はてなキーワード: 朝鮮人とは
進んで差別したい訳でもないが、関わり合いになりたくない。その位には嫌い
ゲイに告白されて断ったけど、それが気持ち悪いし、変わらず友人面してくるのも気持ち悪いし耐えがたいから、遠ざけていたら
「お前なんか、あいつに冷たくない?」って友人に聞かれて、「好きだから付き合ってくれと言われたけど、キモくてしゃあないから避けてんの」って答えたらダメだという。
じゃあ何?俺はホモに告白されても、何食わぬ顔で友達付き合いしなくちゃだめだし、友達付き合い出来ない時は、黙ってコミュニティと縁切れって?
「個人的な事情でさ・・・」なんて、ぼかした理由で答えても、自分が所属したグループと距離を置く羽目になるだろ?
俺はホモのために自分が痛みを覚えるのは、絶対に嫌だし、それを押し付けてくる「差別」という圧力が我慢ならない。
黒人問題もそうだ。今まで差別されてきた、奴隷化されてきた過去がある、それは分かる。痛ましいね。
でもだからって、今現時点で、普通に生きてる白人の家に火をつけたり、商品を強盗したりしていいのか?
それをデモといったり、正当な抗議扱いしてるのが許しがたい。
お前らは黒人だの白人だ野の前に、犯罪者で裁かれるべきゴミ屑である。
アファーマティブアクションだのいって、普通に成績がいい白人学生よりも劣る黒人のための枠が用意されていいのか?
一方でアジア人が増えすぎたからって、アジア人に対してのみ異様に高い壁を設定していいのか?
現実として、国際法も守らない、2国間の合意を反故にしようとする。
自身の差別的ジェスチャーをごまかすために、あろうことか他国の旗に文句をつけだして国民全体が発狂し始める。
そういう、普通に考えたらお前ら頭おかしいだろ?って怒りを持って、それを「朝鮮人おかしいだろ?馬鹿じゃねぇの?道理が通じねぇし、近寄りたくないわ。キモ」
頭おかしい奴らに、お前ら狂ってるわ、と言わせない。差別とかいう圧力には吐き気がすんね。
採用を制限しろとか、法的に規制しろとか、ひっそり生きろとか、そういう差別を望んだりはしない。
だけど、特別な配慮を要求してくんな。我慢と損害を受け入れる事を要求してくんな。
正当な行動や、普通に湧いてくる感情を、お前らの為に抑制しようとするな。
それを普通に求めてくるから、邪魔だ。失せろ。お前らなんぞは嫌いだね、としか言えないんだわ。
道を歩いている時に、急におっさんが裸になって下半身を見せつけて来たら、そのおっさんの頭を手持ちのショットガンで打ち抜いて身を守る行為には正当性がなきゃおかしいだろ。
そら過剰防衛と言われて問題にはなるだろうけど、普通に生活してて不快極まるものを押し付けてきてくるから、それを全力で跳ねのけるのも同じ。
過剰防衛になるケースがあったとしても、身を守る事そのものは与えられるべき権利だ。
黒人だの、LGBTだの、朝鮮人だの、こちとら気にしたくてしてんじゃねぇんだよ。
お前らが人間として普通の権利を持つ事には、全く反対しないし、同性婚でも何でもすればいい。黒人女性が大統領になるのも素晴らしい事だ。
答え:できません。
この増田 a.k.a. id:muchonov は決定的な間違いをしています。
たとえば、僕は身体障害者ですが、「身体障害者キモイ」という人に対して、実力でその口を塞いでも免責されることはありません。また、警察に通報しても相手にされません。そして、これらが立法を通じて規制できるようにすれば、憲法違反になる可能性があります。なぜならば、この発言に「具体的な権利侵害(含む内心の静穏の権利)」や「明白かつ現在の危険」があるとは言えないからです。
これは、「オタクキモイ」でも「LGBTに生産性が無い」でも「黒人は犯罪者ばかり」でも「朝鮮人は帰れ」でも、同じです。
もちろん「〈誰かが(他者の同じ権利を侵害しない限り)自分自身として存在できる自由、本来のかたちで生存する自由〉」を尊重するべきだという主張は尤もです。しかし、それらの自由を一切侵害しない表現しか存在をゆるされない(=規制しうる)のでしょうか? そんなことはありません。たとえば、ポルノ雑誌やSNSにアップされるエロイラストの存在は、女性の自由を阻害しているかもしれません。バリバラのような、障害者のエンパワーメントのための番組が、却って羞恥心や社会への恐怖を煽る結果になってしまう人だっているかもしれません。あるいは、ピンカー研究がマイノリティの申し立ての力を削いでしまうこともあるでしょう。
増田 a.k.a. id:muchonov の見解に従えば、これらは容易に規制可能でしょう。違うと言うならば、何を規制出来て、何を規制できないかということを明確に説明しなければなりません。
さて、しかし、「社会的少数派を偏見に基づいて「嫌いだ」と口にする自由は制約される」ことはあります。たとえば、何度も事件を起こした暴力的な差別主義団体の指導者が、その集会で具体的な日時を示して、マイノリティが集住する地域の襲撃を扇動したような場合です。しかし、逆に「KKKの指導者が、集会で白頭巾被って十字架を燃やしながら、抽象的に黒人を差別する発言をした」場合は、アメリカで合法(規制は違憲)であるという連邦最高裁の判例があります。これは、有名なブランデンバーグ基準の基になった裁判です。
はっきり言いましょう、増田 a.k.a. id:muchonov は、「マイノリティを嫌いだと公言する」こと一般が、規制しうるほどのことかを証明する必要があります。もし、論旨を変更して「特に甚だしいものだけ」といった条件を付すとしても、その条件を明晰に説明しきることが必要です。なぜならば、これは「規制」、つまり「人権の制約」の話だからです。仮に、曖昧な基準で雑に人権が規制できるなら、それは特別高等警察の仕事になるでしょう。
なお、「周囲から総攻撃を食らった」ことを「社会的に制約されること」と評していますが、これは、単に個々人は当該の発言に対して批判をする自由があるというだけのことです。当然に、「社会的な制約」として、リンチによる暴力行使、逮捕監禁、威迫、契約に基づかない契約解除、不当な懲戒処分、村八分行為などを行えば、むしろその違法性・不法性が問われることになるでしょう。よって、あくまで問題は「権利の制約」を合法的に行いうるのか、という部分になります。
役所のとある部署で住民からの苦情相談を受ける担当をしている。
案件の中には行政の立場と法律と制度的に対応しかねるものもあり、
その時は丁寧にお断りをするのだが、要望が叶わないと知ったとたんにキレて怒鳴ってくる人も当然のごとくいるわけだ。
いきなりキレるのは老人に多い。
そして俺への罵倒の言葉に「なんだお前朝鮮人か⁉」と続くこともある。
あの老人どもは何をもって俺を朝鮮民族だと判断したのだろうか。(十中八九何の考えなしに言ってるイチャモンだろうが)
そんな疑問よりも前に驚いたのは、一部の老人たちにとっては『朝鮮人』が罵倒のレパートリーとして有効であるということだ。
しかし国籍はよっぽどのことがない限り選択の自由は無いし、ルーツなんて選べる人はいない。
それにもかかわらず、一部の老人(もしくは異常者)には、『朝鮮人』という言葉が罵倒足りえるという奇妙な価値観があるのだ。
ましてやそれを実際に口に出すなんて更に一本頭のネジが外れないとできない行為だろう。
そんなことを考えても仕方ない。相手は脳が弱った老人だ。衰えたくて衰えたわけではないのだ。
好き放題キレ散らかした老人が帰り、対応を終えた俺をねぎらってくれる同僚たちに返す。
あれがほんとに差別だってのなら「井戸」と「毒」っていう単語は禁止して日本の辞書から消すべきだよね
それを並べた時点で朝鮮人ヘイトってもう頭おかしいだろって思うけどそうだというのならしょうがない
というかそんな事実やデマ、デマという事実とか事実をデマとしてとか、もうそのへんも表現を固定化しないと何ってんのかわからん
結局誤解しかうまないなら誤解されるその「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」っていう文節自体も禁止して消滅させねばならん
だってそれを知ったりそれを知る過程で差別がうまれてるとかうまれるとか差別たるものを知られるとかそういうことなわけだよね
差別をなくそうイコール差別対象をなくそう、まあ特定の人種を差別をなくすために無くそうっていったらそれ差別だから
こっちが間違えて差別しちゃわないようにその種族を言葉から消して、国交を止めて、日本でそんな「差別がおきる人」がいないということにはすべきだよね
に対する反応の中には、「「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」はデマ」と思っている人がいるから「バイデンが井戸に毒」は差別煽動である、という主張がいくつか見られる。
password1234 この増田の言い分は理解するけど、“「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する”という仮定は微妙で、あれをデマではなく史実と誤解している層が存在していると思う
「「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」はデマ」と思っている人の朝鮮人に対する差別感情が湧き上がることが、差別煽動と断ずる根拠になると言うのなら、「「朝鮮人が井戸に毒」はデマ」という表現もまた差別煽動であるということになる。
我々は、関東大震災の時に「朝鮮人が井戸に毒」という流言飛語によって民族ジェノサイドを起こしてしまったことに触れてはならない。
>「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
>もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
藤崎記事でもしっかり取り上げられているし、ブクマコメでもすでに指摘されているが、「「井戸に毒」はデマというのがデマ」と信じ込んでいる(あるいはデマと承知で言い触らしている)歴史修正主義者どもについて無視しているのが解せない。
そいつらにしてみれば、「井戸に毒」は過去に実際に存在した悪事(しかも信じ込んでいる連中にしてみれば、デマということにされて揉み消された、特に性質の悪い悪事)であり、それを過去「起こした」朝鮮人とバイデンをつなげる当該ツイートは、「バイデンは選挙結果をごまかして大統領に就任した悪党」というトランプびいきなネトウヨ(たいてい彼らは歴史修正主義者でもある)界隈に蔓延するイメージと重ね合わされて、両者に対する敵意と差別意識を掻き立て、仲間内で嗤い合う格好のネタだと思うのだが。
https://www.bs.jrc.or.jp/ktks/yamanashi/2021/01/post-255.html
『女子高生』という男の欲望の詰まった年齢層の『萌えアニメ』という、女性の身体を性的客体化したコンテンツは女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、赤十字という公共性が高い機関がそのようなコンテンツの宣伝をすることは不適切だから。
萌えアニメのキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタクを想像して不快になるにも関わらず、赤十字という公共性の高い場所で「嫌だから見ない」という選択が取りづらい場所でコラボすることは不適切だから。
『赤十字の献血ルームはいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、
入り口にヒトラーの銅像が飾られていたら「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になる。
同様に、献血ルームに萌えアニメのポスターがあるのは「フェミニストはここに来るな」と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから。
萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト、社会学者、弁護士や彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分とキャラクターの区別がつかなくなり、わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、赤十字が宣伝するのは不適切だから。
5.人命尊重のため
女性の性的な部分だけを客体化した萌えアニメのキャラを赤十字という公共性の高い機関が使う
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わたるが死んじゃう!
そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいるのに、そのような意見を考慮せず、日本人の人命を救うことは尊いと無条件に考えることは政治的に中立ではないから。
「バイデンが井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。
これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]
「井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語を連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である。
「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデンは日本に居らずテロリストでも無いのだから、殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデンが井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)
朝鮮人の連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。
もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
したがって、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起を諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。
ところが藤崎はなぜか、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列から、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。
藤崎は、「バイデンが井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。
我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的に差別扇動となるのだ。
しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマ」である。
ここで揶揄されているのは、荒唐無稽なデマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。
例えば「おいおいイギリス野郎が仲介するのかよ?」といった場合、笑っている対象はイギリスであって大英帝国の被害にあった国や民族ではないだろう。
天安門や文革をネタにしたときに、揶揄しているのは中国共産党であって、その犠牲となった人たちではないだろう。
ナチスやヒトラーや毒ガス室を例えに出すとき、体制批判の材料としてナチスを悪としているのであって、ユダヤ人を差別しているのではないだろう。
神風特攻隊をネタにしたとき、特攻で亡くなった方を馬鹿にしているのか?
揶揄し笑いの対象としているのは、どちらも当時の日本政府であり軍であり日本人であり、
と思っていたのでだけど、
なんか「毒ガス室」を話にだしたら「それはユダヤ人に対する差別だ!」「ユダヤ差別を助長する可能性がある!」
みたいな話になってておかしくない?
となっている今日この頃。