ミクロとマクロで~ みたいな話で同じ事柄が言い方や見方で違うとか自分の都合のよい話にもってこうっての見かけるけど
視野とか距離感とか観察対象の最小単位の切り方で全部別物なので「ミクロとマクロがおなじ事柄について語ってる」て事自体が存在しないので
別物であるから同列にならないので「ミクロ と マクロ」という別個の二つになるはずのものが
「ミクロとマクロで 同じものが二つの意味をなす」みたいに「同じもの」扱いするのがおかしい
意味や質が変わった時点で別物なので 同じなのに違っている みたいな言葉遊びをするから 同じものだと思っちゃう人がでてくるし
同じものなのに違うのはなんでとかいう意味のわからない質問をしてくる人もでてくる
あなたのもってるコップの水と私のもってるコップの水とみんなのもってるコップの水の成分がまったく同じだったとしても
全部の意味と用途と価値は別物で「同じ水だから」とか「同じ水なのに」などとは言えず「合成の誤謬」などという言葉で同一系統に並べられるべきものではない
スケールの違うものでそれぞれ単位「1」が違うのに「1」という単位で言えばと逆算することに意味はない 誤謬というレベルでもない
個人の主観に落とし込んで体感的に理解しやすくその齟齬を表現しようとしたものだとは思うがミクロ・マクロといった形容をそのまま説明に使ってくる様子は滑稽
こういうミクロな話をしているときに、マクロな話を持ち出して論破した気になってるやつ多いけど本当に馬鹿だと思う 個人レベルで見たら合法的に小学校に入れるとか紙の書き心地が...
ミクロとマクロで~ みたいな話で同じ事柄が言い方や見方で違うとか自分の都合のよい話にもってこうっての見かけるけど 視野とか距離感とか観察対象の最小単位の切り方で全部別物...
選挙は元からマクロの話で、マクロで語るべきことをミクロで語ってドヤ顔するのがそもそも馬鹿なんだろ。
意味不明なんだけど。個人レベルで選挙に行く意味があるかどうかっていうミクロな議論はすべきでないってこと?