はてなキーワード: 系統とは
軍の統制が取れているというのは、
「いま一生懸命ネットを調べてきた身についてない知識」丸出しです
はあ?
「近代軍でも数割死んだら維持出来ないのに古代戦争のキングダムでは何故維持できるんでしょうか」
みたいなこと言ってるんでしょ?
島津ww
最強グイシーマンヅ来たよこれ
元増田や賛同ブコメは違和感が無視出来ないほど酷いって話をしてんだよ
お前は頭が悪くて皆の話に参加できてないんだよ。
キングダムに違和感持てる程度のリテラシーや思考力を身につけてから参加しような。
君が20歳以上でそのざまなら多分この先も一生無理だろうけど。
全員同系統の服装、同系統の髪型、一糸乱れぬダンス、それが苦手な理由。
なんか息苦しさを感じる。朝日新聞においては高校球児とそれを取り巻く環境はこういうのが望ましいんだな、という。
嫌いになったのは、女性の部長が甲子園見学中に打席に立ってスイングしたのを注意された件を知ってから。
もちろんルールはルールだし、女性部長の行動は軽率だったと思う。
ただCMだと女性がグラウンド内で踊っているじゃないか、と思ってしまう。
もちろんこれはいちゃもんだ。同志社香里高校・大阪府立今宮高校・大阪府立登美丘高校のダンス部の方々にはなんの問題もない。100年かけて築かれてきたきたものに対してとても敬意を示したダンスだと思う。
異国の地を見物するだけではなく、自分を受け入れてもらうっていうプロセスがあるのは子供ながらに面白いと感じていた。
いまは海外のトンデモ文化をお笑い芸人が体験しました、おかしな人に会ってきました、みたいな番組だけが残ったように感じる。それはそれで好きなんですけどね。
題材は海外文化じゃなくてもいいんだけど、「知らない世界に飛び込んで何かをやり遂げる」系の番組は面白い。
その系統だと仕事ハッケン伝っていう番組も面白かったのに、いつの間にか新シリーズが作られなくなって残念。
受け入れ先の確保は相当苦労するだろうから。
ああいう番組ができたのはテレビ局にお金があったのもあるのかな。
うーん、骨のある番組が見たい。
おっぱいが大きい人にどうしてもおっぱいが大きいことを褒め称えたいときになんていえばいいんだろう?
「すばらしいスタイルですね」というのと「ウヒョー!すげえおっぱいだぁ!」の間だよな。
ただ、おっぱいが大きい人、とくに日本人だと「すばらしいスタイル」はウソになるよな。たいていがトランジスタグラマの系統だし。
でもまあそんなの関係ないよな。胸をホメたいのだから。バランスなんか褒めてどうする。大きい胸は大抵の場合バランスを崩すもんだ。
「すてきなお胸でらして」ってのもバカみたいに気持ち悪い。ああ、キモチワルイでいうと「すばらしいスタイルですね」もそうだよな。
ううむ。結局だまってるほうがいいのか。
ただ、短い人生だし、思ったことで、「いいこと」はなるべく人に伝えていきたいんだよね。
どうしたらいいんだろう?
増田トラバーの方々とかぬかしてるけど、長文でマウンティングかましてるのは全部俺だぞ。
それはいいとして、元増田の疑問や問題意識にはあまり響いてないようなので、少し切り口を変える。
【伝統】
様々な試論はあるが俺個人の考えでは、いくつかの文化が政治的経済的な諸々の要因と分かち難いレベルで結びつき、民族という単位でまとめあげられたものが伝統と呼ばれるものの正体なのだと思っている。
便利だから続けているライフハックの類は習慣と呼ばれるが、こちらには民族的な色彩はない。
伝統はそうではない。伝統は自らの民族を語る上で欠かせない要素であり、我々を我々たらしめるものだ。
そして我々と彼らを分け隔て、区別する為のものでもある...というのがギリシャ時代からの人々の認識だ。
しかし、伝統とは漠然と存在するものではない。あくまで異文化と接触して、彼我の違いを知り、
その違いこそが我らの唯一無二の価値だと見出すことなしには伝統という名を冠す事ができない。
だから、常に伝統は危機に晒されている。文化は戦争だ。負けたら我が民族の権威が失墜する。
そんな政治的経済的文化的な理由で弄ばれてきたのが伝統の正体なんですよというのが輪島さん達の考え。
そこまでは元増田も正確に読み取ってるなと思ってる。
「伝統は良くも悪くも我々の根幹に関わるものである」というある種の信念ではないかい?
というのも、実際にそういう人達にスポイルされた悲しい伝統というものが古今東西あって、
その問題提起が例の本だったと思うんだよな。
バルトークという作曲家がいるのだが、彼は作曲家であると同時に民俗音楽研究家でもあった。
今にも失われそうな子守唄、労働歌、踊り、気晴らしの遊びや口説き歌など膨大な歌と音楽や舞踊を採譜した。
それらの蒐集とそれぞれの作品の分析を通じて、民族の音楽とは何ぞやというテーマを深く掘り下げ、
彼らという民族を民族たらしめるものを特定し、伝統という名のバトンの受け渡しの大きなうねりに作曲家として、愛国者として身を投じようとした。
バルトークの作品群の中でも編曲作品は明らかにこうした政治的意図を持っている。
しかし、彼の音楽研究は結局の所、労作であるハンガリー民謡を読めば分かる通り、うまくいかなかった。
暗雲立ち込める祖国の中で閉塞感を感じ、積極的に行ってきた民謡の蒐集からもやがて興味を失い、
音楽的ひきこもりといえるような苦悩を臆面もなく吐くようになってしまう。
追い討ちをかけるように、愛国者バルトークはハンガリーウヨからもルーマニアサヨからも批判される事態に陥る。
時間には3種類ある。
痛覚を切る準備。
あっちの近道は登校する小学生に囲まれて1分のディレイ。過去8回中4回。
出口まで最短は4号車、同僚と鉢合う確率が一番高いので、
改札前で人にぶつかる。振り返ったので5秒ロス。邪魔。
右2が混んでたので4までスライド、前のババアが突っかかる。邪魔だ。12秒ロス。
ホームから上がってくる群れにコースを消される。迂回で45秒ロス。クソが。
1号車まで行く時間が足らず4号車に乗る。狭い。
最悪だ。駅に着くまでこちら側のドアは開かないが、
この体勢はスマホが出せない。終わった。
隣のおっさんは臭い。タバコと生乾きの臭い。臭い移る。離れろ。
どっかから漂ってくる香水は頭が痛くなる系統だ。妄想どころではない。
駅に着く。時間を稼ごうとするも群れの流れに押されて出口を出る。
ああ。あそこの角から同僚が出てくる。うっわ。クソが。
どいつもこいつも邪魔ばっかりしやがって。
痛覚が切れなかった。
はてなブックマーク - 西日本豪雨被害拡大 政府はこの間、何をやっていたのか |日刊ゲンダイDIGITAL
この記事でいくつか気になるところ
宴会終了から約4時間後、京都府知事が最初の自衛隊出動要請を出したが、安倍も小野寺もシラフで対応できたのか。(日刊ゲンダイDIGITALより)
自衛隊法上その他の行動においては、内閣総理大臣や防衛大臣などの承認や命令が必要とされるなど非常に制限が多いが、災害派遣は、災害時の秩序維持において有用で、武器の使用については治安出動とは異なることから、
都道府県知事のほか、海上保安庁長官、管区海上保安本部長及び空港事務所長からの要請により、駐屯地司令など2佐程度の自衛官でも命ずることができる非常に緩やかなものである。
非常災害対策本部を設置しても、安倍首相は本部長の小此木八郎防災相に任せきりで、私邸にこもるなど当事者意識ゼロ。少なくとも官邸に詰め、歴史的な豪雨対策の陣頭指揮に当たり、救命救助の現場にげきを飛ばすべきです。(日刊ゲンダイDIGITALより)
非常災害対策本部は設置するのは首相ですが、対策本部を指揮監督するのは国務大臣(今回は防災相)です
首相が陣頭指揮にあたると指示系統が複数できてしまい混乱するでしょうね(というか法律上指揮監督できないのでは?)
ちなみに首相が陣頭指揮をとるのは「緊急災害対策本部」の場合です
第二十八条の三 緊急災害対策本部の長は、緊急災害対策本部長とし、内閣総理大臣(内閣総理大臣に事故があるときは、そのあらかじめ指名する国務大臣)をもつて充てる。
安倍が寝ずの番で気象庁に「しっかりやれ」とハッパをかけていれば、対応も変わっていたはずだ。(日刊ゲンダイDIGITALより)
こんなことやられたらクッソ邪魔じゃね?
ミクロとマクロで~ みたいな話で同じ事柄が言い方や見方で違うとか自分の都合のよい話にもってこうっての見かけるけど
視野とか距離感とか観察対象の最小単位の切り方で全部別物なので「ミクロとマクロがおなじ事柄について語ってる」て事自体が存在しないので
別物であるから同列にならないので「ミクロ と マクロ」という別個の二つになるはずのものが
「ミクロとマクロで 同じものが二つの意味をなす」みたいに「同じもの」扱いするのがおかしい
意味や質が変わった時点で別物なので 同じなのに違っている みたいな言葉遊びをするから 同じものだと思っちゃう人がでてくるし
同じものなのに違うのはなんでとかいう意味のわからない質問をしてくる人もでてくる
あなたのもってるコップの水と私のもってるコップの水とみんなのもってるコップの水の成分がまったく同じだったとしても
全部の意味と用途と価値は別物で「同じ水だから」とか「同じ水なのに」などとは言えず「合成の誤謬」などという言葉で同一系統に並べられるべきものではない
スケールの違うものでそれぞれ単位「1」が違うのに「1」という単位で言えばと逆算することに意味はない 誤謬というレベルでもない
個人の主観に落とし込んで体感的に理解しやすくその齟齬を表現しようとしたものだとは思うがミクロ・マクロといった形容をそのまま説明に使ってくる様子は滑稽
主人公の仲間だったのになんか誘惑に負けて敵側に回ったくせに、最後には俺が悪かったと改心した挙げ句にそれを軽々と許せる主人公一行。
とにかくイケメンと美少女ばかりでいいセリフぶん回してるだけのゲームばかり量産されていてゲーム業界も単調すぎじゃないかと。
イケメンと美少女が悪いのか?というわけではない、登場人物にそれらが多すぎる。
見た目ばっかり気にしすぎてて、妙な3Dデザインだったりするゲームも多くて、見た目で選んでるユーザーしか狙ってないだろって感じ。
昔からそういう系統だとテイルズシリーズなんか単調の単調で定番作といえる。
決して面白くないわけじゃないんだけど、大体くさいセリフを何度も何度も繰り返しているだけで、全然学習してないだろ登場人物たち。
前を進むと決心したんなら、それ以上喚かないで良いから、サクッとボスを倒して世界を平和にしろよ!と突っ込みたくなる。
テイルズ以外もあるけど、とりあえず頭に思いついたのがそれだったのでそれで話をすると、
じゃあエクシリア2はどうかというとユーザー間では酷評だったが、2の方がよっぽどマシに見える。
あそこまでぶっ飛んでいて且つ決して美少女と言い切れない描写してるのは良い。ああいうので良いんだよ。
主人公一行にいる人物ってジレンマは抱えていても、大体が綺麗事ばっかりで見た目だけのスッカスカ。
もっと汚い顔見せて良いんだよ。凶悪そうな顔見せて良いんだよ。
イケメンもそう、凶悪な顔見せてジレンマに苦しんだって良いし裏切るんならとことん裏切って主人公を苦しめていい。
うわー…こいつゲスだなぁ…と思えても、それが作品に味を出している。
DQ11の話もしてしまうと、あれもきれいごとばかりになりすぎてもったいなかった。が、決して悪い作品でもなかった。
カミュなんかは皮肉屋って感じを出しながらも、苦しんだり弱い所を見せたりして人間らしさが出ててよかった。
グレイグもそうだった。かたっ苦しい奴で一方通行すぎるという部分と間違ってることは間違っていると認められていたのは良かった。
その後、笑って主人公が許したのはちょっと納得いかなかったが。
やっぱりイケメンと美少女ばかりになりすぎて、それが作品の味を逆に悪くしている。