暗算能力に秀でていたなら、お釣りがいくらになるのかを言えただろう。しかし、一円玉と十円玉の支払いにより五円玉と五十円玉をお釣りで受け取ることは分かっていたが、お釣りの三桁目はいくらになるのかを考えてなかったので言いよどんでしまった。沈黙(時間にして2秒ほどのことだったが)の後に私は
と24円分の硬貨を出した理由を簡潔に答えてレジ操作を促した。
店員は訝しげにレジをたたき【155円】のお釣りの表示を見ると僅かに身体を硬直させた。そして、お釣りとして3枚の硬貨を何も言わずに渡してきた。その態度が私の怒り増大させた。私の支払いにケチをつけておきながら何の弁明も謝罪もしないのかと。しかし、それでも私は静かにお釣りを受け取りそのまま料理のトレーを持って席に着いた。
料理はうまかった――店員の腹立たしい態度を忘れてしまうほどに。しかし、帰宅して財布の中のレシートを見ると怒りが再燃してきたのでこのような長文を書いた次第だ。世の中には、お釣りの受け取りを最小限したり所持する硬貨を最小限にすることを理解しない者が大勢いることだろう。計算能力の優劣や小銭管理の思想は人それぞれなので、それに不満を言うつもりはない。しかし、客の金の払い方に文句をつけるなどもってのほかだ。
今日はどこに行こうかなって思うくらいにいい天気だった。どこも行けないんだけど、ふらっとどこかに行きたい。
バスよりも電車がいいな。行き先も見ないで乗り込んでぼんやり外を眺めていたい。海とか見える路線に当たったらラッキーだけど、ずうっと町でも田んぼでもそれはそれで構わないから行けるところまで乗ってたい。
ほんとうは寝台列車に乗りたい。小さなベッドに荷物と一緒におちついて、閉じたカーテンの隙間から真っ暗な窓の外を眺めて。それに飽きたら備え付けの浴衣に着替えてうすい毛布にくるまってしばらく眠る。 ときどき目を覚ましてまた窓の外を見たりしながら夜明けまで。
旅に出たいってわけじゃない。行った先で何を見たいとかどうしたいとかはぜんぜんなくて、ただ列車に揺られていたい。帰ることなんて考えずに、ただずっとどこかに行っていたい。
11月の第3月曜日、緊急事態宣言を翌週に控えた商店街は活気に溢れていた。
自宅待機に備えた買い物をする人々や、居酒屋から弁当屋に衣替えする店員など、それぞれがこのシーズンの準備を行っている。
個人向けオフィス用品、子供向け自習教材、簡易調理グッズ、業務用のテイクアウト用包材。自宅で楽しむアクティビティとして映像配信事業、キャンプ用品、個人向けカラオケルーム。ケータリング事業もピザや寿司はもちろん、フランス料理や焼き鳥、焼肉、本格的なスイーツなどさまざまな種類がある。
これらの業種にとっては、来週の12月の第一週から来年5月の最終週までの緊急事態宣言期間が勝負の時期だ。
11月の末から12月といえば、一昔前はクリスマス・年末商戦だったがパーティー需要の低迷ですっかり影を潜めた。
町行く人々は来週に向けて少しウキウキしているようだ。
私も、この緊急事態宣言期間にはお楽しみがたくさんある。去年は家のカーテンをすべて手織りした。織り機のリースを利用して6枚のカーテンを織った。今年は思いきってテレビを自作する予定だ。先月SHARPからテレビ自炊用キッドが発売されたから、それを利用しようと思う。
確かに飲食や観光、娯楽辺りは元通りにはいかないかなりのダメージを受けてしまったし、感染者も減ったりはしたし、周りに気を遣う人も確かにいたけど……
結局大抵の人の生活は変わらず不要不急の外出はするし人との間隔を開ける人も別に多くはなかったし、レジのビニールカーテンを普通に捲る人、咳やくしゃみを肘の内側でやる人だって見たことなかった。
ぼく「2+2=4」
敵1「(部屋のカーテンを閉め,扉の向こうに誰もいないことを確認して)で,2+2をいくつにしたいんですか?」
敵2「2+2=3でありたい人私たちみたいな人もいるんですよ!何でそんな勝手に決め付けるんですか,2+2=3主義者への差別だ!!!謝れ!!2+2=3であると認めろ!!」
敵3「たかが数学や論理がそんなに重要かね?我々が今日から2+2=5と決定した以上は2+2=5だ.君も数学だの論理だのという前時代的な反動思想に囚われずに新しい思想様式を身に付けるべきだ.そうではないかね,同志?」
敵4「2+2=80,これが我々の算術だ.ただしこれは一度にはできない.毎回いろいろと工夫・研究して難しい課題に勇敢に取組んでいき今日は2+2=5,明日は2+2=7にする.これが2+2=80にする生産増強の鍵だ.」
なぜなのか
一部開館することになった。
自粛中もネットの蔵書検索を使って読みたい本を日々予約してたので
開館と同時に20冊近くの本が用意されてた。
閲覧室が閉鎖され、入り口で返却のみか予約資料の受け取りもあるのか聞かれ
カウンターまでは一方通行、カウンターの上には、もはやお馴染みとなった
カウンターの中は大量の本が用意されていて、スタッフの方達もたくさんいて
すごく忙しそうだった。
中学校の時からずっと通ってる図書館だけれども、こんな姿初めて見た。
毎週のように顔を合わせている図書館司書の人たちも、忙しそうで
いつもと変わらないペースで本を予約してしまって申し訳なくなった位。
私が住んでいる土地は感染者が比較的少なくて、自粛の緩和もかなり早く
進むんじゃないかと思ってる。
でもテレビで言っていた「元の生活に戻れるとは違う」という言葉を
なんか理解できた気がする。
コロナのワクチンができたとしても、もしかしたらこのビニールカーテンてずっとある
のかもしれないし、みんなが外出するときは必ずマスクをするのかもしれない。
お店の入り口で必ずアルコール消毒をするとか、布マスクもファッションになるのかも。
(口紅好きとしては寂しい)
いろんなものが変わる。
近いうちにお気に入りのカフェ店内飲食できるよになるかもしれない。
でも元の生活に戻らないんだ。
山梨に帰省して、コロナウイルスの検査結果が陽性なのに帰京した女性のことがニュースになっている。
当たり前だ。
緊急事態宣言が出ているのに山梨に帰省し、BBQという密な状態を形成し、検査結果を待たずに夜のバスで帰京
と思ったらそれは嘘で実は検査結果がわかってから朝のバスで帰っていた。
やっちゃいけないことを連発して、よくもまあここまでやるもんだとちょっと感心するくらいだ。
こういうニュースを見ると、その人物がアホであればあるほど自分を投影してしまってつらくなる。
なぜなら自分もかなりのアホで、この人生はやらかしにやらかしを重ねてきており、ほぼ毎日が後悔の連続だからである。
一人暮らしでそのようにできているのも、所属組織から「来るなよ?さもなくば」的な半ば脅しのメールがきたり、
身近な人々がちゃんと自粛しようというムードなので「おっそうだな」となっているおかげで達成できている気がする。
もし周りの人々が、例えば河川敷でBBQするような人ばっかりだったら、影響されて自分もやっていたかもしれないと思えてしまう。
山梨で検査に行ってしまうという計画性のなさ(ここで帰京後に検査していればまた違っていただろう。バスで強制的に帰ることができるほどの元気もあるし。あるいは家族に検査しろと押し切られたのか?)、
陽性発覚後に帰京してしまうという衝動性(ここで、のちのことをきちんと考えることができていれば、感染者は行動履歴を明かす必要があることから、このとき帰る行為が致命的であると判断できたであろう)、
保健所に嘘をつくアホさ(どう考えたってバレるし、嘘をつくことで2倍の手間を増やしているし、多分友人からの信頼も失っただろう)。
(イッヌを置いて行くことは自分はしないと思うが…)
保健所に嘘の申告をした後の彼女の心境を想像すると死にたくなり、昨日はカーテンを締め切った部屋でずっとベッドで布団に包まっていた。
映画「ヘレディタリー/継承」で、主人公が深夜パーティの帰りにある致命的なやらかしをし、朝まで「どうしようどうしよう」と汗ダラダラで座り込むことしかできないあの感じだ。
きっとタイムマシンがあれば戻りたいと思っただろう。
山梨に帰省する前?バスに乗る前?保健所に嘘つく前?どれでもいいから戻りたい。
小さい頃からやらかしてきた人間はよく怒られてきていて、嘘(アホなのでバレバレ)をつくのが習慣になるのでよくわかってしまう。
そのくせ、罪悪感だけは一丁前にあるから…
この間ニュースでやっていた、土方仕事がなくなってスーパーに盗みに入った奴の事件もつらかった。キャベツ好きだし…
つまり、自分が上記の奴らのようなことをやらかしたり、家を失っていないのは単に現在の状況のおかげであり、
天気良いなあ。
こういう晴れた休日には、「きょうの午後、日本のどこかでは、女の子が処女を失っているんだろうなあ」と考えてしまう。
自分の部屋か、相手の家か、一人暮らしのマンションなのか、あるいはホテルか。
自宅にしろ、相手方にしろ、実家住まいの家に上がりこむとしたら、その家の親は、コロナ騒ぎの休日でも働きに出なくてはならないブルーカラー層か。それが女の子の親だとしたら、忙しい中で愛情をたっぷり掛けられて育ったか、あるいは、いつも愛情の欠乏感を抱えているが故に、すり寄ってきた男に心身を許したのか。
家なら、声が漏れぬように窓は締めているのだろう。クーラーは掃除しておらずまだ点けられないか。だとすると、室内は暑そうだ。
体力任せの突っ走り方も知らず、ぎこちないセックス。カーテンの隙間から射し込む太陽光が、汗ばむ薄い乳房と桜色の乳首を照らす。
人気企業に就職し、内科系の難病で出世レースからは脱落したものの、閑職部門の部下無し課長という立場で、ワークライフバランスとれた生き方が出来ている。傍から見たら恵まれた暮らしだろうが、未だ独身。
中高大から就職後数年の工場勤務時代と、ずっと女性に縁が無く、初めて性行為を含む男女交際が出来たのは20代後半になってから。
こういう人生だから、処女とは縁が無かった。同世代の女性と付き合っても、非処女のくせに結婚を急かしているように感じてしまい、いつもすぐに別れてしまった。
いわゆる、こじらせ処女厨ってヤツですよ(苦笑)。