はてなキーワード: 商業主義とは
クリスマスはつくられた文化だ、バレンタインデーはお菓子メーカーの陰謀だ、
結婚式は本来あんなにお金がかかるものじゃない、年賀状は郵便局の陰謀うんぬん、
葬式は寺が儲かるために作られた仕組みだなどという友人がいる。
今度、子供の初節句に五月人形を買うと言ったら、そんなものは人形メーカーが仕掛けた文化だと言う。
うん、まぁ事実そうなのかもしれないけど、子供の成長を祈願して五月人形を買うのはそんなに非難されることなんだろうか?
そんなことを言ったら、多くの経済活動や文化、趣味がなくなりはしないか?
要するに商業主義にドップリ浸かってるというか、振り回されているというか、そういうことでしょうね。(実はこれも巧妙な搾取の手段なのでしょう)
マスコミが愚かなインタビューを続けるのはそういうのを望んでいる視聴者がいるからだ。要するに日本人がバカなのが問題なのだ。
日本の大学生が一部のトップ層を除いてまったく勉強しないのは有名な話だ(卒業が簡単という問題もある)。大学受験が終われば勉強することをやめて遊び放題。恋愛、飲み会、サークル、ヤリサー、アニメ、漫画、ラノベ、ゲーム、ネトゲ、ソシャゲ、パチンコ、風俗……。これが日本の現実。テレビCMも日本の民度をよく表しているといえるだろう。
本来大学入学後の高等教育でいかに自分を高めるかが重要であるのに日本人は大学入学試験を通過すると学習をやめてしまう。高等教育で得られるはずの教養をないがしろにし頭はずっと大学受験のままだ。暗記でどうとでもなる簡単な入学試験が頭の良し悪しを測る尺度になってしまっている。これは日本人全体の問題だ。真の意味での「知」を軽侮し、雑学クイズに明るいことこそが褒められる。日本はそんなレベルだ。大学入学率が50%程度あっても日本人はずっと雑学クイズから抜け出せず愚かなままなのだ。
視聴者である日本人がバカだから日本のマスコミはバカ向けに報道する。もしバカ向けでない番組制作をすれば視聴率が取れない。商業主義のマスコミは商業主義を裏切るほどにはバカではないから、バカ向け制作をやめないだろう。
デパ地下を歩いてたら「揚げ物ふたつください」「3つがお買い得となっております」「…。じゃあ3つで」というやり取りを聞いた
なんでこんなことが気になるかというと、実は俺も同じ店で先月くらいに同じやり取りをして2つ欲しかったのに3つ買わされたのだ
まあどちらも一人暮らしっぽい外見の男性だったし、家族連れやおひとり様女性にデカ揚げ物プラス1個プッシュはさすがに成功しそうにないので理屈としてはわかる
で、おそらくなんだが、口調と表情から察するにその人も俺と同じように面倒だからこの店では二度と買わないと思ったと思うのだ
普通の店なら目先の1個のために客を不快にするかもしれない営業はハイリスクなんだけど、幸か不幸かここは駅前デパ地下、新規の客なんていまどき観光客含め山ほど来るのだ
ちまちまリピーターなんぞ作ろうとしなくてもプッシュプッシュでどんどん売りまくればどんどん捌けるのだ
まずなんかもうロキノン厨の空気をすごく感じる。自分が合わない集団の匂いがすごいする。自分の認識の上でロキノン厨は「やたらと過剰で濃い歌詞で、やたらと過剰で濃い叫んだ歌い方で、やたらとつまらない、安い作曲/編曲技法ばっかワンパターンで使ってるのに、やたらとファンが多く、そしてファンが一人ひとりやたらとその過剰で濃い表現にエモいエモい言ってて、見てるとうわあああああああああとなるわ」的な認識になってる。それが鳩羽つぐ界隈のあれこれにもかなり感じてしまう…。
鳩羽つぐってまずlain系の世界観をやってるだけじゃん。ありがちなlainフォロワーに感じる。で最近またlainもいやに流行ってるし。そしてそれを好むファンがそれに向ける言葉がまたロキノン系の歌詞っぽいというかやたら濃いというか変に神格化してるというかとにかくロキノン厨っぽい雰囲気すごく感じるから嫌なんだけどそれが直で鳩場つぐ界隈のファンにもまるまるあるんだよな。
今の時代なのにあえてフィルムカメラっぽくしたのを現像してみたり的ななんかとにかく表現が安いのにそれを全く疑問に思わずに「すげぇ…このフィルムカメラのおしゃれな感じ俺好きなんだよ…」と言わんばかりの上げ方をするようななんかもうそんな安い表現に対してエモエモなってる感じがある…。
崇め方がまさになんか某バンドの志村さんが死んだ後の志村さんの神格化みたいな、なんかもうロキノン厨にありがちな浅く安い悦に浸った崇め方で見ていて疑問ばっか湧くわ…。そういうことを思わない人たちが平然と神格化作業をしてるんだよな鳩場つぐとか志村さんとかに対して…。特に鳩場つぐなんてもろに商業主義でクラウドファンディング始めてるやんけ…。
みたいなことをシカゴ学派の総帥のミルトン・フリードマンが書いてた気がする。
黒人が出した金だろうが価値の変わらん金銭取引の方が差別は起きにくいだろう、
金銭ではなく「信頼」のようなものに基づく取引になれば、コネを持たない者、特に被差別者は取引に参加できなくなる、
被差別者や少数派の当事者・擁護者の中に「商業主義や市場経済は差別を助長する」と主張する者がいるのは奇妙なことだ、とのこと。
https://anond.hatelabo.jp/20180706031659
この増田は素直にペットショップで金を出して猫ちゃんを買えばいいと思う。
増田の外見・言動がどんな不審者でも揉み手で「可愛い子選びたい放題ですよ!」と接客してくれるはずだから。
愛護団体のオバハンたちは金銭を取らない代わりに、承認欲求・支配欲求の充足という対価を得るために、増田から時間・気力・基地外に頭を下げることで失う尊厳という貴重な資源を支払わせている。
この世にはフリーランチもフリーキャットも無くて、結局なんらかのコストは支払わないといけないのだね。
金のために動物を虐待的な環境で飼育する業者と、自己実現のために他の人間の人生の一部を奪いに来るオバハン、同じ社会悪なら、猫を飼うという自分の目的に役立つ方を選べば良い。
毎年この時期になると、YOSAKOIソーラン祭りの日程を確認する札幌市民って、少なくないと思う。
DQN度が高い衣装を着て、ケバいメイクしたねーちゃんにーちゃんたちが、市内各所で踊る祭りで結構規模が大きい。
真駒内とかの市街地から外れたところの会場については特に文句もないんだけど、土日に大通公園という札幌中心部を占領(付近一帯車両通行止めにさえして)して一日中踊ってんの。踊ってる最中は歩行者でさえ道路横断できない。
迂回するのもめんどくさくてご一行が通り過ぎるのを待つときもあるんだけど、とろとろ踊ってんじゃねーよ、さっさと行けって内心思ってる。こっちはそんなケバケバしい祭りを楽しむって気分じゃないから、音響の音の大きさも神経に障る。
ふつうに買い物行きたい人間には邪魔でしかない。市民の生活の邪魔してまでやるお祭りじゃないだろ、あんなの。
大学構内のサークル会館横を占領し、「ご協力お願いします」って通行人に車道を歩かせてる場面に以前遭遇して、例に漏れず自分もご協力させられた。
歩行者より偉いものって救急車両くらいだけど、お前ら救急車消防車レベルで人々に必要にされてんの??マジで害悪でしかないだろ。
地下鉄の乗り降りや移動には気を使ってるみたいだけど、根本の我が物顔精神は踊り子の中で変わらないらしい。この件でさらによさこいが嫌いになった。
商業主義に走ってるみたいだけど、外から見ると内輪のイベントと化しているように思う。それならなおのこと、大通を会場にするのは嫌悪派との軋轢を生むだけじゃないのか。
楽器全体を考えると、ギターは相当簡単な部類に入るぞ。歌の伴奏が主で大して技術も必要なくしかも安価だから、大昔はフランスやイタリア、ドイツの貴族の遊びだったし(リュートは非常に難しい)、酒場では欠かせない楽器だったし、アメリカのブルースやフォーク、アルゼンチンのガウチョの遊び、日本の昔のフォークブームなどなどに用いられた。
ロケンロールもさ、最初のギターの役割は素朴な歌伴だったけど、途中からサーカスの曲芸みたいになったのよ。いかにギターで凄い事できるか競った時代がアメリカにあって、ハードロックやメタルにその遺伝子は受け継がれるんだけど、どこかで無理があった。んで、ロックは商業主義的で素朴じゃねえだろという社会運動があって、それで生まれたのがザ・フーだったり、セックス・ピストルズだったりパンクの面々なのよ。ボサノバもこの系譜。日本のハイスタなんかもこの流れ。
要はさ、ギターは簡単で歌の伴奏にうってつけな楽器として発展してきたってわけ。オルガン、オンドマルトノとかホルン奏者の方がよっぽど辛い。