はてなキーワード: 創作物とは
はあちゅうに限った話じゃないけど,童貞を肯定的に語ろうとする奴は,いつだって手前勝手なファンタジーを開陳しやがる。
だけど,童貞は実在するんだ。そこにはろくでもない現実がちゃんとあるんだよ。
それを目の当たりにした時に,あいつらは普通に思うだろうよ。クソキモいってな。
「童貞的なものが好き」なんて普通だよ。その辺描いた青春モノの創作物なんて,腐るほどあるからな。
だけど,それはあくまでノスタルジーで粉飾されたファンタジーでしかないんだよ。
「童貞的なものが好き」なんて言ってる奴らは,実在する童貞の全てを愛でたりはしない。
40超えても童貞。その先も,どうせ死ぬまで童貞。そんなキモいオッサンのことを愛でてるわけじゃないんだ。
それを好きだってんなら,勝手にしろ。だけど分かっとけ。それはファンタジーだ。
お前の愛する「キレイな童貞」を,現実のキモくて臭い童貞と同列に語るんじゃねぇ。
童貞のどうしようもない現実を,お前らのくだらないファンタジーに巻き込むのはやめろ。
こっち来んな。住んでる世界が違うんだよ。
学校の底辺と言えばいじめられっ子、運動音痴、学力底辺のブサメンだが
まあ創作物というものがヒエラルキー下位に好まれがちだから分かる
こういうの、ヒエラルキー上位陣はどう見ていたのだろう?
学校における陰キャはそのまま社会人底辺にスライドするケースよりも、ある程度普通ラインに収まるだろう
私も実際のところ底辺というほどではないので、社会人の底辺物語を見せられてもうーんとなる
学校においては、ここ20年は徐々に「ふつう」キャラが主人公になるケースが出てきたが
社会人のふつう主人公はあまり見ない、出てきても「普通のサラリーマン」という設定くらいだ
まあ書きにくいのはわかるが
(この前マツコのなんたらで見た)
男性向けは一歩遅れている感がある
か、知らないだけか
だけど実際はどうだ?
何か一作でも書き上げたことすらない。星新一サイズの掌編どころか、2chの1レス分に入るような小話やショートショートすらないんだ。もしもこんな俺がラノベ作家になったとしても幸福にはなれないだろう。なった所で締め切りに追われてつまらない毎日を過ごすだけだ。
といった感じのオタクが俺は好きなんだよ。
結果を出してるオタク。薄い本を書き上げることが出来てしまったオタク。ブログが大人気のオタク。いつの間にかウェブライターになったオタク。ツイッターで皆のアイドルしてるオタクですら気に食わない。ツイッターで言えばフォロワーは3桁以内じゃないと駄目だな。4桁まで行ってるオタクは何かが違う。たとえそれがフォロー人数を4000とかまで増やしてフォロワーが1000になったという形であっても、俺のイメージするオタクとは違う。俺の好きなオタクはプライドが高くて完璧主義だからフォロー人数は400ぐらいで頭打ちになるんだ。全部読もうとしたり、こだわりに合致しない奴を次々リムーブしたり、理由はともかくフォロー人数を4桁まで増やしたりはしない。万一超えても1500がリミットかな。
自分に自信がある理由が説明出来るオタクは駄目だ。他人に説明して恥ずかしくならないような経歴があるようでは駄目だ。せいぜいが小学校の頃学級員長だったり、高校入試で難関に受かったぐらいの所が限度だ。そっから先で東大に受かってたり、会社で表彰されたりしたら駄目だ。年収も年齢*15を下回るぐらいじゃないと。年収があるってのは社会的な地位があるってことだ。それじゃ駄目だ。オタクとして駄目だ。オタクは負け組じゃなければ。燃えるようなルサンチマンの塊でなければ駄目だ。
今のオタクは豊かなオタクが多すぎる。まず友達がいる。オタクに友達がいていいのは大学までだ。大学を出て3年したら友達の数が0になっていなければ駄目だ。そして金があったり能力が合ったり結果を出していたりする。駄目だ。駄目だ。オタクってのは消費する側で無ければ。消費しか出来ないのがオタクだ。何かを生み出しては駄目だ。ものすごーくたまにゲームの攻略WIKIを更新するも、内容が使えなすぎるから一週間後にはまるまる書き換えられているぐらいを関の山とすべきだ。
黒歴史ノートを書いたことはあっても、それを人に見せるのは不可能じゃなきゃ駄目だ。オタクはプライドが高くなければ。無駄にプライドが高くそれゆえに失敗を恐れるし人とも関われずそれゆえに無能でなければ。そうでなければオタクではない。
そもそもオタクとは生まれ持ってして社会不適合でありいわば定型発達に失敗している※アスペ(※この言葉を使ってしまったのは屈辱だがこの言葉はこの場で私が表現したいものにかなり近いものがあり他の表現を使うよりも正確に意味を伝えてくれる。)でなければならない。そういった漫画やゲームが無ければ生きる希望の無さに耐えられず死んでいたはずの人間でなければいけない。本来世の中で生きる希望など一切なく中学高校まではまだしも三十頃になればいよいよ生きる事といつか人生が好転する事を期待する事に疲れ果ててそうして苦しむことのマゾヒスティックな刺激にも飽きてしまって死を選ぶ以外の道を失うような所をオタク的な嗜好品によって何とか救われた生き物でなければならぬ。
オタクは創作物によってかろうじて生かされていなければいけない。それは自分が生み出す物ではなく人が生み出すものでなければいけない。作る側に回った時オタクとそうでない消費するだけのオタクは別の生き物だ。同じ名前で呼ばれている別の生き物だ。オタクとは生まれたてのチワワと鍛えたドーベルマンを丸ごと犬と呼ぶような大雑把な枠組みなのだ。そしてオタクの本質が宿るのは消費することしか出来ないくせに口だけは大きい極めて無能であり守る価値もないクズの方なのだ。そこから脱皮して進化したオタクやそもそも別の所からやってきた外来種たる新型オタクはオタクと呼ぶのが憚られるような代物なのだ。
偽物のオタクばかりがオタクと呼ばれる時代にいい加減嫌気が指してきた。消費しか出来ない生まれついてのアスペに対する新しい呼び名が必要ではないだろうか。
少年漫画なんかで努力するキャラみたいなのがいて、一定の人気はあるかもしれない。
だが、こいつらは大体が出来ないことが多かったり、作中の一線級キャラとは劣っていたりする。
とはいえ作品の都合上、作中上位のキャラと互角に渡り合ったりして、努力ってすごいなー、とか、こんなに頑張ってるんだから応援しないとみたいに感じる人がいて、ほぼまぁ、どんな創作物にも存在しているのだと思う
だが待って欲しい。他人が努力している光景なんてものを、現実ではいつどこで目にするのだろうか。
努力なんてたいていは影で行われるものであって、目につかない。
漫画やアニメ、ドキュメンタリーでは、そこが意図的に見える様にされているだけで、実際はそうではない。
なんて言葉は、私に努力している姿を見せなさい、もしくは、努力している風にしろと言う話であって、影での努力を求められているわけではない。
というか、そんなの誰でもやってる
つまり、漫画やアニメに存在するような努力キャラはファンタジーの様であり、現実の努力キャラとはロビー活動家である。
日本が舞台じゃないし登場人物が外人なのに日本で日本人が演じるから間違っている。
この逆を行けば大ブレイク間違いなしなわけだよ。
日本が舞台で登場人物が日本人の作品を日本人が演じればいいのだ。たとえそれがどんなにファンタジーでも日本が舞台で日本人が演じる限りはきっと溢れんばかりのリアリティが観客の目頭を焼き尽くし視覚野にこれは現実だと錯覚させること間違いなしである。
しかし、それが元々リアリティのある作品であっては面白みがない。たとえば半沢直樹や下町ロケットは内容こそふざけていたが作品の地盤そのものはこれといってファンタジーでは無かった事が記憶に新しい。あれでは駄目なのだ。リアリティのあるファンタジーによって脳に混乱が引き起こされ、それによって◯◯はいいぞしか連呼できない傀儡を生み出すに至ってこその実写化ではあるまいか。
ならば選ぶべきは限りなくファンタジーでありながら舞台が日本であり日本人が主役の作品だ。そこで私が推奨するのがFate/stay nightである。殷賑極まるソーシャルゲーム業界において、話題性において頂点にすら立っているとすら噂されるあのFGOの原点、日本有数の傑作文學でありながらジャンルが18禁ビジュアルノベルゲームであったばかりに頭の固い老害の暗躍により認知を拒まれ続けた悲劇の雄篇である。
他人の成功を妬むしか脳がないネットモヒカンの手によりアーサー王が美少女であることばかりが殊更に注目されるが、この作品の主要人物は大部分が日本人である。主人公、ヒロイン、ライバル、主人公にそっくりな正体不明の強敵にして頼れる兄貴分、創作物を顕現させる器として選ばれた名も知らぬ農民にして無銘の妙手、これら全てが日本人である。当然舞台は日本の冬木市、モデルは神戸。
何故いつまで経ってもFateが実写化されないのか不思議なぐらいだと思わないかね?私は不思議だ。日本七不思議を現役世代だけで決めるなら絶対に入れるべきだろう。
単に好きな傾向の話がBLに多い。
だいたいみんなこういうBLが好き、BLのこういうとこが好き、というのがあって、それはほかの創作物だとなかなかお目にかかれなかったりする。
故に稀に女性二人を見て「BLだ」と言ったり男女を見て「BLだ」と言ったりする。
ネウロのネウロ×弥子ちゃんの関係などは大変BLだった。普段BL描いてる人もBLカプと平行してネウヤコ描いてたりした。
もう少し具体的に言うならば、個人的にはBLは『駄目な人を愛するジャンル』だと思っている。社会不適合者、弱者、小物、性格が悪い、見た目が悪い、などなど。攻めが駄目な場合も受けが駄目な場合もある。その辺は好み。
試しに人気のある商業漫画読んでみるといい。物凄い駄目人間率だから。
しかし「生まれ変わったらBLになりたい」は聞いたことがないんだけどBL(概念)になりたいとはなんぞや……?
美青年になりたいではなく?
古臭いとは思うけど、現行刑法には第175条にわいせつ物頒布罪があるからね。
刑法175条を撤廃しよう!とかいう運動も一時期あったみたいだけどキワモノで終わったみたいだし。
実写であろうと創作物であろうとその文書を目にすることで社会通念として「性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性道義観念に反する」かどうかで判断される。
コンビニで売る売らないというのは販売者の自由だけど、男性の性欲のために創作物は全てOKにしたいなら刑法改正から攻めた方がいいよ。
プロアマ問わず面白い創作者ってほぼ確実にTwitterやってないか何かの宣伝or報告にしか使ってない現象は根底に何があるんだろう
この世のすべての創作物に触れたわけじゃないから一応「ほぼ」はつけたけどマジで例外知らないし何か取り出せる類型のようなものがある筈
だから小説やアニメは基本見なくてマンガとゲームを趣味にしてる私でも見ることが増えた
なろう系って転生する以外にネトゲのRPG風な設定というのが基本だからゲーム好きな自分としてはけっこう楽しめる
だけど、問題があって、ちゃんとした完結が来るのか(見れるのか)がわからない
自分が読むのはマンガであって原作の小説はあんまり手を出す気が起きない
お金もらって出版社でだしてるんじゃなくてあくまでフリーの投稿サイトにある趣味の範囲の創作物なんだ
そこで思ったのがノベルゲー
ゲームって基本発売時にはストーリーは完結していて、連載ものみたいに待つ必要がない
それに周りの意見でフラフラすることもなく最初に決められた流れでいい感じに終わってることが多い、と思う
個人的にはノベルゲーって、キャライラスト・背景・ボイス・BGM・映像・演出・ユーザが操作可能といろいろな点で通常のノベルやマンガやアニメよりも優れてると思う
動き的にアニメがいいって人もいるけど、個人的には自分のペースで見れるほうが嬉しい
あくまでストーリーの感じがなろう系なものであって、実際になろうにある作品がノベルゲー化したものは逆にダメ
完結してない中途半端で、ラノベをアニメ化したものをゲームにした中途半端なクオリティの予感しかしないのでオリジナルなタイトルがいい
基準としては
・主人公は現実世界の知識があって現実離れした世界に行ってそっちの世界が舞台になること
転生でも転移でもどっちでもいい
・異世界に馴染むシーンから始まって、見る側が面倒なファンタジー世界の設定を一気に理解する手間がないこと
個人的に完全ファンタジー世界のマンガはあんまり読まなくてその理由が設定理解するのが疲れるからだったりするのでそこが楽なのがなろう系の1つの良いところだと思ってる
やっと理解できた。
これは明確に「男性作家が描く女性像は3パターンしかない」ってのが間違っていて、男性作家が描く女性像って、現実に存在している女性の性格の類型+物語のために要請された奇形的な精神性、って数があって(これはある程度漫画なりアニメなり小説なり創作物に触れてる人ならわかるだろ?)、
更に言えば女性作家が描く男性像も現実に存在している男性の性格の類型+物語のために要請された奇形的な精神性、って数があるし、
もっと言えば人間の作家が描く人間像って現実に存在している人間の性格の類型+物語のために要請された奇形的な精神性、って数がある。人間以外の生き物が創作を始めても同じことだろう
https://togetter.com/li/1171485
俺はアラサーの男で、人に性的な目で見られることがたぶんほとんどない。なので人に性的な目で見られることが不快かどうかは、正直よくわからない。
ただ電車に乗ったある日、ふと気づくと露骨に顔を覗き込んでくるちょっと普通の雰囲気じゃない真顔の汚い人がいて心底ビビったことがある。そして俺が気づいて顔をそらした後も、俺が下りた後もずっと俺を見ていた。自意識過剰も承知の上でとにかくかなり気持ちが悪くて、…まあいいや、すぐ忘れるだろ!と思ったけど3年以上たった今も覚えている。
たぶん「人に見られる」ということや「人に見られていると感じる」ことは、それだけでわりとストレスになるんじゃないだろうか。知らない人ならなおさら。あまり人の視界に入らない同族の方にも是非想像を張り巡らしてみてほしい。
そしてそれが「性的」となると、ただ不気味なだけではなく、より現実的な危機を予感させるものになるのだ。
性的な目で見られたことをきっかけに直接身体的な危機・被害があったり、そういうエピソードを伝え聞くことによって、性的な目で見られる=危険で回避すべき=不快、という感情トリガーと結びついて回避しようとするのは生き物として合理的だ。「性的な目で見られることが不快」という根底にはきっとこういう経緯と感情が流れている。
(他にも「性的=いやらしい」みたいな洗脳的教育の影響があるのかもしれないけど、こっちは意味がわからない。いやらしいって何?)
ともあれ「性的な目で見られること」は危機を感知させるものであり、「常に性的な目で見られているかもしれないと感じること」はいうなれば危機感知センサーが常に警報を鳴らし続けるということでそれはたいそう疲れ滅入るというか、結果として「キモイ」「ムリ」という感情が表れるのもある意味正常だよな、と想像する。
そしてそれがまして14歳などという中二前後、ヒトの最も繊細で危なげで多感な時期に「危機感知センサー」を鳴らし続けるのはさぞかし辛かろう。自意識過剰で感情の行き場がなくなりやすくてべらぼうに傷つきやすい人達が「これはもしかして、自分のことでは…?」と悩んでしまうとしたら、それはなんだかかわいそうだと思うのだ。その後の価値観・考え方にも大きく影響するだろう。
だから、本人が特定されようがされまいが、「もしかしてこれって私のことだろうか、私は常にこんなふうに誰かから見られているのだろうか」と誰かを不安にさせることは、思いやりの心を持った人間としては、極力なくしていきたいというものだ。人の目に触れないところで楽しむなり、創作だと断言したり、やりようはあるはずだ。
ちなみにあの件、SNSで拡散すればするほど、創作物を目にして自分のこと?と不安になる人も増えるだろう。作者だけでなくシェアした方々は己の影響力を過不足なく見極めていただきたい。想像力と思いやりのある人間ならば。
とはいえ人が人を性的な目で見ること、とくに男性が女性を性的な目で見ることは避けられそうにない。なぜならその外見の性的魅力への感情がトリガーになって生殖してきたのがヒトだから。なので本当の本当は、性的な目で見られる→危険!→イヤ!!という感情の結びつきが、その原因となる事案がなくなるといいよね。ヒトがヒトに優しくなれるように、できることや抑止力はないかなぁ…。
ところで、性的な目で見られること、あるいは二次元として創作されることが「消費される」「モノ扱いされる」とはどういうことなのだろう。それは何がいけないのだろう。記事を読んで懸命に考えたが引き続きわからないままだ。