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見た目より中身の価値に自信があるという前提の上で「中身を見て欲しい」は価値の評価について前後の脈絡が正しく並んでいると言える。
しかし、「自分は中身に自信がある」という人は少ない印象がある。
謙遜で言わないケースもあるが、「中身こそ全く自信がない」というケースもあるだろう。
そうなると、例えば人を訪ねて手土産を渡し、「これはつまらないものですが、良いものだと評価して下さい」というような話で、これは全く矛盾している。
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ここで「好きになって欲しい」をただ単純に受け止めて好きになるのでは無く、「価値の発見」という手順を踏んだ上で好きになり、かつ「全く評価できない点」はその存在を多めに見る、あるいはそれも個性として評価すれば、「価値を認めて好きになる」可能性が生まれる。
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つまり、本気でナチュラルに自信を纏っている女性ではない女性がいう「見た目より中身を好きのなって欲しい」は「私自身も分かってない私の魅力を見つけて好きになって、なおかつ私が全く好きになれない部分は許して欲しい」という心情を意識しているか無意識かに関わらず表現した言葉であると思われる。
ようわからんけど、表面的な評価ではなく、心理的な結びつきを実感したい、くらいの意味じゃないの?
共感重視ね、なるほど。