はてなキーワード: ごろごろとは
抜けたまつげが眼球触ってる時と感触似てるんだけど、鏡で見ても何もない。
もしかしたら逆さまつげかもなぁと思った。
あんまり逆さまつげって言葉自体メジャーじゃないような気がする。
みんなは知ってるかな?
俺がその言葉覚えてるのは幼稚園か小学生の時にも似たような症状で医者に通ってたことがあって、
その時に俺を連れて行ってくれた母親がいつもえらく不機嫌で、
「あぁ、母親に迷惑かけてるんだなぁ。本当は俺を医者に連れて行くのなんて嫌なんだなぁ。」
って思ってたし、なにより決め手だったのが
俺が家で過ごしてた時、逆さまつげがごろごろ痛くて
母親に「目が痛いよー」って言ったんだよね。
母親は洗い物中だったか料理中だったか、シンクに向かっていたことは覚えている。
聞こえてないわけがない。10cm隣で言ったんだ。
俺はあのとき始めて、世界に拒絶されるというか、自分の存在ってカスなんだなって気づいたんだよ。
おかげで俺は中高生の時に無駄な万能感で人生間違えることもなく平凡な人生送ってるよ。母親とは絶縁状態だけど。
みんなも逆さまつげって言葉を聞くたびに、俺のことを思い出してくれよな。
じゃーな
Web小説が好きだ。なろう系とか俺TUEEEE(笑)なんて馬鹿にされるけど、スナック感覚で自分の叶えられない欲望を補うのに最適だし、無料で膨大な量の作品が読めるのは有難い。
もちろん全体的な質は低いが、ある程度慣れてくれば鼻につく一人称語りも、小説の作法に則っていない表記も殆ど気にならなくなった(顔文字や絵文字は未だに違和感を覚えるけど)。
Web小説はとにかく、「百合」を挟みたがる。とくにVTuberや配信者になる話はその傾向が強い。
女主人公VTuberデビュー → 同期と連絡を取る → コラボしよう?的な展開に → 気楽にオフ会をはじめる → !!!!百合描写!!!!あ゛あ゛あ゛ぁ????????!?!?!?!くぁw背drftgyふじこlp;@:「」
私は女の子同士のキャッキャウフフを「てぇてぇ」と眺めることが出来ない!!!!!!なぜなら!先天的に受け付けないorまだ百合に目覚めていないから!!!!!!!その上残念ながら、この先も目覚める予定がないのである!!!!
VTuber系の話が好きだ。大抵が現代を舞台としているので、自自分を主人公に投影して簡単に承認欲求が満たされる感じがするし、配信業で死ぬほど儲かったら気持ちいいだろうなという願望も含めてニヨニヨしながら読んでいる。
同業者との連携やライバル的な人物が出てくるのも好きだし、「伝説の先輩」が登場するとアツい。
しかし!!!!!!それらと主人公が「百合」 を始めるとなると!!!!!話はまた違ってくる!!!
百合の何がダメなんだと聞かれても、上手く答えられる自信はない。尊さが分からないというのが1番。
軽いノリの百合にありがちな胸の大きさ比べ、風呂での触り合いなんかにトキメキを感じず、なんか品が無いなと思ってしまうからかもしれない。女子同士のベタベタした交流が嫌いなのか?分からない、元々ネットの交流をリアルに持ち込むのが嫌いだから、それも関係しているのか、していないのか…。
正直百合モノはそれらしき絡みが始まった途端に切ってしまうので詳しくないが、とにかく何かがダメなのである。
いやわかる、私の悩みは「嫌なら読むな」の一言に尽きる。もしくは「自分で書け」、「自衛しろ」……
分かるけれども!!!!VTuber界隈は実際に百合カプで見る風潮があるとかも、理解してるけど……!!
男主人公のVTuberモノも好きだが、やっぱり私が好きなのは女主人公が頑張って配信をして、色んな人にチヤホヤされつつ周りと交流する図なのである。だから、ひたすらに主人公が配信業に邁進している小説を見つけ出した時は、大変嬉しい。
VTuber、配信者モノの作品はWeb上にごろごろ転がっている。しかし、そのうち私が最後まで読み切れるのは、ほんのひと握りだけ。百合が悪いんじゃない。作者も悪くない。趣向の間口を広げられない私が愚かなのだ。
あーあ、百合が好きになれたらなぁ……。
追記2021/02/13
コメントを見て腑に落ちたけれど、私は百合が絶望的にダメなのではなく、女子同士の絡みなのに急に露骨な「作者の欲望」が出てくる描写がダメなのかもしれない。
思い返せばTS転生した元おじさんが同級生(女)の着替えに興奮する場面も嫌いだし、というか出会い頭で胸と太ももについて「素晴らしい」とレビューする男主人公も嫌いだし、多分というか絶対そうだ。
そういった一部の受け入れられない描写を覗いた、純粋な精神的な百合なら読める…のかな?
まあ胸比べ云々が百合描写であるか男性向けの描写であるかの判別って(私の中では)あんまり付ける意味がなくて、結局言いたいのは
「自分のハマったジャンルが生理的に受け付けられない描写で溢れ返った地雷原でした。自分の体が地雷に負けない屈強な体だったら(になれたら)良かったのに!無念!」
ということです。
90の祖父がいる。
毎週ゴルフに行っていいたくらいには元気なのだが、現在は控えているようで大抵家にいるのだが最近は遊びに来るよう言われたりもした。この感染症が流行りだした頃は相当気を付けていたのにと少し疑問に思ったので調べてみた。
日本の90歳の人はどうも毎年5%くらいずつ亡くなっていっているらしい。ボケたり寝たきりになったりはそれ以上だろう。
東京の感染者の割合はざっくり1%(人口比と比べると老人の割合は低い)で90歳以上の死亡率が3割くらい重症化が2割くらいらしい。まあ感染する割合は過去一年くらいの総数をを無理やり人口で割ったのだが。
さて、どうもまだ年単位で時間が必要なようだしそれでもマシになる程度かもしれないわけだが、子供や孫とロクに話すこともせず一年二年とたってその後に一緒に食事に行けなくなる確率はいかほどだろうか。孫の誕生日も祖母の米寿の祝いもせず、近くに住んでいるのにも関わらず滅多に会わなくなって久しいが、内心を想像すると世間体や社会へ対しての協力と板挟みになっているのではないだろうか。
酒も煙草もやっていて平均寿命前に死ぬ予定だったらしいが終わりが近くに見えているからこそ、リスクの少ない若者よりもどう行動してもリスクの高い年齢のほうが
状況に文句を言っても仕方ないのだが自分にとっての最適解が家でごろごろするになってしまうことにやるせなさを感じる。
参考
2年くらい前、母が庭に埋めた生ゴミを掘り返して食べていた猫がいて、うちは猫を飼っていたので、猫の餌をわけてあげるようにしたら、毎日来るようになって、家で飼えるように去勢手術をしたが、猫エイズを持っていたのでそのまま外で、うちに来たら餌をあげるという感じで面倒を見ていた。
それから半年ぐらいたったある日、他の猫と喧嘩をしたのか頭に大きな傷を負って家に帰ってきたのをきっかけに、猫を家にいれてやるようになった。もちろん、もともと飼ってる猫とは別々にして。
野良猫なので最初の頃は、しばらくは家にいるが、餌を食べ、少し休むと、またどこかへ出かけていくという感じだったが、少しずつ家にいる時間が長くなっていき、半年もすぎるとほとんど家で寝ていて、たまにトイレしに外に行くという感じになっていった。
そして更に時がすぎると、外に出ても庭でちょっとごろごろ日向ぼっこしたあと家の中に戻ってきて、家の中の猫トイレで用を足すようになった。外でしてくればいいのに、わざわざ家に戻ってきてトイレするようになってしまった。
最初にうちに来た頃は、頭以外のところを触ろうとすると怒ったが、今ではどこを触っても怒らなくなった。餌も最初は何でも食べたが、餌を選り好みするようになった。すっかり飼い猫になってしまったようだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。
1月7日(火)夜:仕事から帰宅したら少しだるい。体温40℃。肺からごぼごぼ音がする。熱燗を飲んだ。うまい。やっぱり剣菱は旨いよね。
1月8日(水)朝:体温36.8℃。平熱なので出勤。
1月8日(水)夜:仕事から帰宅。だいぶだるい。体温40℃。肺からゴボゴボ音がする。体痛くてねれない。バファリン4錠。
1月9日(木)朝:体温37.2℃。平熱なので出勤。
1月9日(木)夜:仕事から帰宅。ものすごくだるい。体温40℃。肺からゴボゴボ音がする。体痛くてねれない。バファリン4錠。
1月10日(金)朝:体温36.8℃。平熱なので出勤。
1月10日(金)夜:体温38℃。完全に回復した。耳がちょっとごろごろする。熱燗を飲んだ。うまい。やっぱり剣菱は旨いよね。
にゃーん……ごろごろ……にゃーん……ワンッ
彼氏から初めて「結婚しよう」と明確に言われたのは、去年の6月だったと思う
付き合ってすぐの頃に同棲を決めたから、お互いの親には挨拶は済んでいた
私は自分の親に、今の彼氏とそうなると思うという話はしたが、彼は彼の親御さんには伝えていないように思う
今年に入ってからも、なんら状況は変わらず、結婚をしたいとは言うものの進展はなかった
少し前、彼氏から「増田の機嫌が急降下することがあり、そこが不安で結婚を考えてしまう」と言われた
午後やっと起き上がって犬と散歩に行って、洗濯機を回し、昼食の食器を片付けた
休日は彼氏が家事をやると聞いたのになぁ、気付いた方がやればいいじゃん理論って気付いた方が負けだよなぁってなんだか悲しくなった
30歳になるまで、あと7ヶ月。私自身は子供は欲しくないけど配偶者の意向も汲みたいとは考えてるので、リミットの35歳まで逆算すると、そろそろ決断しなくちゃならない
期待だけ持たせて、呑気にゲームして、この人は私とのことをどう考えてるんだろう
夜、酒を飲んだ勢いで言った
「結婚しないなら、別れることも考えてる」
返事の期限は、3月とした