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はてなキーワード: 進学塾とは

2022-09-13

18歳で処女20万で売る方法を知り丹力を持ち東大を受けるような奴

私はド底辺在日朝鮮人環境にありながら金貸し成金となった家に生まれたので資本投下をされて育った。

サラリーマンなんて周りにはいなかった。

仕事なんて金貸しと風俗不動産飲食パチンコしかなかった。それが世界のすべてだ。

エリートの奴らが皮肉を込めて言う JTC なんて遥か上層の見えない世界だった。

最大のエリート朝鮮大学校を出て朝鮮総連でよくわからないことをやっているクズ共だった。

彼らがなにをやっているかというと、何もやっていない。建物に行きダラダラして終わりだ。

そういう肥溜めで育った。

そんな状況だったので中学二年生まで大学に行くという概念現実的ものとして見えてはおらず、自分の成績についてもよくわかっていなかった。

私はどうやら頭が良いらしい、そういうことが分かったのは高校に入ってからだ。

底辺連中が跋扈している汚らしい街を出身として金が出来て引っ越した先にて進学塾というものに入ったときのこと。

市進という塾だった。

「きみはこういう学校志望校にするといい」

そう塾の先生が言った。

朝鮮学校などという肥溜めにいてはいけないと気付いてはいた両親が勧めた塾だった。

中学三年生になって入塾したのでクラスは下の方だった。自分でもよくわかっていなかったので別に何も思わなかった。

ただそのクラスで使うさほど難しくもないテキストをすぐに解いてしまう私を見て目をかけてくれた先生がそこそこ難しいテキストコピーをくれた。

二つ上のクラスが使うテキストだった。

「きみならできるでしょ」

できた。進学塾という概念を親はよくわかっていなかったのでそれに入ったのは中学三年生だったが、個別指導塾などには行っていたのでそれなりにできたのだ。

資本投下はされている。

そして普通に受験勉強をして県内五本の指はいるくらいの高校に行った。東京大学複数人排出してる高校だった。

そこでも私はなぜかよく出来た。物理先生が言ったことを今でも覚えている。

「きみは頭が良いよ」

ほんの少しでもズレていたら確実にド底辺在日朝鮮人としてパチンコの景品替えでもやっていた私はどうやら頭が良いらしい。

あの人が言うならもしかしたらそうなのかも知れないと思い東京大学を受けた。

東京大学に受かった。なるほど資本投下されると東大にいけるものなのだな、と思った。

周りの人間大学に行っている奴なんていなかったから、よく分からないまま大学に行った。

そしてなんとなく院に進み、教授の「君は博士に行くべきだ」という言葉を本気にして博士課程に行った。

適当に過ごして論文がそこそこのジャーナルの editor's choice になりそのテーマで課程博士号を取った。

かに私はそこそこ頭が良いらしいなと思ったが、本格的に文化的資本を投下されて育った奴の中では生き残れる気がしなかったので適当な JTC に行った。楽だった。

8:30-17:15 の勤務で残業無し、年間 124 日の休暇に 24 日の有給休暇を7割くらい使える。天国だった。

ただ天国過ぎてなんかやめた。後悔はしていない。

今はちょっとした外資にいる。そこそこちゃんとやっていたらなんか年収がそこそこになった。悪くないくらいの金額なのでまぁいいやと思っている。

そしてとある日に面白いやつに出会った。

高校の頃に処女20万円で売って入学資金にした女だった。

大学と院の頃にデリヘルをやって生活費学費を稼いだ女だった。

Non-MD だが東京大学大学医学研究科学位を取得している。

負けたと思った。生まれて初めて負けたと感じた。

ここまでこの文章で成り行きをつらつらと淡々と描いてきたが階級を超えるためにそれなりに考えて生きてきた。

私は私を誇りに思う。

親の金自分の頭を使ってなんとか金貸しでも風俗でも不動産でも飲食でもない仕事に就きたかった。そして就いた。

ホワイトカラー、美しい仕事だ。銀行住宅ローンを借りられる。そんな人間、周りにはいなかった。

私はその階級突破を密かに誇りに思っていた。少なくとも私は道を切り開いた、そう信じていた。

しかし、それは甘い幻想だった。

普通に考えれば簡単にわかる。18歳で処女20万で売る方法と丹力を持ち、東京大学を受けるような奴には勝てっこない。

その女は母子家庭出身者だった。

そしてさらに悪いことにギリギリ公的幇助対象にならない痴呆老人が一人と精神疾患を持つ叔母とともに暮らす家で育った。

養育費などなく、当たり前に教育資金なんてものはない。

塾にも予備校にも行かずに勉強し、九州地方の片田舎から東京大学試験を受けに行った。自分自身の処女を売った金でだ。

大学進学すら反対される中で生き延びるために持てるものをすべて使い、生き抜いてきた。

「私はなんでもするよ。誰でもいずれはそうなる。私は少し早かっただけ」

そう言い切る彼女言葉真実にすべてを投下してきた人間のものだ。

そもそもね、結婚相手に稼ぎを求める女たちと処女を金で売る私の間に違いなんてさほどないわ、タイムスケールが少し違うだけ。あと学問が好きだったからね。知的好奇心処女では知的好奇心重要だった」

勝てる訳がない。こんな化け物に勝てる訳がない。何の言い訳もできない。私はこの女より弱い。

私はたか外国人に生まれただけだ。

本は無制限に買ってもらえたし、進路に口を出されたこともない。勉強部屋も与えられたし、家事介護したことはない。

受けたい模試はすべて受けることができたし、加えてお小遣いももらっていた。

朝鮮学校からまともな日本学校に行く際にはクソ共に反対はされたが常に親は味方だった。

親はおおまかに私が良く生きることを奨励してくれた。

それは非常に幸せなことだった。

「私は普通よ。ただあの環境から抜け出すために使えるものを使っただけ。女に生まれラッキーだった」

私はたか外国人に生まれただけだ。なんのことはない。

しかしそれでも私は彼女に勝ちたいのだ。

2022-09-02

ポケットピカチュウが欲しかった話 続

先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。

私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。

読んでいただきありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20220818181739

追記追記を書いていたら長くなったので新しい記事にする。

»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。

について掘り下げる。

どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。

ポケットピカチュウを手に入れるタイミングは2つある。

1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう


1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

前回の記事追記にも書いたが、

私の親は、ポケモン暴力的ゲーム子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行もの認識していた。

2022年に「ポケモン暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるかからないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。

子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。

ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか

友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。

・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。

・・・と思いついた。

しかし、課題がある。

おそらく、当時の親は周りの子ものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。

私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。

それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園同級生」と「ママ友」という【地域コミュニティに膨らむ。

子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。

『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃん進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃん結婚したって』

ーーーーー周りの子と比べて、あなたダメ

と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。

肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。

私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。

自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達ママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。

なので、公園の片隅で

「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」

「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかちゃうわよ。」

なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。


あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。

私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。

周りの子自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。



ピカチュウちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。

当時ハローキティキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年デビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。

対してピカチュウ1996年誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。

2022年にはピカチュウ誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。

あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。



2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう

ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?


サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。

本来であれば25日の朝のプレゼント開封クライマックスを迎え、幸せクリスマスになるはず。

ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。

「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、

「ああ、この子が主張していたもの勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。

人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。

3000円のポケットピカチュウお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、

ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。

在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらス在庫を持っていたと想像する。

私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。

26日の朝に「あれー!サンタさん今日プレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦お年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。

なんらかのタイミングポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。

アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事執筆することもない。

さいごに

前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。

ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。

https://www.pokemon.co.jp/game/other/gbc-gs/

長くなってしまったので、別の記事としていつか書くかも。

2022-08-17

90年代初頭の中学受験景色

増田が小4か小5の時くらいにSAPIXTAPから別れたばかりで、増田は姉がTAPに行っていたし自分も小3くらいから行ってるしやっぱりTAPでしょということで受験まで通っていた 

教材もめちゃくちゃ面白かったし教師が引率してくれて教室の最寄駅までみんなでワイワイ帰るのが楽しかった

子供目線しかないが、90年代頭くらいだとまだSAPIXはそれほど圧倒的ではなくてTAP勢力に翳りが見えてきたところ2つ下の兄弟四谷大塚に行っていた

どこでもいいが、結論学校勉強で物足りない子供には進学塾絶対あったほうがいいと思う 結果に関わらず10代前半には湧き出るような好奇心学習欲ってのがあり、それを満たしてやるのは正しい

なお第一志望は国立の附属だったためくじ引きで落ちたけど第2志望には合格した

sapixならともかく、なかなか元TAP生ですというおじさんおばさんに会うことはないけど会ったら昔のことを語り合ってみたい

2022-07-01

学校教師学校しか知らないので視野が狭い

しかし、しかし、しか!!!

予備校進学塾講師受験のことしか考えないので、教師よりも更に一層視野が狭い

断然一等賞

2022-05-06

anond:20220506124931

塾は進学塾・補習塾・大手・中堅いろんな所に説明聞きに行って、お子さんに自分で選ばせるといいと思う。

中学生でしょ?勉強するもしないも自分で決められる(親が言ってもやらない)年頃だし。説明会は、今後の進路を考える上で刺激にもなって有意義

中学生は一番学校でいろいろある時期で、登校しない期間も発生する可能性がある。それなりにしっかりした塾に入れておけば、勉強が遅れる心配なく「休んでいいよ」と言えて、メリット大きいよ。

東京都内の子育てこれで大丈夫だよね?

東京都内在住で長男中学一年生。今のところグレてなくて優しい良い子。

公立小学校から公立中学校に進学。東京東部だけど荒れてるという雰囲気ではない。

小学校同級生の約半分は私立中学に進学したみたい。

交友関係はすごく仲の良い友達が2人でそこそこ仲の良い友達が数人。

部活運動部小学生の頃は運動があまり好きそうではなかったけど

中学生になって友達と誘い合って運動部を選んだらしい。団体競技を選んでくれたのは嬉しい。

子供の頃の習い事はよくある水泳公文とか一般的ものだけ。トップを目指して多大な努力をするようなものではない。

勉強学校で教わる水準は理解できているみたい。小学校低学年から毎朝ドリル自主学習している。

自主学習は5年間ぐらい継続しているので本当にエライ。親からみても尊敬できる。おれはムリだったし今もムリ。

中学年で進学塾にも入ったが、親が受験に本気になれなかったので1ヶ月ぐらいで辞めた。

ちなみに夫婦ともに都内出身でたいした学歴は無い。専業家庭。

親としてはこのまま公立中学で過ごして高校受験をして大学まで進んで欲しいと思っている。

中学生になったので塾に通うつもりだが、放課後の大半をつぎ込むような進学塾は考えていない。

部活も続けて欲しいし友達と遊ぶ時間も大切にして欲しい。

ただ、ネット上で親である自分と同じような属性収入人達の話を読むとほぼ全員、子供私立に進学させているので少し心配している。

仕事で会った子持ちの人と話をしても私立中学に進むことが前提になっているようで

中学受験しないことを伝えると「あ、そうなんですね(失礼しました)」みたいな微妙雰囲気になることが何度かあった。

また、受験に力を入れていない家庭もあるにはあるが、そういう家庭は野球サッカープロを目指すような家庭だったりする。

我が家受験にも運動にも力を入れてなくてどちらも平均的というか悪く言えば中途半端状態ではある気がして

親としてどこまで子供人生に介入すべきか悩んでる。

2022-03-13

anond:20220313021757

勉強しろと言う必要は無いけど、自身教育恩恵を受けた自覚があるのなら、子供教育への支出や労力は惜しまないのが良いと思う

程度もあるが

知人が子供を塾にやらずに受験で失敗させて落ち込んでいた

知人は地方優等生タイプ結婚して都心に住んだ

地方では進学塾などなく、学校勉強だけで旧帝に受かっていた

子供地域で一番の国立高校を目指していたけど、塾にまで行く必要ないというのが知人の考えだった、もちろん懐具合の問題もあったのだとは思うが

子供クラスもっとも優秀な子のグループに属しており、その中で知人の子供だけが受験に落ちた、他の子は皆塾に行っていたそう

子供も塾に行きたがったのに行かせなかったこと、子供受験に失敗して塾に行ってた周囲の子が受かった事、落ちて私立に行くのに入学金で塾費用くらいになってしまうこと、等々 あれこれと後悔していた

知人は自身地方の出で塾に行かずにそれなりの学歴があったか子供にも不要判断したのだろうけど

知人の田舎高校受験子供の都会の高校受験はいろいろ異なる

増田勉強を強いられない家庭にのびのび育ち、結果それなりの学力学歴が得られていたのだとしても、子供環境は同じじゃない、地頭の良さは引き継いでいるのかもしれないけど、条件はいろいろ違う

子供に無理して勉強させる必要はないし、無理にやらせたところで効果もないと思う

けど自分子供の時にこうだったか子供も、と考えて教育への投資をしない、というのは後々後悔することになるかもしれない

まあ自分にとっては他人の話でしかないので、こんな後悔をしてた人がいたよというだけの話

知人の子供も落ちて私立に行ったけど、十分すぎるほどにレベル高い高校だったし、気に病む必要ないのではと思ったが

2022-02-18

ごくまれにあるキチガイばっかり集まった学年

それがワイの小学校時代やった。

もう3,4年の段階で各クラス様子がおかしくてクソ荒れまくってた。

そこで学校はかつて様々な問題児クラスを受け持ってきたベテラン有能先生を5,6年の担任に着け、

そしてあろうことか同じ学年の問題児をそのクラスに集めた。

きっと彼なら、彼ならなんとかしてくれる。

 

なーんともならんかった。

暴力窃盗、当時は珍しかった陰湿いじめ、授業ボイコットが吹き荒れ

机や椅子が乱れ飛び、4人の不登校児を出しクラス崩壊した。

学級崩壊という言葉が大流行したのは俺が卒業した3年後くらいだったから、

時代を先取りした学年やったんやね。

なぜかそのクラスに混ぜられたワイはなんとか目立たんように立ち回りながら

あいつをイジメろと言われれば従い、こいつを殴れと言われれば殴った。

スリリンは嫌だスリリンは嫌だ……

 

その裏で駅三つ向こうの進学塾に通い中学受験の準備を進め、

なんとか地元公立中学には進まないことができた。

 

有能先生はその後、8年くらいその学校にいたそうだが一度も担任は持たなかったそうだ。

妹も同じ学校に通ったがワイ君の妹だということを聞いた有能先生は引きつった笑いを浮かべていたという。

よっぽど怖い思いをしたんやね。

なんかズレてはいるけど愉快な先生でワイは嫌いじゃなかったよ。

 

今でもたまに当時のことを思い出す。

悪夢だ。

2021-12-06

人間関係格安ほぼ無料で手に入るのは大学までか

有名進学塾通いも少なくない

2021-11-30

娘の進学についてフェミ鵜呑みにして大損した

女性理系が少ないのは、親の理解が足りないせいだよねってフェミの中では当たり前のように語られてたでしょ。

なので、自分はそういう親にならないよう、女性でも社会進出できるように、娘を地域でも一番の進学塾に入れ、かなりお金をかけたのね。

そのおかげか、行ける範囲でそこそこの進学校がA判定になり、一安心していたんだが、

そこは校則が厳しくて化粧できないとか制服が可愛くないとか言い出して、かなりランクを下げた学校に行きたいと言い出した。

おいおいおいい!?

娘の言い分的には、友達もそこは結構重視しているらしくて、この価値観は当たり前だと、否定して欲しくないと、大げんかになってしまった。

やっぱり女性って自分趣味志向で進学先決めているから、収入格差出てくるのではないか

あーアホらしい。フェミ屁理屈を真に受けて大損した。

2021-11-12

anond:20211112141302

普通の親やったら最低でも産近甲龍ってなるから知らん人のほうが多いと思う。

進学塾やってるとどうしたってその下のランクを薦めざるを得ないことがあるから心苦しい。

有名ではないけど関西進学塾やってたら知らない人はいないと思うよ。

2021-09-10

ガチャ

在日韓国人の家に生まれた。

父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。

祖父から継いだ仕事財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘経営を始めた。

母親夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。

前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。

両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。

大体の場合、帰ってくるなり怒鳴り合いの喧嘩を始めた。

今日接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員給料とかそんな話ばかりだった。

とにかく布団の中で聞かないふりをした。

たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。

その時もやっぱり寝たふりをしていた。

そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘営業時間を伸ばしたらしい。

家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。

見栄で通わされた私立小学校は家から遠く、地元同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。

誕生日プレゼントも買ってもらえたし、サンタも家に来た。

何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。

ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれ砂場に首から下まで埋められたことがある。

家に帰ると母親が忙しそうに仕事に向かう準備をしていた。

砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。

一人でそのまま風呂場に向かい洋服ごとシャワーを浴びた。

びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。

毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。

自分自分を責めた。

次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。

もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。

見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。

夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。

そのうちの大半をゲームでつかった。

志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。

ほぼ定員割れ名前が書ければ受かるような学校だった。

小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。

その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。

からバス電車を乗り継いで1時間かかった。

途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服ゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。

昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後ゲームセンターで使った。

作りおきの夜食栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。

人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。

なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。

中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。

雇われた店長父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪ストレス自分にぶつけてきた。

裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。

放課後を奪われた学校生活無味乾燥のもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。

高校2年のときバブル経済崩壊した。

家族内緒で行っていた父の株式投資負債によって、雀荘飲食店どころか家まで失うことになった。

荷物ほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームアパート母親引っ越した。

その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。

負債家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。

最後父親とどんな会話をしたのかも覚えていない。

母は親戚のパチンコ屋で換金所仕事を始めた。

親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。

生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。

それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたし卒業させてくれた。

この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。

父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。

お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。

相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。

この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。

小学生ときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。

たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。

仕事の忙しさを理由全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。

母親にそんなことを言わせてしまっている自分申し訳なくなった。

今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。

別にお金がなくても、今が幸せと思えるならよいではないか

しろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。

在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。

から、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。

高校卒業してすぐに建築業に進んだ。

親方の送迎で一度に現場に向かうために寮生活だった。

から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパート引っ越しをした。

建築現場にはフィリピン人パキスタン人で溢れていた。

言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。

在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。

自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。

いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。

少なくとも、自分からは彼らは幸せそうに見えた。

外国人いじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。

収入は確かに良かった。

とある事故きっかけに、2年ばかりで建築会社倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。

実家(といっても親戚が管理人アパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代ゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。

教習所短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許ウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。

その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社アルバイトとして入社した。

もともと大手通会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページ制作代行など、次々と事業を拡大していった。

世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人パソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社正社員として働けるようになった。

入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。

これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。

一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。

まだデザイナーマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。

戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。

一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。

社長経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要立場を任されるまでになった。

母親は別のマンションに住まわせ、自分結婚して二人の子宝に恵まれた。

自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。

羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。

だけど、こんな親だったおかげで、自分幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。

未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。

そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。

ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。

気に入らない結果をすぐにリセマラするのではなく、そのまま始めてみがほうが実は楽しいこともあるかもしれない。

なんだかとりとめのない文章を書いてしまった。

ガチャの結果くらいで、人生のものに悲観する必要なんてない。多分、そんなことを言いたかったのだと思う。

2021-06-23

中学受験をさせるか、させないか

首都圏在住の小学校低学年の子どもを持つ親の悩みのひとつに「中学受験をさせるか、させないか」というのがあります首都圏中学受験をするのは6万人超で5人に1人、つまり20%くらいが中学受験をすると言われています

この文章は、私が「中学受験をさせるか、させないか」について相談されたときに、どのように考えるべきなのかという判断材料をお渡しするために書いています。なるべく客観的データに基いて記述をするために、偏差値といった数値的なデータを中心に取り上げることが多くなります。いわゆる学歴主義のように感じられる部分があるかと思いますが、そのような意図はまったくないということは強調させてください。私自身も中学受験経験し、偏差値だけでは表現しきれない私学教育の魅力や中高一貫教育メリットというのを肌で感じています判断材料として主観的記述を減らす都合で、このような記載になっているとご理解ください。

中学受験をさせると決めたら、一般的には新4年生の春休みから進学塾に通わせることになります。通塾費で200〜300万かかり、私立中学に無事に進学したとしても公立以上の費用がかかります。3年間の学習時間は2,000時間以上になるとも言われ、親はそのサポートに追われることになります中学受験は、並大抵のものではありません。金銭的にも時間的にも親の「覚悟」が必要になります特に金銭面での負担は大きく、私学中学に通う家庭の世帯年収は約800万円以上がほとんどだというのも事実です。

小学校の頃から塾通いなんてかわいそうだ、うちは『普通』でいい」

そう考える家庭も多いでしょう。中学受験をするには、多額の費用と労力がかかります。「そんなのは普通』ではない」そう考える気持ちは分かります。分かるのですが、ちょっと待ってほしいのです。中学受験をしなかった「普通」はどういうものなのか、それを理解した上での結論でしょうか。中学受験をしないと決めたら、地域公立中学校に進学します。そこで3年間を過ごし、ほぼ全員が高校受験します(高校進学率98.8%)。ですから、実のところ「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題になります

もし、中学受験ではなく高校受験選択し、平均的な学力高校、つまり高校受験偏差値50前後に進学したとします。進学先はどうなるのでしょうか。たとえば、都立S高校では、6割くらいが大学へ進学、3割が短大専門学校へ進学をしています大学進学先も、いわゆる大東亜帝国入学できれば成功の部類で、GMARCHは学年トップ数人だけが入学できる存在です。口コミ掲示板を見ると、数年前に上智合格をした先輩が伝説的な存在として語られているのが分かります

難関大学と呼ばれるGMARCHを狙える高校に進学したいのであれば、都立高校では高校偏差値65以上の進学指導特別推進校や進学指導特別推進校が選択肢になります早慶以上を目指すのであれば、高校偏差値70以上の進学指導重点校です。地元中学から進学指導重点校や進学指導特別推進校、進学指導推進校を目指すことを想像してみましょう。地域によって差がありますが、東京都区内の公立中学校の生徒数は、学年あたり100〜150人くらいの規模であることが多いようです。ですから偏差値65以上(上位6.68%)の学校に進学できるのは、学年で10名くらいになります都立高校への進学には内申点も大きく影響してきますから、主要教科だけではなく副教科も含めて学年でトップクラスになる必要があります。これって「普通」でしょうか?

一方で中学受験の「普通」はどのようなものでしょうか。中学受験生の平均的学力中学、つまり偏差値50前後日能研)の中学校に進学したときの、大学進学の実績を見てみましょう。たとえば、T中学であれば、ほぼ全員が大学に進学し、そのボリュームゾーンGMARCHになります。S中学のように大学付属ながら、内部進学の資格を保持したまま難関大学チャレンジできる学校もあります中学受験をする層というのは全体の20%で、経済的余裕があり教育熱心な家庭になります。そこでの平均となりますので、全体から見たら上位の学力になります

もちろん、中学受験をしたからといって、ただちに学力が上がったり、しないという選択学力が下がるというわけではありません。あくまでもデータからみると、こうなっているということを示しています生存バイアスだという指摘もあるかもしれませんが、中学受験から離脱する割合が高いというわけではありません。

ここまで、データが示す「普通」がどれくらいなのかを示してきました。ご家庭で暗黙的に考えている「普通」とのギャップはあったでしょうか。「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題であり、親としての子どもにどのくらいの学歴学力教育を期待しているかという問題になります子ども能力と比べて過大な期待を抱くと、良好な親子関係への障害となってしまます。かといって、過少な期待をもって「縛りプレイ」をさせるというのも違うと私は考えます子ども能力に対して親としてどのような環境提供できるのか、この文章がご家庭で考えるきっかけになれば幸いです。

2021-06-18

過去自分より進歩しても30点は30点

ドラえもんに、のび太ひみつ道具に頼ってテストを切り抜けようとしたか何かで、最終的に自力対処することにしたのか、ママに「30点も取れたの、よかったわね」と褒められておしまいというエピソードがあった。もう細部はだいぶ忘れたのでこんな書き方になってしまうが。

これはしばしば言われる「他人と比べるより過去自分と比べよう」を想起させる。他人、まあ当然のように100点取ってそうな出木杉あたりと比べりゃ30点なんぞハナクソみたいなもんだが、0点コレクターのび太にしてみりゃ自力で30点取ったのは大したものであろう、そりゃ。かくて彼の自己肯定感が育まれ

イヤ、でも。そうは言ってもお前30点だろ。親子してそんなんで喜んでる場合かよ。

俺はこのエピソードをそのようにしか受け取れない。中学受験のため小学校生活の後半を進学塾通いに費やし、成績が悪いと連帯責任クラス丸ごと正座で授業を受けさせられ、さらには講師から帝國海軍の甲板整列よろしくケツバットを頂戴仕り、苦労の甲斐あって入学した進学校にも学内の成績によって歴然たるカースト存在しており、定期テストで30点にも満たないような赤点を叩き出したりと底辺に甘んじた俺はやはりハナクソのような扱いを受け…という、曇りガラスの十代であった。常に他人との競争であり、成績上位の者が勝ち組で、最終的に東大地元旧帝大合格者こそが価値ある生徒だった。過去自分との比較などに甘んじる余裕はどこにもなかった。

まあそんな自分語りはどうでもいい。いくらね、当社比で成績向上したといってだ。常に他人比較「される」のだよのび太くん。自力で30点も取れたぞ、なんてのは自己満足もいいところなのだシャブ中が壁に向かって「俺かめはめ波撃てるぜぇ」とヘラヘラ笑ってるのと変わらんのだ。

せめて、80点90点取ってからデカい面することだ。さすれば下にも置かれまい。

2021-06-10

中学生を塾に通わせる前にこれを読んでくれ

この日記は某家庭教師塾のアルバイト講師が、主に中学1〜2年生の親に向けて切実に伝えたいことをまとめた文章である

誰か1人でもいい、悩んでいる方に届いて参考になれば幸いである。


【はじめに】

塾は万能ではない。塾に来る中学生の中には、まだ塾に来るべきではないのに来てしまい、泥沼に陥っている子たちがいる。

ここでは塾に来る前に確認してほしいこと、何をするべきか、本当に塾を活用するにはどうすればいいのかを教科ごとに書いていく。


数学

数学で躓く中学1、2年の子は大変に多い。

そしてそのできない原因はほぼ共通しているといっていい。

計算だ。計算ができないのだ。

公式は言えるのに肝心の計算で間違うのでいつまでたっても間違える。

九九が言えない、約分ができない、筆算に1分かかる……このような子は、率直に言って「まだ」塾に通うレベルではない。

このような子たちを指導するときに組むカリキュラムは当たり前だが計算練習を中心にしたものとなる。

しかしこの計算練習というのが塾のシステムとかなり相性が悪いのだ。

講師は生徒の間違いを指摘し、解説するために存在しているのだが、基本中の基本の計算練習においてはその存在感は希薄ものとなる。

サポートできるのはせいぜい「7の段を間違いがちだから一緒に言ってみよう」「丁寧に書くと計算を間違いにくいよ」くらいのもので、肝心の計算クオリティスピードに関してはもう完全に生徒本人が頑張るしかない。

講師としてもはやく基礎の計算練習を終わらせて本番である面積や平均、方程式などの難問を教えてあげたいのだが、しか計算ができるようにならなくてはスタートラインにすら立てないのだ。

早くスタートラインに立ってほしい、その一心で連絡ノートに「自宅で計算練習をしてください」と書き、計算プリントを持たせ、家で毎日1枚こなすように言いつけて親御さんにも協力を仰ぐのだが、そういう子に限って「なんで計算なんか練習してるんだ?早く単元の解説をしてほしい」というダメ出しを喰らってしまう。

違うのだ!

計算というのは本当に大事で、中学高校大学受験の全てに尾を引く。

土台がぼろぼろの家はすぐに倒壊する。

ミスなく、速く、基本的計算をこなすこと!これが全ての基本だ。

そしてその基本を中学1、2年生のうちにマスターしておけば本当に大きなアドバンテージとなる。

逆にここで躓いて中学3年生になり、高校受験を計算練習から始めるのはかなり厳しい戦いになる。

から伝えたいのは塾に通わせる前にまず自宅で計算練習をしてくれ!ということだ。

高い月謝を払ってわざわざ塾に来て黙々と計算練習をする羽目になるより前に、安い適当ドリルを買って家で一冊終わらせた方が絶対に良い。

できれば1週間集中して取り組んでほしい。

数日間が空くとすぐに忘れる。大人が思うよりもがっつり忘れる。

子ども1人では集中できないし親が面倒見れないから塾に通わせているんだ!と思っている方は、騙されたと思って1週間連続家庭教師を雇い、徹底的に計算練習を見てもらうのだ。

週に数日塾に通わせて中途半端熱量計算練習をするくらいならそちらの方が断然コスパはいい。

何度も言うが、長い人生の中で、この時期に基本の計算マスターしておくことは本当に大事なことだ。

中1、中2で計算で躓いている子どもを持つ親は相応の危機感をもってほしい。

計算練習だけは講師が教えてどうにかなるものではない、生徒が自分継続して頑張らなければ身につかない。

そしてある程度基本の計算ができるようになったら初めて塾に通えば良い。

計算ができない」というノイズが取り払われた子ども純粋に単元の理解に勤しめるし、講師も全力で教えられる。

子ども数学の成績が奮わず塾に通わせるか迷っている親御さんは、まず「計算で躓いている」のか「単元理解に躓いている」のかを見極めてください。わからなければ体験授業なりで講師に聞いてください。

計算で躓いている」ならやるべきことは塾に通うことではない!

その準備だ。前段階だ。とにかく計算練習をするんだ。話はそこからだ。

中学に向けて計算スキルを身につけたいという小学生、親御さんにはくもん教室おすすめする。

くもんの数学プリント殆ど計算の反復練習であり、毎日宿題プリントが5枚出るので継続した勉強習慣も身に付けやすい。

下手な進学塾に通うよりまずはここで計算スキルを身に付けるべきだ。

しかし、くもんは計算練習に特化しているため面積や平均など、応用した単元の練習には向いていない。というかプリント範囲に(ほぼ)入っていない。

なので、余裕のあるご家庭ならば、早い段階でくもんに通い、ある程度計算力を得たら進学塾に切り替えて単元の練習をするという流れが1番良いと思う。


国語

文章題ができない中1、2年の原因もシンプルだ。

本を読んでいない、これに尽きる。

実際に問題を解いてもらうと、普段文字を読んでいないので文章を読み終えるだけでタイムオーバーしてしまったり、最後まで読んだ時には前半の内容を忘れていたりする。

深刻だと感じるのは「嬉し泣き」の概念などを理解できていない子で、「泣く」のは痛い時、悲しい時のみだと思っているので誤読するのである

人生で「嬉し泣き」の概念出会たことがないのだ。

もうこれは人生経験の問題になってくる。

本を読むのだ。もしくは映画でも、漫画でも歌でもいい、とにかく作品に触れて、自分以外の人の感情の流れを知ること、新しい概念を学ぶことが重要だ。

塾講師が「嬉し泣き」とはこういう感情で、「切なさ」とはこうで…と教えるよりもそっちの方が余程スムーズ理解できるし記憶に残るしなにより生徒も楽しいだろう。

親御さんにお願いしたいのは、そのような作品子どもが触れる機会を作ってあげることだ。

本を買わなくてもいい。学校地域図書館に連れていき、子どもが読みたそうな本を数冊一緒に選べばいい。

この時に絶対やってはいけないのは、子どもの選ぶ本に口出しすることだ。

まり簡単だろうが、絵しかなかろうが、倫理的心配であろうがとりあえず読ませるのだ!

気になる本の魔力は他者が思うより強い。

一冊読めば似た本が読みたくなる。それを繰り返すうちに、放っておいても文字数の多い小説に手を出すようになる。

間違っても初手からこども名作文学など勧めてはいけない。

どうしても読ませたかったらリビングの目立つ本棚に置き、親が率先して読んでいれば興味をそそられていずれ読む。待つのだ。

そうやってある程度文字を読み、文章に慣れ、感情や行動のサンプルを身体で学ぶ、そうして初めて問題を解くスタートラインに立てる。

から文章題で躓いている普段全く本を読まない子どもは、まず本を読むところから始めてくれ!

その状態で塾に来ても、何十分もかけて文章を読む基本練習をするだけだ。

高い月謝を払っているのにあんまりだと思わないか?教えるこちらも心苦しい。

本当に塾を効果的に使いたいなら、まずその準備として文章を読むところから始めるんだ。話はそこからだ。


英語

これに関しては特に言うことはない。

中学1年で本格的に勉強が始まるため、ほぼ全員が同じスタートラインから始まる。

スタートラインの前にある基本的計算力や読解力を要求されることもない。

アルファベットが言えれば十分だ。最悪言えなくてもたった26文字なのですぐに追い付ける。

家庭でやってほしいおすすめ勉強リスニングくらいだろうか。

こればかりは塾で教えるのは厳しい。

計算練習と同じく、継続的で本人の努力の量に左右される単元なので、塾で、家庭で、自主的に反復練習を積んでもらう必要がある。

あとリスニング聞き取りにくい所を何度も繰り返して聞くのが重要になってくるのだが、その「聞き取りにくい所」は生徒本人しかからないので、他人が教えるとどうしても非効率的になってしまいがちなのだ

中学リスニングはあまり重視されないのだが(出るとしてもレベルは高くない。基本がわかっていれば十分だが、簡単な文の読み上げが聞き取れないようなら対策した方がよい)、高校大学受験、そして英検TOEICではかなりの何度のリスニングが出てくる。

これらのリスニング日本学校教育だけで立ち向かうことはほぼ不可能なので(そもそもリスニングの機会が少なすぎる)、自分で何かしら教材を買って学ぶ必要がある。

それを中学からやっておけば高校でだいぶ貯金ができるだろう。


社会理科

ほぼ暗記科目である

例えば社会で、応仁の乱が起きた理由が上手くわからないので覚えられない…という躓き方をしている生徒には塾講師が役立つだろう。

しかし、その点は教科書を読めば理解できて、単に暗記で躓いているなら塾講師なしでも解決できる場合が多い。

要するに復習サイクルを上手く立てれていないのだ。

躓いている子は宿題として出されたテスト範囲問題集を一回解いて、丸つけをして、あとは一切問題集に触れずにそのまま試験に臨んでいる。

これでは良い点数が取れないのも当たり前だ。

暗記科目において1番大事なのは復習。

一回問題集を解いたら間違った問題に印をつけて、翌日そこだけもう一回解く。そして1週間以内にもう一回解いて、全問正解できるまで何周でも繰り返す。

テスト前にも同じ事をやって、全ての間違いを潰した上で本番に臨む。これだけだ。暗記ものでやるべきことはこれしかない。

まぁこれができれば苦労はしない話でもあるのだが、しかしこのサイクルは中学のうちに自分でできるようになっておいた方が絶対に良い。

これができない子は塾講師にいつこのページの復習をして、そうしたらこ問題集をやって…と逐一指導されることになるのだが、これはもはや勉強指導というよりはマネジメント生活管理の域になってくる。

率直に言って、やはり高い月謝を払ってまで通わせる必要はないように思える。

勉強週間がついていない最初のうちは塾に通って復習のやり方を教えてもらえば良いと思うが、それは意識して慣れればいずれ自分でもできるようになることだ。

マネジメントを期待して塾に通って暗記物を学ぶのならそれは正解だが、数学文章題のような"コツ"を期待して通わせるのならやめた方がいい。

来たところで最終的にやるのは問題を解いて、覚える、それしかないのだ。


【おわりに】

とりあえず伝えたいことは以上になる。

とにかく塾は万能ではないこと、塾の効果を最大限に発揮するには家庭での準備や努力が不可欠なことを認識してもらえたなら嬉しい。

そして、今現在自分の子どもがどの段階にあるのかを見極めて適切な措置をとるようにしてほしい。

全く地力がないまま塾に放り込まれ指導時間内はひたすら文章を読み、九九の練習をし、そして家庭での勉強継続して行われないため次に教室に来たときには内容をあらかた忘れておりもう一度六の段から始める、このような中学生を指導するのは本当に辛い。虚無だ。

月謝の無駄だとも思う。高額なのだから、本当に有用なことに使ってほしい。

現在悩んでいる方、どういう措置をとればいいかからない方がいたら、コメントを貰えればできる限り答えるので活用してほしい。

少しでも多くの子どもが己のレベルにあった環境出会えることを望んでいる。

2021-05-31

夢日記 帰り道

小学校の帰り道、友達バスに乗っていたら強烈にトイレに行きたくなった。

まりかねて途中下車すると、友達が「私が通ってる塾がそこにあるからトイレ借りれるよ」と教えてくれた。

その塾は地元では有名な進学塾だが、看板ひとつもない白い建物で、一見して塾には見えなかった。

内部はとても整然としていて病院のようだった。玄関には観葉植物としてヤシの樹が飾ってあった。

肝心のトイレ講義室の隅っこにあって、室内では少なからぬ人数の小学生児童自由に走り回っていた。けれどうるさくはなくて、むしろみんな静かだった。

トイレのドアはウェスタン調の両開きで、ほとんどドアの役目を成していないけれど、あまり気にせず用を足した。トイレを出ると数名の児童よそ者を見るような目でこっちを見ていて、居づらくなってさっさと外に出た。

近所のコンビニまでたどり着くと、店の前で職場上司であるMさんに会った。私はよほど疲れた様子だったらしく、Mさんは「アイスをおごってあげる」と言ってくれた。

店内に入ると、ほとんどの棚がガランとしていて、まるで閉店セールの後みたいだった。照明もほとんどついていなくて、大きな窓から差し込む自然光だけが内部を照らしている。

店員二名だけで、レジ前でボソボソと何か話し込んでいた。冷凍庫のぞくハーゲンダッツが三つほどあったので、そのうちの一つをMさんに買って貰った。

自転車に乗って去ってゆくMさんを窓から見送っていると、四人組女性たちが店に入ってきた。みんなスッピンなのに服は派手でアンバランスだった。そのうちの一人と目が合うと、彼女は親し気に話しかけて来た。

私たちバンドやってて、今リハーサルの帰りなんだ。だから打ち上げのためにお菓子予約しといたの」

そう聞いてはじめて、このコンビニがいつの間にか予約制になっていたことを知った。道理で棚がガラガラなわけだ……と納得した。

アイスを持って店を出ると、四人組お菓子パンパンに詰まった大きなレジ袋をそれぞれ両手に提げて後をついてきた。くっついて歩いているのに、彼女たちはやたら大声で会話をする。コードギアスの話をしているようだったが、私はそのアニメほとんど観ていないし、会話に入っていく気力はなかった。

疲れた気分で手の中のハーゲンダッツをじっと見つめた。『ルルーシュ』をうまく発音できない彼女たちの会話を聞き流しながら、「もしかしたら、これはハーゲンダッツに見せかけて実はハーゲンダッツじゃないのかも……」と哲学的な疑いをもった。

おわり

2021-05-28

anond:20210528084432

ワイが小学校の頃仲良かった医者まれのT君を思い出した。T君のお父様はお医者さんで開業医お母様は専業だった。T君は長男医院を継ぐことを期待され進学塾に放り込まれ勉強をしていた。が、あまりデキはよくなかった。T君は勉強も嫌だし医者なんかなりたくないと言っていた。

T君は三浪してやっと私立医大に滑り込んで、2回くらい留年してやっとのことで医師免許を取った。その頃のTくんは嫌で嫌でしようがなくてちょっとおかしくなっているようだった。だがお父様との約束である医者になることは達成できた。

T君はもう約束果たしたからと言って地方引越し今は市役所に務めている。お父様はたまに見かけるがめっきり老け込んでいる。

2021-04-25

anond:20210424185039

これはもう当事者じゃないとわからんと思うわ。

うちもこれほどひどくはないけど、学校行けんかったことあったから。

外野ときは、親の対応が悪いんじゃねーか、学校対応もまずいよねとか、好き勝手言って批判できたけど、

いざ当事者になるとオタオタすることばかりだったよ。

発端の娘さんの件だって、なかなか担任が原因って疑うってできるもんじゃない。基本的には担任といい関係信頼関係を築きたいと思ってるわけだからね親は。

ゲーム機バケツ事件だって最悪だけど、わからんではない。

子供不登校って「日常」じゃないわけよ。非常事態なの。

非常事態がずーっと続いてて、それを打開するためいろいろ動いて考えてってやってたら、本当ストレスたまるもんよ。

だって人間からね。非常事態が続いてるとこに体調やら精神状態やらの加減が重なると、何かの拍子にブチって限界越えちゃう時もある。

あきらめてそれが「日常」だと思えばいい、親も一生懸命になり過ぎない方がいい、って思うだろうけど、

そこまで腹くくるにはもがいたり足掻いたりする時間必要なんだよね。

「散々、色々な関係機関への相談や、色んなことをしたけれど、何も出来なかった」

っていうのも実感できること。

うちも散々いろいろ相談したけど、結局決定的な打開策はなかったし、子供時間を待つほかなかったって感じだよ。

何がきっかけで学校に行けなくなったのか、そして行けるようになったのかもよくわからんかった。

その間、違う先生からは「原因がないなんてあり得ない、なにか原因があるはずだ」とか言われたりとかさー、

じゃあどうすりゃいいわけ?どうやって聞き出せばいいわけ?って思っちゃったわよ。そんなん言うんならうちの子と話してよってね。

もうなんか非常事態の間は、自分視野狭窄に陥ってんなーってわかるんだけど、最中はどうしようもないのよね。

今思えば、原因はたぶん一つじゃない、子にも要因があり、親にも要因があり、学校にも要因がありって感じなんだろうけど、

じゃあその親の要因、私は夫はどうしたらよかったのか、どうすればいいのかって、最中暗中模索状態なのよ。

もう一度言うけど、一人で悶々考えてんじゃないのよ?学校にも相談機関にも散々話してるのよ?決して一人で勝手に抱え込んだりしてないよ?この増田もそうでしょ。

スクールカウンセラーには発達障害可能性も提示されたりして、いや違うんじゃないかなーって思いつつ、病院予約する一歩前までいったこともある。

(のちカウンセラーから必要ないと判断されて止められた。幼い頃から見てきても、当てはまる要素がほとんどなかったし。)

でも本当にもう悩みつつも、その状態である子供を受け入れるしかなかったというか。

殴打事件も褒められたもんじゃないし、暴力肯定する気はないけど、結果的には決定的な打開策になったような感じだよね。

だけど、この親子の事例で、結果的に良い方向に進んだってだけで、すべての引きこもり事例に当てはまることじゃない。

こうすれば解決するよみたいなもんがない、いつまで続くかもわからない。先が見えないって本当に地獄だよね。子も親もね。

結局は子供の力を信じて待つしかないのかなーと思いつつ、何もしないで手を拱いてるわけにもいかないし、というジレンマ

追記学習面はどうしてた?というコメがあったので。

不登校以前から算数だけ進学塾に行ってたので、算数だけはなんとか手当てできてた。不登校中も通塾や習い事だけは意欲的だったし。

学校宿題もできる限りやってたし、保健室テストを受けることもあった。担任学習面の心配はしてなかったかな。

中学年だったのでなんとかなってた感じ。理科とか、のちのテストのでき具合見て、あー不登校時に抜けてたところだなと思うこともあった。

高学年とか中学生とかで、塾も嫌がって、勉強もしたくないとかだと、どうしてたかなーとも思う。

2021-04-19

anond:20210418215357

どうしたらパートナーができるか? 

それはパートナーを作ろうとすればできる。

 

例えば「頭が悪いやつがどうすれば受験合格できるか?」

それは勉強して受験すれば合格できるんだよね。

原因を取り違えているんだよ。彼は頭が悪いから合格できないんじゃないんだ。勉強してないから、あるいは受験票を出してないか合格できないんだ。

そりゃあ生まれ金持ちで潤沢に進学塾行ってて、受験票の出し方がわからないとか勉強しても覚えられない、なんてことはない奴もいるだろうさ。人生は不平等だ。だけど不平等は原因ではないよ。ゴールはどの道存在するんだから

 

まあ、受験先が東大だったらから何浪してもダメとか、試験範囲を把握してないから失敗してるだとか、そういう原因はあるだろうが、それらは生まれつきの頭の悪さとは関係ない。

 

VRで外見へのコンプレックスが捨てされて、それが取るべき行動を取る原動力になるなら、別に使えばいいけどね。

だいたいは外見要素がなければ上手くいったのに、なんて幻想が砕かれるだけになる。だってそれは原因じゃないからね。

2021-04-12

受験勉強をしたかった

最近仕事おもしろい。それでしみじみ思うのは、ああもっと十代の頃に、まじめに大学受験勉強を、あるいは血肉となるような勉強を、したかったなあ、ということである


自分はたぶん、学がない。たとえば地名だとか。●●の定理だとか▲▼の公式だとか。単純な暗記と、それに紐づいた概念自分の中で体系づいていない。いちいちインターネットで調べる(インターネットマジでありがとう)。世の中が、自分は覚えていないけれど他人は知っている情報だらけで怖くなる。たぶん高校生、いや中学生のほうが自分よりよほど賢いと思う。たくさん話すと自分バカだということがバレてしまうので、それが怖くて、話すのは注意深くなった。

自分学力に強いコンプレックスがある。その理由は、自分が転落型落ちこぼれだったせいだ。自分高校三年次が、軽い登校拒否状態であった。朝、家を出た後、垣根に隠れて親の出社を確認した後に家に戻り、親の声真似をして学校電話をかけた(「今日子供の具合が悪くて」等)。その後はなにをするでもなく寝るか、あるいは部屋の隅でうずくまっていた。そういうことを週に二回程度おこなった。

登校拒否理由は「授業についていけないから」である。通っていたのは進学校で、一度ついていけなくなるとまるで追いつかない。思えば入学時は、予習も復習も「楽しいから」やっていたが、一度「つらい」と感じるとあとは転げ落ちるようだった。入学時は学年で前から30位くらいの順位だったが、卒業時は学年で後ろから10番目くらいの成績だった。一年から進学塾東進衛星予備校)に通わされていたが全部寝ていた。


臆病な自尊心尊大羞恥心とはよく言ったもので、当然のことながらプライドはずたぼろだった。進学校通っていた子供は多かれ少なかれ皆そうだと思うが、小学生の頃からあなたは〇〇高校に通って、その後は地元で有名な◇◇大学へ行くのよ」と言って育てられる。そうして家族から様々なリソース供給を受ける。実際途中まではうまくいっていたのだ。全部自分が滅茶苦茶にしたのだ。幸運にもなんとか大学地元で有名な◇◇大学ではないが)には行けたが、これに受からなかったら特急列車に飛び込んで死のうと本気で思っていた。


詰め込み型の大学受験については批判もあるが、自分はやはり一定価値のあるものだと思う。とりあえず突っ込んで覚えてしまわないと話の土台に立てないし、十代の柔らかい頭脳からこそ吸収できることも多いのだから。それに大人になってからもっと大学受験勉強がしたかった」と思う人生は悲しい。自分出身大学学歴職歴に不満はない。ただただ自分知識のなさ、愚かさ、根気のなさが悔しく、悲しい。

三十路になって、いまの高校指定教科書を買った。クッソむずいわ。いやほんと、高校生ってすげえのな…。

2021-03-24

anond:20210324140236

塾の月謝は中学生の子供を抱える家庭の大きな負担となっています

高校入試を無くせばこういった負担もなくなるでしょう。

こういう根拠なら

主張すべきは「公営進学塾の設置」とか「中学カリキュラム強化」なのに

高校入試廃止に飛ぶあたり前述の根拠はとってつけた理由なんだろね

2021-02-10

子供ながらに家のお財布事情を察して、ずっと引きずってる話

小学生ときに家庭のお財布事情をなんとなく察してから、どこかずっと遠慮してしまってたかもなという話。

忘れられそうでずっと忘れられないし、かといって人に言える話でもないので書いて吐き出そう。


小学生の頃、いわゆる進学塾に通ってた。

最初共働きの親が夏休みの間の預け先の候補として通い始めた。

楽しくてその後も続けてたらいつの間にか中学受験のレールにのってた。中学受験しました。


放課後や土日に遊ぶのを犠牲にして通っていたけど、自分としては楽しんでいたと思う。講師の授業も勉強も楽しかった。

これは個人的な考えだが、中学受験勉強人生基本的な部分でめちゃくちゃ役立つので楽しく学べるようなら、ぜひおすすめする。


前置き長くなった。


その通ってた塾の夏期講習でどれを受講するか決めるときの話が本題。


プリントが配られ、ご両親と決めてねと言われる。

なるほどたくさんコースがある! お値段も……3万とか4万とか。

基本の4科目コース。これは必修でとっておきたい。たしか全部で20万くらいだったかな。

それとは別に理科実験中心のコースがあった。そのコースだけで5万くらい。

受験必須コースではないが、実験をするから少し高めだったんだろう。

必修コースに加えて実験コースも受けると25万ほど。


理科(特に実験! )が一番好きだった私はそのコースを受講したかたから、親に必修+実験コースが受けたいと言った。

まあ、進学塾に通わせてくれるような親だから学ぶことに対しては基本なんでもOK応援してくれるスタンスだった。

……だったはずなのだが、その時だけは違った。


実験コース……いる? 」


実験コースの受講を渋られたのだ。

私は必死に食い下がった。理科が好きで、実験も好きで、担当講師面白くてとても好きだった。

しかし、母がそのとき溢した。


「でも5万……うーん……受けなくていいんじゃない? 」

ちょっとね……」


20万の価値も、もちろん5万の価値もきちんと分かっていなかった私はそのあとも食い下がったが、結局実験コースは申し込まなかった。

子供心に悲しく、ショックだったのを覚えている。

学ぶ希望金銭面の理由で叶えられなかったような感覚が残った。

あと、月謝の高い塾に通う罪悪感もそのときからどこか感じるようになった。


社会人になったいま考えれば両親の気持ちも分かる。5万は高い。

きっと生活上払うものもたくさんあっただろう。

通ってた塾なんて毎月の月謝は5万以上だったと思う。

頭では理解している。きっと小学生ときも頭では理解していた。

でも受講したかったのだ。

そこから私は受験で国公立しか志望をしないようになった。

中学受験も、高校受験も、大学受験も。

中学受験は、運が良いことに受験した学校はすべて受かった。なかなか偏差値の良い私立も含めて。

でも、蹴って国公立私立は高いし。

高校大学は国公立しかまともに受けなかった。

私立は高いし。寄付金とか言ってくるらしいし……。


ずっと頭にお金のことがあった。

学費でも、高いのは避けたいな。塾もも行きたくないお金かかるから


親にはお金のことは言わなかった。なんか言いづらかった。

親を責めたいわけでもなくて、でもお金のことで遠慮してるのはおそらく事実から。後ろめたさがあった。


親がそれを感じてたのかは分からない。

でも、私が国公立に執着してるから何かは感じてたのかもな。

お金のことは気にするな」とかも言われたこともあった。

私は「制服が好きだからここにするだけ」とか言ってた。実際に制服が好きだったから嘘じゃないけど、ホントお金のことも考えてた。


そんなこんなで大学受験。塾に通う友達を尻目にこれまた頑固に塾に行かない私。


私立は狙ってないからwやればできるからw」


なんて軽口を親には叩いてた。

頭のなかには国公立しか選択肢がなかった。お金からないし。私立やばいもんなお金


塾にも行かず独学でうまく行くほどのストイックさも、頭脳もなく、努力家でもない。


結果、大学受験は失敗するんですが。


いま考えればもっと必死私立でもなんでも入ってれば良かったなぁと思う。

奨学金もあるのにな。


中学受験ときたくさんお金使ってくれたのに、お弁当とかもずっと作ってくれたのに、大学はいれなくてごめんなさい。


今は働いてお金ためて、いいタイミングあったら大学行きたいなと思ってる。

そんなこと言ってるうちにタイミング逃しそうだけど…


何が言いたかたかというと、子供時代大人のぽろっと溢した言葉って、意外と刺さって頭の片隅にずっとあったりするよね。

親を責めたいわけではないから、この話はここに置いたらそのあとは墓まで持っていくつもり。

高い月謝払って塾に行かせてくれたことに本当に感謝してるのに。

責めたいわけでは全くないのに。

それでも今も忘れられないから、たぶん…なにか思うところはあるんだろう。言語化するのは怖い気がして今はちょっとできない。結局は努力できない自分ダメなのだ


いまお子さんのいる親御さんは、お子さんの学びたいと言ったことに対しては、できるだけ叶えてあげてほしいです。

それと中学受験、楽しかったタイプの子供もいるよ。受けてよかったと心の底から思ってます。(いま話題らしいサp……スの回し者とかではないです。ライバル塾だったからサ……kスはあんまりきじゃなかった)


お金事情は、仕方ないことももちろんあるけど、できるだけうま~く隠してあげてほしいです。おたがい無理のしない範囲で。

隠せなくても、なにかフォローをいれてあげてほしいな。

うまくまとまらなかったけど、これで。

読んでくれたひとありがとう

追記

ボロクソに言われて、「ほんとそうですよね……頭悪いんですよ……すみません……」と凹むと同時に「あ?うるせえ見てろや」の気持ちもわいたのではやめに大学受けようと思う。

(頭悪いのと国公立狂いのため現役時代からずっと東大以外浮かばないんだけど、社会人受験するとなると海外とかのがいいんだろうか…)

大学のことが自分のなかで引っ掛かり続けてるのも実感できた。

受かっても落ちても日記書きます。そんときまた読んでくれたら嬉しいよ。

2021-02-04

中学校の思い出

小学5年の終わりに転入した小学から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。

もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループクラスカーストも全部持ち上がり。

よそ者の私は、カースト最下位からスタートだった。

けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。

カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。

途中でクラスに入った私立から転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスカーストが崩れかけていた。

進級のタイミングで、私は名字が変わった。

そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。

家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。

私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。

そして、部活と塾にもその余波はやってくる。

小学からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。

C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。

いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。

しばらくして、C子は別室登校を始めた。

同じクラスの元仲良しグループメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。

私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。

けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちら必死になって勉強してる間、ずっと保健室手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。

つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。

あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。

E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険先生だったかは覚えてないけど。

C子は、3年生に進級したタイミングで完全に教室復帰した。

A子やD子、E子とクラスが別れたのも理由かもしれない。

一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。

中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。

大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からカーストが見えなくなった。

卒業間際に私は色んな人に謝られた。

「助けてあげられなくてごめんね」

「ひどいことしてごめんね」

中には、私が音楽先生推し採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。

けど、私が本当に謝って、理由説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。

A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。

私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。

育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。

けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。

から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。

人に話すと同情されることが多いけど、私にとってはこれもまた、大切な過去の一つなのだと思う。

2020-12-13

anond:20201213092307

https://anond.hatelabo.jp/20201211195535

俺は中学受験をして中高一貫校経験したが、誰も本質を見抜けていないと思う。中学受験意味入学後の環境というよりも、大半が受験勉強をしない小学生の時期に進学塾に通って4年生・5年生頃から確固たる目標に向かって勉強することそのものにある。義務教育学習内容と全く違う思考義務教育だと植木算とか旅人算とか過不足算とかそもそもやらないよね)が必要で、地頭を良くするというと表現が違うかもしれないし、上手く例えることができないが、そういう効果が最大のメリットだ。

から実際のところ、入学後の環境としては多くの人が期待している程ではない。ありふれた子供集団だ。それなりに裕福な家庭は多かったと記憶しているが、大人になった今、それが環境として特段よかったなとは思わない。

2020-12-10

中学受験学歴問題というのが未だにピンとこない

自分中学受験私立に行った側なんだけども

自分場合は両親も自分小学6年生の8月か9月ぐらいまではそんな世界があるとすら知らなくて

元はというと小学校の成績表がどんどん落ちてったんでヤバイと親があわてて適当な塾に放り込んだらそこが進学塾だったという

それで妙に試験結果が良くなっちゃって3カ月ぐらいで一番下のコースから進学コースに上がっちゃって

つの間にか中学受験することになって気が付いたら合格してしまって

 

たまたま親が進学に金出せるぐらいは稼いでくれてたのが生まれ環境の違いといえば環境の違いなんだろうけど

学閥なんて概念すら親は知らなかったし、そんなん別世界だった

 

なお大学受験浪人するまで勉強したことなかったので勉強方法身に付かなかった

親も勉強したことなくて一夜漬けだけでだいたいどうにかなったと言って勉強のやりかたなんて教えてくれなかった

そんなんでも偏差値60ぐらいの学校は受かったし勉強なんてそんなもんだと思った

今となっては後悔してます

 

さておき中学私立に行った結果、地元ヤバイとこで有名な中学校には行かないで済んだことになった

もともと通ってた小学校の段階で学級崩壊先生管理放棄してたんでその進学先は推して知るべきなんだけども

その行くはずだった中学教師が生徒に虐められて失踪したと新聞記事になったのを見たのが中学2年か3年のとき

結果的に親は中学受験は子の危機回避に使えると学習し、自分の下の二人は私立中学進学前提になった

進学先でイジメ行為がなかったかというと実はあったんだけども、自分場合マイルドな程度に収まったと思う

(殴る蹴るはなく、筆箱に弁当の中身を入れられるとかそういうぐらい。小学校だとイジリと直接暴力カツアゲだった)

そんな感じなので中学受験イコール学歴というイメージ全然なくて済まん

自分の頃は高度成長の果実が得られた世代なので考え無しの能天気で済んだけど、

今の衰退の時代学歴ってのは事情がまるで違うんだろうなと、なんとなく推測はする

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