はてなキーワード: 飛び級とは
文章をちゃんと読め
高度な解法を 参考書を予習して覚える(塾)のと
自力で解法を編み出すのは 雲泥の差。
本当に知識を吸収するだけなら学校は要らないんだ、学校は社会生活訓練場でもあるから
もしどうしてもという願望があるなら、学習内容の飛び級は生活学習の飛び級でもあるので、成績とは別の基準も必要だろう
大成しなくていいならそのために飛び級を勘案する必要も出てこないだろう
飛び級は財政負担が少ないと思われてるが、授業内容以外は完全に知らん振りするならともかく、教師の負担が増える面がある点を無視している
同じ成績の大学生と小学生でも、成績意外の分野、例えばコミュ力なんかは同じとは限らないからね
たとえば、コミュ力が云々いうのであればせめて中学校卒業までは大学に入学できないようにする、とかいうこともできるわけだ。集団行動とかそういうの学んでねっていう意味でね。
でも、それ以降は別にいいじゃん、て思う。
じゃあなんでそんな子が同じ教室で退屈な授業を強制的に受けないといけないの?受けなくてもいいというオプションもあっていいのでは?
推測でしかなくない?
根拠は?
だからこそ、無駄な教室で時間を潰すんじゃなくて、その時間でもっと好きなことできるようにすればいいのでは?という内容ではないの?
http://anond.hatelabo.jp/20140723104113
元神童の元増田です。ご返事ありがとうございます。結論については穏当で受容され易いものを目指したつもりでしたが、もう一段掘り下げるべきとのご指摘であればよく理解できます。
現段階での試論をごく簡単に述べると、大学入学直前に1学年飛び級できるのみで、かつ対象に上位の大学が含まれていない(失礼)という現在の制度は、優秀層にとって応募のインセンティブが薄く、結果としてその効果も薄くなっていると考えます。よって、インセンティブの向上を図るべく、これらの点について要件を緩め、対象範囲を拡大することが選択肢として考えられます。
具体的には、まず複数学年の飛び級を認める方法としては、最も手軽な方法として、大検(高認)の受験資格及び合格後の大学受験資格について年齢制限を撤廃することが考えられます。そうすれば、一部の優秀層は、自分の準備ができたと判断した時点でこれを受験し、早期に上位大学へ合格してゆくでしょう。年齢に関係なく試験に通った者が合格するという方針はフェアだとも整理でき、社会的にも受け入れやすいように思います。追加コストもほとんどかからずに済むでしょう。
次に、上記の実現が難しい場合は、次善の策として、例えば防衛大や自治医大へ対象範囲を拡大することが考えられます。これらの大学については、学費免除が認められているという元々の位置づけから、仮に1年のみの飛び級であっても、家計が裕福でない優秀層にとって更に強烈なインセンティブとなるでしょうし、防衛省・自治省管轄下という性格から、政治主導であれば試験的に制度改編を進めるのも相対的に容易だろうと思います。他方で、早熟児達の知的好奇心を満足させる効果も社会的影響の程度も上記案より小さくはなりますが、漸進的なアプローチという点ではひとつの方策だろうとは思います。
元記事へのブコメで頂いたコメントには、短文でも考えさせてくれるものが多く、有難く思っています。これらに加えて、上記の試論についてもご指摘・ご意見・ご批判等あれば、ぜひコメントいただけると嬉しいかぎりです。勿論、上記へのコメントに限らず、思いついたことなど広くコメントいただければ嬉しいです。
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追記:
なお、そもそもの前提として、必要な知識は自分で学び身につけることができる優秀層を対象層として想定しています。上の学年のクラスで学ぶ機会を与え学習を支援してあげた方がよいという観点からは、段階的に飛び級をしてゆくアプローチの方が望ましいという考え方もあるでしょうが、そこは割り切っています。早熟児(神童と繰り返すのが気恥ずかしくなってきたのでこちらにしました)の相当数は、勉強の目標を与えてあげれば自分で学習を進めます。そんな彼らにとって、最大の問題はモチベーションをどう維持するかです。少なくとも僕は、小4で習った科目がクラスで出るまで5年以上待たないといけないという状況に当時飽き飽きしていました。自分に能力さえつけばいつ大学に行ってもいいよと当時言って貰えていたら、それだけでも、勉学へのモチベーションは劇的に強化されたろうと思います。
いや、「賢すぎる」んだよ。賢すぎてリアリティがない。
お前みたいな(他人と違う経歴を持つ人間は何かしら問題あるんだろ、と色眼鏡で見る)人間がいるから、日本じゃそれが不可能なわけだけど。
いや、日本は異常だよ。
実際日本で飛び級制度があったって殆どが利用しないだろ。苛められるのが目に見えてるから。
同じくアメリカじゃ小学校でも普通な留年なんかも日本ではさせない。長期入院して出席日数足りないケースなんかでも強引に進級させる。でないと苛められるから。
低出生とか発達遅延の子の小学校入学を1年遅らせる、ってのも日本じゃ相当の覚悟でもって行わなければならない「重大な決断」扱いだ。
制度上は普通に認められている高校浪人だって殆どの子はしない。
大学だって18歳から精々20歳くらいまでに入学しなければならない。
http://anond.hatelabo.jp/20140722143610
ブコメにも幾つか挙がってるけど、神童・元増田に対して「お勉強ができる」
特に数学の素養があったなら、高校の数学なんぞは適当に済ませて
アマチュア無線の免許を取るなり、プログラミングを始めるといった
元増田の年齢は知らんが、四半世紀前なら「マイコンBASICマガジン」等のプログラミング投稿雑誌があったし、
そういう世界では、小中学生でも大人と同じ土俵に上がれたから、
飛び級で大学に入って腫れもの扱いされるよりよっぽどスリリングな体験ができただろう。
現代ならGoogleプログラミングコンテスト? ロボカップ等のロボットコンテスト?
「我こそは神童でござい」などと踏ん反り返る暇があったら、年齢無差別のバトルに飛び込んで
コテンパンに打ちのめされてきたらいいのだ。
…以上は、元増田と同じく
親バカ上等。
もともとその辺のホームスクール制度ってのは飛び級天才を作るためじゃなくて、
アメリカみたいなバカみたいにでかい土地で学校なんてとてもじゃないけど通えないとこに家がある、
それこそ、お前らがいつも誰も教えてくれなかった、と叫んでる、コミュニケーションの仕方とかを学ぶとこなんだよ。
体系的に指導してくれることは余りないかもしれないけど、
そこで逃げたバカがお前らなわけで。
海外での飛び級に夢を抱いているようだけど、殆どは精々1学年程度の飛び級だから大して変わらんぞ。
アメリカだと小学生の年齢で高校卒業とかそういうのはホームスクール制度使ってるって聞いたな。
ホームスクールってのは学校に行かず家で親を教師として勉強する制度ね。
ただ学校行かなきゃ良い訳ではなく、州にもよるが何らかの資格を求められたり学習計画書や結果のレポート求められたりと親の負担が多いので
親に金と教養と暇とやる気がある家庭でないと出来ない。
神童だと言われて育った。2歳で平仮名を全部覚え、3歳になる頃には、保育園で他の子達に絵本を読み聞かせていた。保育士の間で変な子がいると噂になり、近所の教育大で知能検査を受けることになった。その後、両親が大学に呼び出され、しばらくして算数の教科書と問題集を持って帰宅した。それを読んで勉強するようにと言われ、試しに読んでみると、何を言っているかが大体理解できた。分からないところは親に聞きつつ、小学校に入る頃に分数の勉強を終え、小4の途中で高校の微積分を終えた。
学校は楽しくなかった。あらゆる授業で、5分で済む話に1時間以上をかけていると感じた。全部の質問に手を挙げていたら、1週間もしないうちに、もう手を挙げるのは止めろと教師に言われた。漫画やゲームをしていると取り上げられた。教師ももてあましていたのだろう、途中から、図書室で借りた本なら、授業中に読んでいても何も言われなくなった。ただ、小4の途中で、読みたい本は大体読んでしまった。同級生からは面倒な存在として扱われていた。
地元には目立った進学校はなかった。親戚の家から通うかと言われたが、某有名校の中学受験の問題集に目を通したところ、代数は使わず鶴亀算で問題を解けと書いてあるのを見て、これは意味がないと感じた。まがりなりにも、三角関数も虚数も指数関数も勉強してきて、それでもxもyも使わずに鶴亀算で解答しないといけないのかと思うと、情けなくなった。教師や親戚など、事情を知っている周囲の大人からは、〇〇くんは特別だから、と言われた。でも、特別でいいことなんて、何も思いつかなかった。
その直後、小6で反抗期が訪れた。もう勉強は止める、と親に宣言し、地元の中高でそのとおりに6年間を過ごした。授業は聞かず、ノートはとらず、教科書も学校以外では開かなかった。それでも成績は概ね上位だった。別に天才だったからではない。必要な勉強の大半を、小学生の頃に済ませてしまっていたからだ。運動部に入り、服に気をつかいはじめ、カラオケやビリヤードに行くようになった。「特別」な子はもう卒業だった。孤独な努力を続けるのは、もう飽き飽きだった。
その後は平凡な人生だ。大学4年間を引き続き遊んで過ごし、それなり以上の会社に潜り込んだ。同僚からは、理屈よりもむしろ調整能力で評価されている。運よく社費で留学することになったとき、壮行会で、〇〇が留学とはな、きちんと勉強してこいよ、と何人かに言われた。こう見えても昔は神童だったんですよ、と冗談めかして返事すると、その場の皆が笑った。僕も笑った。
「幸せか、と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。」村上春樹の小説のうち、この台詞だけは、今でも折に触れて思い出す。
今、この日本全体で、かつての僕のように、指数関数や三角関数を学習したのに小学校で分数の足し算をさせられている子供が、一学年に少なくとも数人はいるだろうと思う。そのほぼ全てが、最近報道であったようなカナダやアメリカでの飛び級のチャンスには恵まれず、中学受験のために鶴亀算をやるのだろう。又は、その選択肢を見限って、自分の知的好奇心よりも、同年代の子に溶け込むことを優先するのだろう。もし、それを少しでも、日本にとって人的資源の無駄だと思うなら、飛び級制度の抜本的な拡大をぜひ支援してほしいと思う。
他の主張を落としめることで自分の主張を際立たせるやり方がスマートでないのは承知の上で、あえて言えば、
総務省の「和製ジョブズ」発掘プロジェクトよりも、飛び級の抜本的拡大の方が、絶対に将来の日本を変えるチャンスを秘めていると思う。
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追記:
「ガチの神童ではない」のはおっしゃるとおりというか、少なくともガチの天才ではないと思います。SPIやGMATのような類の試験では、今でも苦労せず高得点が出ますが、単に事務処理能力が高いだけで、何かを考え抜いて新しいものを生み出す資質とは違うのでしょう。「二十歳を超えれば只の人」というのは、自分でも折に触れて実感するところです。元神童の典型例のひとつとして読んでいただければと思います。
今の境遇には満足しています。過去に後悔があるわけでもありません。ただ、昔の自分を幼かったなと感じるだけです。
そういえば、授業を集中して聞けない癖は今でも抜けておらず、留学先では苦労しています。自分の意思の弱さの問題だと言われればそのとおりですが、この点については、幼い頃の境遇に原因を求めたくなる気持ちもないではありません。幸い、今は周囲が競争して手を挙げる環境なので、自分も積極駅に参加することで乗り越えようとしています。
鶴亀算に対する思い違いについては以下のとおりです。僕は面白がって取り組むタイプではありませんでした。パズルとして楽しむよりも効率を求めてしまうのだと思います。http://anond.hatelabo.jp/20140722211051
天才のまま、知の最前線を走り続けている人がどれだけいるのかについては、僕自身も知りたいところです。そのような人達をみて、飛び級がなくても問題はないというか、飛び級があればもっと早くその才能が世に出た筈だというかは、ひとつの判断でしょう。
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追記2:
引き続きコメントありがとうございます。
>「本当の天才」でないとしても、学習意欲・知的好奇心のある早熟な子供に既知の退屈な授業をする必要はないと思う。飛び級というのは「本当の天才」だけを特別扱いする制度ではない。
まさに我が意を得たりという思いです。ありがとうございます。
>そこで頓挫したなら、ただ早熟なだけだろ。その壁が越えられない自称天才達なんて掃いて捨てるほどいる。
そういう「自称天才」の子達が、小学校の頃に互いに出会えたらよいのではというのが、この日記で主張したかったことの一つでした。競い合う環境は能力の啓発を促します。それで「本当の天才」が生まれなくとも、何人か何十人かの「秀才」の知的好奇心が満たされ、かつ能力が底上げされるなら、充分に価値があるのではと思います。
あと念のためですが、僕は自分を神童だったと言ってはいるものの、天才だとは言っていません。この点分かり辛かったとしたら失礼しました。はてなは高学歴が多い印象だったので、元神童や現役の天才達が自分達の経験を語る流れがメインになるかと思っていましたが、僕が天才に該当するか否かの議論に焦点が当たってしまったのは残念なところです。今からでもぜひ!もっと!
ちなみに、天才でないという指摘はそのとおりだと思っているので気になりませんでしたが、「賢い人が書いた文章ではないように感じる」というご指摘には地味に凹みました。論理的な文章を書けることが重視される職業なので。。まだまだ至らない身だと胸に刻み、精進してゆきたいと思います。そのせいもあってか、釣りか否かの論議が続いているのは哀しいところですが、増田で書く以上は仕方ないのでしょうね。
そうでない場合は だいたい年齢とスキルは比例するからあってる。
飛び級のような現象が起きた時だけ、部下が酷い目を見るように成ってる。
女性; 酔わせてやっちゃうのが当たり前、薬飲ませてやっちゃうのが当たり前というのが悲劇
そうでない場合は だいたいまぁよく出来てる。
妊娠するというのは、なんというか、そこをなにかいっても仕方がない。対応していくしか無い事だからな。
なんかさ、酔わせてやっちゃうのが当たり前、薬飲ませてやっちゃうのが当たり前というのを受けいれるにいたった女性って擦れてるよね。
若くしてNature論文が出た人の多くは、若くして消えます。20歳でデビューして25歳で消える人がいる場合、その人が40歳でデビューしたら45歳で消えます。それだけのことです。何歳でデビューしようが、生き残れるか否かは別問題。
ねーよ。20でNatureデビューしたなんて言うならまず大学を16くらいで卒業するとか飛び級しまくりだろ。普通じゃねーよその時点で。
で、某方さんみたいに30でNatureに論文投稿しちゃった日にはそれで一生安泰みたいなもんだよ。
特にあのクソみたいな分野は追試が全然成功しなくても確率が低いから(確率がどのくらいとは言わなくてもそれを科学という)、で済むアホ分野だから
結果を認めさせちゃったもの勝ち。
後はそれについて適当にうだうだやってればOK。
佐村河内と小保方は、ともに売り出された際の、彼らの経歴と作品とが一致しない点にある。それゆえ、同じ業界の人間には、事が発覚する前から違和感が感じられており、発覚後に「あー、やっぱり!(後出しだけど)」という感想が抱かれている。
クラシック音楽のアウトサイダーというふれこみと、まっとうな作曲とが一致しない。
友人談(音大卒):
「和音の使い方が玄人っぽい。音大卒じゃないなら、よっぽどお金持ちの恵まれた環境で、プライベートに豊かな音楽教育を受けないと、あーいうのは無理だと感じてた。聴覚障害、正規の音楽教育なしの元ロック歌手・元ホームレスが自力のみで作曲とかありえん。」
○小保方の場合
30歳、ハーバード留学、理研PIという経歴と、早稲田卒ネイチャーに2本というのが一致しない。
俺談:
「30歳理研のプロジェクトリーダー、ってくらいしか知らなかったから、もんのすごくたくさんの論文があると思ってた。経歴も東大理Ⅲ⇒東大理学部とか、海外育ちで飛び級入学でハーバードとか、そういう超天才コースの人だろうと漠然と思ってた。普通に日本の私学でトレーニングを受けたひとが、とつぜんネイチャーにアクセプトされて、理研でリーダーとかありえん。」