はてなキーワード: 再現性とは
健常者でさえ幸せに生きて給料と時間の余裕がある生活ができる訳でもないのに子供産めるわけないだろ
子供を産むってのは障がいがある子を産む可能性だってあるんだよ
障がいのある子供の人生、健常者でも何かしらでつまづいてしまった子供の人生を支える覚悟と算段があるのか?
たまたま今の仕事は自分に合っていてトントン拍子に評価され年収もそこそこになることはできたが、就職するまでは勉強もスポーツも芸術分野も何もかも底辺だった。運良く記念受験予定の自分の能力では引っかからないような大学が倍率が低くなって受かったり、たまたま自分に合う業界に入れたから良いものの、そうでなかったらろくでもない人生にしかなってない。
そしてもし私が子供を産むとしても、私の能力が遺伝したら絶対苦労することになるし、私に起こった運が良いことは再現性がないし、子供にも運良く起こるとも限らない
不調のテレビも叩けば直る。
本当にそういう習慣があったのかは知らんけど、インターネットの「お気持ち」が大嫌いで論理や合理性を信奉してる、みたいな自負のある人達には呪術だとかオカルトだとかバカにされそう。
例えば接触不良がいけないのかもしれない。それは叩いた衝撃で改善される程度のものかもしれない、みたいな予測を立てて、実際に試してみたら再現性もあって、どうにもこの仮説は間違っていない蓋然性が高いと判断する。それは合理的な思考だろうし、インターネットマンが言う論理的とはそういう事なんだろうと思う。
でもなんとなく試しに叩いてみたらとにかく直った。そういう実績があって、理屈は分からんけど色々な試みの中でどうにもこれがそれなりに再現性もあって有効らしいという判断があったのであれば、それも立派に帰納的な論理だろって思う。
私の同僚で長年テレアポ(正確には契約を取る仕事なのでアポではないが)をやってる部署内で成績1位のベテランがいるのだが、新しく入った新人(未経験ド素人)がそれを上回った。
入って3カ月間連続で、月ごとの成績で毎月新人がベテランの1.3〜1.7倍の件数をあげている。
やっていることは全く同じ。かけ先のリストの中身も同じ。
比較できるものは声質、喋り方、伝え方、知識、経験、電話をかける母数。あとはモチベーションか。
新人は蚊の泣くような声でただポソポソとトークスクリプトを台本通りに読んでいるだけ。
何がそんなに違うのか?なんでそれで契約が取れるのか、苦心して取ってる様子もなく、ただただ従順な客を引き当てているとしか思えず、間近で見ていると本当に奇々怪々である。
対面での営業と違って、検証できる要素はごく限られている。乱暴に言ってしまえば声だけだ。
正直、目に見えない何らかの必然性が絡んでいるとしか思えない。
一体何が起きてるのか?
この業界に詳しい人、長くいた人、似たような人を見てきたことがある人はぜひ教えてほしい。
バックアップっていうのは正のシステムが障害を起こしたときに副のシステムに切り替えて動かすことを言うけど
今回はハードとソフトの両方を更改して、当然正副両方を一度に入れ替えてる
今回の場合ソフトウェアのバグなので、バックアップに切り替えても同じバグが発生するので切り替えは意味がないね
新しいシステム(RC23と言われてる)の中で特定の処理(内国為替制度運営費の計算)をする箇所で不具合が発生して、
再現テストをしたところ再現性も認められたそうなのでソフトウェアのバグは間違いない
普通システムリプレースの初日といえば、想定外の障害が起きたときは切り戻し(更改前の元のシステムに戻す)
をすることを検討して、全体障害であれば切り戻そうっていう判定になるはずなんだけど
内国為替制度運営費の計算はRCに接続されている全ての金融機関じゃなくて一部(と言っても2/3くらい)だけで
使ってるルーチンなので、切り戻しとなると正常に稼働している一部の金融機関にも迷惑をかけてしまう
志倉千代丸がいろいろ面白いことを書いてた。ジャニーズの中から誰を宛てるかについてはテレビ局にすら権限はないらしい
https://www.famitsu.com/news/amp/202305/18303061.php
彼とのメールのやり取りは楽しく、僕も必死に実写向きのプロット提案をするなど、協力できる全ての時間をそれだけに注いでいた。事件はとある日の、とあるメールの一文にあった。「キャスティングの件、主人公の岡部倫太郎役につきましては、ジャニーズでお願いします」そう。忘れもしない。こうして世界線はー
分岐した。
正直違う。理不尽だと最初は思った。ジャニーズには好きなタレントも多い。でも、作品との相性は別だ。悩みに悩んだ上で、僕が出した結論は「それでもやろう!」だった。ただしこちらから条件として、僕の中で唯一キャラクターの再現性が見えた「長瀬智也さんで」とお願いしたのだ。彼なら出来る。そう信じられたからだ。
結論を書く。
条件をクリアしたと思っていた僕が甘かった。「長瀬さんではダメ。それを決める権限については申し訳ないがこちらには無い」と。こうしてこの物語は終わる。
「それでは全て白紙でお願いします。勉強になりました。ありがとうございます。」
この一言で。
少しフェイク入れているけど、都内ではザ・普通という感じだと思う。
平均年収よりはあるけど、別に余裕があったり裕福だとは感じていないし、高身長だとか高学歴だとかでもない。
モテ期のようなものも無く、とはいえ彼女がいたこともあるので、顔や清潔さは普通だと思いたい。
20代後半は別に今のままでも良いと思っていたけど、周りがどんどん結婚や出産を迎えて、徐々に友人との飲みの頻度が減ってきた。
この先を考えると辛そうだし、友人たちは家庭第一で楽しそうだったので、自分も人生をともに楽しめる人を見つけたいと思い婚活開始。
アプリは結婚まで行ける割合はせいぜい1%だとか、変な人も多いとかで、結婚相手を探すには厳しい場所らしい。
というわけで先輩おすすめの結婚相談所を利用することにした。いわゆるIBJというやつ。
3社ほど相談所に行ったが、特に断られるということもなく、うち1社からは相談所に入ったらモテると思うみたいな褒められ方はした。
多分営業トークなんだと思うが、どうやら私のような普通を絵に書いたような人は案外人気で貴重らしい。
という感じで何かしら欠点があって上手く行かないことがあるとか。
私は身長は別に高くないし平均より低いのでは・・・と思ったが、太ってはいないのでOKということらしい。
もちろん、もっとハイスペな人も居て、そういう人のほうが人気らしい。
ありがたいことに初月は50件くらいはお見合い申し込みを受けた。2ヶ月目以降は30件くらいだったかな。
ちなみに婚活界隈では前者の50件のことを申し受けとか言うらしい。
申し受けと申し込みから実際のお見合いに至った割合は50% 50%で、月あたり6件ほどだった。
人と話すのは苦じゃないのでお見合い自体は苦痛ではなかったのだけど、互いに楽しい人生を歩める人か?という観点で見るとなかなか厳しかった。
というのも自分を普通と言っておきならが、普通の趣味があまりなく、酒を飲みに行くか仕事の愚痴を言うかくらいしか自分にはなくて、婚活中に自分はなんと薄っぺらい人間なんだろうかと思った。相手が悪いと言うよりは、相手に自分がついていけるか分からずに鬱になりそうにもなった。
婚活界隈ではお見合いからお互い良いね!となった後に仮交際というフェーズに入るのだが、まあお友達みたいなものである。
私の場合、半年のお見合い期間で合計30人近くとお見合いして、5人仮交際になり、最終的に今の妻と本交際になった。
ありがたいことに婚活していると、お酒好きかつ、趣味がなくても良いんじゃない、みたいな私と近いスタンスの人と巡り会えた。
この人が今の妻なのだが、このあたりは小っ恥ずかしいので省略する。意気投合してその後はトントン拍子だった。
まず何よりもうまく行かないことでメンタルが削られた。
自分は社会や女性に必要とされていない、魅力がない、などと色々考えてしまう。サポートしてくれた仲人の人には感謝している。
今の妻と会えたのは運だと思うので、再現性のある勝ちパターンを作り出せないと思う。正直お見合いしまくるみたいな強引なやり方しか無いと感じた。
それ以外にもあまり言いたくはないのだが、地雷みたいな女性も若干居た。
私は初月の申し受けが50と言ったが、医者だとかイケメンだとかハイスペだと200や300行ったりするらしい。
中には30代前半で顔もスタイルも良くて年収2000万超えというような全てが完璧のような人もいるらしく、速攻成婚退会していくそうな。
今はもう籍も入れており、二人で酒飲みながら楽しく生活しています。
子供は酒が飲めなくなるので考え中、と妻は言っており私も婚活中からどちらでもよい考えだったので、そういう曖昧なところもお互いの価値観として近くてよかったのかもしれない。良い人に出会えたと思う。
今なら飲みの頻度が減ってしまった友人たちの気持ちも少しは分かるかな。結婚生活楽しいけど、色々と大変だったり考えが変わったりもする。
Twitterアカウントを作ってみたのですが、何か不毛さを感じてしまい、アカウントを消してしまいました。
誰も見ない情報をシェアして自己満足に浸っている様子は、傍から見れば悲しいですね...
さて、私の承認欲求はどうすれば良い方向へ向かわせられるでしょうか。
TwitterやYoutubeをやってみましたが、必ず「フォロワーゼロ」という壁にぶつかります。
InstagramやThreadsはフォロワーができましたが、この2つの楽しみ方がよくわかりません。
インターネットに、自分のできる範囲で何か価値のある情報を残したいというのが本音かもしれません。
そうするとQiitaなどで技術情報を発信するというやり方に落ち着くのかもしれません。
なぜプログラミングであればでしゃばれるのかというと、再現性が高いからです。
コードを走らせれば誰でも検証できますし、検証すれば「この人が言っていることは正しい」ということがはっきりとわかります。
寄り道して経済学を学びましたが、経済学の情報は玉石混合で、私のような素人がでしゃばる場ではないのではと思えてきます。
経済学は「社会構築主義」「相対主義」がまかり通りそうな雰囲気があるため、プログラミングのように「検証すれば正しさがわかる」ということがされていないと思うのです。
経済学者がなぜ「事実判断」と「価値判断」を明確に分けたいと思うのか理解できる気がします。
リベラルアーツ的な目的で勉強すると確かに教養が身について世の中についてより多く学べるのですが、それ自体を専門とすることができないのが難点です。