はてなキーワード: 瀬戸内寂聴とは
依頼の文面で「〜(して)いただけるでしょうか」を使う同僚がいて、見るたびに違和感を覚えていた。
「書類を頂けるでしょうか」
「教えていただけるでしょうか」
「返却いただけるでしょうか」
などが用例。この人は会話でもこう言う。最後の例は「ご返却」としてほしい。
「いただけるでしょうか」ググってみたらそれなりに使われている。例えば「ご理解いただけるでしょうか」とか。これはなぜか違和感があまりない。しかしよくよく検索結果を見ると、依頼ではなく質問ばかりだ。あるいは、質問の体だけど答えは求めていない投げかけが多い。やはり依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は珍しいのではないか。
動詞の終止形に「でしょうか」が付いているから変なのかと思ったらそうでもない。
「まだ使えるでしょうか」
「雨は降るでしょうか」
自分は「〜(して)いただけますでしょうか」を使う。経験的に、他の人もよくこれを使っていると感じている。念のためこちらもググってみたら、誤用として複数のビジネスマナー指南サイトで紹介されているようだ。「ます」「です」が二重敬語なのだと。なるほど。
とはいえ、検索上位にくるのは薄っぺらなページばかりで、これなんて特に酷い。
https://www.rirekisyodo.com/study/doublehonorific-point.html
日本語も論理も内容もおかしい。こんな記事にとやかく言われたくない。
このページも酷い。
「いただけますでしょうか」は二重敬語だから NG と言いながら、「よろしかったでしょうか」は相手への配慮だから OK とか。実際に NG か OK かは別としても、この論理でよく記事にできたなと思う。
そしてこの「専門家」とは誰なのか。その専門家に「いただけますでしょうか」について聞くことはできなかったのか。まあ、そこだけ何かを読んで適当にぼかして引用したのだろうけど。
ここで感じたのは、「〜(して)いただけるでしょうか」は、こういったゴミみたいなビジネスマナー指南に従って「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果として使われているんじゃないか、という疑問だ。
以下について知りたいけれども、検索だけでは答えが出そうにない。
1. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は昔から使われていて、これがむしろ自然だという人がいるのか。
2. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果という仮説は正しいか。
3. 「〜(して)いただけますでしょうか」は、専門的にはどういう扱いなのか。
(追記)
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/
まず「ますでしょうか」で調べてみた。「いただけ」は二重敬語の指摘に関係ないので。検索対象からヤフーや国会会議録は除く。かなり例が出てくる。有名な執筆者のソースを幾つかピックアップしよう。
山﨑豊子「沈まぬ太陽」1999※
宮部みゆき「誰か」2003
曽根綾子「この悲しみの世に」1986
ここには、依頼でなく質問の「ますでしょうか」の例も含まれる(※印)。でも二重敬語が駄目なら依頼・質問の区別は関係ないだろう。
さて、「いただけるでしょうか」を検索したかったが、検索文字列は 10 字までということなので「けるでしょうか」で検索した。例はかなり少なく、依頼の用例はさらに少ない。とはいってもゼロではない。こちらも有名どころを挙げておこう。
1. 「いただけますでしょうか」は、文法的な是非はともかく、今後も自信を持って使っていいといえる十分な用例がある。
2. 「いただけるでしょうか」はそれなりに古い用例が存在するので、とやかく言うほどではなさそうだ。
ホットドッグプレスで北方謙三にこの手の相談をしたら、風俗行けって言うんだろうなぁと、おじさんは思った。
今東光に相談したら、馬鹿野郎、そんな一回ぐらいでがたがた言いやがってと言うだろうなぁと、おじさんは思った。
瀬戸内寂聴に相談したら、あなたお若いんだからこれから何度でもチャンスがあるわよと言われるのだろうかと、おじさんは思った。
...今思い出してみても、学生時代はとにかく本を読んでいたなぁ。
自分に彼女ができないことを悩んでいた頃、姫野カオルコとか山本文緒とか読みまくっていたなぁ。
人生にはうまくいかないこともあるよ。いや、うまくいかないことの方がうまくいくことよりずっと多い。
本はそんなときにヒントをくれた気がする。
筆名に名字というくくりはふさわしくないかもしれないがあくまでも遊びということで。
批評も愛憎も好き嫌いも含めて呼び捨てにされる作家たちがいる。名字だけで、名前だけで、その作家が思い起こされる作家がいる。そこに何かつながりめいたものはないか、自分の印象をちょっと羅列してみる。
大江、石牟礼、川端、塩野、志賀、司馬、城山、太宰、三島、谷崎、つか、筒井、星、津本、中上、ねじめ、野坂、灰谷、埴谷、百田、舞条、町田、丸谷、向田、安岡、横溝、横光、池波、伊坂、井伏
乱歩、独歩、安吾、花袋、蘆花、荷風、らも、昌也、芙美子、一葉、四迷、万太郎、清張、朱門、実篤、春樹、鴎外、漱石、登見彦、ナオコーラ、詠美、風太郎、一力、周五郎、獏、淳之介、ばなな、鏡花
フルネームで呼びたい
安部公房、遠藤周作、大藪春彦、佐野洋、田中芳樹、陳舜臣、小松左京、中村文則、恩田陸、南條範夫、西村健太、馳星周、長谷川伸、北杜夫、東野圭吾、平野啓一郎、福井晴敏、堀田善衛、海野十三、宇能鴻一郎、柳美里、夢野久作
あきらめた自分を正当化するのは上手だけれど、正当化できるほどさらけ出してはいないし、妥当な手段を使っていたようにも見えない。それに25歳であきらめるのはちょっと早いと思う。
多くの女性は友人が手に入れているものを自分も手に入れたいと思うのでは無いかと思う。つまり、友人が結婚していたら、自分も結婚したいと思うし、友人に子供が居れば、自分も子供が欲しいと思うものではないかと思う。
東京都の平均初婚年齢は2015年の調査で30.5歳らしく、分布はなだらかになっているものの、高年齢での結婚に裾野が広がっている感じらしいので(http://www.garbagenews.net/archives/2020939.html)、25歳の女性は結婚のけの時も考えたことが無い人ばかりでは無いかと思う。いや、元増田が10歳年上でも全然問題ない人なら今のでOKなんだが、同じくらいの歳の女性を見ているとしたら、25歳でがちに婚活している女子はそもそもまれだと思う。
おっさんやおばさんしか居ないからと切って捨てるのは簡単だけれど、その先が見えていないと思う。
自分の親世代の人は普通に考えると自分と同じ世代の子供が居るか、自分と同じ世代の子供が居る友人や知り合いが居る。
その辺の人とある程度関係を築いて、信頼を得ていたら、そのつながりでお見合いという路線もあり得るわけで、年上だからと損切りするには早すぎる。元増田自身もある程度の歳になって、結婚をせかされるようになったら、同世代の子供たちはみんなそうなんだから、その頃になると大卒正社員の元増田はモテモテじゃないかと思う。
結婚相手となる女性に会いたい割に、ダーツバーに行く、無料の料理教室に行く、ビジネスセミナーに行くと結婚相手が居なそうな場所に行っているというのが今ひとつ。
それよりも、自分の趣味の集まりに行くとかの方がずっと出会いが多そうな気がする。
あとは、出会わない理由は女性の方も出会う場所に行っていないからだと思うので、女の兄弟が居ると同世代の女性がどこに生息しているかもわかるわけで、その点は強いよね。
元増田のように人生プランを滞りなく進めたいか、友人がプラン上に乗っているので自分も乗りたいという女性は普通にいると思うのでその打算を受け入れられるなら、元増田にある程度の打算があるのは問題ないと思う。
安定した収入の人の元で子供を産み、子育てしたいというのは普通だと思うし。
元増田の周りにも優しい女の人は居ると思うけれど、どんなにきれいなお花でも水をあげないと枯れるからね。不細工を自認しているなら、なおさらどうやって水をあげ続けるか(つまり、作った関係を長続きさせるか)を考えた方がいいともうよ。
なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情が存在するのか。yahoo!のトップに踊り狂う、幸福と科学の文字。新興宗教=危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。
俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通の企業をやめて宗教団体の職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味は教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿ッ!?」と思ったものだ。
父はずっと家にいなかったから、俺と家族は宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。
【コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話
http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/
これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所でミスチルのコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドがメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。
これも小学生の時。父親の仕事を見る、的な学校の課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージは葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報や選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。
これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設に永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文がテープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブのセットリスト1曲目のやつ!
散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモな面白い対象なんです。
③の施設を見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方の経営難のゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから、洗脳されちゃうよね。歴史の教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだから、アパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。
出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対の世界を全く家族に押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来は自分の課題や状況に合わせて、必要だから門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供に自然と教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。
時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田に投稿する文章をぽちぽち考えている。iPhoneをスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的なヤフーのコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的なコメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。
そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?
答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
「安保反対」を反日の証拠にしているのをよく聞くけど、(例:http://togetter.com/li/883745)、産経の調査でも今国会での成立には反対している人のほうが多いことが出ている。となると、国民の過半数が「反日」となってしまう。それはさすがに無理があるのではないか。
そもそも、「反日」の意味がわからない。文字通りとると、日本国や日本国民の利益を犠牲にしてまで、韓国や中国の利益を求める人たち、ということになるけど、そんな人、現実に存在するとおもっているの?右翼のみなさんは、そんな人に現実で出会ったことがあるの?私は現実の知り合いでは誰一人いない。いや、日本という国を恨んでいる人が少数存在していることは否定しないし、昔はコミンテルンの指示で共産革命を本気で目指した人とかいたと思う。でも、たとえば瀬戸内寂聴とか、村上元首相とか、そういう人たちは、彼らの信じる、日本国の利益のために動いているのであって、日本を犠牲にして韓国や中国のために動いているわけではないと思う。そういう人たちと、中国で日系スーパーに火をかける中国人たちに、同じ「反日」という形容詞をつけるのは、間違っていると思う。
そしてやがて必ず死ぬんです。
今こんなにたくさんいるけど、1人残らず死ぬの。
これはとても平等なことでしょ。
与えられた時間は90までは生きられないでしょうね、
みなさんも70くらいで死ぬんじゃない?(会場 笑う)」
「90まで生きても内容が濃くないとつまらないと思うのね。
だから20で死んでも、
「若さってのは二度と返らないのよ。
その若さを大切にしてください。(声大きく)」
「私の90年生きた長い経験によればですね、
情熱がいっぱいある。」
「情熱がいっぱいあるという事はですね、
何をすればいいかというとですね、
それは 恋と革命です。」
10冊の本を読むよりも本気の恋愛を1回しなさい。
そうすると世の中が分かります。」
そのたびに本気の恋愛をしてください。」
「それができるのが若さです。
「だからね、みなさんは
どうか 恋と革命をしてください。」
「それがね、若さということですね。
「今持っている若さはね、すぐなくなる。
本当にすぐなくなる。」
もう今ね、一生懸命好きなことをやってください。」
「お父さんやお母さんがあの大学に入れだとかね、
あの会社に入れって言ったってね、
そんな事、聞かなくていいの。」
「自分が好きなら、好きなことをやりなさい。
私達はなぜこの世に生まれてきたのかというとね、
「歳を取ると、だんだんと心が濁ってね。
その、どうでもよくなるのね。」
何にもけがれていない。
「だから思ってください。
今のね、政治家たちが背負うんじゃないの。
「人間はね、偉そうなことを言ってもですね、
天災を防ぐ力はないんですよね。
人が作った災難ね。
それで作らなければいい。」
「ですから、それは、”いらない。”って言ってください。」
「いやなことは ”いや。”と言いましょう。
したくないことは ”したくない”と言いましょう。
ただ払いっぱなしじゃ、つまらないじゃない?」
「だから、言いたい事を言いましょう。」
「それとね、いやなことはいやと。
戦争なんてしたくない!って言えばいい。
人は守ってくれません。
「そこまで決心すればですね、あなた達の生き方は決まります。」
「まっ、こんなことかな。(ジャッキー いきなり冷静に。)
ちょうどいいね。まっ、大体こんなとこです。
ありがと~う。(大歓声)」
「また会いましょうね、また会いましょう。」