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はてなキーワード: 性的少数者とは

2019-11-24

anond:20191124045655

増田の言ってることは適当だけど、BLものって(中に例外はあるとしても)単に男が「(いわゆる)男役と女役」をやってるだけのものが多くね? って意味では、そもそもBLもの性的少数者の側に立つことはないし、従来の性的役割を強化こそすれそれを軽減するようには働かないよね、っていうのは当然じゃないかと思う。

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-24

サウスパーク腐女子

腐女子ネタは単なるお遊び要素で、真のテーマは「LGBTに関する人権意識が過剰に膨らみすぎて、当人達の意思を離れつつある実態なのは、誰の目から見てもわりと分かりやすいとは思うんだけど

最後の、トーマスクレイグに語りかけるシーンの意味が、よく分かってなかったんだよね。

でも今日観返して、「大切なのは指向への迎合ではなく、個々人をありのまま受け入れる事である」って伝えたかったんだろうなって思った。

トーマスは話中、最後まで息子がゲイであることを好意的に捉えられなかったし、性指向に対する知識もめちゃくちゃなままだった。人がゲイになるのは日本のせいで、それはトンキン湾事件が原因で、ゲイにはお金を与えていれば良い、そんな出鱈目な知識そもそも息子が本当にゲイなのか否かすら分かっていない。

でもトーマスは、クレイグのありのままを受け入れる、とクレイグに示すことができた。正しい知識はなくても、息子の全てを受容する、それを相手に伝えられた。大事なのはLGBTに感する知識でも、応援でも、運動でもない。性的少数者という括りを取っ払った、その人自身を受け入れること。その人に、「この人なら自分を受け入れてくれる」と思ってもらうこと。

結局クレイグはトゥイークと付き合うことを選んだわけだけど、楽しそうに遊んでるし、後のシーズンでもお互い支え合いながら仲良くやってる。クレイグはゲイゲイじゃないかは兎も角として自分幸せを掴む事には成功してるんだよね。

ジャンル分けの成否は関係なくて、その人自身幸せならいいんじゃないかって、そんなテーマが隠れてるんじゃないかな。

サウスパークは、初期の何も考えてなさそうな不条理ギャグ時代の印象が強すぎるんだけど、最近深読み深読みを重ねてもまだ足りない作品が多い。

2019-09-04

anond:20190904115504

セクシャルマイノリティ様は「LGBT」と名乗って他の性的少数者を切り捨て、差別する側に回りましたね。

2019-08-08

anond:20190808203550

調べたけど分かりやす説明している資料ネットでは見つからなかった

だけど、性的志向異性愛に変えろ、性自認身体と一致させろと性的少数者強制するひどい歴史があって、変えようもないものを変えさせることが人権侵害だった

それに対する反論として先天性の話が出てきたみたいだね

2019-07-02

anond:20190702164504

一部の性的少数者自己満足以外では一切求められていない。必要がない。

anond:20190702162848

お前馬鹿だろ

極僅かの性的少数者以外は誰も求めてない穴の話なんかしてねーんだよカス

2019-07-01

anond:20190701145713

「穴」って言ってるのを物理的な穴のことだと思ってる愚か者

一部の性的少数者以外から需要がない

2019-06-23

なんでだよ!なんで俺の記事が伸びねえんだよ!

いい記事じゃねえか!

そりゃまあ完璧じゃねえのかもしれねえよ

夜中に思いつきで1時間で書いた記事だよ

何が駄目だったんだよ!

時期だってのがしてたよ

語りだすのが半年遅かったよ

面白くもねえ逆張りかもしれねえよ

でも伸びていい記事だろうが

なんでこれが伸びねえんだよ

貧乏人の叫びだとか性的少数者の憤りとかそういうのばっか伸ばしてんじゃねえよ

パンティーだのうんこだのの話ばっかじゃねえか

なんで俺のは伸びねえんだよ

伸びてくれよ

伸びてくれないと誰も読まねえんだよ

誰かが読んでくれねえとその話は始まらねえんだよ

最後には誰かがバージョンアップしてソイツが機嫌を主張しても良い

から伸びてくれよ

俺の話したいネタが伸びてくれよ

2019-05-22

PNZを犯罪者扱いするなら

LGBBへの理解と寛容さは日に日に増している様に感じる。ここ増田でも、先日同性婚に関する記事がバズったばかりだ。そんな同性同士の結婚なんて話が出来るまでに、社会LGBT存在を認められるようになったのか。

それはそれでまあ喜ばしい事かも知れないけどさ。

そんな動きの一方で、アメリカ地方議員ケモナー性的指向がバレただけで辞職に追い込まれた、なんて話を聞くと暗澹たる気持ちになる…。

何故認められないん?LGBTは認められて、何故PNZ他の性的少数者迫害されなきゃならないん?

こう訊くと「PNZは性欲を満たす行動そのもの犯罪になるから」ということらしい。

この言にはある程度の正当性があるかも知れない。確かにペドフィリアが実際に幼児に手を出したら事件になる。それは認めるわけにはいかない。

しかし実際にはケモナー議員の様に、『絵』を嗜むだけでも迫害対象になりうる。この矛盾をどう説明するのか?

性的欲求を満たす行動が犯罪になるなら、行動しなければ良いだけである。又は代替行為我慢する。そんなことも許されないのか?人間セックスのみに生きているわけではない。

加えて言えば、合意の下性的発散が出来ないのは、相手がいないヘテロLGBTとて同じことだ。何故「いい歳して童貞の男は必ずレイプ魔になる!」と言わないのか?いや言って欲しいわけではないが。

LGBTは認めるがPNZは認めない、という人に質問です。

・何故PNZを認めないのですか?

・何故PNZは必ず実際の行為に及ぶと思うのですか?

・何故合意的に性欲を発散出来ないヘテロLGBT迫害しないのですか?

2019-05-20

anond:20190520133232

性的少数者である」ということだけを理由としてませんので安心してください

ペドフィリアに対してはそれだけの理由性的な行動を禁じてるじゃないか

性的接触もっと一般に繊細な合意の上で行われるべきなんだよ。

マジョリティってなぜかペドフィリアばっかり目の敵にしてるけど、

言語コミュニケーションに拠った空気とか雰囲気とか曖昧言い訳で好き放題セックスしまくった結果がデートDVとかの問題だろと。

まず自分らの不始末をどうにかしろよ。

これに関してはまぁわからんでもない

「繊細な合意」が全然具体的でないという以外は。

anond:20190520132409

性的少数者である」ということだけを理由として

ませんので安心してください

性的接触もっと一般に繊細な合意の上で行われるべきなんだよ。マジョリティってなぜかペドフィリアばっかり目の敵にしてるけど、非言語コミュニケーションに拠った空気とか雰囲気とか曖昧言い訳で好き放題セックスしまくった結果がデートDVとかの問題だろと。まず自分らの不始末をどうにかしろよ。

anond:20190520132152

性的行為は許されるべきだが、性的接触は許されるべきでない」というのが現実的な落としどころだろう。

現実的な落としどころ、という名の差別ですねわかります


性的少数者である」ということだけを理由として生涯にわたって不利益を負わせ続けるってことに鈍感なのはマジョリティ故か。

anond:20190520111120

書籍でいえば大島薫の同性婚あたりかな

n=1

しかに「一部」ではあるよね。n=1

ペドはLGBTが同性婚を訴えてるのがそんなに気に食わないのかw

×「同性婚を訴えてるのが気に食わない」

〇「同じ性的少数者差別しているのが許せない」

2019-05-19

anond:20190519232621

「分断できる」っていうかもうしてるよ

LGBTLGBTと名乗り、性的嗜好性的指向を切り離した時点でもう、運動として「一部性的少数者には被差別階級でいて貰おう」って事になってる

例えば、「LGBTPZN」がポーランドで唱えられた時、LGBTは同じ性的マイノリティであるPZNに対して、「一緒にするのは嫌がらせだ」と言い放った。

LGBT反差別運動なんかじゃない。ただ差別する側に加わりたいだけだ。

2019-05-14

anond:20190514121043

真面目な話、内心だけですむやつはそのまま日陰のワラジムシしといてくれ頼むから

いや、なんで性的少数者カミングアウト制限するの?

直球で差別だって自覚ない?

anond:20190514103941

殺害予告児童クラブ補助員を逮捕2015年6月兵庫県西脇市役所や市内の保育園に「子どもを殺す」などと記した封書を郵送し、業務妨害した疑いで、加古川市臨時職員児童クラブ補助員(女性、50歳、姫路市)が11月22日までに逮捕された(威力業務妨害容疑)。容疑を認めている。差出人に自分の両親の名前を使っており、「子どもを狙い、両親に迷惑をかけようと思った」と話している。2014年10月2016年8月に、県内家庭裁判所飲食店などにも脅迫文書を送ったという。(時事、11月22日

この件の威力業務妨害は「子どもを殺す」などと記した封書を郵送」にかかっており、「ペドフィリアである」ということではない

園児強制わいせつ疑い、元保育士の男逮捕保護者相談携帯電話から動画も 愛知

「行動に出た」から逮捕された。「ペドフィリアであった」から逮捕されたわけじゃないぞ?

ガチクズ日常的に女児へのわいせつ行為を繰り返しツイッターで自慢していた男性保育士発見される

同上。

実際に私が治療にあたった100名を超える小児性犯罪者の中には、小学校先生もいれば保育士スポーツインストラクターもいる。

ある保育士はすでにベテラン領域に達する年齢だった。様々な保育所での勤務経験があり、その各所で小児性犯罪を繰り返してきたが、彼の特徴は女の子にも男の子にもそうした性暴力を繰り返していたことだった。

彼はトイレ問題行動に及ぶのだが、子どもたちを連れ込む口実を「トイレトレーニング」と称していた。

同上。

欲望消せない人間欲望を強く惹起される環境にいるとやって良いこととやって悪いことの区別だんだんわかんなくなるんだね

そりゃ欲望が「ある」と口にした時点で首にしといたほうがいいわ

これは君の妄想であり、なんらエビデンスのあるものではない。差別の口実としても下の下だな。

君が列挙した判例はすべて「行動」にかかってるんだよ。

性的少数者である」ということはなんの罪でもない。それが罪なのは差別主義者の脳内だけだ。

anond:20190514103106

罪名はセクハラどころか、詐欺罪(重大な瑕疵を隠して就職してる)、威力業務妨害

判例どうぞ^^

この国には憲法第14条があり、「人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされている。

特定性的少数者である」ことは重大な瑕疵でもなんでもないぞ。

それと隠しきれてないならなにかやらかしてるんだから誘拐とか性犯罪、ジポ法違反あたりも上乗せだね

カミングアウトは只カミングアウトしかなく、誘拐でも児童ポルノでもないが。

・「性犯罪」という罪は存在しないぞ。列挙するとき粒度を合わせような。

2019-05-13

anond:20190513171506

性的少数者への差別撤廃」を求めるLGBTに同じ性的少数者たるPZNを差別するのか聞くのは嫌がらせだって

そもそもLGBTPZNは日本発祥言葉ではないぞ。

発祥ポーランド

なにもこねくり回しちゃいない。

あらゆる差別を許さない「反差別運動家」か、自分達さえよければほかのマイノリティは切り捨てる犍陀多かを見極める一線だよ、PZNは。

LGBTPZN」には、「LGBTばかり正義ヅラしてうざい」という不満のもと、

あいつらPZNを加えたら発狂しそう」「炎上させよう」という狙いで広められた経緯があります

こんなん只の逆切れだよ。

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