https://note.com/tiikawa1216/n/ne14b9644bf7f
当時有名だった少女漫画を読んだ。フルムーンを探して、ママレードボーイ、グッドモーニングキス…
内容は定かではないものの、すべてとても面白く、良い物語だったと思う。
しかし、いくつかの物語を読むにつれて、私に「空虚さ」や「違和感」が蓄積していくのを感じた。
私が少女漫画から学んだ内容は、「女の子って、好きな男の子と付き合ったり結婚できたらその先の人生は”その他”みたいなものなのかなあ…」であった。
最終的に結ばれる側の男性には仕事の話や大学進学の話など、たくさんの「未来に続く道」が暗示されていた。それにも関わらず、主人公である女性は男性と付き合い、結ばれるところまでで精一杯であり、それ以外にやりたいことやどのような将来に向かっていくのか見えないのである。男性に一直線に向かって打ちあがる一輪の花火のようなものだ。その花火が咲いた瞬間がマンガのクライマックスであり、そのあとにはチリと寂寥感しか残らない。それがなんとも刹那的であり、同じ人間として数十年を生きるという寿命的設定と噛み合わず、空虚を感じる。
もちろん現在では、昔に比べて少女漫画も多様化が目覚ましい。愛の在り方に関する表現がイケメンとのイチャラブに集約されるような一様なものでなくなってきているという事実は、たくさんの精神的自由を女性に与えているのではなかろうか。
他者への愛は比べられるものでもなく、好きな人は好きなのである。
少女漫画はかつてのジェンダー再生産的役割から個人の自由意志や決定をフォローしてくれる役割にシフトしてきていると思われる。