2021-07-22

障害児学級の記憶

小山田氏の解任問題を見て、自分にも差別意識があるのだと気づいた瞬間を思い出した。

通っていた小学校には障害児学級があった。

3階が2年生、2階の1年生、1階が障害児学級のフロアだった。

当時小学2年生だった私は、先生から水やりをするための水を汲んで来るように言われ、校舎へ向かい障害児学級のトイレ一瞥し、3階の2年生トイレまで駆け上がった。

かなり遅くなった事を先生に問われ、

「一階のトイレを使ったらもう少し早かったね

どうして使わなかったの?」

というような事を言われた。

「他の学級のトイレを使ってはダメからです。」

と答えた記憶がはっきりとある

けれど、その時私の心の中にあったのは 

障害児学級のトイレを使いたくない”

という、明らかな差別感情だった。

もし一階のトイレが1年生トイレなら、私はそこで水を汲んでいたという確信があった。

インフルエンザ流行る時期だったこともあり、言い訳先生は納得してくれたが、自分の心の内にあった差別感情に気づいてしまった事がすごくショックだった事を覚えている。

障害児学級に通う友達の弟とは仲良く遊んでいたし、縦割り班の中にいたダウン症の子とも仲良くできると思っていた自分差別意識があった事がショックだった。

小山田氏のようにその差別意識を実行にうつしてしまい、それを反省せずに大人になるのは許され難いことだが、心の中で小さな感情を抱き続ける人もいる。

絶対に加害しないし、言葉に出すことはない。

困っていたら手伝うし、点字ブロックの上にある自転車も気付けば動かす。

けれど、心の中で「障害者だな」と思ってしまうだろう。果たしてこれは差別なのか、ただの認識なのか。

どこから差別にあたるのだろうか。

私は未だに分かっていない。

  • なんかちょっと認識の齟齬があるようだけど、 ・小山田が解任されたのは、過去にえげつないイジメを繰り返していたから であって、 ・過去に障害者差別していたから じゃないんだよ...

    • すごくわかりやすかった。ありがとう。 イジメを行動にうつしたのがダメやったんやな。 悪意の種になりかねない小さな感情って沢山あると思うから、自分も向き合いたいし子供ができ...

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