「点字ブロック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 点字ブロックとは

2022-06-29

anond:20220627224517

子宮頸がんとか妊娠中絶とか子宮があることで発生する諸問題について該当者に広く伝えるために「子宮のある人」は有効だと思うんだよな。

ジェンダー関連、手術で子宮を取ってたとしても「女性」として生きててぶつかる問題に対しては「女性」でいいし、

生理貧困とか、生理関連については子宮あっても生理ない人(閉経や薬の影響など)いるから「生理のある人」でいいとと思うんだよな。

胃薬だって「胃の調子が悪い人」にって言うし

点字ブロックは「目の不自由な人」へだし、

それこそ前立腺がんことなら「男性を中心に前立腺のある人」とかで訴求していっても良いと思うんだけどね。

2022-05-24

黄色い線の内側におさがりください

子供の頃、点字ブロックとは別にどこかに黄色い線があると思ってた

点字ブロックの内側って言わないんだから点字ブロックじゃないんだろう。。という謎の思い込み

今は点字ブロックって言うところあるよね

2022-05-12

anond:20220512211345

マジレスすると

点字ブロックのすぐ外に黄色い線があるよ

真の直線だから太さゼロなので目視不可能だけどな

黄色い線の内側までお下がり下さいってどこ?

よく電車に乗る時ホーム上でアナウンスされてる黄色い線の内側ってどこだよ

点字ブロックの事なんだろうけど、点字ブロック点字ブロック黄色い線じゃない

黄色い線はホームに引いてないんだから点字ブロックって言うべきなのに何で黄色い線なんだろう

2022-02-23

点字ブロックって車椅子とかの歩くのが不自由な人にとって差別に当たらないのかな。

街にある点字ブロックが嫌い

歩道の真ん中とか、交差点の手間に幅広く敷かれている凹凸。

歩きにくいんだよ。

ベビーカーや老人のカートキャリーバッグ使う人、みんな不便に感じてる。

今まであのブロックを頼りにしている人を見たことがない

毎日数百人、数千人、数万人と通る道で

ほんの0.1%もいない人のために、あの邪魔な凹凸がそこら中にあるのが嫌なんだ。

全部平らにして、必要とする人には盲導犬でも付ければ良いと思う

2022-01-28

障害を持った人がいない世界ってどうなん?

どうすれば成り立つかとか置いといて、いなかったらどう?なにか悪影響はある?

例えば点字ブロックが不必要だったり、クラス意思疎通の難しい子が暴れたりするお困り事が起きなかったり、いいこと多そうなんだけども。

2021-11-29

ヘルプマークとかそういうやつ

小学校で、白杖とか盲導犬とか介助犬(?)とか習ったよね。

点字ブロックの上に物置かないとか、盲導犬ちょっかいかけないとか店内にいてもOKとか。

最近ヘルプマークのことも習うのかな。

でもヘルプマークってわりと誰でももらえるし、あくまでお願いレベルじゃんね。

なんかこないだ、黄色リボン付けてる犬を見かけたら配慮しましょうみたいなのを見かけた。

あくまキャンペーンレベルらしいが……

訓練中の盲導犬とか、健康問題があるとからしい。

いや、知らん知らんってなった。

あとは○○っていう病気の人はこういうのが苦手です……とか。

同じ職場学校にいたら控えるけど、カフェいるかもしれないから気をつけようみたいなレベルで話をされても困りますってーの。

話は少し変わるけど、駅構内で流れてる、困ってるお客様を見たら声かけお願いしまアナウンスおかしくない?っていうやつ。

駅員が巡回しろ、なんで客にファーストエイドを当たり前のように求めてんのっていう。

(そりゃ人として具合悪い人見かけたら何とかするべきだけど、それを駅側がお願いするのはおかしくない?っていうことね)

こういう事象あわせて、最近一般人配慮を求めることが多すぎる。

黄色リボンなんて、ただ可愛いね♡だけで付けてるワンコたくさんいるだろうに。

そりゃね、困ってるとき、具合が悪いときに人に声をかけて助けを求めるのが難しいのも分かるし、揉め事に巻き込まれたくないから前もって意思表示をするのも分かるよ。

でも、なんだか最近はやりすぎやんね。

一般人無償配慮を求めすぎではないかしらん。

2021-11-03

スゴいこと思い付いてしまったんだけど

歩きスマホ信号見ない人多くて危ないのなら、

点字ブロックが地面に埋め込まれているように、

地面に信号埋めたらよくね?

さすがに信号のものを直接埋めるわけではないけど、

点字ブロックみたいに、プレートみたいな部品のパーツを地面に埋めて

赤青って光るようにすれば、

歩きながらスマホしてる人にも絶対に目に入ってくるし、

信号赤じゃん!って止まってくれるし。

これって踏切にも応用できて

踏切付近の地面にも赤の点滅灯を埋めて電車が来たら地面も赤く点滅するってやったら

そんな事故も防げるんじゃない?

歩きスマホしてる人にも、それらの技術革新で注意を促すことが出来るんじゃない?

画期的すぎるし!!!

2021-10-17

でも安倍元総理点字ブロック塞いでたら徹底的に叩くんでしょ?

たたきたい! ふしぎ!

2021-10-16

点字ブロックって、視覚障害者が「誰も介助者がいないときに」安全に歩行できるためのものだと思うんだけどさ。

与党野党候補者点字ブロックを塞いで演説! とか騒いでる人たちって、周りにあれだけスタッフ、警備、規模によっては警察がいて、誰も誘導せず障害者が柵に当たって転倒、とか想像してるのかな。

2021-09-05

anond:20210905150018

障害者関連予算が増える

点字ブロックが増えたり車椅子通路が増えたり配慮用の予算下りてくる

回りまわって重い知的障害の人にもお金が入る

金は天下の回りもの

2021-07-25

なぜわざわざ点字ブロックを塞いでいる写真をアップするのか

抗議活動を行いました系のツイート写真で、点字ブロックを塞いでいる様子を選ぶのってわざとなの?

この間の社民党とか、最近だとアジア女性資料センターとか。他にもあると思うけど。

抗議活動自体はやったらいい。でも抗議に反対する人にとっては、その写真抗議活動者の弱点になるわけじゃん?

なんで?

2021-07-22

障害児学級の記憶

小山田氏の解任問題を見て、自分にも差別意識があるのだと気づいた瞬間を思い出した。

通っていた小学校には障害児学級があった。

3階が2年生、2階の1年生、1階が障害児学級のフロアだった。

当時小学2年生だった私は、先生から水やりをするための水を汲んで来るように言われ、校舎へ向かい障害児学級のトイレ一瞥し、3階の2年生トイレまで駆け上がった。

かなり遅くなった事を先生に問われ、

「一階のトイレを使ったらもう少し早かったね

どうして使わなかったの?」

というような事を言われた。

「他の学級のトイレを使ってはダメからです。」

と答えた記憶がはっきりとある

けれど、その時私の心の中にあったのは 

障害児学級のトイレを使いたくない”

という、明らかな差別感情だった。

もし一階のトイレが1年生トイレなら、私はそこで水を汲んでいたという確信があった。

インフルエンザ流行る時期だったこともあり、言い訳先生は納得してくれたが、自分の心の内にあった差別感情に気づいてしまった事がすごくショックだった事を覚えている。

障害児学級に通う友達の弟とは仲良く遊んでいたし、縦割り班の中にいたダウン症の子とも仲良くできると思っていた自分差別意識があった事がショックだった。

小山田氏のようにその差別意識を実行にうつしてしまい、それを反省せずに大人になるのは許され難いことだが、心の中で小さな感情を抱き続ける人もいる。

絶対に加害しないし、言葉に出すことはない。

困っていたら手伝うし、点字ブロックの上にある自転車も気付けば動かす。

けれど、心の中で「障害者だな」と思ってしまうだろう。果たしてこれは差別なのか、ただの認識なのか。

どこから差別にあたるのだろうか。

私は未だに分かっていない。

2021-04-23

点字ブロックって邪魔じゃない?

点字ブロックって、見た目が悪くなるし、スーツケースが段差で引っ掛かるし、子供がつまづくしで健常者にとってバリアフリーで無くなってる感があるんだけど、本当に必要なのか?

自分が目が見えなくなったらアレに頼って1人で出歩こうとか思わんし、1人で出歩けられる人は白杖で十分じゃないの?

2021-04-16

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

2021-04-10

駅で車椅子に乗ったよ(健常者編)

先日、健常者が駅で車椅子に乗って移動することになったので思ったことを書く

Q.なんで車椅子乗ったの?

A.電車で急に意識を失って倒れて頭打ったらしく救急車のお世話になった。その際に車椅子救急車まで運んでもらった。

結果から言えば大事はなく、意識もはっきりしていたが目撃者の親切な方が頭打って結構ヤバそうなことを言っていたので一応救急搬送されることになった。

都内の駅にて救急搬送され、その際に簡易的なものだが車椅子で運んでもらったので思ったこと。

・駅のホーム不安定すぎる

都内の駅は工事工事を繰り返した結果として、ホームが仮設なのか本設なのかよく分からないシートで覆われた場所だらけになっている。

そのせいで、車椅子で移動すると高さが微妙に安定しておらず、頻繁に傾斜を感じる。転びそうとまでは思わないけど不安定な道で移動するだけで安心できるスペースではない。

点字ブロック、すごく干渉してくる

バリアフリーの味方の点字ブロックだが、車椅子には駅のホーム通路以上にガタガタ揺れるので不安定

しかも駅のホームは広くない上に、柱や待っている人、歩いている人を回避するためにコース取りが蛇行しがちなので、

ちょっとした距離を移動するにも何度も点字ブロックを跨ぐ必要があるので、駅の移動する上では結構ストレスを感じるポイント

・歩く人、大体敵

目線がすごく低いので、どいつもこいつも突っ込んできそうに思える。

歩きスマホマジで危ない。ぶつかって転ばされたらすごい嫌だなと思いながら進まざるを得ない。

車椅子運ぶ人だけじゃなくてすぐ後ろに救急隊員が何人も付き添ってこれ以上目立つ方法がない状況でだぞ。

否応なく自分弱者なのを味わう空間だと深く感じた。

エレベーターは当然備わっていて支障がなかったので特に書くことはなかった。

抱えて運ばれるのは危険で怖そうだなと思うが。

2021-04-06

癌になって思うけど配慮されてんのは健常者だと思うわ

バリアフリーになってない施設であることを障害者が受け入れてくれて成り立ってんだもん、

障害者が健常者に配慮してんだわ。自分障害者当事者じゃないけど病気してやっと気づいたよ。


自分障害者ではないけどさ、去年会社がタダでがん検診受けさせてくれるって言うからラッキーて思って受けたら

30歳で癌が見つかっちゃって手術してこれから抗がん剤なんだよ。まったく何の自覚症状もないのにびっくりだ。

数年前まで現場職だったけど転職してたまたま今はデスクワーク

コロナでも在宅勤務にしなかったのに抗がん剤の話したらあっさり在宅勤務認めてくれてさ、

抗がん剤って企業体質にも効果あるんだな、びっくりした。

在宅勤務できる仕事と、させてくれる会社理解ある上司と同僚、数年前に入った保険と癌の特約、、、これらのおかげでめっちゃ助かってる。

どれか欠けてたら、って思うとこわいよ。どうなってたんだろう生活…。

在宅勤務にしようって言ったうちの社長は「いつ自分だってそうなるか分かんないからだいたいのこと何とでもなるようにしといた方が良いよね~」って言ってた。

そうなんだよ。

抗がん剤始めたら体えらくなって階段とかきつくなるんだろうなって思ったんだけど、

今の勤務先、親会社オフィスを間借りしてるんだけど階段しかないんだ。エレベーターもないんだよ。

来客の中に車椅子の人を想定してないんだ。つくろうと思えばつくれる広さはあるのにさ。

これまでなんとも思わず階段掃除してた。

これから抗がん剤とか言ってるけどさ、明日事故って下半身不随になるかもしれない。

池江璃花子だって白血病になるし、アイドル看板か何かの下敷きになって車椅子生活になってた、弱虫ペダルの実写の俳優とか、

国会議員大臣してた人も自転車事故って車椅子使ってた。

だってなるんだよ。それがずっと先か、明日か、そうならずに一生を終えるのか分かんないけど。

めちゃめちゃ怖いよ。

自分に急に癌が見つかったみたいに、いつそうなるかなんて分かんないのに、そうなったらいきなりハシゴ外されて誰も受け止めてくれない社会だよ。

重度障害者国会議員になるまで国会議事堂だって大きい車椅子が使えるように整備されてなかったのもおかしな話じゃないのか。

国民のことを話す場なのに、まるで彼らはそこに勘定されてこなかったみたいだ。

ちなみに話題ブログのことでJR職員を責めるつもりはない。

会社ルールにしたがって対応したんだ、彼らは彼らの仕事をした。

でもこの10年くらいで大して変わってないんじゃないのか。

声を上げてる人がいるか点字ブロックエレベーターも色々整備されてきた。

今でも声あげてる人はいるけどどれくらいの人が本気で耳を傾けてる?

こんなやり方じゃ…っていうけど、丁寧に、わきまえて、健常者が聞いてやっても良いぞ~って気持ちになる話し方でお願いしたら取り組んでくれたのか?

大声あげなきゃなんともならなくなってるんじゃないのか?

自分障害者になっても感謝を忘れずわきまえて生活しますなんてそんなこと自分は言えないよ。

どっか行きたいって思ったときにどっか行けた方が人生楽しいじゃん。

友達障害者になっても色んな施設バリアフリーになってたら自分も楽しく一緒に旅行できるじゃん。

自分だってそうなるかもしれないのに、健常者が当たり前にやってることを自分もしたいって言うことをワガママだなんて言えないよ。

なんかとりとめなくなっちゃったけど、自分が健常者だっていうのはほんとに、たまたまなんだと思って生きたほうが良い。

それが言いたかった。あとがん検診受けようね。

2021-04-04

anond:20210403165033

お前もリベラル男性ではないだろ

少なくとも「自己責任」に価値見出してるのは間違ってる

発達障害がどうとか返答で言ってるが、発達障害者が生きづらいのは明らかに社会のせいですよ

から段差が減り、そこら中に点字ブロックが置かれているように、コミュニケーション労働環境スケジュール管理整理整頓問題なんかがもっと発達障害者のために組み立てられればそれで済む話なのだから

2021-03-26

デスクトップ操作視覚障害者対応

デスクトップ操作視覚障害者モードは健常者も目隠ししてやってみると色々面白かったりする

UI設計としての気づきもあるかも

工場作業員とかのウェアラブル端末みたいにハンズフリーを音声で実現するのにも役立つ

でも、基本的障害者対応ってお金にならないんだよね

そこがネックだったりする

一時期はWindowsXPときだったか、読み上げ機能とか標準でない時期があった気がする

から視覚障害者団体がある中小企業ソフトウェアを買い上げたんだったか

それをインストールしてWindows使うのを推奨してた時期があった気がする

ただ、残念ながら点字キーボードとかコストで考えると採算に見合わなくなっちゃうんだよね

駅の点字ブロックも未だに転落して事故になってしまうことがあるし

健常者のニーズ合致すると話が早いんだけど

シャンプーとかリンスボトル上の凸凹とかみたいに

2021-02-06

点字ブロックの上で自転車乗ってたおっさん

点字ブロックの上でボケッとしてたから、視覚障害者とぶつかった

どちらに責任あるかは明らかなのに、自転車おっさんはお前がぶつかってきたんだからすいませんと謝れとブチキレてた

世界平和になりっこないなわと思った

2021-01-08

希死念慮

物心ついたときから,常に何かあるたびに死にたいと思っていた.最近その感情が何を求めているのかが分かって,死ねば許されるんじゃないか,と思っているらしい.ただ何を許してほしいのかは分からない.ただ許して解放してほしい.実際のところは,死んでも許されるかどうかは全く確証がないわけで,また同じ人生をやり直すのかもしれないし,余計にハードモードでやり直しかもしれない.そう思うと,別に自分から直接的な行動を起こすことは全く無い.逆に,自分死ぬときっと悲しんでしまう人が居るので,頑張って生活している.

ちゃんと駅のホーム電車が来る時は,点字ブロックの後ろに立っている.昔Twitterで,「疲れているときに,死ぬつもりがなくても電車に吸い込まれしまうことがある」と読んで以来気をつけている.

から何となく20年も生きられないんじゃないか(外部要因で死ぬのではないか)と思ったが,今20年以上生きているので,自分でもよく分からない.成人した後のことは全く考えていなかった.自分には関係ない未来の話だと思っていた.

こういう話は,他人には話してはいけないようだと分かっていたので,話す相手も居なかったのだが,そもそも希死念慮自体が無い人間が多いことにとてもびっくりした.人間として,当たり前の感情だと思っていた.皆さんはどうですか? 子供時代から希死念慮があるとか無いとかっていう話はググってもあまり出てこなかった.

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