はてなキーワード: 泥棒とは
俺は男だけど、「差別は必ずしも『悪』なわけではなくその妥当性は議論や対話によって決められるが、自らの無謬性を絶対に守り抜きたい人間とは議論も対話も行うことができない」での議論にちょっと納得できないので書く。
本来、個人がどういうふうに振る舞おうがそれは基本的に自由だ。周囲を警戒しながら夜道を歩こうが鼻歌を歌いながら歩こうが自由であり、女が夜道で男が現れたときにだけ警戒するのもまったくの自由だし、男が道で通りすがりの女の胸に目線をやるのも完全に自由だ。人には好きなように道を歩く自由がある。
それに対して「警戒された!」と男が騒ぐのは、女が「性的に見られた!」と騒ぐのと一緒だ。不毛すぎる。それに何の問題がある。好きに振る舞えばいいだろう。
だいたい、人を警戒することに何の問題があるのか。俺はもちろんカフェでトイレに立つときには財布を持っていくが、それの何がいけないのだろうか。そりゃ、友人とお茶してるときにトイレに行くならいちいち財布は持たない。「あんたは泥棒するかもしれない」と言っているに等しいからだ。しかしそれは礼節の問題であって差別の問題ではない。
男として生きていれば、夜道で女に警戒されたことは何度もある。しかしそんなの気にしなければいい。何度も言うが、個人の私的な振る舞いは自由だからだ。だから俺も気にしない。目的地が同じ方向ならそのまま歩く(速度差があるなら追い越す)し、同じアパートの住人ならこんばんはとか声をかけて開けてくれたオートロックに滑り込む。なんなら同じエレベーターにも便乗する。別にこちらにやましいところはないのだから、堂々としていればいいのだ。
良識あるはてなー諸氏は、それらの行動は女に恐怖を与えるのでやめるべきだ、とはまさか言うまいね。女の恐怖感への配慮を求めるなら、男の傷つきにも配慮したらどうだ?
もちろん、女は男の傷つきになんて配慮する義理はどこにもない。男が女の恐怖感に配慮する必要がどこにもないのと一緒だ。胸を張って堂々と男を傷つければいい。こちらも、女が恐怖しているかどうかとかは特に気にせず歩くので。
真剣に悩んでいる。誰か知恵を貸してほしい。
今ハマっているジャンルは数年前リリースするや否や大ブームになったゲーム。今もある程度のファン規模を持っており、メディアミックスやグッズ、コラボ展開などを多岐に渡ってしている。
その一方で、ゲーム自体は非常にシンプルかつ、メインストーリーと呼べるものが希薄で、あるのは簡単な世界観とキャラクターの設定のみ。
その代わり、二次創作が公式に許可されているため、定番のキャラ同士のカップリングから独自設定を大いに盛り込んだ1.5次創作とでも呼べるようなものまで幅広く二次創作が行われている。
そんな中で私は独自設定強めの、キャラクター×プレイヤーキャラ(容姿年齢性別などが公式に提示されていないので、二次創作者によって自由にキャラ造形されている)もの、という比較的癖強めな嗜好で二次創作をしている。
元々私はこのジャンルでTwitterやpixivを通し、様々なフォロワーや友人と楽しく交流していた。
なにしろジャンル人口が多いので、上記のような癖強めの嗜好でもそれなりに愛好者がいたのだった。
彼女らは殆どが絵や漫画や小説やらの形で二次創作をする人だった。皆自分の独自設定やプレイヤーキャラの造形に愛着を持っており、それを他者に話したり、作品の感想をもらうことを求めていた。
私ももちろん同じように話したい、感想が欲しい欲求を持っていたけれど、交流するにあたっては、相手が楽しく話せるように聞き役に回ることが多かった。
理由は、自分がそういう風に話を聞いてもらったら嬉しいと思うから。それで相手が喜んでくれたらいいなと思っていたためだった。
ただ、最近相手が本当に一方的になるというか、私が自分の創作話をしようとしても相手の話題に持っていってしまう(いわゆる会話泥棒というやつに近いだろう)など、「これ私都合のいい無料話し聞きマシーンになってないか……?」ということが複数人との間で多発していた。
そんな中で私の心には不平等感と、本当は私も話を聞いてもらいたいのに……という欲求不満が積もっていった。
流石にちょっとそれは悲しいし私の話も聞いてもらいたいな、ということを相手に伝えた。
が、わかった、と言ってくれたのに次話したら元通り、みたいなことが複数人と続いた。
私はなんとか打開策を探して、他に誰か私の話聞いてくれる人いないかな、という旨のツイートをした。
ありがたいことに、数人聞くよーと言ってくださる方がいた。
が、結果、これが私のモヤモヤに追い討ちをかけた。蓋を開けてみたら、この方々も何故かめちゃくちゃ自分の話をしてきて私は相槌役……ということにしかならなかったのだ。
さすがに手詰まりだ。
この世に私の話聞いてくれる人はいないのだろうか。
私の話はそんなにも面白くないのだろうか。
これは本当に私の心の醜い部分だと思うが、
「私はみんなの話を聞いて、リアクションして、感想書いて、いいとこ見つけて褒めて……ってしているのに、私がそうして欲しいと思った時には誰も返してくれないんだな」……正直、そんな想いがよぎる。
見返りがほしくてやっていたわけではないはずなのに、そう思ってしまう自分にも自己嫌悪で、余計に辛い。
どうしたらいいんだろう。
お金を払って話を聞いてもらうサービスは、探せばあるのかもしれない。ただ、こんなオタク話、それもニッチな1ジャンルの1嗜好に付き合ってくれるもの、となると、ちょっと難しい気がする。
どうしたらいいんだろう。
どうして私には「話を聞いて、リアクションして、感想書いて、いいとこ見つけて褒めて」くれる人がいないんだろう。
どうして私には、
私(が他者にしてあげるように私にしてくれる人)
がいないんだろう。
好意の返報性とか、情けは人の為ならずとか、そういうものは存在しなかったのか。
楽しそうなタイムラインを見ながら、なにもつぶやけないでいる。
だれか、この思いを乗り越えて先に進める方法を教えてほしい。
この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。
熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー
前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。
これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。
ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。
自分は熊本生まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。
当時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。
それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。
ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。
まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本の人間にはいまだ馴染んでいない。
熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前はマジでなんもなかった。本当になんもなかった。
九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地の管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたからである。
駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年の震災以降である。
まず、そもそも熊本市内の人間は電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外からの通勤通学を除く)
「電車」=路面電車(市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間の乗り物だ。
基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。
東京に住んでいる人間が羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。
あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。
駅の近くに家電量販店もスーパーマーケットもドラッグストアもコンビニも飲食店もスイーツ屋さんも映画館も飲み屋も何から何まで一通りそろっている
揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのである。ここに書かれているものは街中にもあるし、郊外のイオンにもある。つまりそんなに魅力はない。
最近できたアミュプラザ熊本はちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。
むしろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡とタイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)
我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント/熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。
これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルのスピードで路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。
なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点で車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄。
トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄。
熊本市内の基本的な移動ツールは自家用車以外だとバスである。バスは優先レーンがあるので比較的スムーズ。バスに乗れ。
街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。
もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。
(渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行や時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)
その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去に大水害に襲われているからだ。
住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。
また、郊外の住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的に自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。
無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪、ダメ絶対。
市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。
参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258
やたらとメシが美味い
これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものがうまい。肉も魚も野菜も果物も、質と鮮度がいい自負はある。
おかげで郷土料理がほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。
熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。
熊本で熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。
あえて言えば何故か中華がうまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。
水がうまい
これは素直に認める熊本の美点。水道水のカルキ抜きをしないでも金魚を飼える。
エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである。
そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本は地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車はのろいし、渋滞も起こる。
また、水が豊かな一方で、治水と環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。
県外の人間が軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。
その前に温泉の話をしろよ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!
湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテルも温泉なんですよ。熊本は銭湯感覚で温泉に行く。山鹿や黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!
熊本地震のときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル。
郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体にコンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心。混浴デートにも使える。
熊本の自慢。
他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。
何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。
だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。
これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。
田舎の排他的な、というか、熊本の場合は排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。
今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。
おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。
阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口は入山規制中だけど)(阿蘇はくそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)
天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)
人吉もいいよ。鍾乳洞探検も球磨川でのアクティビティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)
アーティストの地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)
市内は基本盆地で吹き溜まりだから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。
いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。
ウイグル人の臓器抜いて外人に売りさばくのも彼らにとっての日常の一つなんだろうな
スマホで展示品を3Dスキャンしていたのではないか?──2月6日に幕張メッセで開催された「ワンダーフェスティバル」(ワンフェス)。プロ・アマ問わず腕によりをかけて製作したガレージキットの祭典で、ある入場者達の行動に出展者や運営が危機感を募らせている。
2月6日に幕張メッセで開催された「ワンダーフェスティバル」(画像提供:ワンフェス実行委員会)
発端は出展者の1人・44kさんのツイートだった。「ワンフェスで奇妙な画面のスマフォをかざしている三人の男性(日本語をしゃべってはいなかった)が僕らのブースに来ていたけど、あれ今分かった。デプスセンサーだ。LiDARだったんだ……」。スマホ画面にはスキャンアプリの特徴的な模様が見えたという。
LiDAR(light detection and ranging)はレーザー光を対象物に照射し、反射して戻るまでの時間から物体までの距離を計測するセンサー。スマートフォンのカメラのオートフォーカス性能を向上させる目的で19年ごろから使われ始め、例えばiPhoneシリーズは20年発売の「iPhone 12」以降が搭載している。
実は展示品を勝手に3Dスキャンする行為がワンフェスで注目を集めたのは初めてではない。2018年ごろにも“デジタル万引き”とネットで話題になり、メディアにも取り上げられている。
もっとも当時は市販の3Dスキャナーが大きく、バッテリー動作するポータブル機は精度が低かったため一部で問題視されるに止まった。ワンフェス実行委員会は「来場者の撮影に過度な制限をかけると出展者の負担になる」として、当時はあえて注意喚起しなかったという。
しかしLiDARを搭載したスマホや3Dスキャンのアプリが増えた今は状況が違う。誰でもそれなりに精度の高い3Dスキャンが行える状況になり、3Dプリンターなどと組み合わせて海賊版の製造などに用いられる可能性も否定できない。
ワンフェス実行委員会は「現在の機器の進歩を考慮すると出展者に対する注意喚起は必要。ディーラーの皆さんが不安や不快と感じている点は看過できない」と話す。件のツイートの他にも同様の連絡が数件あったという。
一方で「現在のスキャン精度では鑑賞には堪えるものの、そのまま3Dプリンターで出力して商品化するのは現実的ではない」とも分析している。鑑賞用のスキャンであってもかなり丁寧に、全方位からのスキャンが必要で、彩色の状況によっては光が反射や吸収されてしまい、うまくスキャンできない。またフィギュアの背面や足元の台を鏡面にしたり、作品の前にガラスやアクリルなどがあったりする場合もスキャンしにくく、こうした特性はそのままスキャン対策になるという。
ワンフェス実行委員会は今後、注意喚起とともに出展者に対応を促す考え。「スキャン撮影を見かけたらディーラー受付か事務局に連絡するようにお願いしたい」と話している。