はてなキーワード: ヒアルロン酸とは
整形していてもメイクであっても自分が可愛いと思った女の子のSNSを見るのが趣味でもある。
SNSが普及したことにより整形のレポートを気軽に見れるようになったり、インフルエンサーなどがモニターでPRしたり、昔ほど偏見も無くなってきたことにより、整形がカジュアルな存在になってきたのではないかと思う。
推測にすぎないが、二重埋没やヒアルロン酸などのいわゆるプチ整形はやる予定ややりたい人、整形済みの人も含めるとiPhoneの普及率くらいはあるのではないだろうか。
そして、メイク道具の進化やカラコンアイプチなどの登場により整形級と呼ばれるようなメイク方法もある。
そう考えると、女性のほとんどは整形やメイクを駆使し美人になっている。
『世の中の不美人が減っている。』
『ヒエラルキー△の底が不美人だと仮定すると◇ひし形のグラフになっているのではないか。』
と最近考えるようになった。
そう思うのも自分が真ん中より少し上くらいの顔面だと思っているからだろう。
白雪姫にでてくる継母のような心境なのかもしれない。
そこで私は整形を考えるようになった。
そういうのは被害妄想に過ぎない。
強迫観念だろう。
SNSを覗けば自分より可愛い人なんて沢山いる。天然美人よりもフォロワーが多いのは整形美人だったりする。
整形はダウンタイムを乗り越えて悩んでやっと美人になった、努力だ…
辛かったのに乗り越えてすごい…
ここまでは理解できる。
不良少年が更生して真面目に働くのが褒められて最初から真面目に働く人には注目されない。
そんな効果ではないのか。
そもそも、芸能人などの天然美人でさえ整形しているのだから焦る気持ちが倍になる。
そういう意見もあるだろう。
分かる…とても分かる…。
私は問いたい。じゃあ、何がそんなふうに思わせるのだろう…。
言われる人数が多いことから、その女優の何かしらの特徴と類似するパーツが自分にもあるのだろうと思い、自分なりに考えた結果…
顎という考えになった。
それからは、遠回しに顎がでている。立派な顎をしていらっしゃる。というふうにしか聞こえてこない。
〇瀬〇るかのことが嫌いになりそうだった。
どうしたらいいの…。
整形しかないのか…。
言いたいことが分からなくなってしまったが、整形美人が増えて世の中の基準が上がればこうやって生涯整形しなくてすんだかもしれない1人の女が整形を考え始めるきっかけになっているという事実がある。
暴論かもしれないが生態系が崩れているように感じる。私は不美人も一定数必要だと思う。
整形がスナック感覚になってしまう日本もそう遠くはないだろう。
※わたしは女性ですので登場人物は女性を想定して話しています。メイクや整形は男もするというのは知っていますのでジェンダー的な考えは持ち込まないでください。
拙い文章で申し訳ありませんが、最後までご覧いただきありがとうございます。(改行が不自然ですがなおし方がわかりませんでした。)
ほとんど想像の話にすぎませんので、整形は個人の自由だと思っています。
。
前髪の生え際が後退したのか、おでこの産毛が濃くなってるのかわからないけどちょっと後退しているような気がする。
もみあげとかそのちょっと上の生え際?こめかみあたり?なんかまばらというか地肌が透けて見える。
生え際の前後2cmくらいの皮膚がアトピーみたいにカサカサしてべろべろはがれてくる。そのあたりが赤黒く変色して、髪の毛も細く弱弱しく、間隔が開いてきている。
どうしよう怖い。世間の人はこんなブスが今更ちょっとM字に禿げたって元より興味などないのであろうが、それでも自分事だと不安になるのである。あとなんか痒い。
ヘアバンドはしてない。前髪ある。横~後ろは肩につくかどうかくらいでたまにゴムでくくる。最近はピン使ってない。帽子は時々被る。化粧はファンデだけ。日焼け止めは塗る。この季節は顔に汗かかない。
化粧水はヒアルロン酸系で美白成分みたいなのはあんまり使ってない。パックも最近してない。ワセリン塗ってる。洗顔はポンプ式の泡のやつ。シャンプーはノンシリコン。原因は何だろう。
今まで御洒落に無頓着だった。女子大に通っていたが服装はアメリカの学生みたいな全身ユニクロ(ジーンズ・スニーカー・Tシャツ)にリュックみたいな。メイクも勿論しない。
なのに、なぜか急に美容やら服に興味を持ち始めた。まだ手を出していないが美容医療(全身脱毛・プラセンタ・ヒアルロン酸注射・卵子凍結保存など)、ファッションは流行に沿って何が似合うか、上品で質素だけど華美過ぎない素敵な服装とは何か、どんなラインの服が似合うかなど…。ダイエットなんてものも意識し出した。
ガウチョパンツをはき倒すなんて思わなかった。袴みたいだし。ハイウエストスカートやオールインワン、マキシワンピ、ライダースにAラインワンピース、美容院には都内で月一、実用性とオシャレを兼ねた靴の興味の幅が増えた。
でも、なんでいきなり興味を持ち始めたのかが解らず恐い。性格というか価値観さえ変わったかのようで、自分が自分ではないみたいで。こういうのって自分だけかな…。世間に適応しなきゃとか、擬態しなきゃとか、焦りからくるものなのか、それとも単純に華やかまでいかないまでもおしゃれに彩る自分に興味を持ちはじめたからなのか、解らない。いずれにしても、キッカケが解らない。
発達遅延というか精神年齢が他の人よりもその分野に関して遅れているのだろうか…。
自分だけなのかな…こういう人って居ない?
変な事聞いてごめん。
私は可もなく不可もない胸のサイズ。Cカップだけど太ってるので実際はもっと大きく見えてるかも。
FカップとGカップとか、とにかく大きい胸がかっこいいしエロいしかっこいいと思ってる。
一度でいいからなってみたい。
だから豊胸したい。一度なってみたいだけなので、シリコンではなくヒアルロン酸注射とかがいいなと思ってる。
けど、彼氏も欲しい。
私は胸で男を引き寄せたいんじゃないんだ。
だから彼氏を作ってから彼氏に相談して理解を得てから豊胸しようと思ってる。
それでさっきちょっとテレ東音楽祭を見てて気付いたんだけど、自分は出てくる人の顔の欠点ばかり一々見つけていた。ちょっと写る観客についても一々「あちゃー」とか思ってた。年取った歌手を見ても一々「老けたなー」と思う。でも歌手なら歌が上手ければ十分だし年取ったら老けて当然だ(高音が出なくなってるのは残念だが)。表情が不自然に固まってると「ヒアルロン酸か?」とか一々思う(郷ひろみとか。今日見たわけじゃないけど)。
思えば母親がそういうテレビの見方をしていた。美人やイケメンはめちゃくちゃ褒めるけど。
一々指原をブスと思うとか、最近のジャニーズは全然かっこよくない人が混ざってると一々思うとか、そういうこと。そんなの気にする必要ないのかなと、そして芸能人ではない一般人の顔なんてそれこそ気にするだけ無駄なのかもしれない。
ただそうしていると人の見た目についての美意識が全く育たないのではないかという気はする。母親は街を歩いていても「見たー?あの歩き方(ガニ股)」とか言うタイプである(相手に聞こえるようにではない)。私も街を歩いていて一々「うわーガニ股酷い」とか「その内股はなんなんだ、日舞やってんのか?」とか思うタイプだし。「この人この髪型全然似合わない」とか「そのメイクは無い」とか思わない人は自分の似合う髪型もメイクも分からないんじゃないかな。(もちろんこの人めっちゃ脚きれ〜とか、超メイク似合ってる、とかも思います)
元々ほんの少しだけ涙袋あって、毎日メイクで強調してたんだけど、たまに不自然になるし、疲れるとクマにしか見えないし、スッピンとの落差が嫌で1ヶ月悩んだ末に入れた。
お値段しめて7万円。ちょっとだけ持ちのいいヒアルロン酸にして、針も内出血しづらいやつにしたから初めに考えてた予算より高くついてしまった。
施術説明のときにヴァニラみたいな人が出てきて早口説明に一瞬怯んだけど、ええいままよと現金で即払い。
アイメイクは控えてほしいと言われて行ったので、麻酔テープ貼ってる時、スッピンに近い自分のあまりの目元の凹凸感のなさに絶望した。the弥生人。
施術はすぐ終わって、1回入れて確認した時に目尻にもう少し足して欲しいと要望だしてやや不自然かな?ってくらいの量入れた。先生も「これ以上は止めた方がいいですよ」って言ってたし自分もそう思った。
結果言えばね、大満足ですよ。
若干腫れてる気がしてるからパンパン感否めないけどスッピンでも涙袋がしっかりあるんだもん。
顔は幼くなったし、キツい感じも無くなった。
正直7万払った時、事前に考えてた予算オーバーしてたし、追加お願いした時やりすぎだよねーって一瞬ヒヤッとしたけど。
今まで涙袋メイクバレてるよね…ってなんとも言えない気持ちだったけど、それももう無くなる。(整形してやがると思われるだろうけどそこは特に何も感じない)
何が言いたいかって言うと、整形にハマる人の気持ちがよく分かったんだ。
多分また何かやる。次はプチじゃないやつ。それでもいい。
最近ちょくちょく目にするようになって来た幹細胞コスメって、植物幹細胞のエキスが入ってる化粧品のことと思っていたら、幹細胞培養液っていうヒトの幹細胞を培養して分泌されたたんぱく質成分が使われているらしい。コスメも凄い世界になって来た。確かに幹細胞はいろんなサイトカインを分泌するから、それが肌に浸透したら確かに肌の細胞達は活性化して増殖してコラーゲンとかヒアルロン酸とかバンバン出しはじめそう。こうなると化粧品と呼べるのか?でも害はないだろうから夢の化粧品って感じか?
埋没、目頭切開、眼瞼下垂、鼻プロテーゼ、鼻尖縮小、軟骨移植、眉下切開、脂肪融解注射、口角ボトックス、ヒアルロン酸注入
手術はどれも効果的であった。
到底満足出来るレベルには到達していないが、昔の顔と比べればかなり見られる顔にはなった。
美容整形以外にも美しさを求めて多額の投資をした。自己満足のために書かせてもらう。
髪が痛むのを恐れて4万円もするヘアアイロンと最新のドライヤーで毎日ブローして、寝る時は摩擦防止のシルクキャップをかぶって、男の大好きなさらさらやわらかヘアのために髪質改善サロンに行った。
台湾から取り寄せている漢方パックは毎日しているし、その他の化粧品にもこだわっていることは言うまでもない。おかげでシミはまだ出来ていないし、私より白い肌の人はめったに見ない。
ダイエットしてもGカップを維持するために何種類もの女性ホルモンサプリを飲み分けて、毎日飲むサプリは10種類近くになった。
全身脱毛の痛みにも耐え、コルセットでウエストを締め付け、最近買った¥15000のボディオイル、清楚なエロさを求めて吟味した服装も、控えめを装った性格も、気遣いも
涙が止まらない、私を好きって言ってくれたのに結局すぐ挿れられる女性器を選んだし、きっと私のこともオプションがついた女性器みたいな感覚なんだろうな。31のババアだけじゃなくて自分の女性器にも敗北した。
『男はまず性欲で動く』この周知、当たり前に受け入れてた事実がいざ自分の前に立ちはだかったらこんなに辛いと思わなかった。
どこが悪かったんだろう、次はどこを治せばいいんだろう、どうすれば勝てるのか男性の皆さん切実に教えてください。
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
突如、顔が巨大化した。
顔面の造形が多少よくなくても
顔が小さければ酷評は免れる
そういう人生で十分だと思ってた。
なのに急に巨大化した。そんなのってあるかよ。
お金もたくさん使った。
ガチ整形には手を出せなかったけど、総額30万以上は使ったと思う。
いま、あるいはこれから顔が急に巨大化して苦しむ人がいるかもしれないから
考えられる原因と対策を残しておく。
◆太った
痩せりゃいいのだが、顔がいちばん最後に痩せる悪魔的体質だったので
でも、体験価格で1回1万円以上して、5〜6回やらないと効果ない。
◆むくんでる
この場合てっとり早いのが有名な「かっさ」。
安いのもたくさんあるけど、2000円くらいだから
ただしこの効果は1日くらいなので、
なお、大人気ReFa CARAT(25000円)ももちろん購入したが、
◆筋肉が落ちてる
https://matome.naver.jp/odai/2138531535488079601
ベロ回し
http://rosamayumi.com/tongue_gymnastics-2671.html
怪しい美容外科で「顎が小さいと口角が下がりがち」と聞いて始めた。
でもその美容外科ではヒアルロン酸を入れ顎をのばされた。違うだろ。
なおやってる時の顔がやばいので、会社のエレベーターの中で一人のときにやって
ドアが開くギリギリ寸前に辞めてみよう。
◆親知らず
これだった。これが巨大化させておいた。
上述したが私は顎が小さい(ちなみに、顎が小さい人はすぐ梅干しっぽくなる)
生えてきた親知らずのスペースがなくエラを張らせていたらしい。
保険診療で4本すべて抜いたら、巨大化した顔は縮小し私に小顔が戻った。
顔は加齢と筋肉量の減少でどんどん巨大化していく。
5年経ったいま、もはや私が小顔と言われることはない。
これは残念ながら食い止められないと思う。
ただし、巨大化との戦いは一生終わらない。
すべて受け入れ諦めるのが幸せなのか。
まだ答えが出せずにいる。
とりあえず親知らずは抜いといたほうがいいよ。