はてなキーワード: 痛車とは
私はもともとガルパンファンで、何度も大洗に行くくらい好きだった。
しかし、いろいろな実情や態度の違いなどを見るうちに、
ガルパンおじさんのマナーの良さ、大洗は良い町という声に疑問を持つようになった。
書きなぐる場所もないので、今回はここに吐かせてもらおうと思う。
全ての宿がとは言わないが、古参が宿を貸し切りにして、気に入った人だけを呼ぶみたいな
一部店の方々も、レイヤーや古参と新参で一気に態度を変えてくる。
もちろん態度が変わるのは当たり前かもしれない。ただ変わりすぎだ。
僕は店の方がそれらの人と話している最中にお会計を頼んだら舌打ちされたこともあった。
祭りの時にレイヤーや痛車を客寄せに雇うことも増えているようだが、それが1つの
アピールポイントみたいになってしまっていることがまた、オタクの自己顕示欲発表会となっている。
感じたのが、もう新参が仲良くなる隙がないほどにもう交流が出来上がっていてしまっている点だ。
もはや限界集落のような狭いコミュニティが完成してしまっており、外来者には踏み込む隙がない。
何度も通って、常連になろうとしても、もう常連の枠が埋まりきっているような感覚に陥った。
もちろんこのスタイルで経営が潤っているのだろうから、やめろとは言えない。
だがしかし、内輪の中の世界を見て、マナーが良い、良い町って言ってるのは
周りの見えていない、自分さえよければそれでいいと思ってる人たちだなーと考えてしまう。
だから問いたい。
ガルパンおじさん・レイヤーは果たしてほんとにマナーが良いのか?
大洗はほんとに良い町なのか?
リケジョさんは割り切ってるね
男性さんはよくラノベでお嬢様に「そんな、人前で●●なんてはしたないですわ」っていわせて「ひと目がないからええやろ!」で結局お目当てのはしたない行為をさせてウハウハするよなあ
ライトなSッケMッケ大いに結構、2人きりの寝室か妄想のなかでならやってくれよご自由に。恥じらいをプレイ化するのも大人の遊びの一つだからな
ただな、なんでそれを公共、つまり新宿駅とか献血ポスターってことだが、そこで「ひと目がない」わけじゃない「はしたない行為」させるの、っていう話
もっというと言葉責め、まともな人間なら「はぁ?」以外の返答にこまるような「注射怖いんだろ」っていう子供みたいな絡み。
設定上親しい人しかいないはずのシーンなんだろ、わかるよ、でも恥じるべきセリフだよそれは。子供にいったらいじめだろそれ。他人に聞こえるとこでいうなよ。
やーいトイレで大便ブリブリ、みたいなもんだろ。だれだって痛いのは好きじゃないよマゾ以外。
それを押してすでに献血やってるのになんでサドっ気絶頂顔女の巨乳を添えてそれを駅の雑踏の中においたか。
普通に視線でバカ女か・・って原作レイプされるためだろ、白痴っぷりが痛々しいんだよ
新宿駅の中でもキャラと二人きりで親密なはしたない関係にひたれる妄想力ある男子は何ら違和感ねえのかよ
何人も増田にきて「おれもさすがにあれはちょっと」っていってる男子いただろ それが普通なの
「痛車」以上に痛々しいよ むしろ痛車(最近は公式痛車もあるし公式レースにも出てるぞしらんのか)のキャラのほうがたいていキリッとした表情で安心してみてられるわ
TPOをわきまえない白痴キャラに免罪符のつもりで巨乳を添えて啓蒙ってウエメセで人前に張り出すなよ大々的に バカか
だから巨乳の無駄遣い、「愛嬌」=女の良い部分の無駄遣い、性的消費、っていわれてんだよそろそろわかれ
リアルでいたら説教されること(たとえば昭恵夫人が赤十字にたのまれて同じことをやれば必ず文春砲の標的になる)をなんでキャラに平気でさせるんだ
っていうとオタクは「キャラは女だけど人間じゃないからいい」っていうんだよな
年々参加者増えてどんどん規模大きくなるけど、学祭みたいな手作り感がする不思議なイベントになったなー。あんまり、企業っぽさがないというか。
(展示物等に企業はいるけど、地元の人間が主催して田舎のお祭りって状態でやってる)
TOYAKOマンガアニメフェスタ っていうオタクのイベントだよ。
道民でさえ「なんであんな辺鄙な場所でイベント?」ってくらい田舎。
交通費はバスで片道2700円程、JRで特急代含めて5000円程。
イベントは二日間あるので両日参加しようと思ったら宿泊は必須。
痛車の展示
約7万人規模
フォトスポットがとにかく広いから自転車、車、船で移動したりする。
(たぶんロープウェーも乗れるのか?)
洞爺湖のアクティビティはほぼコスプレのまま利用できると考えていい。
宿が足りない。
スタッフが足りない。
公式ホームページが見づらい。
ここまで言ったけどたぶんまた行く。
痛車やってる自分が好きなだけ、痛車のコミュニティに入りたいだから、仕上がりはどうでもいいのだ。目的が違う
そうではなく本気でやってもあの仕上がりなら、人それぞれ美的感覚やデザイン感覚含めた成長速度は違うのだから上から目線で排除すべきではない
痛車は車体のデザインや本来の色を考慮しながらオタク要素を全力で取り入れるものだと思ってるので、
統一感の無いステッカーをベタベタ貼って小学生の箪笥みたいな仕上がりのものはちょっと違うのでは?と感じている
いわゆるセンスの方が痛くて見てらんないケース(痛車自体痛いだろというのはナシで
キャラクターの解釈にこだわりを持ってイメージに沿ったラッピングやインテリアをしてくる人の車は痛々しくても一台の車として完成している
そういう車が大半の中で、車体の色形を考慮せず、作品もゴチャゴチャでとりあえず貼ってオタク感出しましたwとスベってる車は見ていて辛い
今年もあんこう祭に行きました。
楽しみだった訳でもなく、行って楽しんで来た訳でもなく。
むしろなんで俺はここにいるんだろうと思った始末。
俺が脅迫観念めいた動機であんこう祭に行くようになってからどれくらい経ったのだろう。
とにかく最近は、「行かないと後悔する」という動機であんこう祭に参加している。
時を遡って2012年か2013年。俺は当時大洗から車で20~30分の場所に住み仕事をしていた。
なりたかった職業に近いかもしれないけど、厳密にいうと全然違う、というか下っ端というか、そんな仕事をつまんねーと思いながら安い給料でこなしていた。
俺はこのままでいいのかと思っていた矢先、ガルパンのことを風の便りで知った。
そして後輩に居酒屋で「金の匂いを感じさせないからいいんだよ」とか「街の人も一体になってやってるから盛り上がんてるんだよ」とか「現実を作中に持って行って、作中のものを現実に引っ張り上げてる融和感がいいんだよ」とか、自分の目で見た訳でもないのにドヤ顔で大洗の人たちがやってることがオタに受けてる理由を雄弁に語ったもんだ。うんこ
で、ある週末、ガルパンを一気見した。土曜日のことだったと思う。
次の日には大洗へ車を走らせていた。
俺は殺されたね。ドヤ顔で語っていたことを見事に撃ち抜かれたリアル。
つまり、大洗でガルパンがどんな展開をしているのかを自分の目で見て体験して、ネットの情報だけで後輩にドヤ顔であれこれ語ってた俺の無様さをまざまざと見せつけられた。そんな衝撃。
そもそもガルパン面白かったんじゃ。だからこそ次の日には車を走らせていたわけで、お話そものものが面白かったんやな。そんで大洗行ったら劇中の街並みそのままだし、グッズもなんか本当に大洗女子学園や学園艦がこの世にあって西住みほや他のキャラクターがこの世に存在しているようで……そんな印象を覚える硬派な(?)アイテムがズラリよ。
そんで俺は思ったんだよ
こんな近くの町の人々がこんなに面白いことをしているのに一方俺はネットで得た知識でもって何かを知った気になって一歩引いた目線で傍観者になった気でドヤ顔で何かを語ってさ
俺は何も分かってなかったし、一歩踏み出せてないだけなのに傍観者気取りでドヤ顔でいたってのがもう無様で無様で
こんなすぐ行ける町でこんなことをやっているのに一方俺は何をしているんだ?
俺はこのままでいいのか?
と思い悩み脳みそがいい感じになった俺は転職のために仕事をやめ地元に戻った。
その後地元での転職活動に失敗し、なんだかんだで家を飛び出し(失踪)、見知らぬ土地でコンビニバイト1年くらいした後、都内に引っ越して名前だけは夢だった職業に就くことができた。
その間もどれだけ金がなくても欠かさなかったのはあんこう祭への参加である。
「ガルパン」っていうのはそれだけ俺にとってエポックメイキングなコンテンツだったのである。
しかし、最初のうちは夢への指標であり、希望であり、自分を変えるきっかけとなったガルパンだったが、今はというと実のところ「呪い」に変質しているのではないかと感じるようになったのが冒頭に繋がる。
つまり今ではあんこう祭に対して義務感や強迫観念めいたものしか感じなくなってしまっているのである。
別に大洗やあんこう祭さんサイドは俺に義務を課してるわけでも脅迫してるわけでもないのは改めて明らかにしておくとして、
俺の中でガルパンが神格化されてしまったが故に、自身の環境やイベントの規模の変化によって気持ちが離れてしまっても参加せずにはいられないのである。
また、近年のファン層の変質(顕在化?)もそれに拍車をかける事態となっている
どういうことかというと、
やれ聞こえてくるんだよ
町営駐車場で酒盛りして大騒ぎしてるとか、公式に認可されてないグッズはダメよとアナウンスされているのにそういうのを作っている連中とか、駐車場を痛車展示場にしてるとか、そういうキナ臭いあれこれが。
確かに、参加人数は年々増加の一途を辿ってるし、劇場版を皮切りにかなり人も増えて層も様変わりしたように感じる。(めんどくせえツッコミを恐れず表現するなら「ゴロ」っぽーい感じ)
特に感じるのがコスプレイヤーの存在で、ガルパン放映直後かその次のあんこう祭は確かにコスプレイヤー、いるっちゃいるなって印象だったんだけど、その翌年にはレフ板持ったカメコ引き連れてたりするコスプレイヤーがいたりして、いやいや、ここはあくまで町のお祭りであってアニメイベントではないんだよってスゲー思ってっつうか正直ドン引きして、なんかその頃から毎年毎年「なんか違う」感が蓄積されて来たというか住み分け感が崩壊してしっちゃかめっちゃかになってるっていうか
そんな感じで毎年毎年覚える違和感やキナ臭い話なんかも耳に入ったりでどうなんだろうなーと思いながらもやっぱり参加しないことでの後悔が恐ろしくて結局今年も朝早起きして大洗に向かってしまった俺の話。
呪いだよな
呪いだよこれ
取り巻くアレコレに疲れちゃったのかも。
今度時間があるときはイベントでもなんでもない日にふらっと行って自分のペースであれこれ買い物したいなって思った。海とかボケっと見てさ
おわり
追記:
まとまってなかったのでいくつか
1.自分の中でガルパンが絶対的なものになってしまっているので離れたくなっても離れられないという話
一部のファンやガルパン・大洗そのものが呪いを掛けてきてるとかそういう話ではないです
2.後半の部分に関して杉山Pが言いたいことを分かりやすく言ってくれました。
ガルパンファンは町やそのお祭りに受け入れてもらっている立場だというのを忘れてはいけないと思いましたまる
修正:
だからさ、「今」オタクは日陰者であることを強要されてるじゃん?「ゾーニング」などと言ってな。
痛車なんかはある種の異形の者であって、あんなのがデファクトスタンダードになる世の中ははっきり言って迷惑。真っ当にやってるオタクへの風評被害。
「異形の者」「迷惑」「真っ当にやってるオタクへの風評被害」これらすべてお前のお気持ち以外の何なの?
特に「真っ当にやってるオタク」ってそれは「フェミに迎合してるオタク」と言い換えてもいいわけだが。
誰もデファクトスタンダードだなんて言ってない。あり得る選択肢の一つであればいい。
日陰に居続けなきゃならない縛りをかけられて黙ってる必要はない。
沼津出身のアラフォー、20年ほど他の地方にいたが、Uターン。
多分この先は永住。
どうやらここ数年、ラブライブ!サンシャインの聖地となったため、県外から人が来ているらしい。
確かに、仲見世商店街にはグッズをもった人がいるし、コインパーキングには痛車がとまっている。
沼津駅まで写真を撮っているひとがいる。正月の西浦の浜は夏よりも人がいるような気がした。
夏の市の広報はラブライブ!サンシャインの彼女たちの浴衣の絵だった。
人口減少が進み、寂れていく一方の沼津には天恵ともいえる事態だが、このアニメがどれくらいすごい物なのかがわからない。
何かに例えて教えて欲しい。ラブライブ!サンシャインのすごさを。
テレビとか、一般人の目に触れるところにオタクコンテンツが出ることに対する居心地の悪さ、ってあったと思うんですよ。
アイタタタタ、みたいな。うわーすいませんこんなの皆さんに見せちゃって、みたいな。
少なくともある程度以上のオタクの人にはあると思う。
でも今はメディアにも萌え絵がたくさん登場して、オタクでない人もアニメをみるようになったり、日本の誇る文化、クールジャパン!みたいな状況になった。
ずいぶん時代が変わったな〜と思う。
こういう環境で育った若者たちは、上に書いたような居心地の悪さって、ひょっとしたらもうないんだろうか?
今回の件を見てると「NHKにキズナアイが出る」ことはもう全然「痛い」ことではなくなってるっぽくて、なかなか感慨深いです。
まあ痛車はさすがにまだ痛いと思うんだけど、そのうちなんでもない車ってことになるんでしょうかね。
・ポルノの定義についてクソくだらないキリスト教的純潔主義が叫ばれる
・エロゲで萌え絵が使われてエロ消費されてんだから、萌え絵はエロを含むと話を進める
・はじるすとゆらぎ荘とキズナアイを並べて、「みんなえろい」と宣言して、キズナアイを18禁にすべきか?
・ちがうというなら、その度合を無視して、ただただ性的だと宣言することの意図(絶対にクサイ印象操作)
萌え絵(がいやならオタク向け絵)は、不快に思われるリスクが比較的高い表現形態。コミケ袋を隠して持ち歩こうと啓蒙しアニメ絵を貼った車を痛車と呼んできたオタクが急にわかんないふりすんの本当に不思議
この阿呆も、18禁コンテンツとセーラームーンの違いに気が向いていない
セーラームーンはオタク向け絵wでは無いとするなら、顔や体や衣装含め、どこからがオタク向け絵wなのか説明するべきだが、絶対にできない(断言)
全部が全部そうじゃ無いことは前提とした上で。
今回の騒ぎで昔のラノベだって扇情的だったと言っていくつか写真が上がっているが、
いくつか見たものの布面積こそ少ないが奇乳とか恍惚とした顔とか局部の強調とかはほとんど無かった。
シュトルムの写真に写っていたラノベの表紙のような絵柄とポージングはおそらくエロゲ発なのかなと思ったんだが、どうなんだろう。
ちょうどエロゲが男オタクの基礎教養扱いされだした頃にオタク界隈から離れてしまったので、リアル体験した人の話を聞きたい。
15年前には奇乳が揺れるアニメが流れていたのを見てるからその頃にはオタク界隈では定着していたんだろうけど。
エロゲの絵を描いた痛車とかが話題になったのもこの頃だったように思うし。
あと乳や局部の強調の一般化というか感覚の麻痺にお尻マウスパッドが関係しているのかどうか。