はてなキーワード: かいじとは
人当たりがよく、笑いをとるために人を傷つけたりせず、音楽だけじゃなくて俳優としてもすごいし、ラジオとか面白いらしいし、冠番組持っちゃってるし、人間的にまともで、完全に成功した人。
でも、コカインで捕まって、パトカーに乗せられているめちゃくちゃ顔色悪いピエール瀧にものすごくときめいてしまった。初めて彼に関心を抱いた。
その日から、ボロボロになって誰からも見向きもされず絶望している可哀想なピエール瀧で性的な妄想をするようになった。
あんなに華やかな人生を送っていたのに、そこから転落して、犯罪者として糾弾されて、たくさんのものを失って、可哀想だと思った。(ざまあwとかは全く感じなかった。)そして、とても可愛いなと思って、すごく興奮した。
犯罪者が好きなのだろうか?と思ったけど、今まで犯罪者にときめいたことはないし、ガラが悪い人は嫌いだし、たぶん違う。あと、人を傷つけたいとかいじめたいという願望もない。(可哀想な人に興奮している時点で、ある意味傷つけたりいじめていることになると言われると何も言えないが。)
私は昔から、ふだんきちんとしている人が、酷い風邪を引いていて具合の悪さをがんばって隠そうとして隠しきれてない とか、ありえないミスをしてへこんでいるのを見てどきどきする人間だった。
日頃から具合が悪そうな虚弱体質の人とか、すぐ具合悪いよ〜という人とか、デフォルトで失敗が多い人には惹かれない。
今回のピエール瀧の件も、これに通ずるところがあるのではないかと考えている。
これは多分表に出すとまずい性癖だと思うので口にしたことはないが、同じように思っている人がいるのではないかという気がしている。
もしそういう人がいたら、ピエール瀧の他によさそうな例があったら教えてほしい。
ホリエモンはすごいし正直だし頭の切れる人だと思いますが、もともと人当たりがよくなくて性格がきついので興奮できませんでした。
・草なぎ
本件と類似性がありますが、興奮できませんでした。本人がもともと好人物という訳でないせいかもしれません。あるいは、ジャニーズだからかも。私は、自分の外見的魅力を(他人から見てどうかではなく)自覚している「アイドル」という属性を持つ人間には興奮できない性質です。
・山口達也
上で述べたようにジャニーズだからかもしれませんが、それ以前に、人生の破滅の原因が悪質な性犯罪であること、そして以前から素行が悪かったために興奮できませんでした。
・市橋達也
好人物であったとか、社会的成功があったかというと疑問があり、また破滅の原因が性犯罪ですし人が死んでるので興奮できませんでした。しかし、犯罪を犯してからの迅速な対応や、警察の目を長きにわたりかいくぐってきた知性と行動力はすごいと思います。性的な訴えはありませんが。
・上祐
麻原が作り上げた帝国のパーツというか手足に過ぎないため興奮できませんでした。
興奮できませんでしたが、彼女らがアイドル・元アイドルという特徴をもつためかなと思いましたが、ここで、知性も重要なポイントであることに気がつきました。確かに、草なぎと山口達也にはあまり知性が感じられません。
ホリエモンについて再び考えてみると、ライブドアの件は出る杭は打たれるという感じであり、ホリエモンの内的な弱さのようなものにより破滅したという要素が希薄であるように思えます。
もともと興味がなく、事件が原因で知ったという点においては瀧と同じですが、汚職は興奮できませんでした。
例えば、今波に乗っている人物が破滅した場合のことを考えてみる。例として、落合陽一氏を瀧のケースに当てはめてみましたが、興奮できませんでした。氏は知的ではあると思いますが、好人物ではないからでしょうか?結構難しいですね。
このエントリは中からも外からも匿名な感じでお送りしております。中の人を当てられたら1000ガバス。
子供の頃とかはダイヤブロック好きでした。延々ぐちゃぐちゃロボットとか作ってた気がする。
高校まではプログラムとか全然。ゲームやっててあーこういうゲーム自分でも作ってみてーなーみたいな。
大学は行きました。でも情報系じゃなくていわゆる理工系の学部のどっかなぜなら情報系は偏差値が高かったから。大学在学中にサークルとか趣味でプログラミング的なことを始めてあーやっぱこういうの楽しいよなーと思った。製品出てくるまでのライフタイムがほぼゼロで即結果が帰ってくるようなの。ほいでサークルでゲームとか部内サービスとかいろいろ作りました。学んだのはDirectXとかCPPとかHakellとかdotNetとか。あ、プログラミング系のバイトもやってました。覚えてない。CとかSQLとかいじってた気がする。
院にも行きました。ここで本格的に情報系の職業に付きたいのでやっぱ箔は必要かなと思って情報系の院へ。特に後に仕事で直接役に立つ研究はしてなかった気がしますが、とにかく論建ての厳密性みたいなのはサンドバッグになりながら学べた気がします。英語は終始できませんでした。読んだ論文は英語だったけど結局日本語でしか書いてない。
さて就職活動ですが、Googleが応募してるらしいので応募しました。なんかこーあんまり低級なことはしてこなかったのでCとかわざわざ書いて練習した気はします。Haskellよりも100倍早かった。
面接の内容は言えませんけど(新卒でも中途でも同じ基準らしいっすよ)強いて言うなら「XXX(任意の基礎知識)?なんすかそれ?」(面接官に教えてもらう)「それはこういうことでっしゃろか?たぶんこー書いたら実装できます?」みたいな受け答えがウケたんじゃないかなーと思う。自分知識はボロカスですけど知恵には自信あります。
まぁこうしばらく中で過ごしてみて思うのは、のたうち回る能力がまず必要で、次にしんどい時にカードをさっと挙げれる能力とかかなーと。困らないようにする能力と困った時になんとかする能力。結局どうしたって困るので。
やることは超クソ複雑な制約のもとでナイスなシステムを組み上げることで、結局クソ複雑な実装になります。さらにその上で最適化したり既存の機能を壊さないように新機能実装したり。
最近TOEIC受けてないけど900取れた覚えはない。ただTOEIC高得点の人の英語Youtubeで聞いてもアレな感じなことがあるのでTOEICが西海岸の荒野で通じるかは知りません。
技術力がすごい人?そりゃいるんじゃないんですか?ただ僕は圧倒的に人を見る目がないのでなんかみんなすごいって言ってる人はすごいんだろーなーみたいな雑な。でも子供の頃じーちゃんちで泣かされた黒猫より怖い人にはまだあったことがありません。
俺も男だけれど、ジレットのCMを「押し付け」と捉える感性には共感しかねる。
CMでは「暴力とかいじめとかセクハラにはノーと言おうぜ、それらは"男らしさ"とは違うじゃん?暴力かっこいいみたいな風潮は古いし男も女も苦しんでるしもうやめようや」としか言ってない。俺がCMに押し付け感を持たなかったのは「暴力とかいじめとかセクハラにノーを言うこと」は人間として当たり前だし普通のことだから。まぁそうだよね、で終わった。
CMに押し付け感を捉えたとしたら、ロールの押し付けが嫌なのではなく、そもメッセージに共感できてないんじゃないかね。本心では「暴力とかいじめとかセクハラにノーを言うこと」なんて面倒だしどうでもいいと思ってるとか
いじめは絶対になくならないと思う。ニュースなんかでもいじめで自殺してしまった子どもの話題は定期的に見かけるし、SNSでもいじめの話題は目にすることが多い。そんなとき、いじめをなくすために云々を言う人がいるが、正直いじめをなくすために東奔西走するくらいならいじめが発覚した後の対策を増やす方がよっぽど生産的だと思う。だって考えてみてほしいんだけど、いじめってなくなると思う?道徳教育とかいじめの厳罰化とか、そんなんで子どもがいじめしません!って言うと思う?そういう対策でいじめをしなくなる子はそもそも積極的にいじめをやる子ではないのではなかろうか。どんなに対策したって大人の目の届かないところでいじめをする子どもは出てくるだろう。厳罰化なんてしたら尚更、発見されないより陰湿ないじめが増えるだけだろう。いつまで不毛な議論がされるんだろうか。
親類、友人、職場、恋人にいたメンヘラを参考にしたメンヘラへの個人的な対処の備忘録。
メンヘラは心の隙間に漬けこもうとする。典型的な「あなたが好きよ」と「頼ってます」アピールは奴らの常套手段。
その言葉に意味はなく、メンヘラの「好き」は「言うことを聞いてくれる」、「頼る」は「利用するのに都合がいい」の訳。
自分を省みて、入り込む隙間を与えない。
ゴキブリはゴミのない家には入り込まない。メンヘラは澱みのない心には近寄れない。
メンヘラが好きなのは「無償の愛」。誰かが自分にくれるものが好きなだけなのに、「好き」を叫び続ける。
だが、メンヘラは絶対に心からの「愛している」は言わない。だって、言ったらみんなのものじゃなくなるから。
メンヘラが「愛している」を口にしたら、それは別の誰かにも同じことを言っていると思え。
メンヘラのお仕事はいっぱいいっぱいいろんな人からの愛を集めることです♥
たとえ親でも必ず見返りがあっての愛である。共に暮らす幸せ、金銭的な補助、将来性などなど、そういうものがあっての「愛」。
何の見返りも与えない、もしくは苦痛ばかりの親なら家族と思ってはいけない。それは親ではない。メンヘラだ。
奉仕をしていると思っていて
誰か一人の愛を求めるならば、自分はメンヘラではない。相手がメンヘラ、もしくはクソだ。今すぐ縁を切れ(ただし片想いは除く)
色んな人の愛を求めるならば、自分がメンヘラだ。いいか。お前がメンヘラだ。自分が愛したい相手を見つめ直せ。
メンヘラは全く異なる思考、文化圏、常識から成り立っているため、犬よりも意思疎通が難しい。
メンヘラに「1」と言えば「好き」と返ってくる。「山」と言えば、「ディス」が返ってくる。
メンヘラはほぼ全員が「●●王国の君臨者」で、そしてその王国は自分の生活圏全部。
メンヘラにつき従っているように見えるメンヘラも、結局「××王国の君臨者」。いつかいじめられてたといって叛逆するぞ。
自分の言うことが聞けないやつは追放。そして新しい場所を見つければ見つけるほどに開拓して侵略し、敵と味方に分けて敵を屠る。
何故なら、メンヘラの言語では「交渉」が「宣戦布告」にしか聞こえないからだ。
メンヘラは強い。中途半端に賢しく、ねちっこい。ゴキブリをもしのぐ生命力と被害者ヅラ。つるむと蔦のように絡んでめんどくさい。
だが、大体練った作戦が中途半端なので落ち着いて、証拠集めれば潰せるぞ。ただし、生命力は庭に植えられたミントも凌ぐのでご注意を。
気分が伝染するようにメンヘラも伝染する。
伝染すれば最後、メンヘラが望むようなメンヘラになってしまい、嘘っぱちの愛の囁きにずぶずぶ沈んでしまう。
よほどのマイペースか、マイナス思考と縁を切っている人間、心に隙がまったくない人間でもなければメンヘラの伝染力の前には膝を折るしかない。
メンヘラの傾向に気付いたら即刻、自分の周囲でメンヘラの可能性のある人間とは距離を置く。
もしも距離を置いて、そのままにしてくれる人間はメンヘラではない。
そこで「どうしたの?」「困っているなら話を聞くよ」「助けたいの」とか言ってくる者がいればそれがヤツだ。
メンヘラの傾向
(この人が喜べば私も喜ぶではなく、この人を喜ばせるしか考えない)
メンヘラは少しでも好意的な場合にはしがみついて離そうとしない。
一度でも離れれば、敵対者としてつるし上げ、周囲の人間を離れさせようと策略をめぐらせる。
メンヘラは如何に自分が被害者であり、離れた相手が惨い加害者であるかを自身の周囲とその人物の周囲に広めるかが力の強さになる。
だっていじめなんて悪い子のすることは、みんなのいい子はしないもん♥ むしろ、私がいじめられて悲しいからたすけてね♥
いじめではないが、相手が困るように逃げ道を潰して、自分に縋る以外に方法がないようにしてくる。
いじめではなく、いやがらせなら相手が困る程度なのでやってもいいと思っている。
でも大抵やり方がぬるいので逃げ道はいくらでもある。視野のせまいメンヘラに見えてないだけなのだ。
そして、メンヘラは相手の周囲を遠ざけるために、地味な悪口、いいふらしをしてくる。
相手の周囲から人が離れれば上々。それで困って私に盾突いたことを謝れば、心の広い私は許してあげる♥
だが、いやがらせ程度の本当にくだらない嘘を信じて離れていくような人間はメンヘラの寄生先になるだけ。
本当に自分を好いてくれている人間はそんな嘘など胸の中で笑って蹴っ飛ばしているものさ。
メンヘラの多くはおしゃべり好きでついつい相手がしゃべってしまう隙を狙っている。
そして、何気に大体覚えていたりする。
メンヘラの特技は「ここだけの話なんだけど」。ここだけと言いながら本人以外は全員知っている。
話を聞いているだけ聞いて、こちらはしゃべらずにいる方が相手も距離を取られていると察して寄生先候補から外してくれる。
聞かれた時だけあたりさわりのない範囲だけでしゃべるのは、メンヘラだけでなくプライバシーの観点からも身に着けておくべし。
ちなみに以下のワードのうち、いくつかが口から出たら8割メンヘラ
(そう言っておきながら死ぬ気がない)
兎にも角にもこの一言に尽きる。
自身の心を理解しているフリをして、醜い本心を隠していなければ、自分のアラを隠していなければ人間が寄ってこないことを分かっている。
相手の心を理解できないのではなく、理解しようとしないだけである。
嘘をついて魅力的な雰囲気を出しているだけで、自分に人間としての魅力がない、人間以外のものであることを理解している。
故に、自身の正当な評価を受け入れることはなく、それが客観的に見ればプラスの評価であっても、自身のほしい言葉でなければ攻撃としてみなす。
当然、正当な評価で悪い言葉があれば、自分への嫉妬による攻撃にしか見えない。
その時、自身の中に「●●という言葉が欲しい」ということを理解していないのに、欲しい欲しいだけを言うので微妙にずれたものを贈られると「誰もわかってくれない」と大泣きするわけで。
それがたとえどんなに醜いと自分が感じるものであっても、それは確かにあなた自身であり、そう感じるものを昇華なり、消化していくことが人間である。
もし、メンヘラ自身もそれを受け止めることができたなら、そのときはメンヘラの殻を破り、人間としての真の姿を得るに違いない。
お……、おう。
それがわかった上で、
表現規制反対派のわたしは「ラノベ」の問題と「LGBT」の問題を並列して語ると、
話がこじれるから、「ラノベ表紙」の問題は、「ラノベ表紙」の問題として語ったほうがいいですよ、という主張なのですが、
『新潮45』の炎上の件とかもあるし、それを「ラノベ表紙」と接続されるのは、
戦略として、悪手にもほどがあると言っているのですが。
いや別にあなたが「LGBT」をどう表現してもわたし自身は「なんかいじめっ子が『あいつ反論してくんだよ、だからムカつく』といじめられっ子を形容するみたいだなー」
としか思わないけど、その「LGBT」に対する感情の発露と「ラノベ表紙」を接続すんのは、ラノベ読者がそういう奴らばっかって思われるからマジで勘弁してほしい。