「字なんて誰でも書ける、絵は描けない」
痛いほどわかる。
すごくすごくわかる。
いままでテストの回答や読書感想文、私たちはどれだけの文章を書いてきたのか、どれだけの文章を読んできたのか、もうわからない。
それが面白いかそうじゃないかは知らんが、日本人が読んで意味を理解できる文章は書けるでしょ。
少なくともTwitterをやってる人たちならね。
では絵は?
絵を描く機会、文章を書く機会と比べてどれくらいあった?
ほとんどの人は図工の時間と美術の時間、後せいぜいノートの端っこの落書きくらい。
でもクラスに数人はいる、絵を描くのが大好きで、何度も何度も白いページを埋めてきた人たち。
そりゃ上手くなる。たとえ描いてるその時上手くなくたって。
私は絵を描けるようになりたくて高校の時にほぼ0の状態からワンドロめちゃくちゃ描いてみたりしたけど上手く描けない自分に嫌気がさしてやめちゃった。ずっと続けてたら今は見れるレベルの絵が描けるようになってたのかな。それはわからないけれど。
絵も文章もみんな何度も繰り返し繰り返し書いたり描いたりしてきたから、今上手になったんだよなぁ。
ただ文章は書ける人が圧倒的に多くて、絵はそれに比べると少ない。そういう話。必修じゃないから。
あれ、なにを言いたいんだっけ。本題とか何も考えずに書いてた。本題、なんだっけ。
ま、文章書けるって言ってもセンスの違いとかあるよね。「日本語として読める」文を書くことと「面白い」文を書くことってハードルの高さ相当違うわけで。
面白くない文章はその辺にいっぱい転がってる。この文章もそう。
でも誰かが、義務でもないのに、最後まで読んでくれる文章を書けたなら、それは誇っていい。人に興味を持たせる文章を書くことに成功しているのだから。
たとえ文章を書く能力を持っている人が沢山いて、自分がその中の小さな小さな一人だったとしてもそれは────ここまで書いてさ、文章書くの飽きたわ。ごめん。
最後まで完結させられる人、天才だよ。えらい。最後まで書けない人、多いよ。私みたいにね。
でもここまで読んでくれてる人がいるってことが、この文章が人の感情をマイナスかプラスかに1ミリくらい動かしてるって証明よ。
この文章を読むことは決して強制されたことではない、ここまで読んだ人はみんな能動的に読んでる。
最後まで読んでくれてありがとね!閉廷!
「日本語として読める」文を書くことと「面白い」文を書くことってハードルの高さ相当違うわけで。 絵も同じやで。
うんち
小説を書くということは「字を書くこと」ではなくて「物語を作ること」だと思うんだが 「字を書くこと」は書道とかだろ
作家とも小説家とも名乗れないアマチュア小説家の自称が「字書き」だからね。
でも誰かが、義務でもないのに、最後まで読んでくれる文章を書けたなら、それは誇っていい。人に興味を持たせる文章を書くことに成功しているのだから。 「なるほど~」と思いま...