2015年11月28日の日記

2015-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20151127233714

転売問題なかろW

つか、同人誌は本当に裏に書いている処分方法処分すると作者にブロックされたりするんだが。

中古屋でバイトしてた時、買い取った同人誌転売転売執拗店舗に連絡してきたヤツが居たが精神病しか思えん。

http://anond.hatelabo.jp/20151128090151

こういう人と、最初から堅実な人の違いはどこから来るんだろう。

まれ持った性格なのか、親の躾か、交友関係か。

http://anond.hatelabo.jp/20151128075237

学校卒業冊子で彼女にしたい女ランキング2位の美人だけど、高校生の時それされた事あるわw

ブスじゃ無くても普通に覚えてるよ。

フったら調子に乗るなってビンタされたし、同窓会で会った時にこいつは顔だけの性悪女って暴言吐かれたわw

あれ何で被害者意識強いのかね。

こっちはお前の遊びのために20分くらい人生時間使ってやったというのに。

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転売違法行為だと思ってんの?あほ

こういう人って、ヤフオクで山ほどやられている中古品販売は全部違法だと思ってるんだろうか。

その辺のブックオフとかチケットショップとかは堂々と違法商売をやってると思ってるんだろうか。

それとも同人誌けが違法だと思ってるんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20151127105313

金が自分に定着するのに10年かかる。で、思い出した。ピンときた。

自分語り

やっぱ手持ちの金が一気に増えると人間馬鹿になる。ていうか、元々馬鹿だったといった方が正しいか。

時給850円で、一ヶ月の給料11前後だった大学生から就職して正社員になった途端手取り23万になったあの頃。

月々入ってくるお金がドカンと増えて、なんだか自分大金持ちになった気になったっけ。

扶養家族もいないし、まだペーペーから拘束時間も短いしで、あの頃は湯水の如くお金を使っていた。

高級ホテル女子会したり、ふらーっと海外行ったり、ワンメーターだけタクシー乗ったり、調子に乗ってオーセンティックバーに通い詰めたり。ペン一本、タオル一枚買うのも100均行くのはなんだかビンボーみたいで、わざと百貨店で買ったりしてた。

お金を使い過ぎても、また来月入ってくるから、まぁいっかーなんて思ってた。

実家暮らしのくせに、私が稼いだ金なんだから…と親には渡さなかった。貯金は考えないようにしてた。

そうして2年、3年と過ぎた頃、体調を崩して4ヶ月程休職した。 その間はお金が入ってこない。

殆ど貯金はしていなかったので、口座からどんどんお金が減っていくのが怖かった。10円玉1枚すら惜しくなった。

なんだか急に自分の周りから色んなものが無くなった気がした。

周りを見ると、それなりにキチンと貯金をして、勉強して、車を契約したり、家を考え始めたり、結婚式予算を具体的に固めてる皆の姿があった。それに比べて私はなんだろう。ただの小銭を握った大学生じゃないか。何でも持ってる気がしてたけど、私は本当は何にも持っていなかった。

復職してから、毎月家計簿をつけた。月々の浪費額が数字となって目の前に現れた。なんだこれ。大ショックだった。こんなに沢山使ってたんだ。

自然節約しなきゃと思うようになった。定期預金契約した。親にお金を渡すようになった。

自分の飲み代につぎ込むよりも、友達のお祝いにお金を使う方が幸せ気持ちになれることを知った。

何のために貯金しようかな。沢山考えた。生まれて初めて「いついつまでに◯万貯めるぞ」って決めた。

最初は失敗もした。赤っ恥も沢山かいたし親に叱られた。でも、段々お金が貯まってくるのが楽しみになってきた。


貯金もようやく人並みの額になった。

普段から節制して、管理する。生かそう、増やそうと努力していれば、もし急なトラブルで数万円飛んでいっても、お金は巡り巡って帰ってくることを私は知った。 多分、もう大丈夫

そんな話を先日母にしたところ、母は笑って「そうかそうか。ようやく給料がアンタのもんになったんやねぇ。」と言った。

それを聞いた時はピンとこなかったけど、このお金持ちのオジサンと同じことを母は言いたかったのかもしれない。

7億円でも23万でも、同じなんだ。オジサンありがとう

Grze onus.

道行くスマホを使いながら歩いてるキチガいをこっちがよけるの、効率的で安定はするのは理解できるのだけれど、納得いかない。

女って何で忘れるの早いの?鳥なの?

彼女と別れるじゃん?

一週間、一ヶ月後には大体新しい彼氏ラブラブじゃん?

一年置けば結婚してる事すら有るじゃん?

女は忘れるの早過ぎだろ?

鳥頭過ぎかよ?

http://anond.hatelabo.jp/20151128075237

何なんだろうねあれ

私も電話告白された翌日に相手男子友達引き連れてきて、あれ嘘だから頼むから本気にしないでねと爆笑された記憶

痩せて幾分かましになって結婚して子供も居るけど罰ゲーム告白ターゲットでしたとは旦那に言えない

自分価値が落ちる気がする

はてなブログ新着見てるとちょーたのしい☆

うすっぺらい大学生がたくさん☆

新説記号解釈サザエさん

さかなくわえたどら猫おっかけて

さかな=カツオ

猫=カツオさらっていく

どら=ドラ息子という言葉語源であるドラをもって、金遣いが荒い、金持ちの子供を指す

まり、息子カツオを奪っていく花沢さんを裸足でおっかけまわす、姑の意地悪さを街のみんながわらってる、ということになる

買い物しようと〜財布を忘れて愉快なサザエさん

財布=マスオさん

マスオさんのことも忘れて目先の欲望に走る。つまりギャンブル浮気など貞操のない嫁を街のみんなが笑ってる、ということになる

なおこの説はフィクションです

http://anond.hatelabo.jp/20151127231648

それ理解されてないんじゃなくて、「虐待されてた可哀想自分」語りうぜえ、お前の望み通りの反応なんてしてやるものか、と思われてるだけだよ。

他人の同情を買おうとする行為は得てして反感しか買わないよ。

罰ゲーム告白」という行為

する側に回ったことがないからどんなノリで行われてどんな気分になったのかは知らないが、これ、された側はめちゃくちゃ引きずる。

何が面倒って罰ゲームから告白させられる側も被害者意識で、それが更に「私がブスでキモいばっかりに人に不快気持ちを味わわせた」という不要な罪悪感まで負わされる。

でも、「罰ゲーム告白させられたことがある」人間って、その何年後もその時の被害者感情を残してるだろうか?

中学の頃に「罰ゲームによる告白をされた」ことがある側だけど、あれから10数年経って20kgくらい痩せたしメイクの仕方もそれなりに覚えて普通くらいの見た目にはなったと思うんだけど(ナンパされることも偶にある程度)、今でもあの頃の記憶が蘇って「私なんて罰ゲーム」って気持ちむっくむく出て未だに男性好意を寄せること自体ができない。

「わたしなんかがこの人のことを好きになるのはこの人にとって罰ゲーム」って思ってしまう。

ほんとうに私にとってはいちばんなくなってほしい鉄板罰ゲームなんだけど。

この記憶はやく消したい。

アニデレのコミカライズの話って全然ページのカット画像とか見たことないしどうなったのかと思って作者名でググってたら先日発売の雑誌でようやく連載開始だったのか

シャアガルマと、ジョン・レノン

逆シャアでの、アムロに対するシャアの絡み方とかみてると、しみじみ、「シャアさびしかったんだろうな…」と感じる。

さびしかったっていうのは、友達がいない、みたいな意味


ジョン・レノンオノ・ヨーコ出会ったとき「俺より頭のおかしな奴がいる!」と喜んだ、という話がある。(うつくしい伝説かもしれないけど。)

ジョンも、きっとずっとさびしかったんだろうな…と、なんとなく思う。


ビートルズのジョン曲に「Strawberry Fields Forever」というのがあって、こういう歌詞がある。

No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.

孤独の木。呼応するセピア色の強烈な原風景


これは、孤独を「数えられる」人には、わからない感覚かもしれない。「あなたは、どんなとき孤独を感じますか?」という質問意味がわかる人。白地に黒の水玉。

これがもし黒地に白の水玉なら、「黒」は数えようがない。「あなたは、どんなとき孤独でないと感じますか?」なら、わかる。


友達っていうのは、対等な関係のことだよね?

まり、(少なくとも一面で)対等でなければ友達にはなれない。

(少なくとも一面で)その人と対等であれる人がいなければ、その人と友達になれる人はいない。どれだけ友達になってくれようとしても。どれだけ共に時間を過ごしたとしても。


シャアには、”友”であるガルマが”坊や”にみえしまう。

実際、ガルマは坊やなんかじゃないんだけどね。シャアとは指向性が違うだけで。

ガル自身シャアに対して「家族のない君にはわからない」的なことをいってる。


ガルマの木に、シャアはいない。シャアの木に、ガルはいない。


どちらが高くてどちらが低い、とかい問題ではなく。高いか、あるいは、低いか。両者じゃ指向性が違う。



No one(I think)is in my tree孤独とは、そういうものではないだろうか。



同じベクトルで同じように背負うものがあったからこそ、ガルマとイセリナにはわかりあうものがあったのだろう。

同じベクトルで同じように抱えているものがあったからこそ、シャアララァにはわかりあうものがあったのだろう。


アムロが実際シャア友達になってくれるか、そしてシャア自身がそれを望んでいたかは別として、アムロシャア友達に「なれる」人だった。たぶん。


逆シャアのNew技術リークみたいなことも、そう考えるとものすごく腑に落ちる。対等でありたい。つまり、「友達になりたい」。


いや……「アムロにいてほしい。自分孤独の木のなかに」。ただ、それだけだといったほうが適切かもしれない。


もちろん、一面では説明のつかない複雑な感情があったとは思う。ララァがらみの部分とか。

でも、アムロと戦っているときシャアは少なくとも「孤独」ではなかったんだろうな……と、ぼんやり思う。




私にガンダムを教えてくれた人が、私がガンダムにまんまとハマったのをみて、さりげなくバガボンドを紹介してくれた。

泣いた。

とあるサイト高齢化についてフロントエンドでやったことまとめ。

文字を大きくした。

背景色前景色コントラストをはっきりさせた。

時間で切り替わる画像文字が読み切れないようなのでやめた。

日本スゴい教より、海外スゴい日本駄目駄目教のほうが遥かにマシだよ

前者はキモすぎる

2chとかこことかでネガ意見みてもそこまで気にならないのに

Twitterみたいにある程度発言の後ろに言ってる人が見えるようなところでネガキャン見るとすげー気分悪い

なんでか分からないけど…ぐちぐち言ってるの見たくないんだよなああいうとこで

早くみんなが自分と同じ顔になるまで延々と殴り続ける作業に戻るんだ

日本左翼ってネトウヨ脳の政府やそのお仲間たちだけじゃなくて、

政府批判せず、ネトウヨ政府の作った歴史否定せず、すぐ日本肯定しようとするネトウヨ寄りになってしまバカ民衆も相手にしなければいけなくてかわいそう

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

http://anond.hatelabo.jp/20151128011303

駆け引きなんて失敗することもあるんだから、ややこしいことをせずに普通に話し合いしたほうがいいと思う。

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