はてなキーワード: 団扇とは
似たような経験がある。俺の場合はやめてくれと言った内容をエスカレートされ続けた結果、二日に一度くらい麺無し二郎のようなものが出てくる生活が五年以上続いた。当然胃を壊した。というか食事をすると必ず腹を壊す体質だと思っていたものが刺激物を盛りまくった不健康な食生活のせいだったということが異常な食事を止めた後で分かった。
自分の手が触れた食べ物を他人の口に入れて反応を見るということに並々ならぬ執着がある人で、今は近所の人をスケープゴートにしているらしい。元増田嫁が「ちょくちょく繰り返す」のは「今回こそは増田にアツアツのご飯を食べさせられるかもしれない」というマインドでやっていると思う。おかずを出す前に飯を盛るとか飯を冷ます団扇を用意するくらいは物理的にはなんでもないはずだ。しかし用意することは許されないのだ。それは増田が冷めた飯を食うかどうかを増田自身ではなく嫁が規定したいと思っているからだ。
入所当時、たまたま彼がバックJr.として出たコンサート。まだ入って間もない頃だった。右も左も分からない、そう形容するのが正しいと思う。
顔が特別格好良いわけではなく、ダンスは驚くくらい下手くそ。自分のファンが居ない状況でも、彼は一番ステージを楽しんでいた。前を向いてニコニコしながら、堂々とステージに立っていた。
そんな姿に惹かれ、担降りという形ですぐに彼のファンになった。
初めて彼にファンレターを渡した時、私ともう一人のファンに向かって「初めてお手紙を貰った、ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。一週間もしないうちに返事がきた。お世辞にも綺麗とは言えない字で、これからも応援して欲しいと書いてあった。
今思い返すと笑ってしまうが、そんなありきたりな言葉が舞い上がるほど嬉しくて、私は彼の出る現場に通いつめるようになった。
コンサートでは彼の立ち位置の前の方で彼の団扇を持ったし、舞台では彼の登場通路に入り、彼だけを見続けた。
当時はファンが殆ど居なかったこともあり、彼はすぐに私という存在を認識してくれるようになった。コンサートや舞台では意識的に目線を送ってくれるようになり、決まった合図をしてくれる。彼が自分を覚えてくれている、見てくれていることが嬉しかった。露出とともに増えてきた他のファンに対しても、独占欲や嫉妬よりも、正直優越感が勝っていた。
そんな日々から数年が経ち、彼はユニットに入った。大学生だった私は、現在社会人として働いている。当時ほどの熱量ではないが、今でも彼のファンを続けている。
人気絶頂といったら調子に乗りそうなので言わないが、一躍人気者となった彼は、ツイッターで検索をすれば何百人ものファンが居て、雑誌やテレビ、舞台やコンサートを頑張っている。
そんな状況でも手紙の返事は必ず返ってくるし、コンサートや舞台では見つけて合図をしてくれる。入り待ちや出待ちはしなくなったが、たまーに街で見掛けるとあちらから会釈をしてくれる。
ただ、好きになった時期が早かっただけ。ただそれだけだ。彼がいつもの合図をしてくれなくなったら、返事を返してくれなくなったら。
彼の中の「もういらないファン」というカテゴリーに入ることに恐怖を感じていた。
彼はサービスの一環でやってくれているだけであって、義務ではない。いつもありがとう、と言うとこちらこそありがとう、と返事をする。ただ、そこに数年前の嬉しさはないと思う。
そろそろ潮時かな、と思った。
ステージの上で無邪気に笑っていた幼き日の彼はもう居ない。デビューしたい、と真剣な眼差しで語った彼を、遠くから支えようと思った。
至って健全。自らの性欲や承認要求をスポーツに求めており、変な方向に走ることがまずない。村主某のように、スポーツから離れた後は要注意。
ライブ会場で団扇を回すことに命を掛けるため、風落ち危険度は低い。ライブの遠征費を稼ぐために風に走る可能性も低い。ライブチケットが争奪戦であることが幸いし、そこまで遠征費がかからないからだ
オタクの世界への抵抗が薄いのか、比較的風俗で稼ごうとする女の子が多い。ソシャゲの課金を稼ぎたいのか、他に目的があるのかよくわからない傾向あり。メイドカフェがエントリージョブとなっている。ここからバンギャ層を経て風落ちすることがある。
所謂「バンギャ」層。好きなバンドの追っかけと、一緒に枕することに命を掛ける人達である。遠征費などの追っかけ費用はジャニオタとは桁違いにかかることも珍しくなく、それを稼ぐために風俗に走る人が多い。バンギャの2ch的存在である「V系たぬきの掲示板」は、バンドの誰と寝た、という自慢話が話題の中心になっている。男の趣味が後述のホストに酷似しているため、ここに足を踏み入れた時点で半分風俗嬢に足を突っ込んでいると考えて良い。
ホストに貢いで枕してもらうために風俗で働く女の子は多い。小生が以前行ってた店は在籍の女の子全員がホスト狂いとまで言われていた。特にバンギャ→風落ち→ホスト狂い…の流れは、今どきの女の子の典型的な風落ちパターンと言って良い。色々なルートを経てホストに枕してもらうことが生き甲斐になってしまった人達である。
自担に干されて辛いジャニヲタです。ツアーは無事終わったけど私はぜんぜん無事じゃない!その日の夜は「辛い」「死にたい」しか口から出てこなかった。今はお陰さまで「もうやだ」も話せるくらいにはなって少しづつボギャブラリ―が戻ってきたかな。干された次の日、気分にまかせて服を選んだら全身黒の喪服コーデができあがって、死んだ顔のまま学校で友達に話を聞いてもらったら少し頭が整理されたのでここに残しておこうと思う。
一応ジャニヲタ以外の人に用語の解説をしておくと、【自担】自分の好きなジャニーズタレントの代名詞 【ファンサ】コンサートで(主に特定の)ファンに向けてサービスをすること。投げキスとか手を振るとか 【干される】コンサートで自担からファンサをもらえないこと。以上。
自担に干された悲しさを友達に切々と訴えながら、「ファンサ貰えなかった悔しい~~!」だけじゃ収まらない自分の欲深さとイタさに我ながら呆れつつ、結構ジャニヲタあるあるの思考回路だよね?!って思ってるので干され経験のあるジャニヲタの皆さんと一緒に傷舐め合いたいです。
前置きが長くなりましたが、ここから「干された辛い」の感情を因数分解して書き殴っていきます。
こういう思考回路がキモいのは承知だけど、干されると「嫌われてるのかな?」って反射的に思ってしまう。アイドルはファンに対して好きとか嫌いとかの感情を抱くほど興味持ってないよって頭では分かってても、でも「あれ?お呼びじゃない感じ?」っていたたまれなさでその場から立ち去りたくなる。
「告白されて嫌な気持ちになる人はいない」っていう一般論があるけど、多分それは望みの薄い片思いしてる人を奮い立たせるためだけの建前で実際は「ないわー」って人に告白されても困るだけだ。だからきっと「アイドルは自分の団扇を見つけると嬉しい」っていうのも建前で「うわーあいつまた来てるよ」とか、あんまり歓迎されてないファンもいるはずで、あれ?私そういうファンになってる?みたいな。そういう疑心暗鬼でモヤモヤするのが辛い。
もちろん干されたのは今回が初めてじゃないけど、今までは自分に言い訳できる余地があった。「埋もれだから見えなかったのかナ☆」とか「昨日ファンサくれたから今日は我慢しろってことかナ☆」とか。
でも今回はどの言い訳にもあてはまらなくて、何より一番ダメージ受けたのが「あの子にはファンサしてたのに!」っていう嫉妬。アイドルに嫉妬。すごい不毛。自分よりも前から自担を応援していたいわゆる「古株」のファンに自担が手厚いファンサしているのを間近で見て、さぁ次はいよいよ自担がこっち向いたぞ!来るぞ!ってドキドキしてたら来なかった。何にもなかった。古株にはあんなに笑顔だったのに。たったそれだけなんだけど、辛い死にたいもうやだ。
ジャニオタ歴の長い友達に愚痴ったら「分かる!!」って全力同意してくれた。彼女が前に好きだったジャニーズは割と古株を優遇するタイプだったらしく、悔しい日々を送っていたらしい。こっちがいくらコンサート諸々に本気で頑張っても古株も頑張るからその差は縮まない。「ファンの中で絶対勝てない人がいるって思うと萎えるよね」って、彼女がまさに今の私の心の声を代弁してくれて「それな!」ってその乗り越え方聞いたら「降りた」って一言。そっか…それ乗り越えてないね。
でも、自分が贔屓されたいとか、大切にされたいとか思うその欲望は、もうアイドルに向けるものじゃないっていうのも分かってる。もうそれってアイドルの楽しみ方じゃないんだよね。自分をオンリーワンだと言ってほしいならさっさと彼氏を作るべきなんだよね。いやさっさとできたら苦労しないっていう話ですねすいません。おれ明日から本気出す。
ジャニーズを好きになった最初はもちろん私もこんなんじゃなくて、見れるだけで嬉しかったしどんな席でもコンサートはテンション上がったし、いつかアリーナ前列とか入ってみたいな、当たると良いなって素直に思ってた。
それが気がつけばお座席こだわりあります系の人になっちゃって。ファンサ貰えなかったら心がどんどん凍りついていって、自担をかっこいいと思う感情さえ鈍くなっちゃって。
これが結構ダメージ大きい。そんな自分に気付いた時すごくがっかりした。あーもう私はアイドルを応援してるファンじゃないんだなーって。よく「アイドルを見たいじゃなくて、アイドルに見られたいって思ったらドルオタとして終わり」っていうツイッター格言が回ってくるけど、まさにそれ。落ちぶれたオタクになり下がっちゃってすいません。こんなのがファンですいませんって自担に懺悔したい。私もこんな自分もうやだ。
これまでの私のジャニヲタ活動は、自分が応援していることを自担が覚えてくれたら嬉しいなって、いわゆる認知になれたらいいなっていう目標目指して山道を登っていくっていうイメージだった。だから自担にファンサされたら頂上に近づいた気がして嬉しかったし、干されたらその道のりが険しすぎて泣いたりした。でも、実際のジャニヲタ活動はどこにも続いていない平坦な環で、将来に何か残るわけじゃないし、達成感とかも幻に過ぎない。「自担に構われる日もあれば干される日もある」それをただ無意味に繰り返すだけなのかもしれない。そう悟ってすごく虚しくなった。その無意味さに耐えられるかどうかがジャニヲタに必要な強さなのかもしれない。
ジャニヲタなんてずっと続けられるわけじゃないし、どうせいつか止めるなら早く止めるのに越したことはない。分かってるんだよもう。分かってるのに止める決心がつかなくてもうやだ。
でもなんか干された日のこと思い出すと、だんだん「でもチラ見でも目は合ったし悪くなかったんじゃね?」って思い始めてきて、脳の思い出美化機能がすごい。こうやって鈍感力を磨いて次のツアーも張り切って団扇持ってる自分の想像容易。辛い。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
女性を活用するという表現にフェミニスト的には違和感覚えるかもしれないけど、
そもそも男性社会があって、そこのボス猿が昨今当り前のように口走ってる台詞がこれなんだよな。
でもちょっと待って欲しい。
それなのにどうして今更女性を活用したいと言い出すようになったのか、
結局奴ら同様上から目線で女を管理職など重要ポストに宛がっとけば大丈夫だろな人間なので
ノルウェーで今持ち上がってる女性活用に関する諸問題で特に問題視されてる女性専用役員ポストを
日本でも宛がおうとする動きは見ていて滑稽だと見る人はそんなにいないんじゃないかと冷静に分析する。
何故なら女性活用先進国であるノルウェーですら女性活用の意義を見出せていないというのに
先進国やフェミニストが声高く女性を活用しろと大合唱して世論を味方につけて政治に口出ししてる現状をみれば
あくまで性別男としての見解だけど、女性を活用したいと上から目線で主張してしまうのは
要するにノルウェーで今深刻化してる諸問題をそのまま日本にトレースする可能性があって、
それによって女性活用はカタチだけになってしまうのではないかという危惧がある。
現に割と重要なポストに女性議員が宛がわれたところ、団扇問題とかゆうこりんドリル問題とか明らかにおかしな現象が
つまり性別男の求める女性活用というのも試行錯誤で問題化したノルウェーとどっこいどっこいで、
全然女性活用が出来てないのに結果だけを求めたら問題が起きてしまう所まで似通ってしまった、という所に落ち着いた。
性別男にとって女性活用なんてのは便宜上の言葉で、正直言って女性が活躍できる場所なんて受付とか電話対応とか一般事務とか保険営業とか
まあ、男の営業マンが女性を見てニヤニヤしたくなるような職業しかないわけだ。
だから、女性活躍なんて言っても女性が自ら活躍していくスタンスでやってる場所でないと当然男性社会の中に女性を入れるのだからズレが生じるよな。
そこを解消していくのが男性の仕事だってフェミニストは常に男性に責任の所在を持とうとするけど、
はい、そうですねと性別男がこれを認めた所で女性を活用できる職場づくりなんて到底不可能なんだ。
性別女はいつだって自分は不遇だと思ってる様だけど、それは違う。
実の娘とは言え、大塚家具とは関係のない会社を既に何件も成功させていて手腕はずば抜けていたし、
メガバンクが融資条件に彼女を社長に据えろと言った所を見ても、少なくともこの女社長は実力で社長になってる。
要するに、女性活用なんて甘っちょろい事を考えるヤツなんかよりずっと女性が活躍してる。誰の手も借りずにね。
結局、女性を活用したいなんて夢物語を語ってる性別男やフェミニストは、自分たちの置かれた状況なんて無かった事にしてるだけ。
努力が足りてない女性を活用してもどうしようもならん事は前例が物を言ってる。
まずは手紙を送って下さったことに感謝します。あなたは聞き飽きた
ことでしょうが、この世の中ではたとえそれが望まない形で絶縁することに
なろうと知り合う方は限られていますし、あなたの方からこうして
不意に(前は一日に五十通もの手紙を送って下さっていたと記憶していますが)
ちなみに五十通の手紙はどれも一行しか殴り書きがしていなかったので、
後でメッセージを全部部屋に並べて繋げないと意図が分からないので
苦労しましたけれど、それも懐かしい思い出です。
ただ、相変わらず変わっていないなと呆れるのは、葉書がないからといって
適当なものに文字を殴り書きして切手を貼って送るあなたの非常識です。
団扇やスルメや読み終わった太宰治の文庫本のカヴァーに切手を貼って送って来る
なんていうのはまだまだ常識的な判断なのではないかとさえ最近は思えるようになってきました。
サンドペーパーに切手を貼って送ってくるなんてのはドゥルッティ・コラムの真似事でしょうか。
おかげであなたの手紙と一緒に配達された手紙はさぞかし傷ついただろうと私が傷つきましたよ。
それにレタスやキャベツの葉っぱ、あるいは私が大好物だからといって鮭の皮に切手を
貼って送るのも止めていただきたい。夏場は特にそうです。まだ食べ終わったばかりのスイカの皮に
殴り書きなんて嫌がらせですか。おかげで他のダイレクトメールが汁でベトベトになったので
読まずに捨てました。あなたのそういう無神経な所が嫌なのです。せめてアンデスメロンの
皮にして欲しい。以前に言い合いになったけれど、メロンの皮のほうが私にはより
さて、あなたが送って下さったサロンパスですが一体何が書いてあったのか例によって
分かりませんでした。ですので肩が凝ったのでそのサロンパスを使わせてもらっています。
今から彼女を風呂で洗ってあげなければいけない。差し当たり私の方から伝えたいのはそれだけです。
年収も仕事も特に変わったところもないし、身体だけは相変わらず丈夫でいます。
何も心配されることはないので喜んで下さい。それでは来世で会いましょう。
今は私服だけどスーツの職場にいたこともある増田です。汗っかきです。
肌着は替えないよ。
ワイシャツ洗うときに泡スプレー洗剤を脇にかけとくと汗の臭いしづらくなる気がする。
ちなみに
通勤中上着は常に脱いで手に持ってたよ。カバンは肩に掛けるベルトがついてる奴を選んでた。
ワイシャツ一番上のボタンは開け、袖はシワになりにくいように綺麗に折り返してネクタイは緩める。
駅までそして電車内でも団扇で仰ぎ続ける(混み始める前の時間帯に乗ってたので車内があまり混んでないから可能だった)
肌着はノースリーブVネックのサラサラした奴。ちょっと値が張るが最近はユニクロにおいてある。
会社の最寄り駅から職場のビルに入るまでにネクタイを締め袖を伸ばしカバンを手に持ち替えて上着を着る(シャツの一番上のボタンはネクタイ締めれば見えなくなるので気にしない)
デスクについたらまず上着を脱いで袖を折り返しながらトイレの個室に行にいく。
ワイシャツのボタンを外しビオレのシートで顔と肘の裏と脇とクビと胸と背中と最後にもう一回顔を拭く。顔は最後もう一回吹かないと汗がやばい。
男用デオドラントシートより普通のビオレのサラサラシートのほうがいい。男用は臭いがきつすぎるくせに制汗作用のパウダーが少ない。