はてなキーワード: 老荘思想とは
「知足」の考え方が富をもたらす理由をより深く探るためには、物質的豊かさと精神的豊かさの関係性を考察する必要がある。
老荘思想や仏教思想は、物質的な欲望を超えたところに真の幸福があると説いている。
まず、老荘思想における「知足」は、自然と調和し、無為自然の状態を目指すものである。
これは、物質的な豊かさを追求することなく、自然の一部としての自分を受け入れることで、心の平穏を得るという考え方だ。
老子は「足るを知る者は富む」と述べ、自己の限界を知り、現状に感謝することが、真の豊かさであると説いた。
一方、仏教思想では、「知足」は煩悩をそのまま受け入れ、それを転じて幸福を得る手段として捉えられている。
仏教では「煩悩即菩提」という概念があり、煩悩を断ち切ることなく、そのまま幸福に転じることができるとされている。
これは、欲望を完全に消し去るのではなく、それを受け入れた上で、精神的な成長を遂げるという考え方である。
物質的な豊かさを際限なく追求することは、環境や社会に負荷をかけるが、知足はそのような負担を軽減し、持続可能な生活を可能にする。
これは、経済成長が必ずしも人間の幸福につながらないことを示唆している。
ユダヤ思想においても、物質的な豊かさよりも精神的な価値が重視される。
例えば、タルムードには「誰が富者か?自分の分に満足する者である」という教えがある。(参照: https://www.sefaria.org/Pirkei_Avot.4.1?lang=bi )
これは、「知足」の考え方と非常に似ており、物質的な欲望を制限することで、精神的な充足を得ることを促している。
無思想の対として浮かんでくるのがネトウヨやネトフェミなのか?それはドン引きだわ。
普通はコミュニタリアニズムだとか、リバタリアニズムだとか、リベラリズムだとか、功利主義だとか、老荘思想、儒教思想、禅――そういうのを学者の名前や著書の内容と共に思い出すもんだよ。
それらをみな、自分なりに噛み砕いて、現代の身の回りの環境に合うよう変形させた上で持っているもんだよ。自覚していないし、言葉にしないだけで。
君が思想だと思っているネトウヨやネトフェミなどという集団は、カルト宗教と原理的に同じで、思想の体現ではない。
不満を鬱積させる市民のうち無学な人たちが、思想めいたものにかこつけて一体感と規模の力を得るための寄り集まったものでしかない。
思想哲学のように、政治や経済と繋がってより良い「道」を追求・研究することを主眼にしているわけではない。いわば対案を持たないデモ行進のようなものだ。
もしそういうのを「思想」だと思って、そんなのになるくらいなら無思想の方がいいとなる人がいるとしたら、そうやって特段悪い部分だけ見ることで考えを改めないようにする思考の癖を直すべきだと俺は思う。
この制度の主目的は、「社会的にエース級の戦力だけど、激務に潰されて心を壊してしまったひと」や、「一騎当千だが、結婚出産などで会社との折り合いにストレスを感じている人」の居場所を作れたらいいなという自分含めたラッセル怠惰への讃歌読書会メンバーで構成された経営陣によるものだ。
うちみたいなベンチャーは、そういうところを工夫しないと人材の囲い込み戦略で負けてしまうし。みたいなささやかな裏目的もある。こんな工夫だけで意外とやばい人材が集まる。
という話を、こっそり知り合いにすることがある。すると決まってこう言われる。
「週三日休みって生産性はどうなるのさ?」とか「平日休みと抜けられない打ち合わせが被ったらどうするの?」とかそういうものだ。
だいたいは、そこが問題なんですよねと軽く切り返した後に早くもストーブを出した話とか、ヒトカラで黙々と精密採点DXをやる楽しい休日の話にスライドするのだが、実は回答はある。
・週休三日と生産性の両立問題
通常二十営業日/月でこなす仕事を十六営業日でクリア出来ない人材はそもそも採用していないので、問題はない。ほとんどのメンバーは十営業日未満でクリアしている。
まず、自分しか仕事内容が分からない状態が発生した時点で、チームワークの著しい欠如と見做して評価が下がる方針がある。どんな職務内容でも、仕事のメールであれば自分以外の誰ひとりにも見られたくないメールなど有り得ない。
うちの会社に限らず、自分が急死しても仕事が止まらない体制を志向していない人材は論外だ。そこから派生して、関連性の薄いプロジェクトのCCメールを鬱陶しいと言ってしまう人材も方針上NGだ。彼らはチームワークの本質を理解していない。細やかな相互マネジメントで管理コストの削減は全メンバーの必須業務だ。
そういった方針に従えば、「休日取引先から個人携帯に連絡が来る」「打ち合わせに自分が行くしかない」状態がそもそも発生しないことになる。問題ではない。
という話なのだが、これをどういう風に話しても現在週休二日未満で労働している方には分かりにくい話なので、黄帝四経読書会メンバーで構成された経営層としては、老子と黄帝四経という切り口から黄老思想という概念の紹介をするぐらいに留める。
なお、上記の方針の根拠は、スーパーメジャーである老荘思想とはまったく違う、黄老思想という絶滅危惧種の思想を無理やり現代化して実用化に挑戦してみたものだ。
老子とか壮子を読めばいいじゃない。
そうやって自己反省したり他人を憐れんだりする孔子・孟子的な態度が、
せいぜい「かわいい子」どまりの道徳でしかないということに気がつくでしょう。
今回の元増田は、いわゆる「公用文書作成要綱」に沿って「読点をカンマ」「句点を丸」にしていることから、
なんらかの公務員ないし、公務にかかわる人物であることが想像されたが、
はたして、
非常にやりがいのある仕事で,同僚や上司にもとても恵まれていますし,信頼できる友人がいます。
一方兄は,15歳のころから入退院を繰り返しており,高校には1週間ほどしか通えませんでした。
調子のいいときには両親と外出することもあるのですが,友人と呼べる人はいません。
恋愛もしたことはありません。
薬の副作用に日々苦しんでいます。
であった。
さて、今回の元増田の問題をまとめると以下の二つに絞られる
先の記述から、兄は、「自分ほど与えられていない」という「フツーによくいるダメ兄貴」というより、社会を営む上での障碍を持っていると判断される。
そこで本人は、むしろ「自分が兄の分までいろんなものを持っていってしまったのではないか」と考えている。
だから、「お前よりも上がいるぞ」という意見に、「私の方が恵まれている」と返してしまう。
そう思わないと、今の兄の状態を合理化できないから。(ほんと、科学的思考のできない奴ってクソだな)
それが異常なまでの価値至上主義につながる。
私が恵まれていることのアピールをせずにいられない。
しかも、それを「罪」と考えている屈折。君子ごっこ。
だから、そこを突っ込まれる。
「いや、元増田より兄のほうが恵まれてるじゃん」と言う人間が現れたら、元増田は「罪」と考えるのを止めるのだろうか?
「そんなことはない。兄は不幸なんだ。不幸に決まってる。私と同じモノを持っていないのだから」と言い張るのだろうか?
まさに老荘思想というか、「逆説的に突っ込まれて回答に窮する孔子・孟子的君子」というのは、よくあるパターン。
増田はお兄さんの事が嫌いなんだろうなあと思った。
嫌いじゃなくても重圧には感じていそう。
そう思った根拠は
兄の置かれた境遇(と言動?)のせいで自分の心に平穏が訪れない、
って事柄を言葉を変えて何度も述べているから。
一番見たくないところ。結局、兄への憐憫は兄への嫌悪の裏返し。
兄が甘受しなければならない不条理、それが自分に与える負担への執着。
そうした兄への嫌悪を、「自身の幸運に対する感謝と、兄への憐憫」という態度で合理化し、さも君子であるようにふるまう。
当然、見抜かれる。
敵意の見受けられる言葉づかいをしているのが
ちょっと気になっています。
あるメッセージに対して、強く感情がゆすぶられたという事は
それだけ自分の中のコアをつつく何かが有ったという事でもあります。
それが「自分の信条としてそういう思想は決して許せない」からなのか
「端的に件の増田の言動が嫌いな奴を連想させてキモイ」あるいはそれ以外の要因なのかは
他ならぬ元増田にしかわかりえない事ではありますが。
そういう事もひっくるめて、
自分の内側にこもって一人討論会を開催する価値は有りそうだなあ、
などと思っています。
そして、
将来は,兄が,趣味のことでものんびりしながら暮らしていけたらなと思っています。
と、書き足す。