はてなキーワード: 再現性とは
目標達成や努力の話に、交通事故を例えで持ち出すのが知的障害者の臭いがプンプンするな
失敗の再現性とかいう論理性皆無の独自理論(笑)への強いこだわり(笑)
やっぱちんさんって知能低すぎるバケモン多すぎ
御託はいいから受験失敗した人のアドバイス需要を示す実例を早く寄越せよ
脳の作りに疑問があるレベル
『お互い間違っているかも』という対等なポジションを取ることからスタートしよう←これwwwwww
できるわけねーだろwwwwwww
バカ親の思い込みに付き合ってたらいつまで経ってもワクチン接種すらできねーよwwwww
それどころかインチキな電磁波対策の施されたイヤホンを使えだの、1本5000円のEMゴールドwを飲むことを要求されたりエスカレートするだけwwwww
そもそもなんで明確な根拠を持って「これは初歩的な科学的事実にすら反しているからデマだ」と断言できる側が、
ワクチンのマイクロチップだ人類削減計画だと、嘘八百を並べ立ててただけの信ぴょう性の低いソースを対等に扱わなきゃいけねーんだよwww
それこそアホのよく言う間違った相対主義だろうがw
お前と私とどちらが正しいのかなんて誰もわからないのだから、50:50だ!とかいう宝くじも隕石もいつ当たるかわからない世界観w
査読された論文すらない主張と、多くの試験が行われて再現性が見られてる主張とが50:50ww
もちろんエセ科学のデマと違って政治や組織について「実は裏があるらしい」という話は、
ほとんどの人間は十分な一次資料にアクセスしたり検証したり出来ないし本当のところはどうかわからないかもなww
でも散々デマを流してるアホからきた話を信じてやる理由はないよね?????
合理的に考えたら「検証可能なことでデマを流してるこいつは他の事も信憑性が低い」と判断して却下するのが当たり前だろwwwwww
どこかからか拾ってきた恐ろしげな血管や細胞の画像(無関係な疾患のもの)に恐怖を煽る文章を添えたキメラのような記事を真に受け、
定量的な話が一切ないワクチンに入っている危険成分一覧などという話を真に受け、
ワクチンの成分すら明らかになっていないなどという社会システムを理解してない嘘を真に受け、
政府の出す説明は全部ウソ、日本の東半分は放射線に汚染された死の大地なのに政府は嘘をつき続けている!と雄弁に語る人の話を
何をどうすればそのデタラメすべてを一度正しいかもと受け入れてあげるなどという狂気の行動が取れるんだよwwww
受け入れてあげた途端に「絶対にもう予防接種など受けるなよ」「それとあれとこれとあれと………(何十種類もの食品名や成分名)は危険だから絶対に食べるな」と言われてどこまでも束縛される。
インターネットを、いわゆる”普通の”人達が使うようになって15年ほど経ったと思う。
その中でtwitterやinstagramといったSNSが流行りだし、それをほとんどの人が使うようになった。
色んな人が、自分の経験した事のない"素晴らしいもの"や"憧れ"といったものを、SNSではしばしば見かける。そうしたものにあこがれて、つい高望みをしてしまう人々が増えた。とのではないか思う。俺はそんなに長く生きていないので増えたかどうかは分からない。
そのような素晴らしいものや、憧れの良い所だけを切り取って、新しく生まれたもの理想が現代の神であると思う。
この神とは、"理想"の上司、教師、夫、彼氏、子供、生活、仕事、これらの事を指す。理想の嫁や彼女というのはあまり聞かない。なぜかは分からない。
勉強熱心で愚痴も言わず、反抗期も無い。とにかく手がかからず、成績も良く母親思いの子供で、どんな時でも味方してくれる。
こんな子供があり得るだろうか?あり得ない。
勉強熱心であるなら、それに伴う負けず嫌いさや、負けた事からの愚痴が出るだろう。どんな時でも味方してくれるというのは人間なのだからありえない。
虐待児であれば話は違う。どんな時でも味方してくれるだろうが、日々のストレスから勉強熱心にはならないだろう。
恐らく、インターネットが普及する以前はこういった"理想"は今よりも曖昧なものだったのではないだろうか。
これがSNSの普及により、この”理想”が急速に統合され始めた。
人は多様である。多様な人々には、やはり多様な理想があるだろう。
この多様な理想は、叶えられるべく、人の形をして、つぎはぎの、矛盾だらけの形で現代に顕現した。
問題はこれが神であるのにも関わらず、多くの人が”自分の周囲には存在しないがどこかに実在しているかもしれない”と思っている事である。
神しか持たない資質を、人が備えていると認識してしまう。これにより様々な問題が生じている。
少子化について、"理想の相手と結婚したい"というのは今と昔で意味が異なる。
昔の意味では"ある程度主観に基づいての理想"であったものが、現代では"神と結婚したい"というニュアンスになる。
自分の理想によって相手がキャパオーバーする。しかし、そういった"理想の相手"はどこかにいるかもしれない。
つまり、キャパオーバーを引き起こした相手は"理想に届かなかった"。
人間を人間として見ていない、これが少子化を引き起こしていると俺は思う。
では人に神を見てしまう問題を解決するためにはどうしたらよいか、インターネットを無くすことだろうか?無理だと思う。インターネットは最早人の手に負えるものではないと考える。
新しく宗教を作るのが良いのだろうか?
昔の神には自然災害や病気などの罰と、豊穣や運命などといった褒美があった。それらは当時の人間には原因の分からない事だったこそ、神を人と違うものとして崇める事ができた。
天罰と天佑を以て人を制御する。そのような神はもう作れないのではないだろうか。
罰を失えば神はただの理想になってしまうとまで考えて、ああそうかと納得した半面、嫌な気持ちになった。
分からない、思い当たらない。
余談だが、再現性の無い、偶発的な解決策として、夢で神を見るというのがある。
観察の結果、そう思うようになった。
もちろんあくまで女性一般に思うことであって、女性だから当てはまるということもないし、男性だから当てはまらないというわけでもない。
傾向としてそう認識しておくと、色々すんなり理解しやすいという話。
先に男性について書くと、男性にとっては自身の心身の状態がフラットにあるのが普通であって、気分が盛り上がったり盛り下がったりするには、何か原因となる出来事(ないし薬物)が必要になる。同じく体調の良し悪しにも原因となる怪我や病気、もしくは精神的な不調があるのが当たり前だ。
だから男性の世界観においては、心身が普通の状態が当たり前であって、心身の不調に対しては何か異常な原因がある、という認識が至極当然のものとして生まれる。
それは「心身が不調ということは何か異常があるのだから、その異常を取り除かなければばならない」という思考につながる。
この思考が原因となる衝突が、男女間にはとても多い。
対して女性にあっては、主に生理周期の影響で心身がフラットな状況にあるのは限られた期間・時間であり、何も特別なことがなくても気分や体調の上下は自然現象として起こるもので、それが普通の状態である。
根本の原因はあるものの、解決不能なものだ。(ここでピルの存在を上げるのは論外)
気分が落ち込んだりイライラしているからといって、何か特別な出来事があったとは限らない。どうしようもなく、何の理由もなく気分は落ち込むし、イライラする。個人差はあれ、それが日常だ。
しかし男性はそれを見ると、「なぜ解決しないんだろう?」とか「解決してあげよう」とか考えてしまう。だってそれは異常な状態のはずだから。異常を取り除けば普通の状態になるはずだから。そうすべきだから。
あまつさえ、その個人差を見て「あの人は性格が良い」「いつもイライラしていて心が狭い」みたいに評価してしまう。だってそういうふうにしか見えない。異常を取り除いていけばイライラしたり怒ったりせずに済むのに、それをしないのは頭が悪いか、他人への影響を考慮しないからだろう。そんなふうに考えてしまう。
男として擁護するなら、なんというか、こう、
雨が降るたびに容れ物持って外に出て雨水集めてる人がいたら、不思議に思うでしょ? 川に水汲みに行ってくるとか言われたら、何で?ってなるでしよ?
水道がないなんてこと、水道が当たり前の国に住んでたら想像つかないのよ。
そんな感じ。
話を戻すと、
だから女性にとってフラット〜良い心身の状態というのは、限られた資源であり、また積極的に獲得していく必要のあるものになる。
ネイルもヨガも占いもインスタ映えも、そのための活動であって、そうした必要性と合理性で存在している。
「イライラすることがあったから、ネイルに行って気分を上げる」
これに対して、「イライラの原因を取り除こう」なんて言ってはいけない。
「根本的な対応をしないと、イライラすることを繰り返しちゃうんだから」なんて思ってはいけない。
イライラはするのだ。どうしようもなく。
なんならキッカケへの対処なんて終わっていたりするのだ。
でもキッカケでしかないから、イライラはイライラで対処する必要があるのだ。
Aが起きたらBが起きる。
男性の世界観では常にそれが成り立ったとしても、女性の世界観ではAがなくてもBが起きうるし、AによってCが起きることもある。再現性は薄い。
そうした不確かな世界に生きていると、科学や占いに対する捉え方も当然変わってくる。
他者からの自分の見え方を重視するのも、ネイルや化粧にこだわるのも、自身の不安定さを外側から支えるため。そこには切実な必要性がある。
そういう風に思っておくと、だいたい上手くいく。
上手くいかない時もある。
最近「科学的に無害と明らか」みたいな言葉をよく聞くけど、そういう言葉って科学をよくわかってない人ほど言いがちで、言う人ほど科学を無邪気に妄信し過ぎている気がしている
「科学的に正しい=何があっても覆らない絶対正義であり真理」みたいに思っているのだろうけど、世の中でそのようなものはほぼないし、あってもごくわずか
例えば、1000人に飲ませれば999人に効く薬があったとしても1人には効かないこともあるわけだ
研究結果でも作用機序が明らかで、統計的にも薬に効果があることが間違いないなら「その薬が効くのは科学的に明らか」なんだけど、例外的にレアな遺伝子型や体質や、諸条件が揃わない患者には効かない、ということもあり得るのが普通
とすると「科学的に明らかなことだけど、例外も頻発する」みたいなことも起きるわけで、それは別に珍しいことではない
いかに科学で正しいと解明されたことでも、その証明のために行った実験では必ず色々な条件を定めている
実際に発生した条件が、確認実験をした条件と極端に異なる場合、予想外の事態も当然起こりえるわけだ
コロナのときもあった、「次亜塩素酸空間散布は効果がない」とする話も、実際はそんなことなくて、密閉空間で高濃度に散布したら当然だけど効果があるわけ
ただそんな空間は人体に有害だし、人体に無害なレベルまで濃度を下げたり換気しつつだったりすると、その除菌効果を確認することが困難、という話が真相なわけだよね
だけど、「あんなものは効果ないことは科学的に証明されている」と言う人はとても多かったと記憶している
「効果がある」「条件によって効果がある」「効果を確認できない」「効果がないことが証明されている」のような話はすっぱり線引きができるわけではなくグラデーションで、誠実な人ほど断言に躊躇する
STAP細胞の時も、一般の人は、あるんですかないんですか、が興味の対象だったけど、「現時点で再現性よく作り出すことはできないけど、そういうものが作れる可能性がある」みたいな、一般の人からすると意味わからん答えしかできないのが真実なことも多い
でも、一般の人はより断言されたはっきりした物言いを好むので、「科学的に証明されている」みたいな言葉は独り歩きしがちだ
色々悩ましいニュースは多いけど、
・その濃度は科学的に無害だとしてもその量でも無害か?(逆も同じ、その量は科学的に無害だとしてもその濃度でも無害か?)
・その行為は科学的に無害だとしても、長期間繰り返しても無害か?
・人体への影響が科学的に無害だとしても、我々がまだよく理解していない生物種や、微生物などにも無害か?
・根拠とする無害・有害のラインは人類が世界中で追試し確認してきたものなので信じるとしても、件のサンプルへのアクセスは当事者しかできない。サンプルの状態を示す数値は、本当に発表者の言う数値を信頼していいのか?
この辺は、報じられるニュースだけでは絶対に判断できないことだろう
だから我々科学者は「一般的に無害なのはわかるけど、懸念点も残るよね」と思うし、感情的に反対する人の考えていることもむしろ素直な疑問と思っている
そういう方を馬鹿にするように「科学的に大丈夫なのにw」みたいに言う人ほど、科学は科学ではなく魔法のカードのように思っているんだろうなと思ってしまう
インタビュアーも話者も、成功して生き残った存在であることはある程度前提として自認していて、その上で後進にアドバイスしているのではないか。
そんな記事に対して安直に「これって生存バイアスですよね」と言ってしまう読解力と想像力のない読者が怖いし、ちょっとバカなんじゃないかと思うことがある。
生き残った理由や要素を部分的にでも参照し、自分の生活や人生に活用できるかどうかを読み取るべきで、
「こいつは生き残ったバイアスで語ってまぁーす!!」と宣言したところでガチで生産性がない。
テレビの前で野球の采配に文句を言う昭和のオヤジみたいな格好の悪さがある。
また同時に、ネットには少し調べればそのジャンルにおいて失敗してしまった人、方向転換を余儀なくされた人の事例がでてくる。
それらとの比較検討や共通事項の洗い出しをして初めて「生存バイアス」かどうかが意見として出せると思う。
安直に「生存バイアスだ」とコメントすることは、本当の生存バイアスを霞ませる弊害をもうむ。
そのため、私は成功者の意見を見聞きする時は「生存バイアス」という観点は備えつつも一度考えずに、
を観点として持ち記事を読み、必要な場合はコメントするようにしている。
まとめると、安直に「生存バイアスだ」と思考を巡らせることは、自分の発想や行動を知らず知らずのうちに狭めてしまう可能性があるので、
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469423
「ブドウ農家なら知ってる。房数を多くしすぎ、成らせすぎ、長く付けすぎ」←これがトップ。
他にも、新規参入を叩いたり、弟子入りして修行しろだの、原因がわかっても海外に流出するから公開するな、とかやばいコメントばっかり。
もしかして世の中の人は栽培技術を門外不出の職人技だと思ってる人が多いの?
栽培技術は農研機構や県の研究所が何千何万通りの栽培手法を、何年もかけて再現性を確かめてやっと普及させてる、ばりばり理系のものなんだけど。
今回のような原因不明な病気に対して農家自身が研究して次回実験するなんてしない。
自分で原因を断定して次作で試すなんて怖くてできないよ。