はてなキーワード: 服従とは
https://anond.hatelabo.jp/20231113092652
sunbrop
アウラ自身も服従魔法は意志による抵抗が可能という欠点がある事をわかっているため首を落とさせてる=断頭台の異名の元になってることを忘れてる人は多い。
2023/11/13
って言う説明はその通り作中にあるんだけどさ。
いやいやいや。
頭切っちまったら、つまり中枢神経を切除しちまったら、
その後動いてるのって「服従させてる」じゃなくて「テレキネシス」じゃね?
鎧動かしてりゃいいじゃん。
「巨大な彷徨う鎧軍団を一体一体振付しながら操作してる」ことになるじゃん。
だいたい不死軍団のベタ押しでもフリーレンに勝てたのに服従魔法使っちゃったって展開が萎えるよね。
そういう、キャラにやる必要ないことをやらせて「魔力に対するプライドが高いから」「そういう性格だから」で説明するの萎える。
デスノートでライトが次々に要らんことして「負けず嫌いな性格だから」で説明された時くらい萎える。
不死軍団がどんどんやられていって分が悪そうだから服従魔法使った、の方がまだましだと思う。
まあとにかく
だろう?
読解力ないの?「服従します」「友達です」「あなたへの恩は一生ものです」「裏切るくらいなら切腹します」「謝ってくれたら許します」って言っても平気で裏切るのが魔族だぞ。
単純に、マイノリティであるトランスジェンダーとの権利の平等をマジョリティであるTERFが認めないという関係なのだから、TERFが間違っているという判断で良い。
俺はシスヘテロ男性だが、マイノリティとマジョリティの権利を平等にすることを認めないTERFは差別主義者であり悪なのだから、トランスジェンダーの味方をしてTERFを否定する。
TERFの女性たちが「トランスジェンダーはマジョリティであるシス女性の既得権益(女性スペース)を脅かすような権利主張をしないで『わきまえたマイノリティ』として生きろ」と言うのであれば、
「お前たちも旧来のマジョリティである男性の既得権益(家父長制)を認めて服従する『わきまえた女』として生きろ。お前たちはそれがマイノリティのあるべき姿だとトランスジェンダーに言っているのだから。まずは手本を見せてみろ」と言いたいね。
ヤンキーは戦争の後遺症を改善できなかった結果であって子供の遊びとは違うな
兵士の訓練というのは、換言すれば、「人を殺すために、人権を無視する訓練をすること、人格を破壊すること」なんだよね
そのために軍事訓練には、上官に絶対服従させるとか口汚く罵るとか色々な共通の特徴がある
戦争というのは、「相手は鬼畜だから戦争をしてるのだ、自分たちが正義なのだ」とデマや情報操作で思い込ませる技術によって可能になった
そうしないと戦場で、相手も人だ、どうして罪もない敵兵を殺さなければならないんだ、俺は人を殺せない、って戦わない兵士が出まくって兵士が使い物にならないから
その大日本帝国軍のマインドセットを治癒できないまま、デマを思い込ませるための訓練に適応した世界観のまま、民主主義になりきれないまま、軍国主義の人殺し人権無視訓練のマインドセットを改善できないまま、軍国主義を社会や文化や価値観が吸収してしまったということ
今も日本にはその人殺しをさせるための戦争マインドセットの名残はいくつも言葉や風習や価値観の中に残っていて、社会を存続させる共存していくという世界全体の価値観とズレてしまっている
実際に口にしてしまうともう戻れない
親しい人がそんなこと言ってたら言うことを聞いてもらうよう服従させるか関係性を断つかどちらかになる
若い頃は社会との関係性も薄いから言わない人や言うことを聞いてもらえる相手とだけ付き合えるけどいずれそうはいかなくなる
不快です、でもこれは私の意見なので意見を聞くのも聞かないのもあなたの自由です
という主張は効かなくなる
自由といいつつ関係性を維持するつもりなら意見を聞くしかないし意見を聞きいれないつもりなら疎遠になっていくのもしょうがない
禁煙してるといいつつ自宅やパートナーの前では吸わないみたいなのも同じように思う
最新の弱者男性論によると弱者男性の特徴はズバリ、真面目で優しい、知的、高身長、高収入である。
その理由は「真面目で優しい」という特徴にある。
強者男性たちは真面目で優しい男性は女性の顔色をうかがいがちであり、弱気すぎることが女性からすると物足りないのだと主張している。
たとえば女性に「なんであなたっていつも私の顔色うかがってるの?」と聞かれようものなら、弱者男性は自分が女から否定されることを恐れて「すみません……」としか言えない。
そう、弱者男性が「弱気すぎる」せいでが女性からすると物足りなく映るのだ。
弱者男性が女性に暴力を振るえば女性は喜ぶし、弱気ではなく自分の意見を通したことになる。
この理論は間違っていると思う人もいるだろうけれども、まあ騙されたと思ってやってみてほしい。
すぐにその女性は態度を改め、弱者男性に服従するようになるだろう。
そして、あなたが望むなら、その女性はあなたの従順な奴隷になるはずだ。
弱者男性の考え方では「女性に暴力を振るうのはよくない」という考え方が主流である。
しかし、肝心の女性は暴力で服従したいと考えており、女性に暴力をふるうことは決して悪いことではないのである。
しかし、この行動は強者男性が女性に対してしていた行動と何ら変わりはないのだ。
例えば「火つけてこい」で有名なパワハラ市長がいるが、女性たちはこの市長を非難するどころか肯定し、褒めちぎるのである。
暴力で相手を従える姿というのは頼もしさと逞しさを感じ、非常に魅力的に映るのである。
その違いを理解できるかできないかがこれからの社会で重要な分かれ目となるだろう。
弱者男性の考え方だと女性に暴力を振るうことは悪いことであり、絶対にしてはいけないことだと考えるだろう。これが間違っているのである。
センシティブな問題への態度というのは己の身に降りかかる己の責任だ。リベラルがお墨付きを出して担保してくれというものではない。
リベラル指導層の方針には絶対服従しなければならないが、リベラル指導層は責任をとらない。
普通は文春とか新潮とか、読売、日経が報じるのを読んで参考にしよう、口に出すのはそれらが書いてからにしようという態度になる筈だ。
プチブルメディアに責任を負わせよう。(朝日、毎日、東京はリベラル指導層だから責任はとらないよ)
迂闊な行為で自分の評判が下がり兼ねず、それにはソーシャルメディアのアカウント凍結や利用禁止処分、会社での人事評価等の影響があり得る。
キャンセルされたくなければ、言論を自主規制しろという恫喝ですね!
北朝鮮みたい。
ユリウーッス
本日は国際非暴力デー、日本においては豆腐の日、東武の日、インドではガンディー生誕記念日なのだそうな。
国際非暴力デーはガンディーが生まれた日を由来としているようです。
非暴力ってのもよく考えた上で暴力に頼らないことを通してるって話であって、暴力が怖いから非暴力にしてるってことではないらしいのです。
人間がそこまで高尚かどうかは別としても、人間が取れる手段は多分何段階かあって、その途中に暴力に怯え服従することと暴力に頼ることと暴力に頼らないことが何段目かに置かれてるのだろうなと思います。
怯え服従して暴力を捨てることと暴力に頼らないことが一見同じように見えてしまうから「結局やること変わらんよね」と思えてしまうのであって
暴力に頼るという迷いも、そりゃ非暴力を提唱する人が持ち合わせているもんなんだなぁって感じではあります。
結局我々はそこまで賢くもないし、迷うし、失敗するし、勘違いもするし、そしてそれらを続けていくのです。
普段の生活における平穏ってものはそういう鬱屈したものに支えられて成り立ってるんだよなぁと個人的には思います。
ということで本日は【たまの息抜きよいか】でいきたいと思います。
もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物を待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン、洞窟で発見された食事や骨、そして生き残った現代のハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。
競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーがはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである。
待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地でグループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物や野菜に頼ることができる。
霊長類の祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法で対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争を制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。
第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニストの霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類の幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性や男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったことである。進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄りが育児をするということもあるようだ。
これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。
この初期の歴史は、人類学者が世界中のほぼ同時代の狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである。
人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンドに現実または架空の親族を持っている。食べ物やセックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり、女性も男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等の規則的なパターンは存在しない。そして、いじめっ子を抑制する能力は、最近の狩猟採集民のもうひとつの重要なパターンである。
これは人類学者の証言からもわかる。しかし、類人猿の祖先からの解剖学的変化からの証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配を意味するが、それほど大きなものではない。
男性の性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間に位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したことを示唆している。
ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性の選択による交尾相手の選択の結果であると主張している。
女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵のときだけセックスをする。ヒトのメスは一年中セックスをする。これは、より多くのセックスが可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿や霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。
霊長類学者で人類学者のクリストファー・ボームは、重要な論文と影響力のある2冊の本の中で、パズルの最後のピースを提示した。ボームは、狩猟採集集団の平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。
彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿の遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬、攻撃性、利己主義を抑え、他人の利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。
ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しかし私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。
ボームの理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟、武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである。
ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界で同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である。10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。
そしておそらく、人間においては、いじめを抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。
まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定の生態学的ニッチへの人間の適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのである。しかし、サラ・ハーディとクリストファー・ボームとの簡単な意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。
実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応の平等主義的性格と、それが特定の環境の物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。
自由な選択へのコミットメントにしがみつき、自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。
文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠の使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。
これは勉強ができる、スポーツができる、美少年、家柄、関係ないような気がする。
もっと複雑な因子が絡み合って発生しているような気がする。
私のクラスにも一人授業中にゲロをした男子がいて、クラス中が騒然となったが、その子が翌朝学校に来てもいじめられることはなかった。
その子が性格がいい子で優しく、お父さんがPTA役員をしていることも関わっているのかもしれないが、それよりももっと何か違う要因があるような気がするのだ。
もしそこで「ゲロ田ゲロ男」とか「ゲロゲロゲロッピ」とか言って馬鹿にしようとする輩が1人か2人いて、その輩に積極的に服従するような空気が起きたら、その子は瞬く間にいじめの標的になった気がする。
「偶然にも」その子がいじめられキャラではなく、「偶然にも」馬鹿にする奴がいなく、「偶然にも」それに同調する群衆の空気も発生しなかった。