同じ成績の大学生と小学生でも、成績意外の分野、例えばコミュ力なんかは同じとは限らないからね
たとえば、コミュ力が云々いうのであればせめて中学校卒業までは大学に入学できないようにする、とかいうこともできるわけだ。集団行動とかそういうの学んでねっていう意味でね。
でも、それ以降は別にいいじゃん、て思う。
じゃあなんでそんな子が同じ教室で退屈な授業を強制的に受けないといけないの?受けなくてもいいというオプションもあっていいのでは?
推測でしかなくない?
根拠は?
だからこそ、無駄な教室で時間を潰すんじゃなくて、その時間でもっと好きなことできるようにすればいいのでは?という内容ではないの?
同じ成績の大学生と小学生でも、成績意外の分野、例えばコミュ力なんかは同じとは限らないからね 是非は別にして、集団行動や倫理規範に慣れさせる意味もあるからな 幼稚園的な要素...
同じ成績の大学生と小学生でも、成績意外の分野、例えばコミュ力なんかは同じとは限らないからね 是非は別にして、集団行動や倫理規範に慣れさせる意味もあるからな 幼稚園的な...
大成しなくていいならそのために飛び級を勘案する必要も出てこないだろう 飛び級は財政負担が少ないと思われてるが、授業内容以外は完全に知らん振りするならともかく、教師の負担...
別に大成しなくてもいいじゃん。
だいたい、学問的な根源欲求は与えられることより主体的な吸収欲にある訳で そこを自分で分かってるなら、なおさら「教えて貰えなきゃ次へ勧めない」という考えには至らないはず ...
少なくとも義務教育の間は飛び級の利点はあまりないと思う 本当に知識を吸収するだけなら学校は要らないんだ、学校は社会生活訓練場でもあるからな もしどうしてもという願望がある...
少なくとも習熟度別に別クラスにするべきだ。