はてなキーワード: 謙遜とは
学科で一番偏差値の高い高校から旧帝大にストレートで合格した。
履歴書を書いたり、面接の準備をしたりするのが、億劫で仕方なかった。
面接では緊張してしまい、自分が何を言っているのかわからなくなってパニックになった。
周りが次々と大手企業の就職が決まる中、夏になっても内定が出なかった。
みじめだった。
夜眠られなくなった。
卒業論文は締切ぎりぎりに提出した。
運転免許は発進前の確認を忘れて、路上教習に出る前の試験に一度落ちた。
悔しくて泣いた。
お世辞を言ったり、謙遜したりすることが出来ず、その人に嫌われた。
2人っきりの時を狙って、延々と罵倒される。
当初の配属から異動があり、電話を取る機会の多い部署になった。
周りでざわざわと声がしていると、電話を上手く聞き取れない。
ADHDの診断を受けた。
生きづらい。
幸せになりたい。
小中ずっと秀才キャラだったのに高校でコンタクトデビュー以降容姿を褒められるようになった
中学の仲良しグループで集まると昔から綺麗な子はかわいい扱いで私はそうでもない
兄は何度か褒めてくれたけど母に顔褒められたことは無い
ただ今どきの顔って感じじゃない
鏡見るときは脳内補正が入る説を信じてるので、調子いい時は自分イケるじゃん!ってなるけど現実は3割減だと言い聞かせてる
冷静に考えて七十点くらいのパーツがあるべきところに付いてる顔って感じ
色白細身で加点されてるのはありそう
でも垢抜けてる気はしないんだよな
とりあえずブスではないのかもしれない
褒めてくれるの嬉しいけど言われ慣れてないから勘違いしちゃうよ
若い女性はお世辞なり社交辞令なり美人やかわいいって言われると思うんだけど、みんなどうしてるんだろう
私は褒められるの嬉しくて全部覚えてる
すれ違う時に急ブレーキかけたと思ったら「かわいいね!」って言ってきた自転車おじさんとかレジで「あなた綺麗ね」って話しかけてくれたマダムだとか、友達の親とか教師とか全部
友人知人だとお世辞を疑って交わせるんだけど知らない人が難しい
私は知り合いでもない人にお世辞なんか言わないから、ひょっとして美人なのかもって勘違いしそうになる
小学生と言えど高学年になるとカップルが生まれ始めてて、勇気ある男子は好きな子に告白してた
ある日男子に告白されたことあるか聞かれて「あるわけない」と言うと意外そうな反応で理由を聞いたら「顔がいいから」と返ってきた
本当にびっくりした
「クラスで三番目にかわいい」って言われたのはそのときで、そのあと一番目と二番目は誰か聞いて確かにかわいいよねって話したのを覚えてる
あれから何年経った今改めて思うけど一番が芸能人、二番がサロンモデルやインスタグラマーだとして、私は三番目なんだよ
三番目ってのはあくまで喩えなので本当はもっともっと後ろの方にいるのは分かってる
要するに中途半端なんだよね
謙遜しすぎるのはウザイけど受け入れすぎて勘違いブスになるのは辛い
いやもうなってるのかな
お世辞って嫌だな
「字なんて誰でも書ける、絵は描けない」
痛いほどわかる。
すごくすごくわかる。
いままでテストの回答や読書感想文、私たちはどれだけの文章を書いてきたのか、どれだけの文章を読んできたのか、もうわからない。
それが面白いかそうじゃないかは知らんが、日本人が読んで意味を理解できる文章は書けるでしょ。
少なくともTwitterをやってる人たちならね。
では絵は?
絵を描く機会、文章を書く機会と比べてどれくらいあった?
ほとんどの人は図工の時間と美術の時間、後せいぜいノートの端っこの落書きくらい。
でもクラスに数人はいる、絵を描くのが大好きで、何度も何度も白いページを埋めてきた人たち。
そりゃ上手くなる。たとえ描いてるその時上手くなくたって。
私は絵を描けるようになりたくて高校の時にほぼ0の状態からワンドロめちゃくちゃ描いてみたりしたけど上手く描けない自分に嫌気がさしてやめちゃった。ずっと続けてたら今は見れるレベルの絵が描けるようになってたのかな。それはわからないけれど。
絵も文章もみんな何度も繰り返し繰り返し書いたり描いたりしてきたから、今上手になったんだよなぁ。
ただ文章は書ける人が圧倒的に多くて、絵はそれに比べると少ない。そういう話。必修じゃないから。
あれ、なにを言いたいんだっけ。本題とか何も考えずに書いてた。本題、なんだっけ。
ま、文章書けるって言ってもセンスの違いとかあるよね。「日本語として読める」文を書くことと「面白い」文を書くことってハードルの高さ相当違うわけで。
面白くない文章はその辺にいっぱい転がってる。この文章もそう。
でも誰かが、義務でもないのに、最後まで読んでくれる文章を書けたなら、それは誇っていい。人に興味を持たせる文章を書くことに成功しているのだから。
たとえ文章を書く能力を持っている人が沢山いて、自分がその中の小さな小さな一人だったとしてもそれは────ここまで書いてさ、文章書くの飽きたわ。ごめん。
最後まで完結させられる人、天才だよ。えらい。最後まで書けない人、多いよ。私みたいにね。
でもここまで読んでくれてる人がいるってことが、この文章が人の感情をマイナスかプラスかに1ミリくらい動かしてるって証明よ。
この文章を読むことは決して強制されたことではない、ここまで読んだ人はみんな能動的に読んでる。
最後まで読んでくれてありがとね!閉廷!
よく言えるよねって思う。
私はいわゆる字書きをしている。この場合は小説で同人活動をしているという意味だ。
なんでイラストでも漫画でもなく字書きになったかというと、小さい頃から字がいっぱいある本が好きな活字中毒気味の子どもだったから。小学校高学年くらいの時点で読書量は断然小説>>>>>漫画だったし、学級だよりに文章が採用されたり、作文が全然苦痛じゃないタイプだったので、二次創作を自分でもやってみたいと思った時の選択肢は字書きしかなかった。
生産する側としてはずっと字書きだけど読む側としてはイラストも漫画も小説も全部見る。それで小説書いてる人が「絵が描けないから小説書いてます」みたいなこと言ってると本当にがっかりする。
がっかりというか、なんか心の中にそのまま言葉にしてはいけないものがこみ上げてくる。
まず一つ目。
絵が描けないって言っても、それは「両手が不自由だから。文字入力ならできるけど」とかの理由で物理的に描けないという意味であることはほとんどないと思う。だって絵を描くだけなら手を自由に動かせて筆記用具と紙があればできるじゃん。△の下に□を描いて家!これだって絵じゃん。
だからそういう人たちの「絵が描けない」は「自分の頭の中にあるものを人に見せて恥ずかしくないクオリティで絵として表現できない」の意味なんだろうけど、じゃあそれは小説ならすぐできると思うの?ってなる。
絵を描く人たちだって、最初から自分の頭の中にあるものを自由に表現できたわけじゃないよね。もちろん小説だって最初から思うように書ける人だけじゃない。
絵は努力しないと描けなくても小説なら自分でも書けると思ったの?努力が嫌で楽な方選びましたって宣言して恥ずかしくないの?
描けないっていうのは才能じゃなくて環境の話なのかな。タブレットとかペイントソフトが高価で手が届かないとかPC持ってないとかスペック足りないとか?でも絵を描くだけなら最低限チラシと筆記用具があればできるよね?
確かに小説はWindowsに入ってるメモ帳でもスマホぽちぽちでも書けるけど、それを言うなら絵だって今はスマホのお絵かきアプリあるし、さっき書いたチラシの裏だっていいんだよね。
二つ目。
「○○ができないから××にしました!」とか、よく胸を張って言えるもんだなって思う。謙遜のつもりだったら失礼すぎない?
私は最初から小説しか頭になくて、小説で悩んだり苦労したりしながら創作を楽しんで来た。そうやって自分が選んで一生懸命頑張ってきたものを、第一希望が無理だったから仕方なくこっち来ました!って言われてるんだよ。
「本当は野球やりたかったけど無理だからサッカーやってます」「本当はヴァイオリンやりたかったけど無理だからピアノやってます」「本当は事務職やりたかったけど無理だから営業職やってます」(思いつきを並べただけなので○○と××を入れ替えたり好きなものを当てはめて読んでもらっていいです)みたいなことだよ。そういうの字書きはもちろん、最初から絵を頑張ってきた絵描きさんにも失礼な気がする。
絵描きさんに対して絵が描けてすごいですね!と伝えたいならそう言えばいいじゃん。私も本当は絵が描きたかったんですけど…って違うんじゃないの。
この話は昔から色々言われていたみたいで「絵が描けないから小説」でggるといくつもヒットする。「そういう人は結局小説でもうまくいきませんよ」とか「最初はそれでもいいと思いますよ」とか色んな意見があるけど、今現在もともと小説が好きで最初からずっと小説書いてた者としては見かけるとシンプルにいらっとくる、という話。
でも毎回とても苦労して書かれているのだろうということは分かる。
絵も小説も関係なくとにかく感想を書くのが好きで読んだらすぐに感想を書きたくなる。
簡単に感想や気持ちを伝えることが出来る。毎回毎回長くなって文字数制限に引っ掛かることもある。
こんな末端の感想なんかに時間を取られてはいけない。ましてや返信などに時間を割くべきではないのだ。
そんなことをするなら新しい作品を描いて欲しいし、なんならゆっくり休んで欲しい。
なのに時々、返信不要と書いても丁寧に返信してくる神がいる。
次に送る時も「一切の返信は不要です」と書いた。
またお返事を頂いてしまう。
そんなことを思うと感想を送るのをついつい控えるようになってしまった。
作品を更新されたのを見て、あ、この人は返信される方だ、この人は送っても大丈夫な人だ。そんな風にチェックして最近はすっかり送るようになってしまった。
そんなある日、私が感想を送るのを控えている神絵師が「最近感想がまったく貰えない」とツイートしていた。
感想送りたいな、と思ったが仕事が忙しいというツイートもたくさん前後にあったのでやはりまた御返事に時間を割かれるのではないだろうかと躊躇ってしまった。
それは分からなかった。
でもあの神が私なんかの返信不要の感想にわざわざ触れなければ私はもっと感想を送っていただろう。
返信不要とあるのだから、神はわざわざ返信なんてしなくて良い。
謙遜でも遠慮でもなく、どうぞ文面通りに受け取って欲しい。
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見た目より中身の価値に自信があるという前提の上で「中身を見て欲しい」は価値の評価について前後の脈絡が正しく並んでいると言える。
しかし、「自分は中身に自信がある」という人は少ない印象がある。
謙遜で言わないケースもあるが、「中身こそ全く自信がない」というケースもあるだろう。
そうなると、例えば人を訪ねて手土産を渡し、「これはつまらないものですが、良いものだと評価して下さい」というような話で、これは全く矛盾している。
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ここで「好きになって欲しい」をただ単純に受け止めて好きになるのでは無く、「価値の発見」という手順を踏んだ上で好きになり、かつ「全く評価できない点」はその存在を多めに見る、あるいはそれも個性として評価すれば、「価値を認めて好きになる」可能性が生まれる。
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つまり、本気でナチュラルに自信を纏っている女性ではない女性がいう「見た目より中身を好きのなって欲しい」は「私自身も分かってない私の魅力を見つけて好きになって、なおかつ私が全く好きになれない部分は許して欲しい」という心情を意識しているか無意識かに関わらず表現した言葉であると思われる。
本気で申し訳ないとか思ってるようにも見えないけど…
幸福過ぎてつれーわ、周りに嫉妬される自分つれーわ、って言ってるだけだし
自信なかったら「周りは敢えて謙遜してるだけで実際は大して不幸でもないのだ」くらい思うんじゃない?
不思議なのは、なぜその奥さんが、知り合いでもない単なる一常連客の情報を詳しく知っているのか、ということだ。
小さい子供がいることまで知っている。
その子供を家において、食べに来ることも知っている。
土曜日の店番が奥さんに変わった時、初対面なのに奥さんの増田に対する態度が冷たかった、とのことだが
当時現場にいなかった奥さんが、その情報を知る手段は「旦那からの話」「第3者からのタレコミ」以外ない。
推測だが、シェフが「土曜日に来る綺麗な女性客が親しく話をしていて怪しい」と妻にたれこんで
妻激怒の上、夫に激詰め、シェフは転職(という名目の辞職)、妻監視目的での土曜日勤務に参戦、という流れじゃないのだろうか。
40歳で30年以上続けている趣味で発表会があるもの、といえばピアノやバイオリンの楽器系かバレエ・ダンスの踊り系しか思いつかない。
増田は謙遜しているが、おそらく実年齢よりも若くみえ、スタイルもいいのではと思う。
2年間で20回ぐらい行った程度の店の店主に、親しく家の中のことから趣味のことまで話をした増田の脇も甘かったと思う。
そもそもバールのようなカウンター形式ではなくビストロで、特定の客と細かい話をする店主もどうかと思う。
私なら、違う客の立場でそういう店主と常連の馴れ合いの姿を見かけたら、たぶんその店は二度と行かない。
おいしい店は他にもたくさんあるので、気を取り直してまた開拓してほしい。
ガニメアンには面子というものがなかった。自分の誤りが明らかであればそれを認めるのに毫もやぶさかでなかった。自分のほうが正しかったとわかっても、ガニメアンは自己満足を味わうということがなかった。自分のほうが優れているとわかっている仕事を他人がしても、彼は黙って脇で見守った。地球人には到底真似のできかねることだった。立場が逆で、傍に自分よりも優れた者がいればガニメアンは遠慮なく助力を求めた。ガニメアンは威張らず、驕らず、決して他を貶めなかった。一方、彼らは自ら卑下せず、謙遜せず、決して他に媚びなかった。ガニメアンは間違っても脅迫的な言辞を弄さず、また仮に他からそのような態度を示されたとしても一向に恐れる気配はなかった。彼らの言動ならびにその言動に伴う態度には、自身の存在を主張し、優越を求めるものはかけらほどもなかった。心理学者の多くは人類社会におけるこの自己主張が、共同生活の中で抑圧された闘争本能の発揚に代わる儀式であると認めている。だとすれば、ガニメアンには人類における抑圧された闘争本能に当たる感情が欠落していると考えるしかない。
——ジェイムズ・P・ホーガン『ガニメデの優しい巨人』
>この風の表現、似たようなエフェクトが前の話数で出てきてたと思うから参考として探してほしい。
めんどくさいと思うけど頼めますか?
と返されて、ん?と引っかかった。
こんなことぐらいしか出来ないのであれば、ペッパー君で十分だぞ…と…
原画上がりを演出に持っていく、その後監督作監総作監…と物を回すだけならペッパー君で十分では…。
絵を描くのはクリエイター側でその他雑用が制作進行の仕事、じゃないでしょう。
制作進行の違いで画面は全然変わりますよ、”作品作りに関わる大事なスタッフ”って認識持ってないから「こんなことぐらいしか~」って発言になるんだよ。
まあ謙遜とか相手への敬意でこういう発言をしたのかと思うけど…
結局後日
>探したんですけど無かったです
>(無いわけないだろ…)わかりました、じゃあこっちで探します。
>7話のC198でした。おそらくアクション作監が全修してると思うのでレイアウト上がり後のスキャンデータでなくアクション作監後のデータ下さい。
・ネットが普及して30年くらい、またスマホの普及でさらにSNS等で個人レベルで世界に情報発信・また世界の情報収集できるようになったから。
・一部の環境での問題があっという間に世間に拡大し、それに対してそれそれが主張をするうちに、近い考えを持つ集団が形成され、それが市民権を得たと
・グローバル化の名のもとに古来の日本人的価値・思想が破壊されたから。(良い方向と悪い方向、両側に向け猛スピードに成長)
・「遠慮・配慮・謙遜・譲り合いの心」まで破壊され、「なんでもあり・言ったもん勝ち」がまかり通る風潮になったから。
・「誰もが責任を取らなくなった」から。(教育が悪い・テレビが悪い・ゲームが悪い・政府が悪い・政治が悪い・「アベが悪い」「左翼が悪い」)
・・・みんな誰かのせいにして「自分は悪くない」って言ってしまうことにも抵抗がなくなってきているし・・・
昔のほうが良いとは言いませんが、世の中どんどん歪んできていると思いますよ。