はてなキーワード: 動物園とは
俺の担当になった先生も動物園と言ってたんだよな。県立の中高一貫校が出来てから一気にこうなったと。
この学校は俺の母校だが、当時は一貫校がなく、大人しくしている生徒と問題児の割合は9:1くらいだった。問題児は圧倒的に「マイノリティ」で、なんというかマジョリティに気を使いながら問題行動を起こしていたのを覚えている(問題を起こすときは校外だったり、隠れてやっていた)
しかし公立の一貫校ができて今まで公立中学に来ていたトップ層が抜け、公立の一貫校に行く学力がないがおとなしい子たちが私立にに流れるようになったらしい。
実習時、問題児は一学年五クラスのうち、一つのクラスに集められていた。逆に勉強ができる、あるいは真面目でおとなしい子も一つのクラスにまとめられてた。問題児クラスはHR担当だったが、HRがろくにできないほど多動だったり攻撃性が強い男子が多く、先生が常に怒鳴って押さえつけてるかんじ。そのせいかは知らんが先生は声がガラガラだった。逆に真面目クラスは模擬授業のみ体験したが、学力も高く打てば響く子たちばかりで授業もやりやすかった
職員室の目の前で、取り囲んで蹴る殴るの暴行、いじめが行われていたのには驚いた。もっと驚いたのは通りがかった教師がそれをスルーしたことだ。今思えばいじめを止めるほどの体力気力がもうなかったんだなって感じ
オチはない
それ動物園じゃなくね?
兵庫県から神奈川県の高校に転校した人間なんだけど、同じ偏差値の学校に引っ越したはずなのに動物園すぎて民度を疑いました。少なくとも勉強や立ち居振る舞いについては同じ偏差値なら兵庫の人の方が民度が高い / “公立学校って言うほど動物園だったっけ?”
「西太后」 まさにけた違いの中華最凶悪女! 世界史悪女列伝って動画を見た。
「当時の清は日清戦争よりも、西太后の誕生日会にお金をかけた」
↑
そりゃ負けるわ!!近代化してないからとかじゃなくて、西太后が暴れまくってたから負けたのかよ…
日中戦争でアレだけドロドロになった相手に日清戦争ではあっさり勝てた理由は「西太后がいたかどうか」だったのね…。
「権力のためなら身内でもほふる人」ぐらいのことは知ってたけど、想像以上に腐敗エピソードが酷くて、「あ、明治政府の実力じゃなくて西太后が歴史変えちゃったのね」だよ!!
日露戦争→王朝グダグダ、バルチック艦隊は地球半周してげっそりでほぼ自滅
…歴史教育でこの辺を中学までに教えてないの、割と致命的な気がしてきた。(※)
今の教科書知らんけど、20年前の教科書は明治維新すげーみたいな教え方されがち(※)
面白いのは第二次世界大戦時の日本軍がグダグダになった話しはするけど、そこも漠然とした恐怖を植え付けるだけ。(※)
陸海軍それぞれに自分の管轄外では押せ押せで日本の立場をこじらせたり、
うわぁ〜片手落ちやん(※)
「俺が体験した公立の小中学校は動物園と呼びたくもなるようなものだった!俺の荒れた学生生活の記憶を正論で踏みつけるな!」
という感情が湧きあがり、俺の感情がいかに正当なものかということを書こうとした
ある女性が痴漢被害を受け「男はクソ!」と言ったとして、今まで「全ての男がクソってわけでもないだろ……」と思ってきた俺が同じようなことを言う資格はねえよ
考えれば考えるほど同じ構図があるなと実感を持って気付いてしまった
最近電車に乗る時しょっちゅうインドっぽい顔の人の隣に座るのだが、彼からすさまじいカレーっぽいスパイスの臭いがして「これだからインド人は!」とイライラしている
90年代に小学生だったけど動物園だったな。いじめられっ子(含む俺)を集めてリンチとか普通にやってた。やってた奴らはその後小指が無くなったりしたらしい。
教師はその辺の主婦に毛が生えたようなおばちゃんとかで、頭も悪いしクソみたいなイジメ問題に取り組めるほどの能力は無かったんだろうなと思い返せば分かる。当時俺がイジメを訴えても無視されたな。
俺はなんか微妙にお勉強の才能があったみたいで医者だの大学教授だのの子息がゴロゴロいるような業界に来てしまったけど、周りと育ちが違いすぎてきつい。
みんな生徒の素行ばかり論点になってるけど、治安を維持するのは結局教員なので治安の悪い学校の教員はマジで使えねーとかそういう話にはならないの不思議。「荒れる→凄腕生徒指導赴任→落ち着く→生徒指導離任→荒れる」みたいなのは結構ある。
治安維持に関して私立は学歴フィルタよりも退学という切り札があるので保っているところはある。反対に公立はごく普通の子供から金持ちボンボン超優等生に不良ヤンキー発達障害不登校コミュ障窃盗癖色恋沙汰万引きネグレクト生活保護家庭満遍なく一緒に指導しなくてはいけないので教員の力がマジで試される。
だから例えば私立の中高一貫のお嬢様学校からちょっといい教育学部を出て公立の教員になって「こんなはずでは」みたいなケースも極端ではあるが想定できてしまう。知識はあっても肌感覚で理解していないから悪気なく虐待家庭の生徒に「お母さんはあなたを愛してると思うよ」なんて声をかけて絶望させたり、素行の変化を何らかのSOSと受け取れず見逃していたり、それまでの経験が全く役に立たずに自身が病んでしまったり、いろいろある。「子供が好きなので教員になりました!」という人がモンペに疲れて辞めたりするのは保育士なんかでも聞く話。
はてなでは頭髪検査が蛇蝎のごとく嫌われているけど、髪型を奇抜にしてくる生徒が何らかのSOSを出していることはよくある話。親が離婚前提で別居しているとか、勉強が全くわからないとか何らかのコンプレックスを拗らせているとかよくあるからね。そこを指導に結びつけるかアホみたいに怒鳴りつけるかは教員の腕次第というのは問題だと思う。地毛を黒染めさせるのは意味わからんけど。
教員だけの話にすると私学の教員は公立の教員や生徒をマジで見下しているらしいとか公立の教員はクビにならないのをいいことにマジでやりたい放題やってる奴がいるとか、その辺の話をすると動物園問題から離れるからしないけど「公立の環境が悪いから私立しかいけない問題は公立の環境を良くするよう働きかけるしかない」がベストアンサー。そのためには教員の長時間労働の是正、部活の規模縮小や地域との連携、学校福祉の必要性(ネグレクト家庭の支援)、オンライン授業の充実(不登校対策)、教員の民間採用(外部からの視点を持つ)など思いつくけどその辺の話していこうぜ。
会社でも「あのチームは動物園だよね」とか「動物園の園長(課長)は大変だね」っていうのをたまに話したりするんだけど
それを取りまとめて管理するのは確かに大変だから管理者になりたくないっていうのはあるだろうけれど
その中に参加する人にとっては居心地いいと思うんだけどね
ああ、なんかめっちゃ頭いい奴もいれば漫画描いてる奴もいたり、クソ美人がいたり運動神経バツグンなやつがいたり、SOS団があったりするんだろうなぁ
という印象なんだけどな
これな。
自分なりの解釈をがんばってできるだけわかりやすく論じてみる。
・はじめに
ここでいう差別は、差別問題とは異なり、あくまで差別そのものを指します。
問題にならなければ差別を容認するというわけではなく、問題に至る前の差別そのものの是非について論ずることが目的です。
・差別とは何か
公立中学を動物園だと言った人を差別主義だとする根拠は、自分の経験だけでまるですべてがそうであるように表現したことにあります。
それならば、その人の中にあるその一意見をもとにして、その人すべてを差別主義だと決めつけることも、やっぱりそれは差別的だと言わざるを得ません。
「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを決定づけること」
白人全てが黒人差別をしていないのと同じ様に、一人の個人の中だけでも、差別主義的な意見とそうではない意見が存在しえます。
それを無視して、一つの(もしくはいくつかの)意見をもとに、その人を差別主義だと決めつける行為は、やはり差別的だと言わざるを得ないわけです。
残念ながら、日本ではまだこの違いを理解している人は少なく、結果的に、日本人はまだ差別意識に対して未熟だと言わざるを得ません。
それではこの筆者も同じ様に差別主義ではないかと思うかもしれません。
そうした意見を、それは差別的だと指摘・議論することは、差別主義ではありません。
もしわたしがここで、だから日本人は差別主義だと結論づけたのであれば、筆者は差別主義だと言えるでしょう。
そうではなく、あくまで問題の一点を指摘した上で、傾向を論ずることは差別主義でも何でもないのです。
それに対し、「あなたは差別主義だ!けしからん!」と返していても、この議論が一生前に進むことはありません。
公立中学が動物園と表明する自由はあり、そして、その意見が間違っていると指摘する自由もあります。
だからといって公立中学が動物園だと表明した人を差別主義だと批判することは、自分自身も差別的な行為をしているにすぎないというわけです。
しかし、このすれ違いこそが、差別問題の解決を困難にする一番の要因であるとも言えます。
なぜなら、差別主義を批判している側からしてみれば、自分自身に差別の自覚がないからです。
ナイキのCMに対して、ナイキが行ったことは、一部でそうした差別が存在したかもしれないことの示唆です。(そしてそれには多くの経験者による賛同を得ました。)
この時点でナイキは、だから日本人は差別主義だとは決して結論づけていません。
それに対し、「日本人を差別主義だと決めつけるとは何事だ!」と反論しても、そもそも議論が噛み合うわけもありません。
紐解いてみれば、一部の日本人が、ナイキに対して「ナイキは日本人を差別主義だと決めつける企業だ」という差別意識を表明しているにすぎないわけです。
もしここで正しく抗議をするのであれば、ナイキという企業に不買運動を働きかけるのではなく、CMで使われた映像の事実確認を行い、問題があれば是正、なければ意見に対して抗議をするのが本来のあり方と言えます。
かと言って、そのコメントを残した人自身を差別主義だと決めつけることは、やはり同じく差別主義的行為だということに変わりはありません。
そしてこのロジックは、いじめ問題の根本的原因であるいじめが発生するメカニズムにも共通しています。
特定の個人が何かしらのやらかしをしたとき、そのやらかしをもとにその個人そのものに対する攻撃が始まるメカニズムです。
ここで最初に立ち返れば、本来であれば是非を問われるべきはその行為そのものであり、その個人ではありません。
その行為に対し是非が問われ、それをもとに改善が行われるべきであって、行為の是非を個人の是非にするべきではないのです。
それを無視して、それが個人への攻撃を正当化するための理由として用いられてしまえば、まさにいじめ発生のメカニズムそのものと言えます。
つまり、ナイキに対してみんなで不買運動をしようと持ちかけることは、まさに、差別問題を棚上げにした消費者によるナイキという企業に対するいじめを持ちかけようとしていた状況に他ならないわけです。
こう考えれば、問題を問われるべきがどちらなのか、火を見るよりも明らかなのではないでしょうか。
しかし、悲しいかな、日本の教育現場では、このいじめの芽を積極的に取り除く取り組みが行われていないのが現実です。
差別とは何かを定義づけるとしたら、以下の通りであると宣言しました。
「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを決定づけること」
ならば、差別問題をなくすために個人個人が取り組むべきことは、以下の通りです。
「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを「いつまでも」決定づけないこと」
例えば、大坂なおみを見た目で個人を決めつけようとすることも、国籍や名前にしばりつけようとすることも、どちらも彼女個人を無視した差別主義的な考え方でしかないのです。
そうした情報にとらわれず、彼女の意見、一挙手一投足を見て、彼女がそういう存在なのだと受け入れることこそが、差別意識のない姿といえるのではないでしょうか。
ここで忘れてはいけないことは、個人の好き嫌いは最後まで個人の自由であり権利であるということです。
彼女の様々な側面を見た上で、好きとも嫌いとも表明することは自由であり、誰が侵害してよいものでもありません。
しかし、それをもって彼女が正しいか間違っているかは別です。彼女の存在そのものの是非を問うなんてもってのほかです。
今後一層のグローバル化が進んでいく時代、もはやこれは義務教育レベルで教育すべき内容であると、個人的には考えています。
お互いがお互いのありのままの姿を受け入れあうこと。
・淘汰と勝者
そうです。
お気付きの通り、差別意識をもって生きることも、自由であり当然許された権利でなくてはいけません。
いわばこれは反差別主義による差別主義に対する宣戦布告にすぎません。
そしてこれが、在日韓国人として日本に生まれ、数々の差別に身を持ってさらされてきた自分が、国籍や境遇を越えて差別主義を滅ぼすべくたどり着いた結論です。
さぁ、生き残りをかけた戦争を始めようじゃありませんか。
はてブしている人たち、今何歳なの?
1970年代後半から1980年代前半の校内暴力全盛期の時に中学生してた人は、今は55~60歳ぐらいだと思うんだけど、この年齢の人たちがネットやっているイメージないから、想像がつかない。
一方で、「はてながチー牛老人ホーム」っていうことは実感としてよく分かる。あまりにも負け組が多すぎる。
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰……全て揃っているコミュニティは5chやTwitterが思い当たるが、はてなは偽善が加わるから5chやTwitterより更に罪深い連中だと思っている。
公立校動物園問題ではてなーが荒れているのも自分の人生の経験で”荒れていない公立校”を知っている人が「すべて公立校が動物園なんて言われるような酷いものではない! そうやって一緒くたに批判するのは差別だ!」って怒っているだけで、『荒れてる学校はクソ』、『そんな学校に我が子を通わせたくない』っていうのは大半の人が思っていることでしょ?
そこから一歩進んで、『荒れている学校があるならばそれを社会が改善するべきだ』みたいな論もあるけど、それだって現状がクソだから改善しようってなるわけでしょ?
自分ごととして捉えた時、その改善が行われる前に我が子を動物園と呼ばれるような学校に通わせたいなんて思わないでしょ?
『公立校を動物園呼ばわりは差別』から発展して、なんか行き過ぎたアクロバット擁護で『荒れてる学校はクソ』ということまで否定しようとしているヤベー奴を稀に見かけるけど、そこは事実として不動だろう。
ナイキのCMにいいね、と言っただけでナイキはウイグル人差別に加担しているダブスタと言われた。
そのことは知らなかったし、それはそれとして切り離してCMの外国人差別は宜しくないではどうも済まされないようだ。
そうかと思えば、ろくでなし子が子どもは在日だなんて知らないよね、という呟きに対して反差別が知らないことと無かったとは違うと嗜めると知らないことまで責めるのは違うと言われた。
もちろん同じ人は言われたわけではないがダブスタとはいったい…
一度反差別の態度を取ると一貫して一切の矛盾も許されないようだ。
個人的にはメッセ黒田の貧困ネタみたいなものかと思うので思い出し話にポリコレ持ち込まんでもと思うが、公立中全体と捉える主語デカ案件も相まって反差別のダブスタが批判されている。
反差別的コメントをしているidをいくつか遡って見てみたが基本的な立ち位置は変わらないが、やはり人間は感情があるので何かしらの事情があるかは分からないが差別的発言が目に付くことがあった。ダブスタは受け入れるべき批判だろう。
対して反差別的コメントを批判するidは差別に対してコメントはほとんどしないので差別にどう思っているのかは分からなかった。
ただ一貫して反差別の偽善的態度を批判しており、その態度の軽さ、発言の矛盾を指摘している。
中には黒人に親を殺されても黒人差別を批判する気概が無ければ反差別を気取ってはいけないと申すものもいる。そら字面ではそうだけど…。反差別主義者に親でも殺されたのかと思うほどの厳しさだ。
例えば10ある差別のうち5,6個には明確に反差別を謳い、残りは消極的ではあかんのだろうか?
動物園にしても、そう表現はしても公立中やその公立中で動物のように振る舞う人をそのままにしておこうという人はいなくて改善の必要は皆一致してるんだよ。ただ個人的な恨みがあるからそう積極的にはなれんのだろう。そこはそういう過去のない人が関わればいい。差別を温存若しくは差別に加担は論外だけど。
グラデーションある反差別の人に対して全て塗りつぶせと批判しても何もならんやん。それどころか反差別的行動への足かせにしかならない。正義面が気に食わないというただのヤンキー的思考だったらしゃーないからごめん。あれでしょ?道端で転んだお婆ちゃん助けたら良い子ぶってんじゃねーよ、ってやつ。
一貫して矛盾しないなんてめちゃくちゃ難しいんだから、各々思うとこで反差別したらいいやない。それはそれで優しい気持ちの現れだしね。
ここは蛇足。
あとはてなーの地が出た、これだからはてなーは、というコメントしている人ははてなという場を使ってコメントしている自分もはてなーなんだから、あれは自虐ネタということでいいんか?
memorystock 「ちゃんと考え始めたらすごく難しくなったんだけど!」言われてもな。一歩目踏み出せてよかったですね。その先が無理ならその人らは当該問題扱う能力がなかったということ。無駄に気付けてよかったですね。
augsUK 海の向こうの話題(BLM)にも敏感で許容ゼロの人が、最も身近な自分の差別行為は差別じゃないと言い張ってる構図の醜悪さの理解がそんなに難しいの?今頃差別問題の難しさに気づいたとか勘弁してね。
お二方のコメント見てきたけど、明確な反差別的なコメントはせずに、反差別批判ばかりしてる…
少なくとも差別に反対している姿勢を見せてるはずなのに、「バカに分かるまい」で切り捨てられちゃいました。
これで反差別が分断煽ってるとか、差別している自分に気付けとか、ホント何がしたいんだろう?
warwarwar おっ。指摘したい点はいくつかあるが、厳しさを自覚できたならようやく人並みの高校生くらいの認識にはなれたな。これからも自省していこうな。多分明日には忘れてるだろうけど。
指摘したいと言いながらせず、人並みの高校生と言い放ち(学歴差別かな?)、自省を促すその姿勢。絶対2ちゃんねらーだったろ。
warwarwar 見識を示せと言うなら示すけど俺はただの現状肯定派だよ。この前の草津の件で、背景も見ずに属性だけで吹き上がってたバカ。あの手の輩が世の中を良くした例をついぞ知らないただの現状肯定派。是非違いを見せてくれ
いやいや、その上から目線のコメントをだす前に自らが「人並みの高校生」(動物園は差別という人が使う言葉かな?)以上の見識を示してもらわないとマウンティングでしかないでしょ?ってことなので、別に今さらあなたの見識は要らないです(笑)
勝負はしてやらないけど俺はお前より強い、って最高にカッコよかったですよ。2ちゃんねるでよく見ました。虚勢ってやつだよね。
灘や同志社が混じってるし小柴昌俊や湯川秀樹なんかは旧制中学出身だろ、旧制中学は昔名門今動物園みたいなとこは普通にある
今話題の動物園問題。うちの父は25年程前、動物園の飼育員をやっていた。市内に5つある動物園の内、一番動物園らしいと評判の動物園だった。毎日消耗しており、俺の事はあまり構ってくれなかった。家に帰ってきても動物が問題を起こしたと呼び出しの電話。家も動物達にバレているので、車のタイヤをパンクさせられるなどのイタズラを受けた事もあった。年に一度の地域の祭り(3日間開催される)では、動物達が野に解き放たれるため、見回りに駆り出されていた。父は祭りを嫌っていた。俺はばあちゃんの温情で祭りに行くことができていたが、父は良く思っていなかった。夜の部への参加は許されず、友達に別れを告げて帰宅していた。学区的に私は父の勤める動物園に進学する事になっていた。父は私学受験したらどうか?と勧めて来たが、友人達と別れる事、勉強しなくてはいけない事を考えると面倒くさすぎたので断った。中学受験する人は学年で2-3人程度だった。父は私が動物園に行くという事で異動した。もう一人同級生の父親が動物園で飼育員をしていたんだけど、その飼育員は同級生と1年くらい被っていた記憶がある。私が動物園に通い始めた頃には、動物園もすっかり落ち着いていたんだけど、3年の先輩は私の父を知っており「お前○○の息子なんだってな」といきなり絡んでくる輩もいた。部活のヤンキーの先輩(かわいい)も父の事を知っていたが、優しくしてくれた。先輩かっこかわいいかったな…… 話が逸れてしまったが、父は動物園の飼育員だった。全部そのせいとは言わないが私も多少なりとも迷惑被ったという話。